CES宗教教育者大会
青少年とヤングアダルトに宗教を教えるーパネルディスカッション


青少年とヤングアダルトに宗教を教えるーパネルディスカッション

ディスカッション第2部—オークス管長,チャッド・ウェッブ,アダム・スミス

ダリン・H・オークス管長:ウェッブ兄弟,よろしくお願いします。スミス兄弟。では始めましょう。

チャド・ウェッブ兄弟:ありがとうございます。皆さんとご一緒でき,光栄です。すばらしいお話に感謝します。お話を聞いて思い浮かんだ質問について,話し合いたいと思います。まず,生徒への愛についてです。生徒を愛することの一部は,福音を教え,生徒にとって最も価値あることを彼らが理解できるよう助けることです。教えるべき様々なことの中から生徒にとって最も価値のあるものを優先させるには,どうすればよいでしょうか。

オークス管長:教会教育システムの独特な点は,聖典の中に記されているように,研究によってだけでなく信仰によっても学ぶ責任があるということです。

アダム・スミス兄弟:生徒に教えるべき最も価値あることについて検討するときに助けとなってきたアイリング管長の教えを紹介します。「この聖句ブロックで強調できるすべての真理のうちでどれが,生徒を天の御父と救い主に近づけ,救いに導くのに役立つだろうか。」「レッスンを準備するときは,その中で改心を促す原則を見つけてください。……改心を促す原則とは,神の御心に従うように導く原則です。」1アイリング管長のこの教えから分かったことは,生徒にとって最も価値あることは,生徒を,天の御父およびイエス・キリストと個人的に深く結びつけるということです。わたしたちは,生徒が福音を理解し,それが真実だと感じられるよう助ける必要があります。とりわけ,イエス・キリストと贖罪と復活が実在し,イエス・キリストは彼らを癒し,助け,慰め,清める力をお持ちだということを,生徒が感じられるよう助ける必要があります。これらが焦点を当てるべき最も重要な事柄だと思います。

オークス管長:その通り,力強いですね。

ウェッブ兄弟:ありがとうございます。このことは,信仰により学ぶという概念とも結びつきますね。信仰を持って行動すると,自分が学んで実践していることが,天の御父から来てるものだという聖霊の確認を受けられます。ありがとうございます。オークス管長は,教える際の聖霊の役割についても触れました。教室における聖霊とその影響力について,何かほかにお話していただけますか。

オークス管長:聖霊からの印象を受ける鍵は,聖餐を取ることだと思います。聖餐を取るときに交わす聖約の中で,「いつも御子の御霊を受けられる」という約束を受けます。これが基礎となります。

ウェッブ兄弟:そうですね。わたしは若い教師だったころ,何か月もかけて,聖霊を招く原則について研究しました。それはとてもよい機会で,皆がそのことについて研究し続けるべきだと思います。最も大切だと気づいたことは,今おっしゃったことです。つまり,聖餐の祈りの中で,「主を常に覚えるなら,いつも御霊を受けられる」ということです。聖餐式や日曜日だけでなく,教室にいるときも含めて常に,です。救い主に心を向けるなら—つまり,福音に従う手本として主を覚え,主の力と教えに頼るならば,学びの過程で聖霊を招くことができます。聖霊のおもな責任と役割は,愛ある天の御父とイエス・キリストが天の御父の計画の中心人物であられることを証することだと思います。ですから,聖霊を教室に招きたければ,聖霊が証をされる事柄に焦点を当てるとよいでしょう。すばらしいお話をありがとうございます。

オークス管長:ネルソン大管長は,そのことが現在大切だと明言しています。「導き,指示し,慰める,変わることのない聖霊の影響力がなければ,これから先,霊的に生き残ることはできなくなるでしょう。」2

ウェッブ兄弟:ありがとうございます。先ほどのお話をもとに,もう一つお尋ねします。聖霊を招くために教師が優先すべきことについて少し触れました。生徒が最も価値あることを優先できるよう,どのように助けられるでしょうか。

オークス管長:多くのこの世的な影響力に取り囲まれている今日,この世における事柄には,それが何であろうと,一時的な価値しかないことを心に留めておく必要があると思います。それらは,人生の目的や永遠の行く末を学ぶのに必要な諸原則に比べると,重要ではありません。スミス兄弟,ほかにいかがですか。

