「第1課 クラス準備資料:回復への序曲」『回復の礎 クラス準備資料』
「第1課 クラス準備資料」『回復の礎 クラス準備資料』
第1課 クラス準備資料
回復への序曲
「回復への礎」へようこそ。このコースでは,イエス・キリストの教会の末日の回復に関する基礎的な啓示,教義,人物,歴史的な出来事を学びます。これらを祈りの心で学ぶことによって,これらの概念や人物をあなたの人生や状況と関連付けることができます。また,霊的な知識を習得し,真理と誤りを識別できるようになります。
この準備資料は,クラスの準備のための基礎を提供します。事前に各レッスンの準備資料を学習しておくことで,レッスンでより深く有意義な学習体験を得ることができます。
よく祈ってこのコースを学ぶことによって,回復の歴史の中に主の手を見ることができ,回復の啓示の中に主の声を聞くことができるでしょう(教義と聖約18:34-36を参照)。この最初のレッスンを終えるまでに,なぜ教会を回復する必要があったのかを説明できるようになっているはずです。また,主が現代において,新しい神権時代のための道をどのように作ってくださったかを認識できるはずです。
セクション 1
なぜ大背教は起こったか
イエス・キリストの死と復活の後,使徒たちが教会を導き,発展させていきました。十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード会長は,イエス・キリストの教会がいかにして背教に陥ったかを説明しています。
新約聖書には,このように記されています。初期の使徒たちは,イエス・キリストから管理と維持を委託された教会を守ろうと一生懸命働きましたが,自分たちの努力は無駄に終わることを知っていました。キリストの再臨を熱心に待ち望んでいたテサロニケの聖徒たちへ,パウロは,『まず背教のことが起』こり(2テサロニケ2:3)と書いています。……
そしてついに,愛弟子ヨハネを除き,ペテロをはじめとする使徒たちは殉教するのです。使徒ヨハネと教会員たちは恐ろしい迫害に遭いながらも,生き延びようと奮闘しました。彼らの努力のおかげで,キリスト教は存続し,紀元2世紀の末までには顕著な力を持つようになりました。多くの雄々しい聖徒たちの尽力により,キリスト教は苦難を耐え抜いたのです。
これらの聖徒たちの伝道活動は重要な物でしたが,彼らは,使徒の権能を持っていませんでした。つまり,ペテロを始めとする使徒たちが主イエス・キリスト御自身の御手による聖任を通して受けたのと同じ権能を持ってはいなかったのです。その権威が失われたとき,人は教義を理解するためにほかの力により頼むようになりました。その結果,多くのだれにでも分かる貴い真理が失わてしまいました。(M・ラッセル・バラード「回復された真理」『リアホナ』1995年1月号,71-74)
預言者ニーファイは示現で大背教を見ました。彼は,この背教のときに邪悪な人々が「分かりやすくて大変貴い多くの部分を小羊の福音から取り去り,また主の多くの聖約も取り去」るのを見ました(1ニーファイ13:26)。彼はまた,大背教の間に,聖書から「分かりやすくて尊い多くの部分が取り去られ」るのも見ました(1ニーファイ13:28)。天使はニーファイにこう言いました。「非常に多くの人がつまずき,まことにサタンがその人々を大いに支配する力を持つほどになる。それは……小羊の福音からこれらのことが取り去られてしまったためである。」(1ニーファイ13:29)
セクション 2
主は回復のための道をどのように備えられたか
何世紀にもわたる背教が続き,その間聖文を手にすることができたのは,非常に少数の人々のみでした。霊感を受けた人々は,ほかの人たちが真実を探求するのを助けるために,しばしばその身を危険にさらしつつも,できるかぎりのことをしました。1300年代後半,ジョン・ウィクリフは聖書を英語へ翻訳し始め,その結果,当時の宗教権力者たちによって異端者として糾弾されました。1400年代半ばの印刷機の発明により,聖書は多くの人々にとって手の届くものになります。1500年代,主の御霊は,マルティン・ルター,フルドリッヒ・ツヴィングリ,ジャン・カルヴァン,ジョン・ノックス,アン・アスキューを始めとする,当時の支配的な教会の誤りに異議を唱え始めた多くの人たちに霊感を与えました。ウィリアム・ティンダルなども新たに聖書の翻訳を行いました。改革者たちの多くは,それらの行動の結果として自らの命を犠牲にしました。彼らのそのような努力が,新しいプロテスタント教会を生んだのです。ヨーロッパには宗教の自由がなかったため,これらの新しい教会の設立は重大な対立をもたらしました。
1600年代初頭,ピルグリムなど,宗教的迫害を受けた人たちやほかの多くの人々が,自由に崇拝できる地を求めてイギリスからアメリカに渡りました。預言者ニーファイは,そのようにアメリカに根を下ろすことになった多くの宗教改革者を示現で見ています。
最初の移住者であるピルグリムやそのほかの移民の子孫たちは,イギリスから分離したさらなる自由を求め,アメリカ独立戦争を引き起こしました。アメリカ側で戦った一人の兵士にアサエル・スミスという人がいました。預言者ジョセフ・スミスの父方の祖父であるそのアサエルは,あるとき,「わたしの子孫の一人が宗教的信仰の世界に革命を起こす仕事を広めることになると心に知らされた」と言ったことが記されています(Joseph Fielding Smith, Church History and Modern Revelation, 2 vols. [1953], 1:4)。アサエルは,信教の自由を中核とする新しい国家の設立を目の当たりにしました。
十二使徒定員会のロバート・D・ヘイルズ長老は,アメリカ合衆国の設立は世界を福音の回復に備えるための一歩であったと教えています。
宗教感情がアメリカ大陸の新しい国の創始者たちを導きました。彼らは神の御手の下に,霊感を受けて起草された権利章典ですべての市民に宗教の自由を保証しました。その14年後の1805年12月23日,預言者ジョセフ・スミスが生まれたのです。回復のための準備は完成に近づいていました。
…わたしは,この世の創造以前から(イエス・キリストの)御手は回復の業のうえにあ〔る〕……ことを証します。(ロバート・D・ヘイルズ「回復と再臨の備え――『わたしの手はあなたのうえにある』」『リアホナ』2005年11月号,90-91)
M・ラッセル・バラード会長は次のように教えています。
預言者の父,ジョセフ・スミス・シニアは経済的に苦しんでいました。…(彼は)あるパートナーとビジネスを始めました。パートナーはお金を取り,それを失いました。彼らは農場を一つ買いましたが,経営に失敗してしまいます。彼らは別の農場を買いましたがうまくいかず,さらに買った農場でも失敗してしまいました。最後にジョセフ・スミス・シニアはパルマイラに移りました。主の御手により,スミス一家は彼がいるべき場所にたどり着いたのです。(M・ラッセル・バラード『神の御手のタペストリー』[ジョセフ・スミス記念暖炉,2011年2月13日,ユタ州立大学ローガン宗教研究所])
神の御心によって,ジョセフ・スミスは,回復を開始するために適切な時期,適切な場所,適切な条件の下に生まれました。ブリガム・ヤング大管長はこう述べています。
〔ジョセフ・スミス〕はこの最後の神権時代を管理するよう永遠に予任されていたのです。(『歴代大管長の教え—ブリガム・ヤング』106)