ライブラリー
第157課-モロナイ8章


第157課

モロナイ8章

はじめに

神聖な記録を書き続けたモロナイは,父モルモンから受けた手紙をその中に加えた。手紙の中でモルモンは,幼い子供たちにバプテスマが必要でない理由について自分が受けた啓示を書き記している。モルモンはまた,神とともに住む備えをする方法についても教えた。モルモンは手紙の最後に,ニーファイの民の邪悪と彼らの滅亡が迫っていることについての懸念を記している。

教えるための提案

モロナイ8:1-24

モルモン,幼い子供たちはキリストによって生きていると教える

画像:バプテスマを受ける少女

クラスが始まる前に,「バプテスマを受ける少女」の絵(『福音の視覚資料集』104番),あるいは8歳の子供のバプテスマ会の写真をホワイトボードに貼っておく。また,次の質問をホワイトボードに書いておく。

なぜ子供は,8歳になるまでバプテスマを受けないのでしょうか。

生徒が教室に入って来たら,絵を見て,ホワイトボードの質問について考えるように伝える。

クラスを始める際,生徒に次のことを伝える。モルモンは息子モロナイにあてた手紙の中で幼い子供たちの救いについて教えた。一人の生徒にモロナイ8:4-6を読んでもらい,クラスの生徒にモルモンが心にかけていたことは何だったかを探してもらう。

生徒に見つけたことを発表してもらった後,モロナイ8:7を黙読してもらい,モルモンがこの問題について知った後で何をしたかを見つけてもらう。

  • モルモンの模範から,何を学べるでしょうか。

一人の生徒にモロナイ8:8-9を読んでもらい,クラスの生徒にモルモンの祈りに対する答えが記された箇所を探してもらう。生徒が見つけたことを発表する間に,必要であれば次のことを説明する。「アダムののろい」とは,堕落の結果,アダムが神のまえから離されることである。中には,すべての子供は堕落によって罪深い状態で生まれてくると誤って信じている人もいる。彼らはこの誤った考えから,バプテスマを受けずに亡くなった幼い子供たちは神の御前にふさわしくないと考えている。以上について説明する際に,生徒に信仰箇条の第2条を参照するように言う。また,モロナイ8:8-9の余白に参照聖句として,信仰箇条1:2と書くよう勧めるとよい。

ホワイトボードに次の空欄を含む文章を書く。「______すべての人には,悔い改めとバプテスマは必要である。」

生徒にモロナイ8:10を黙読して,ホワイトボードの文章の空欄に当てはまる言葉を探してもらう。生徒が答えを報告した後で,次のように空欄を埋める。「責任を負うことができ,罪を犯す可能性のあるすべての人には,悔い改めとバプテスマは必要である。」この真理が書かれているモロナイ8:10に印を付けるように勧めるとよい。

罪とは「神の戒めに故意に従わないこと」という定義を明確にすることも役立つであろう(「聖句ガイド」『罪』)十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老が語った次の言葉を紹介する。

画像:ダリン・H・オークス長老

「教義により,わたしたちは,責任を負うことができない年齢の子供は『罪を犯すことができない』(モロナイ8:8)ことを理解しています。その期間に,子供は非常に深刻な罪,正さなければならない重大な罪でさえ犯す可能性がありますが,その行為は罪とされず,責任を問われることはありません。」(“Sins and Mistakes,” Ensign, 1996年10月号,65)

クラスを二つに分け,半分の生徒にモロナイ8:11-18を,残りの半分にはモロナイ8:11,19-24を黙読してもらう。(この聖句の箇所をホワイトボードに書いておいてもよい。)読んでもらう前に,両方のグループに,モルモンが幼い子供たちのバプテスマについて述べた言葉を見つけるように伝えておく。十分時間を取って読んでもらった後で,各グループから数人の生徒に,見つけたことを報告してもらう。生徒がモルモンの教えについてさらに深く考えられるように,以下の質問をするとよい。

  • 幼い子供たちは「キリストによって生きている」(モロナイ8:12,22)とはどのような意味だと思いますか。(イエス・キリストのあがないによって贖われている。サタンは幼い子供たちを誘惑する力を与えられていないので,幼い子供たちは罪を犯すことができない。(モロナイ8:10教義と聖約29:46-47も参照)

  • キリストによって生きるために,わたしたちは何をする必要がありますか。(2ニーファイ25:23-26モロナイ8:10参照)

