「同性愛者は神の約束された祝福を受けることができるでしょうか?」『同性にひかれる気持ち:個人』(2020年)
「同性愛者は神の約束された祝福を受けることができるでしょうか?」『同性にひかれる気持ち:個人』
同性愛者は神の約束された祝福を受けることができるでしょうか?
だれもが神の約束された祝福を受けることができます
「だれでも自分の人生を見つめ,『わたしたちはどのような状況にいるだろうか。自分は人生のどの地点にいるだろうか』と評価しようとすることがあります。いつも申し上げているように,自分を人と比較し始めると,落胆か高慢のどちらかに至ります。そのいずれも望ましくないのですが,比較をし始めるとき,往々にして起こるのです。『わたしは人よりも幸運に恵まれている』とか,『わたしは人と比べて全然ついてない』と思い始めます。ですから,自分の状況を人と比較しようとするのは,建設的な行為ではありません。祝福には,短期的なものと長期的なものとがあります。幕を通った後まで,すなわち来世まで取っておかれる祝福もあります。したがって,わたしたちは現在,きわめて限られた時間軸の中にいるのであって,この限られた期間において,これまでに経験してきた逆境を比較しようとしたり,受けてきた祝福を比較しようとしたりするのは有益なことではありません。
アダムとエバがエデンの園を去ったとき,二人が去る際にもたらされたものの一つはいばらとあざみでした。そしてだれもが人生においていばらとあざみを経験します。ですが,わたしたちは自分の行く手に置かれるいばらとあざみが何であろうも,そうしたものすべてを克服することができるという自信を持つことができます。主は,道すがら逆境は必ず訪れると言われ,苦難は聖別されてわたしたちの益になるとさえ言っておられます。さて,そうなるまで何年も待たなければならないことがあります。しかし最終的には,永遠の命の約束はすべての人に向けてなされているものであることを確信することができるでしょう。だれもが等しく,自分の忠実さに対する報いを受けることになります。最後まで堪え忍ぶならば,祝福を受けます。今日は,明日は,来月は難しいかもしれませんが,いつも難しいわけではありません。イエス・キリストと主の贖いを信じる信仰を働かせるならば,必ずできます。
時には,耐えるのはほとんど無理だと思われるような逆境や試練が訪れることもあるでしょう。しかし,そのとき主は次のように言われます。『しかし,元気を出しなさい。わたしがあなたがたを導いて行くからである。』これは,主からの約束です。元気を出しなさい。逆境のさなかにあっても,元気を出しなさい。わたしがあなたを導いて行くからである。そして,わたしは証します。イエス・キリストは,あなたが経験するいかなる逆境においても,あなたを導いて行かれることでしょう。」(Gary E. Stevenson, “No Blessings Denied the Faithful,” ChurchofJesusChrist.org)