スミス兄弟:オークス管長のお話を聞きながら,ある聖句が思い浮かびました。救い主がゲツセマネに入られる前にささげられた神聖な祈りの言葉です。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」3自分が過ごす場所や注意を向けるものが,天の御父とイエス・キリストを知り,愛する助けとなるかどうかを見定める必要があることを,生徒が理解できるよう助ける必要があると思いました。また,オークス管長が最近の総大会で教えてくださったこととも結びつきました。「その先に何があるだろうか」と自問する,ということです。「このことは,自分を天の御父とイエス・キリストに近づけてくれるだろうか。神から授かった目的を果たすうえで役立つだろうか」と考えることは,すべての人にとって,よいフィルターとなるでしょう。また,どこで時間を過ごし,何を見聞きするかを選ぶうえでもフィルターになることを,生徒が理解できるよう助けることができます。生徒は自分で選択をしなければなりませんが,わたしたちは,「その先に何があるだろうか。これは,わたしを天の御父とイエス・キリストに近づけてくれるだろうか」と自問するよう助けることができます。

オークス管長:すべての生徒にとって,その原則を理解することはとても重要ですね。

ウェッブ兄弟:その原則が真実だというだけでなく,それが生徒の生活において重要だということを,教師が強調し,証を述べ,聖霊の確認をいただくことは重要です。それと,関連性も大事です。生徒がこれらの原則と自分の生活との関連性を見出せるよう,何ができるかを考えます。時折,時間や注意の競合という観点から話すことがあり,実際,最も価値あることを優先させる必要がある場合もあります。しかし,福音が日々の生活で果たす役割を生徒が理解できるよう助けることもできると思います。例えば,わたしは学生のころに,あることを学びました。安息日を聖く保ち,聖典を学んでから勉強をすると,それらを分けて,「今は霊的な時間」「今はこの世的な時間」とするよりも,よい生徒になることができることが分かりました。生活のあらゆる側面において天の御父にともにいていただくと,つまり御霊を招くと,一見やや物質的なことについても,生活の中で成し遂げようとしていることと福音との関連性に気づきます。物事同士が時間を奪い合うのではなく,一つとなるのです。

オークス管長:主は,決して物質的な戒めを与えられないと教えられました。あらゆる主の戒めと導きは霊にかかわるものです。

スミス兄弟:それを聞いてもう一つ思い出したのは,教会の「子供と青少年」プログラムです。このプログラムは,福音を自分と関連付け,生活のあらゆる側面で助けとなる,福音を実践するための実践的な目標を立て,救い主に似た者となるのに役立てることができます。

オークス管長:確かにそうです。プロの宗教教育家であるお二人に質問したいと思います。このパンデミックの中,イエス・キリストの福音を教えることについて,皆さんはどのようなことを学びましたか。

スミス兄弟:学んだことの一つ目,というより,思い起こしたことは,すばらしい教師がいる,ということです。神と生徒をほんとうに愛し,期待をはるかに超えるすばらしい教師たちに,心から感謝しています。また,パンデミックを通して,福音の教授に内在するミニスタリングの要素が際立ちました。わたしたちは,生徒に耳を傾け,生徒の必要と能力を特定してそれに合わせ,ありのままの生徒を愛し,生徒が天の御父とイエス・キリストに近づく創造的な方法を見いだすことにおいて,進歩しています。また,多くの困難の伴うパンデミックの期間中,神と生徒を愛し,最善を尽くそうとする教師に神の助けが与えられるのも見てきました。

ウェッブ兄弟:すばらしいですね。わたしも感謝をお伝えしたいと思います。対面で教えようとしている教師や,オンラインでの教え方を学んでいる教師がいます。不快なマスクをつけることもありますし,生徒や天の御父への大きな愛で,時にはリスクがある中で献身的に教える教師もいます。この困難な時期に教師の皆さんが払ってくださる犠牲と努力に感謝をお伝えします。

オークス管長:わたしも大管長会を代表して,感謝をお伝えします。わたしたちは,セミナリーや,大学における宗教教育においてインスティテュートを教えている兄弟姉妹を愛しています。

