「この末日において,イエス・キリストの完全な福音の回復についての証を分かち合うことは,わたしたちにとってなんとすばらしい機会でしょうか。」 ―リチャード・J・メインズ長老
最初の示現に関する4つの記録
ジョセフ・スミス・ジュニアは最初の示現に関して知られる4つの記録を直筆もしくは口述しました。またジョセフと同時代に生きた人々は,示現についてジョセフから耳にしたことをもとに5つの記録を残しました(history.ChurchofJesusChrist.org参照)。
- 1832年の記録: 「この記録は救い主の贖いと,主がジョセフに示された個人の救いについて見事に強調しています。」
- 1835年の記録: 「この記録では,初めに神が現れ,それから救い主を目にしたことについてジョセフが証しています。」
- 1838年の記録: この記録は「激しい反対に遭う中で書かれました。…『教会の起こりと発展』の始まりである示現に焦点が当てられています。」「最初の示現に関する記録」の項,福音のテーマ, topics.ChurchofJesusChrist.org).
- 1842年の記録: 「この記録はモルモンの信条をよく知らない人々に向けて書かれました。預言者の直面する反対勢力が一時的に衰退した喜ばしいときのことです。…他の記録と同様に,ジョセフは自身が経験した混乱について,また祈りの答えとして現れた二人の御方について記しています。」
「こうした記録が存在することは祝福です」とメインズ長老は語ります。「これらの記録により,ジョセフの最初の示現は歴史上最も大いなる,文書化された示現となっています。」
明らかにされた神聖な真理
メインズ長老はジョセフ・スミスの最初の示現から多くの真理を学ぶことができると述べます。つまり「天の御父と御子イエス・キリストの永遠に変わらぬ特質,サタンの実在,善と悪の闘い,また偉大な救いの計画に関する重要な側面」などです。以下がその例です。
- 聖文は真実であり,文字どおり受け止めて生活に応用できる
- 聖文について深く考えることで,力と洞察を得られる
- 知識があるだけでは不十分であり,自らの知るところに従って行動することで神の祝福を受けることができる
- 人ではなく神に信頼を置き,人生で最も重要な問いに対する答えを神に求めるべきである
- 揺るぎない信仰と天の御父の御心により,祈りは答えられる
考え,分かち合う
以下の質問について考え,#LDSdevoのハッシュタグをつけてその答えを分かち合ってください。
- ジョセフ・スミスの最初の示現から,どのような真理を学びましたか
- 真理と,自分の抱く問いへの答えを捜し求めたとき,主はどのように答えられましたか
「愛し,心にかける人々に対して,わたしたちはこの神聖な出来事,またそこから学んだ事柄について分かち合うべきです」メインズ長老はこう指摘します。「…人生における道しるべと目的を捜し求める多くの人々は,このディボーショナルに参加している年齢層に代表されます。まさにあなたの友人や仲間たちなのです。」
回復を預言した預言者たち
「福音の回復をはっきりと預言し,指し示す数々の預言者の言葉が,旧約聖書,新約聖書,モルモン書の至るところに記されています。」とメインズ長老は述べます。その一例は旧約聖書に記されている,ネブカデネザル王の夢に対するダニエルの解き明かしです。
約2,400年後,アメリカ独立革命と「アメリカ合衆国の樹立と建設によってもたらされた信教の自由は,回復への道を備えるのに役立った」とメインズ長老は語ります。
神に願い求める
メインズ長老はこう説明しました。ジョセフ・スミス・ジュニアは―今日生きる多くの人々と同じように―人生における真理,道しるべ,目的を捜し求めていました。
14歳のとき,ジョセフは新約聖書から読んだ聖文の一節に心打たれました。
「あなたがたのうち,知恵に不足している者があれば,その人は,とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に,願い求めるがよい。そうすれば,与えられるであろう。」(ヤコブの手紙1:5)
ジョセフはついに神に願い求めることを決心し,そうして聖なる森でささげた心からの祈りが,最初の示現をもたらしたのです。
「1820年の美しい早春に,ジョセフ・スミスが父なる神とその御子,主イエス・キリストの訪れを受けたことを証します」とメインズ長老は語りました。
研究し,祈る
「 history.ChurchofJesusChrist.org にアクセスして記録についてさらに学び,それらが最初の示現をより完全に描写する上でどのように生かされているかを調べるようお勧めします」とメインズ長老は話します。
しかしながら,「最初の示現に関する記録」で述べられているように,「最初の示現についての真理も,それに対する議論も,歴史研究だけで立証されることはありません。ジョセフ・スミスの証が真実であると知るには,真理を熱心に捜し求める一人ひとりが記録を研究し,それからこの記録が真実かどうかを心からの,謙遜な祈りによって神に尋ね求めるために,キリストに対する十分な信仰を働かせる必要があります。」