はじめに アルマ書
なぜこの書を研究するのか
アルマ書を研究することによって,生徒はイエス・キリストと救いの計画におけるイエス・キリストの
だれがこの書を書いたのか
モルモンは,ニーファイの大版から編集して短くまとめたアルマ書を作成した。この書は,アルマの息子であり,しばしば息子アルマと呼ばれているアルマにちなんで名付けられたものである。モーサヤ王がニーファイ人の間にさばきつかさの統治制度を導入したとき,息子アルマは最初の大さばきつかさとなり,また父親の後を継いで教会を管理する大祭司となった(モーサヤ29:42参照)。やがて彼は,「大祭司の職に専念し」,ニーファイ人が住む全地で「人々に神の言葉を告げ」るため,大さばきつかさの職を辞した(アルマ4:20;5:1)。モルモンは,アルマの教導の業の記録(アルマ1-44章参照)と,アルマの息子たち,すなわちヒラマン(アルマ45-62章参照)とシブロン(アルマ63章参照)が書いたものを使ってアルマ書をまとめた。
だれに向けて,なぜ書かれたか
モルモンは,アルマ書を特定の読者に向けては書いてはおらず,それを書いた理由も述べていない。しかしながら,この書に記されているイエス・キリストの
いつ,どこで書かれたか
アルマ書の情報源として使用された元の記録は,紀元前91年から紀元前52年の間に書かれたものと思われる。モルモンがそれらの記録を短くまとめたのは,紀元345年から紀元385年の間のことである。モルモンはこの書を編集したときにどこにいたかは記録していない。
この書の特徴は何か
アルマ書はモルモン書の中で最も長い書であるが,その期間は,紀元前約91年から紀元前52年までのわずか39年間である。この書には,レーマン人の間で行われた伝道活動が成功したということが初めて述べられている。また,改心したレーマン人が忠実に聖約を守り続けたことが強調されている(アルマ23:6-7;24章参照)。そのほか,アルマ書には,予任の教義とメルキゼデクの教導の業(アルマ13章参照),神の言葉の力(アルマ31章参照),イエス・キリストを信じる信仰を深める方法(アルマ32-34章参照),純潔の律法を破ることの重大さ(アルマ39章参照),死後の霊の状態(アルマ40章参照),復活と回復の教義(アルマ40-41章参照),天の御父の贖いの計画における正義と
概要
アルマ1-3章 ニーホルがニーファイ人の間に偽善売教を持ち込む。アルマは義に従ったニーファイ人を率いて,レーマン人の軍隊に合流したアムリサイと彼に従う者たちに立ち向かって戦う。王になって教会を滅ぼそうとしたアムリサイの企てを破った後,ニーファイ人は別のレーマン人の軍隊を打ち負かす。
アルマ4-16章 アルマは大さばきつかさの職を辞す。神の言葉を
アルマ17-28章 モーサヤの息子たちとほかの者たちはニーファイの地に住むレーマン人の間で神の言葉を宣べ伝える。数千人が主に帰依する。改宗者は武器を捨て,ニーファイ人の所に行って住む。ニーファイ人とレーマン人の間のひどい戦いで多くの人が死ぬ。
アルマ29-42章 アルマは人々を悔い改めに導きたいと思う。アルマは反キリストのコリホルを言い破る。ニーファイ人の離反者であるゾーラム人に教えを説き,神の言葉を,信仰によって養わなければならない種にたとえる。アミュレクは贖罪について証し,悔い改めを生じる信仰を働かせることをゾーラム人に教える。アルマは,3人の息子,すなわち,ヒラマンとシブロンとコリアントンに個人的な勧告と証を述べる。アルマは神聖な記録をヒラマンに託す。また,死後の霊界,復活,神の計画における正義と憐れみの役割について教える。
アルマ43-45章 レーマン人はニーファイ人の離反者によって怒りをかき立てられ,ニーファイ人に戦争を仕掛ける。モロナイはニーファイ人を率いてゼラヘムナの軍隊に勝利する。アルマはヒラマンと語って祝福し,ニーファイ人の滅亡を預言し,その地を去る。
アルマ46-63章 モロナイ,リーハイ,テアンクム,ヒラマン,ならびにパホーランは,ニーファイ人を率いて,アマリキヤとアモロンに従ったレーマン人の軍隊に勝利する。モロナイとパホーランが王政党として知られるニーファイ人の離反者たちの謀反も鎮圧する。シブロンはニーファイ人の記録を受け取り,後にそれをヒラマンの息子ヒラマンに渡す。モロナイハの軍隊が別の戦いでレーマン人を打ち破る。