  • 幼い子供たちはどのように救われているかについて,これらの聖句から何を学べるでしょうか。(生徒たちは異なる言葉を用いるかもしれないが,以下の真理が挙がっていることを確認する。「幼い子供たちはイエス・キリストの贖いによって救われている。」「幼い子供たちはキリストによって生きている。」「神は不公平な御方ではない。」「神は変わられない。」

以下の例をホワイトボードに書くか,配付資料として渡す。各生徒に一つの例を選んでもらう。次にモロナイ8:8-23の中から1節か2節を選ばせ,その節の中に書かれている真理が,自分が選んだ例で述べられている問題に対してどのような解決方法を示しているか説明してもらう。

例1-宣教師であるあなたは,生後2か月の娘を亡くして悲嘆に暮れている夫婦に会います。夫婦が通っている教会の指導者は,幼い子供たちはアダムの背きによって罪を背負って生まれて来ると言いました。娘は亡くなる前にバプテスマを受けなかったので,救われないと,その教会の指導者は言っています。

例2-あなたの友人は宣教師のレッスンを受け,あなたと一緒に教会に行っています。教会に入る決意をしましたが,バプテスマを受けることにはとまどいを感じています。「わたしは赤ちゃんのときにバプテスマを受けたから,それで十分なんじゃない?」と彼女は言っています。

生徒が例2について意見を述べている途中で,必要であれば,悔い改めとバプテスマは「責任を負うことができ,罪を犯す可能性のある者」のためにあることを生徒に思い起こさせる(モロナイ8:10)。子供たちは8歳で神の前に責任を負うようになると主は言われた。この真理に関する啓示は,聖書のジョセフ・スミス訳(抜粋)の創世17:11(『聖句ガイド』の中にある)と,教義と聖約68:25-27に記されている。

モロナイ8:25-30

モルモン,責任を負うことができる人々が,神とともに住むためにしなければならないことについて教える

モルモンは,幼い子供たちにバプテスマが必要ない理由についてモロナイに教えた後,責任を負うことができる人にはなぜバプテスマが必要かについて教えた。一人の生徒に,モロナイ8:25-26を読んでもらう。クラスの生徒に一緒に目で追いながら,信仰を表して悔い改め,バプテスマを受ける人々に与えられる祝福を探してもらう。

  • これらの節には,どのような祝福が書かれていましたか。(生徒が発表する際,その答えをホワイトボードに書くとよい。次のような答えになるだろう。「信仰と悔い改めとバプテスマを通して得られる祝福には,罪のゆるし,柔和さ,けんそんさ,聖霊の訪れ,希望,完全な愛,最終的に神とともに住むことが含まれる。)

モロナイ8:25-26に書かれている祝福を生徒が挙げる際,以下の追加の質問をするとよい。

  • 罪の赦しを受けることによって,柔和で心のへりくだった状態が生じるのはなぜだと思いますか。

  • 心が柔和でへりくだっていると,どのように生活の中に聖霊が招かれるのでしょうか。

  • 聖霊はなぜわたしたちが神と住む備えができるように助けてくださるのでしょうか。

  • 生活が完全な愛で満たされるように,熱心に祈る必要があるのはなぜだと思いますか。

ホワイトボードに,次の空欄を含む文章を書く。「戒めを忠実に守るとき,わたしたちは聖霊を受け,______備えをすることができる。」

モロナイ8:25-26の中から,この文章の空欄を埋める言葉を探すように生徒に言う。「戒めを忠実に守るとき,わたしたちは聖霊を受け,神とともに住む備えをすることができる。」

一人の生徒にモロナイ8:27を読んでもらい,クラスの生徒にニーファイ人の高慢さがもたらした結果を探してもらう。その後でモロナイ8:26モロナイ8:27を黙読して,柔和さと謙遜さがもたらす結果と,高慢がもたらす結果を比較するように言う。

別の生徒にモロナイ8:28を読んでもらう。モルモンはニーファイ人に対する懸念を述べた後で「わが子よ,彼らが悔い改められるように,彼らのために祈りなさい」と述べている。わたしたちが人々のために祈るとき,人々の生活にもたらされる力について生徒に思い起こさせる。

レッスンを終えるに当たり,幼い子供たちを救うあがないの力,またわたしたちが聖約に忠実であろうと努力するときに,わたしたちすべてを救う贖いの力について感じていることを生徒に分かち合ってもらう。

注釈と背景情報

モロナイ8:8。「アダムののろいは,わたしによって彼らから取り去られて〔いる〕」

アダムとエバの堕落のせいで,新生児は罪を受けてこの世に生まれてくると信じる人々がいる。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は,この教えが誤っていることについて次のように説明している。