ウェッブ兄弟:ありがとうございます。以前教えていたことについてオークス管長にお尋ねします。規則ではなく原則を教えることはなぜ大切なのでしょうか。

オークス管長:お尋ねくださりありがとうございます。大好きな題材です。Church Newsのすばらしいコラムの中で,前日曜学校会長のタッド・R・カリスター兄弟がその件について話をしました。「第1に,規則は一つまたは少数の具体的な状況に限定されることが多いですが,原則は通常,より広範に応用できます。第2に,原則は自由意志を最大限発揮させる状況を生むのに対し,規則は,制限によって自由意志を最小限に抑制し,そして,時には選択を指示することもあります。」救い主は,規則を土台とするモーセの律法に替えて,原則を土台とする,より高次のキリストの律法を定められました。カリスター兄弟はこの原則について次のように述べています。「原則は高次の律法と,規則は低次の律法と,親和性があります。わたしたちは常に教義の原則を教えるべきです。なぜでしょうか。それは,原則には,わたしたちを日の光栄の次元にまで高める最も大きな能力があり,つまるところ,規則ではなく原則こそが,日の光栄の王国を統治するものだからです。」4引用はここまでです。

ウェッブ兄弟:ありがとうございます。それにはもう一つのメリットがあります。最近会った教師たちから,教室において,生徒たちがもっと質問したり,異なった物の見方をしたりするようになった,と聞きました。教師はこれを「論争」という言葉で表していました。オークス管長の教えてくださったことを聞いて,そのことを思い出しました。そのような状況に対処する一つの方法は,個別の状況への応用方法について言い争うことではなく,福音の原則を教えることだということです。前提に立ち返るのです。救いの計画について教え,キリストの教義を教え,福音の原則を教え,聖霊の助けをいただきながら生徒に応用してもらうのです。

オークス管長:その通りです。

ウェッブ兄弟:とても実践的で役立つ教えをありがとうございます。スミス兄弟,ほかに何かありますか。

スミス兄弟:ウェッブ兄弟が取り上げたことと似たことを考えていました。応用方法ではなく原則を教えることにより,生徒が主体的に学習し,成長するよう招くことができます。すると,生徒は原則を自分の状況に当てはめるときに,原則を取り入れて個人の啓示を求め,自分でよく思い図り,最良のステップを見極めることができます。

ウェッブ兄弟:ありがとうございます。それを受けて,もう一つお尋ねします。「世の中の多くの影響,多くのこの世の声に生徒が対処するのをどのように助けられるでしょうか。」

オークス管長:悪魔は偽りの父だということを理解する必要があります。聖典には「初めから偽り者であった」5 とあります。最も狡猾な悪魔の偽りの手法は,偽りと真理を混ぜることです。そのように真理と偽りを混ぜ,探求する善良な人々を誘惑し,影響を及ぼすのです。そのため,現世で学ぼうと努力するとよい事柄の中で最も価値あることの一つは,真実であることとないことを警戒するよう,聖霊に教えていただくことです。

スミス兄弟:同様に,真理と偽りを混ぜるときに,サタンは真理を永遠という背景や神の計画における役割から切り離すこともします。これにより,真理が誤って応用されたり誤解されたりする可能性が増します。例えば,ほんの数分前,オークス管長は愛の原則と,神の計画におけるその位置について教えてくださいました。神と隣人を愛することは重要です。その愛のゆえに,天の御父はわたしたちを,神の賜物の中で最も大いなるものである永遠の命に備えたいと願っておられます。また,私心をなくして人を愛し,人に仕えるようわたしたちを動機づけるのも,神への愛です。ところが,サタンがこの愛の原則をその背景から切り離すのに成功すると,この原則は容易にゆがめられてしまいます。愛を誤解している人は,誤った理念の味方につきます。神の律法と預言者に敵対する人さえいます。なぜなら,真理を永遠という背景から切り離してしまうと,偽りの理解へと至ることがあるからです。サタンは,多くの原則についてこの手法を用います。

オークス管長:その証拠は周りにたくさんありますよね。ウェッブ兄弟,生徒たちが懸念している疑問に対処するために,教師の皆さんが取っている最善の方法は何ですか。例えば,困惑させる教会歴史のテーマや,LGBTの問題,パンデミックに関連してどのように政府の管理を受け入れるか,など,問題は無限にあります。宗教クラスという状況の中で,こういった疑問への最善の対処方法とはどのようなものですか。

