神聖な賛歌―なぜ末日聖徒は音楽とともに礼拝するか

提供者: フィリップ・ボルマー,教会のニュースと出来事

  • 2012年1月27日

教会員は教会の集会,家庭,個人の生活において,神を礼拝し御霊を招く手段として神聖な音楽を使用します。

記事のハイライト

  • 教会の集会における音楽は礼拝の形として奨励されています。
  • 教会指導者はふさわしい音楽で家庭を満たすよう末日聖徒に勧告してきました。
  • 良い音楽はまた個人にとっても,霊を高揚させ,励まし,善い行動へと導く利点があります。

「並外れて美しい音楽のない天国など考えられないでしょう。」前七十人第二定員会会員 ダグラス・L・カリスター長老

エマ・スミスによって最初の賛美歌集が編纂されて以来,末日聖徒は「主の御霊を招き,敬虔な雰囲気を醸し出し,教会員をひとつにし,主に賛美を捧げる機会を与える」ために賛美歌を使って来ました(「大管長会はしがき」『賛美歌』,9参照)。

しかし『末日聖徒イエス・キリスト教会賛美歌』の公式な1985年出版セレモニーで,LDS音楽の新しい時代が始まりました。

このセレモニーで,当時十二使徒定員会のトーマス・S・モンソンは「わたしが願うのは,わたしたちがもう一度末日聖徒イエス・キリスト教会でほんとうに歌うということは何かを学ぶことです。ただ簡潔に会衆の歌で老若男女の心と魂に音楽の御霊をもたらすために何かしなければなりません」と話しました。

27年前のその日以来,何百万という世界中の末日聖徒の神聖な歌が御霊をもたらし,福音の真理を教える役割を果たすのを経験してきました。

賛美歌集の中でも末日聖徒の教会の集会,会員の家庭,個人の生活における礼拝に果たす音楽の重要性が強調されています。

教会の集会における音楽

2006年アメリカ合衆国ユタ州プロボにあるブリガム・ヤング大学で行われた学生に向けたディボーショナルで,当時七十人の一人であったダグラス・L・カリスター長老は「キャロルがなければクリスマスを,神聖な賛美歌がなければ総大会を迎えることはできません」と言いました。

「並外れて美しい音楽がない天国など考えられないでしょう。」

そのような音楽の影響は,教会の集会,ディボーショナル,大会などで明らかです。

1985年4月,教会の指導者たちは伝道活動が直面している問題について伝道部会長に話をするためテンプルスクエアのアッセンブリーホールに集まりました。当時十二使徒定員会会員であったボイド・K・パッカー会長が最後に話しました。会長は,伝道活動に対する努力を新たにしようと切望している伝道部会長たちに強い印象を残したいと思いました。

パッカー会長は80人の専任宣教師を集めて,伝道の召しを喜ぶ,あまりなじみのない初等協会の歌を歌わせました。そこに集った人が,集会の終わりにふさわしい記憶に残るクライマックスだったと口にした工夫でした。

宣教師が二人づつ賛美歌を歌いながら通路を歩いて入場してきたとき,「電気が走るような」強い衝撃に聴衆は涙した,と当時教会中央音楽委員会の会員だったハーバート・クロファーは話しました。

クロファー兄弟と音楽委員会のほかの委員は,のちに出版されることになる教会の新しい賛美歌の選曲を終えていました。しかしながら宣教師と彼らが歌った賛美歌の霊的な力についての話を聞くと,委員会は新しい賛美歌集にその歌を入れるべきだとはっきり分かった,とクロファー兄弟は振り返りました。

「賛美歌を歌うという簡単な行動が,本来すばらしい集会を霊的で感動的な経験にと変えたのです。それでわたしたちはそうしなくてはならないと分かりました。」

賛美歌編纂者は,今では非常によく知られている賛美歌として教会のどこでも宣教師や会衆に歌われている「われらは天の王に」(『賛美歌』157番)を載せるために,賛美歌集にあった歌の半分を移動しました。

しかしながら,教会の集会で「神聖な賛歌」を聞いたり歌ったりすることは,賛美歌が礼拝の方法として使用されるひとつの方法にすぎません。

例えば,総大会の話者が説教の中で賛美歌から引用するとき,神聖な音楽の力がその歌詞ののメッセージと切り離すことができないことを示しています。

十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老は,神聖な音楽にはわたしたちの礼拝をより意義あるものにする力があると強調しました。「神聖な音楽には主に対するわたしたちの愛を伝える独特の力があります。…言葉で礼拝することに困難を感じている人でも,賛美歌の霊感に満ちた歌詞で礼拝の気持ちを伝えられるからです。会衆が賛美歌を歌って礼拝するときには,全員がそれに参加します。」(「音楽を通した礼拝」『リアホナ』1995年1月号,12)

