ニーファイは自分の記録の大部分を預言者イザヤの言葉にささげました。13章にもわたりイザヤの言葉(2ニーファイ12-24章)を綴った後,再びニーファイは自分が引用した箇所について述べています。
そして,ニーファイはそれらのイザヤの言葉,13章分をどのように要約しているでしょうか?救い主イエス・キリストについて話すことによって,です。
「わたしたちはキリストのことを話し,キリストのことを喜び,キリストのことを宣べ伝え,キリストのことを預言する」(2ニーファイ25:26)と述べ,「キリスト」という言葉が一度も使われていない一連の書物(イザヤ書)と対比させているのです。
これらの章を読むとき,ニーファイの立場になって考えてみてください。あなたはイザヤ書の預言のどこに救い主が見えるでしょうか?預言者は,あなたが「確固としてキリストを待ち望〔む〕」(2ニーファイ25:24)ことができるように,どのような象徴を用いていますか?