「人は,生まれたばかりの幼子でさえも『原罪』(言い換えればアダムの背き)によって罪を受けていると信じている人はすべて,イエス・キリストの贖いの血がもたらす憐れみを否定している。聖書は(近代の聖文と同様に)イエス・キリストは確かに人類を堕落から救う贖い主であると教えている。主は,アダムの背きによって人類が受けた負債を支払ってくださった。人の魂に課せられていた抵当は完済されたのである。それによって,『原罪』から人を解放するために必要とされた罰や罰金はすべて帳消しになった。幼い子供は『原罪』ののろいのもとにこの世に生まれてくるという教義は,神の目から見て憎むべき教義であり,贖いの偉大さと憐れみを否定しているのである。(モロナイ8章参照)」(Church History and Modern Revelation: A Course of Study for the Melchizedek Priesthood Quorums,全4巻〔1949年〕第4巻,99)

モロナイ8:10。責任を負うことができる年齢

悔い改めは,責任を負うことができる人のためにある。「幼い子供たちは悔い改めることができない」(モロナイ8:19)。8歳以下の子供たちは神の前に責任を問われない(教義と聖約68:25-27参照)ので,悔い改める必要はない。知的障がいがある人や理解力が足りないために悔い改めることができない人もまた,責任を問われない。十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老は,子供がどのように責任を負うようになるかについて次のように説明している。

「責任を負える状態というのは,子供の生涯の特定の時期に突然開花するものではない。子供は何年もかかって徐々に責任の取れる状態になるのである。従って,責任を負える状態になるというのは,特定の年月がたてば到達できるという目標ではなく,一つの過程である。主は啓示の中で言われた。『彼らは罪を犯さない。彼らがわたしの前に責任を負うようになるまで,サタンには幼い子供たちを誘惑する力が与えられないからである。』(教義と聖約29:47)しかし正常に成長する者であれば,現実に責任を負える状態に達し,生活の中に罪が入ってくる時がやってくる。それは8歳すなわちバプテスマを受ける年齢である(教義と聖約68:27)。」(「幼子の救い」『聖徒の道』1978年3月号,9参照)

モロナイ8:8-24。幼児のバプテスマ

預言者ジョセフ・スミスは幼い子供たちにバプテスマは必要ないことを教えた。

「わたしたちは幼児のバプテスマを信じているだろうか。……信じてはいない。……なぜなら,そのようなことは聖書のどこにも書かれていないからである。バプテスマは罪の赦しを受けるためにあるが,子供には罪がない。……子供はすべてキリストによって生きており,それよりも年齢の高い者は信仰と悔い改めにより,キリストによって生かされるのである。」(History of the Church,第5巻,499)

十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長は,幼い息子を亡くして悲嘆に暮れていた母親に慰めを与えることができた専任宣教師について語った。

「二人の宣教師が合衆国南部の山岳地帯で働いていました。ある日,ずっと下の方の空き地に人が集まっているのが丘の頂上から見えました。この宣教師たちは大勢の人の中で福音を伝える機会があまりなかったため,その空き地に下りて行きました。

小さな少年が溺れて亡くなり,葬儀が行われようとしていました。両親は息子の葬式で話してもらうため,牧師を呼んでいました。悲しむ父と母を前にしてこの巡回牧師が説教を始めると,宣教師たちは驚いて後ずさりしました。両親はこの聖職者に慰めを期待していたとしたら,がっかりしたことでしょう。

幼い男の子にバプテスマを受けさせなかったことで,牧師は両親を厳しくしかったのです。あれこれ理由をつけてバプテスマを先延ばしにしていたから,今となってはもう手遅れだというのです。幼い男の子は地獄に行ったと牧師はにべもなく両親に言いました。親のせいでその子は果てしなく苦しむことになるというのです。

説教が終わって墓に土がかけられると,長老たちは嘆き悲しむ両親のもとに行き,「わたしたちは主の僕です。お伝えしたいことがあります」と母親に言いました。泣きながら耳を傾ける両親に,二人の長老は啓示の中から言葉を読み,死者と生者の両方を贖う鍵が回復されたことを証しました。

わたしはこの牧師にも幾らか同情を感じます。彼は自分が持っている限りの光と知識で最善のことをしていたのです。しかし,この牧師が伝えられたはずの知識がすべてではありません。完全な福音があるのです。

この長老たちは慰める者として,教師として,主の僕として,またイエス・キリストの福音の権威ある教導者としてやって来たのです。(「小さいわらべに導かれ」『リアホナ』2012年5月号,7)