家庭における音楽

教会の集会で音楽の使用を奨励することに加え,「大管長会はしがき」には『音楽には,家族の霊性を大いに高め,福音のために熱心に働くよう啓発するかぎりない力があります。末日聖徒は,家庭を価値ある音楽で満ちあふれさせなければなりません。』と続けて教えています。

家族が音楽を使って礼拝し,同時に子供たちに福音を教える一つの手段は音楽を使用することです,とパッカー会長は教えました。 「福音の回復を歌う賛美歌は,まさに教義を教えるレッスンと言えるものだからです」と話しました。

神権部音楽芸術課の音楽マネージャーのダイアン・バスチャンは,賛美歌がどのように効果的に教義を教えるかを説明しました。

「教会のすべての賛美歌と子供の歌は教義を含んでいます」と,賛美歌や 『子供の歌集』の歌の下に参照聖句に言及して言いました。末日聖徒が生涯を通して歌う賛美歌は,聖文の中に含まれている教義を基にした福音の原則を教えています。「皆さんが学んだり(思い出したり)する教会の教義です」と強調しました。

1915年に教会指導者によってはじめられたプログラム,家庭の夕べのとき,指導者は家庭で音楽を使用するように奨励してきました。

大管長会の手紙の中で,当時のジョセフ・F・スミス大管長(1838-1918年)とその顧問たちは,「家庭の夕べには祈り,賛美歌,歌,楽器演奏」と他の意義深い活動が充てられるべきだ,と書きました。

手紙は「小さな子供のためには適切な朗読,歌,お話,ゲームも良いでしょう」と続きます。

ジェニー・オークス・ベーカーは神聖な音楽が家の雰囲気を変えることを経験したバイオリン奏者兼レコーディング・アーチストです。

彼女は大学生のとき,部屋で賛美歌を演奏していた時のことを回想しました。「すばらしいクラッシック音楽を練習しました。それから賛美歌を演奏すると,部屋には違った霊が宿りました」と話します。「賛美歌を演奏すると御霊を強く感じることができることにほんとうにいつも感謝していました。」

現在,彼女の4人の子供は楽器を演奏します。

「子供たちはクラッシック音楽を演奏しますが,賛美歌も学んで演奏します。子供たちの音楽の才能を伸ばすことは彼らを霊的に成長させることでもあることに感謝しています」と話しました。

神聖な音楽を演奏することはほんとうに家庭に御霊をもたらします。家族をより親密にし…,真に深い方法で子供たちが御霊を感じるのを助けてくれます」と続けました。

1985年に大管長会は新しい賛美歌集の中でこう述べました。「この賛美歌集は,教会と同様,家庭でも使われるようにとの意図の下に作られたものです。」

「安息日や〔家庭の〕夕べ,また聖典を学ぶときや祈りのときにも歌うようにしてください。 そして,働くときにも,遊ぶときにも,家族で旅行をするときにも歌ってください。 小さな子供たちに,子守り歌として賛美歌を歌って聞かせ,信仰と証を築く一助としてください。」

個人の生活における音楽

家庭で教義を教えることに加えて,賛美歌は一人一人にも大いに恵みをもたらします。「精神を高揚させ,勇気づけ,正しい行動へと導きを与えてくれます。」(「大管長会はしがき」『賛美歌』,10)

70年以上前,J・ルーベン・クラーク・ジュニア会長(1871-1961年)は次のように教えました。『祈りを除けば,恐らくわたしたちは音楽を通して最も主に近づくことができます。』(Conference Report,1936年10月号,111)

5歳の少年ガンチの場合はこうでした。2010年のハイチで起きた壊滅的な地震のあと,3階建てのアパートのがれきの中に二人の兄弟とベビーシッターとともに閉じ込められてしまいました。そのとき,賛美歌が希望をもたらしたのです。

救助隊が倒れた建物の中に,ガンチ,二人の兄弟,ベビーシッターの4人を見つけました。瓦礫の中に閉じ込められている間,ガンチが初等協会の歌を歌っていたその歌声をたどったのでした。

救助隊は10時間もの必死の救助活動の後,ガンチと他の生存者を助け出しました。

ガンチは助かるために右腕を切断しなければなりませんでしたが,彼の話は信仰深い礼拝の形として,また特に祈りとしての音楽の力を物語っています(教義と誓約25:12)。