主がアブラハムに息子イサクを犠牲としてささげるように命じられたとき,それは「神と神の独り子の相似」(モルモン書ヤコブ4:5),すなわち,何年も後に起こるイエス・キリストの贖罪の象徴でした。
アブラハムがイサクを犠牲にする(寸前で止められた)ことと,天の御父が独り子を与えてくださったこととの結びつきは明らかです。ほかにどのようなつながりがあるでしょうか。
- 主はアブラハムに,イサクをモリヤの地に連れて行くよう命じられました(創世22:2)。多くの学者は,その場所はエルサレムの神殿が後に建てられた場所であり,救い主が十字架につけられる場所から歩いて少しの所であると確信しています。
- アブラハムがイサクに燔祭のたきぎを運ばせたとき(創世22:6参照)のことを,イエスがご自分の十字架を負わなければならなかったことと比較してください(ヨハネ19:17参照)。
- 犠牲にささげるべき子羊はどこにいるかとイサクから尋ねられたアブラハムは,「神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」(創世22:8)と言います。この文は二通りの読み方ができ,そのどちらも正しいものです‐「神御自身が子羊を与えてくださる」「神は御自身を小羊として捧げてくださる」。短期的には,神はイサクの代わりに雄牛を犠牲として与えられます(創世22:13参照)。もちろん,長期的に見ると,エホバ御自身が地上に来られ,わたしたちのためにご自身を犠牲としてささげられました。
イサクとイエス・キリストの贖罪の類似点をほかにも見つけられますか。