Change of Heart
福音実践

神が求めておられるのは,裂けた衣服ではなく,打ち砕かれた心である

11/09/22 | 1 min 所要時間
ホセア書とヨエル書についての考察

昔の人々には,悲しみや自責の念など,強い感情を表すために衣服を裂く(または「引き裂く」)という習慣がありました。以下に例を挙げましょう。

  • ヤコブは息子のヨセフが死んだと思ったときに衣服を裂いた(創世37:34参照)。
  • 司令官モロナイに従った人々は,国を守る決意を示すために衣を裂いた(アルマ46:12-22参照)。
  • ヨブは家族と財産を失ったことを悲しむために上着を裂いた(ヨブ1:20参照)。

どんな象徴的な動作でも同じことですが,実際は何の感情も抱いていないのに,ただ人に見せるために服を引き裂いた人たちもいたことでしょう。主はそうした行為について,どう感じておられるかを明らかにされています。主は,御自身が何よりも誠実さを重んじておられることを示すために,預言者ヨエルに次のように告げられました。

「『あなたがたは衣服ではなく,心を裂け』。あなたがたの神,主に帰れ。主は恵みあり,あわれみあり,怒ることがおそく,いつくしみが豊かで……〔あら〕れるからである。」(ヨエル2:12-13

つまり,心の変化が伴っているのであれば,象徴的に衣服を裂く行為も良いものとなるということです。

このことから,預言者サムエルがサウロに告げた,「従うことは犠牲にまさ〔る〕」(サムエル上15:22)という言葉が思い起こされます。わたしたちの表向きの行動は,背後にある感情を伴わなければ有益なものとはなりません。バプテスマを受けるにしても,CTRリングをはめるにしても,真心から行わなければ,その行為自体には意味がないのです。幸いなのは,わたしたちは今この時に,主に心を向けることを選べるということです。

真心度チェック

個人的な礼拝において,もっと真心をもって行えることはありますか。例えば,もっと熱心に個人の祈りができるのではないでしょうか。
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