ウェッブ兄弟:とてもよい質問です。教師は常にこのことに取り組んでいます。まず,愛を込めて教え,真理を語るようにという使徒パウロの教えがとても好きです。もちろん,わたしたちは福音を教える必要があります。聖文や現代の預言者の教えを教える必要があります。真理を教える必要があります。真理でないことを教えても,だれのためにもなりませんし,だれも幸せになりません。しかし,もう一つの側面,つまりオークス管長が先ほど言われたように,愛を込めて教えるようにと主が言われたことがとても大事だと思います。まず関係を築くことが重要だと思います。多くの調査から,生徒が得る学びは,人との関係性によるところが大きいということが明確に示されています。耳を傾ける教師,つまり,生徒や生徒の状況を真に理解しようとし,共感し,生徒の必要を理解しようとする教師との間に,こういった関係が始まるのだと思います。また,だれもが何らかの形で貢献できるということを認識することも重要です。わたしたちは互いや互いの経験を必要としており,何かを引き出したり,学んだりすることができます。この質問について言えることはたくさんありますが,わたしは,愛を込めて真理を語ること,つまり関係を築き,互いに信頼し,学び合い,学習経験に聖霊を招くことだと思います。

オークス管長:人との関係性で思い出したのは,最近読んだ中央若い男性会長のスティーブン・J・ランド会長がBYU女性大会でした素晴らしいお話です。ランド会長は,関係性とは,手本となる人や相談相手を捜している人たちの意欲を引き出す影響力だと述べています。調査により分かったことは,教会の青少年の霊的な発達は,両親や仲間,教師などとの関係性の質によるところが大きいということでした。指導者との関係性は,セミナリーや日曜学校,定員会で最もよく育まれます。そこでは,青少年が指導者や仲間の聖徒たちを尊敬し愛するようになるのです。6引用はここまでです。結局のところ,これはすべて,生徒を愛し,生徒に働きかける教師の重要性を見事に是認しています。この過程で育まれた信頼は,青少年を育成する影響力となって青少年を強め,彼らが困った問題に自分自身で答えを見つけられるようにするのです。

ウェッブ兄弟:ありがとうございます。そうですね,関係性を築くことは,わたしたちが達成しようとしていることの中心です。今のお話の中に,生徒がほかの関係性を強められるよう,セミナリーでできることがあります。青少年発達プログラムについて話されましたが,青少年の指導者やビショップ,若い女性の指導者に,青少年の注意を向けさせることができます。家族についてどのように話し,両親に頼るよう促すかにより,両親との関係性を強めることができます。青少年とわたしたちとの関係性を築くだけでなく,青少年と彼らを正しい方向へと導いてくれる人々との関係性を強めること,これらすべてが非常に重要だと思います。そのことを指摘してくださり,ありがとうございます。それを念頭に,そういった基本的な事柄を,若人の気分を害したり,彼らを福音から遠ざけないように教える方法について,もう少し話し合いたいと思います。質問するに当たって,短い例を紹介したいと思います。先週,ある教師から電話があり,娘にセミナリーをやめさせるために親がやってきた,と言いました。その教師が,家族や家族の重要性に関する原則を教えたことがその理由でした。この親は,家族関係のために傷つき,救いの計画の背景に照らしてでさえ,家族が果たす中心的な役割について子供に教えてほしくないと思っていました。教師はこの生徒を失うことをとても悲しく思い,「どうやって真理を教えればよいですか」と尋ねてきました。「だれのことも追い払いたくないけれども純粋な福音を生徒に教えなければいけないという中で,このようなことにどう対処すればよいのでしょうか。」

オークス管長:すばらしい事例ですね。スミス兄弟,このテーマについて何かありますか。

スミス兄弟:先ほど話した関係性のことがまた思い浮かびました。教師を信頼し,教師から愛されていると感じている生徒は,心を開きます。生徒の現実と異なる理想を教えると,防御壁が現れることがあります。それを溶かすのは,教師に対する生徒の愛と信頼です。やはりそれが重要です。先ほどの質問への答え,つまり生徒との関係性を築く,ということを強調したいと思います。

オークス管長:確かにそうです。それと,自分の前に置かれたすべてのことに同意する必要はないことを理解することもとても重要だと思います。それが生徒からのものであれ,その両親からのものであれ,社会のだれからのものであれ。わたしたちの仕事は,意見の市場にあるすべての信条を肯定することではありません。真理を教えることです。しかしその際,隣人を愛しなさい,という,救い主から与えられた責任から遠ざからないよう,よく注意しなければなりません。わたしたちが行うことは何であろうと,愛を背景として行い,相手と対峙しないようにしなければなりません。しかし教えを伝えるときには,教え自体は誤った信条に対峙するようにします。最近読んだブリガム・ヤングの教えの中で,かなり直接的な人物であったブリガム・ヤングは,上手に区別をしていました。ある話の中でこう述べています。「それが男性であっても女性であっても,その人がわたしと同じ信条をもっているか否かで,その人に対する気持ちが変わったことは一度もない。皆さんはわたしの隣人として暮らせますか。わたしはできます。皆さんがわたしと同じことを信じているかどうかは特に気になりません。」7ブリガム・ヤングの引用はここまでです。この宣言は思いもよらないことを明らかにしてくれました。意見の異なる人達と仲睦まじく暮らすことができるという事実を明らかにしてくれたのです。

ウェッブ兄弟:今の教師たちにとって時宜を得た宣言ですね。今日,救い主の弟子の最も重要な属性の一つは,意見を異にしながらも人々を愛し,信条の相違にもかかわらず人々と誠実な関係を築けることだと思います。

オークス管長:そうするときには,わたしたちがかかわる人たちを愛し,受け入れ,ときには大目に見ていることが,承認していると誤解されないように取り組む必要があります。その差は紙一重です。政治や公のコミュニケーションの世界ではそのことが認識できていないことを,様々な情報源から見て取れます。人々は,わたしたちがかかわる人に対して愛情深く接しているために,わたしたちが賛成していると見なしているようです。

ウェッブ兄弟:すべてが結び合っていますよね。先ほどの関係性の話,つまり,耳を傾け,共感するということに結びつきますし,原則を教えることにも戻ります。わたしたちがなぜ信じ,何をするかという,救いの計画とキリストの教義に基づいた大前提に戻ります。そして,それらを結びつけ,先ほど言われた紙一重の境界線を歩くことにも戻ります。

オークス管長:それと,神と救い主の教えを愛するという第一の偉大な戒め,「わたしを愛するなら,わたしの戒めを守りなさい」8とも結びつきます。そして第二の戒めが,隣人を愛することです。隣人を愛することは,神を第一に愛して神の戒めを守ることをしなくてよい,という意味ではありません。

ウェッブ兄弟:ありがとうございます。

スミス兄弟:愛をこめて真理を語り,勇気をもってキリストの教義を擁護する教師の姿が思い浮かんでいます。それだけでなく,その教師は生徒を愛し,生徒は安心していて,教師を信頼し,愛している姿です。ある生徒が,キリストの教義の一部の要素,福音の原則のうちの一つと言った方が適切かもしれませんが,それに異議を唱えたとしても,その生徒はクラスに通い続けます。インスティテュートやセミナリーにも来続けます。それは,彼らが安心していて,その環境の中でイエス・キリストを信じる信仰を築くことができると感じているからです。今話している事柄のバランスを取ることはとても大切だと思います。大胆に真理を擁護することと,真理を受け入れない人を愛し,教室やセミナリー,インスティテュートを生徒の安心できる場所とすることとのバランスを取ることです。

オークス管長:この中には,インスティテュートに携わっていたり,大学で宗教を教えていたりして,このテーマについてより大きな課題を抱えている方がいらっしゃいます。生徒が成熟していればしているほど,セミナリーの生徒よりもさらに自分で考え,疑問と対峙する傾向があるからです。しかし,原則は同じです。状況や個人の成熟度に応じて応用方法はやや異なりますが,原則は今話し合ってきたことです。

ウェッブ兄弟:ありがとうございます。

オークス管長:少し話題が変わる質問なのですが,この時代に関連のあることです。わたしたちが教えようとしている間は携帯電話を脇に置くよう,生徒たちを説得するには,どうすればよいでしょうか。

ウェッブ兄弟:実際にはクラス内の対立や意見の相違と結びつく,すばらしい質問です。スミス兄弟。

アダム・N・スミス兄弟:学習の場においては,生徒が携帯電話の接続を切り,脇におく必要のあるときがあります。生徒がそうできるよう助ける最善の方法は,参加を促す,輝くようなレッスンだと思います。バラード会長は,輝くレッスンをするようにと言ったことがあります。しかし反対に,学習の過程で学習者に携帯電話を活用するよう勧めるとよいときもあると思います。ChurchofJesusChrist.orgと福音ライブラリーアプリに様々なリソースがあるので,ときには携帯電話で信仰を育むコンテンツを使うことにより,学習経験に参加してもらうこともできます。そのことは,クラス外にいるときの生徒たちによい影響を与え,祝福を生み出すかもしれません。生徒たちは携帯電話を,ゲーム機やソーシャルメディア機,誘惑の元以上のものと見なすようになり,この機器がイエス・キリストを信じる信仰を育むために使えるものであることを知ることができるのです。教師の方の霊感とバランスが求められると思いますが,主が助けてくださって,機器を使うことを通して信仰を築く機会を見いだし,また,電源を切り脇に置く必要のあるときをはっきりと知ることもできるでしょう。

オークス管長:携帯電話を敵視しないようにというあなたの提案を聞いて,10年か15年前の経験を思い出しました。セミナリーの年齢の若い男性と若い女性から成る日曜学校のクラスに立ち寄ったときのことです。わたしは携帯電話を敵視していました。しかし,10人ほどの生徒のいるクラスを見回すと,紙の聖典はクラス全体に一冊しかないことに気づきました。みんな,携帯電話で聖句を読み,授業を受けていたのです。そのときから,問題はそれを禁じることではなく,バランスの問題として捉えるようになりました。

ウェッブ兄弟:ありがとうございます。オークス管長,勧告をありがとうございます。少し時間を取って,まずスミス兄弟の証をお聞きして,次にわたしが証させていただき,オークス管長に残りの時間を差し上げたいと思います。

スミス兄弟: ありがとうございます。教会の青少年とヤングアダルト,そしてCESの機関の方々を教える神聖な機会について考えるときに,愛する預言者,ラッセル・M・ネルソン大管長の教えが思い浮かびます。「〔神〕は,恐らく最もすぐれたチームと言える,最も高貴な霊たちの多くをこの最後の時のために取っておかれました。……皆さんは主がこれまでにこの地上に送ってこられた人々の中でも選りすぐりの人々です。」9わたしたちが交わる機会のある若人は,まさに神の預言者が教えた通りの人たちであるという確信をお伝えしたいと思います。イエス・キリストと主の贖罪,主の復活が実在することを彼らに証できることは,何と神聖な特権でしょうか。イエス・キリストの贖罪と復活が実在することを証します。わたしたちは生ける預言者,聖見者,啓示者により導かれ,末日の青少年を教えるときに主の大義に携わっていることを証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。

ウェッブ兄弟: アーメン。わたしも,愛に満ちた天の御父と,世の救い主,贖い主であられるイエス・キリストが実在することを証します。この教会は,主の教会であり地上の王国です。毎日主について証し,主の福音を人に教えられることに心から感謝しています。救い主を信じる信仰と証によりわたしを教え,祝福をくださった方たちに感謝しています。イエス・キリストの回復された福音を教えるというこの業に皆さんとともに携われることに感謝しています。それと,天の御父の愛についてです。わたしたちはよく天の御父が生徒をどれほど愛しておられるかについて話しますが,天の御父は皆さんのことも愛しておられることを付け加えたいと思います。皆さんが神の子供たちを教えることに人生を費やしたいと思っていることに感謝しておられ,皆さんの家族を愛しておられます。皆さんが忠実に神の子供たちを教え続け,教えと証と模範により神の子供たちを祝福するときに,神は皆さんと家族を祝福されます。皆さんの存在と行いに感謝します。イエス・キリストの御名に,アーメン。

オークス管長:アーメン。このすばらしい主の僕たちの証に付け加えます。わたしは聖霊の力により,御父と御子について証します。これは主の業であり,皆さんは主の僕であり,イエス・キリストの福音を教える教師の仲間です。皆さんが主に仕え,家族とともに神がそのふさわしい子供たちのために定められた行く末である,永遠の命に向かって前進するにあたり,皆さんに天の祝福を授けます。イエス・キリストの御名により,アーメン。

全員:アーメン。

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