わたしたちの預言者トーマス・S・モンソン
ヤングアダルト向けCESディボーショナル• 2013年5月5日,ブリガム・ヤング大学アイダホ校
「感謝を神に捧げん」(『賛美歌』19番)は教会の特徴をよく表している賛美歌です。この末日にわたしたちを導く預言者が与えられ,神に心から感謝しています。
神がわたしたちのために預言者をお与えになったことは,世界中の末日聖徒の信仰の基盤です。わたしたちは神が生きておられ,わたしたちを愛しておられることを知っています。また,御子イエス・キリストを救い主,贖い主として送ってくださり,預言者を与えてくださったことを知っています。
教会初期の人々は,預言者ジョセフ・スミスの時代に生きていたことを深く感謝していました。初期の聖徒たちは回復のメッセージと証をしばしば直接聞くことができたのです。
ブリガム・ヤングが主の教会を管理していた頃,素晴らしい出来事が起きました。聖徒たちは西部へ移り,ロッキー山脈の中心部に入植し,そこで教会を発展させたのです。その時代の人々は預言者ブリガム・ヤングの時代に生きていることを大きな祝福であると思いました。
その後も同じことが続きました。主は主の教会を導くために高潔で偉大な人々を与えてくださったのです。わたしの両親や祖父母は当時の預言者,ヒーバー・J・グラント大管長について深い敬意と好意をもって語りました。
ワーカー姉妹とわたしにとって,また皆さんの両親や祖父母である多くの人々にとって,預言者デビッド・O・マッケイ大管長の模範と教えは素晴らしいものでした。彼の後継者であるジョセフ・フィールディング・スミス,ハロルド・B・リー,スペンサー・W・キンボール,エズラ・タフト・ベンソン,ハワード・W・ハンターはそれぞれ,主ご自身が定められた期間に教会を導くよう十分に備えられた預言者でした。それぞれが教会員に愛され支持されました。
今晩ここにおられる皆さんの大半は,ゴードン・B・ヒンクレー大管長の優れた指導力を懐かしく思い出すことでしょう。彼が教会の大管長を務めた時期に生きてきたのは何という祝福でしょう。
5年前,主はヒンクレー大管長をみもとへ召され,トーマス・S・モンソンが大管長になりました。彼は今日地上にいる主の預言者です。そのような偉大な預言者によって導かれるこの素晴らしい時代に生きることは,皆さんにとってもわたしにとっても何と大きな祝福でしょう。
これは主の教会です。主はこれらの偉大な使徒たちの生活を計画され,主の教会を導く職に召されました。主の教会の顕著な特性の一つは,今日地上に主の使徒と預言者がいることであるというのは事実です。
使徒パウロは教会が「使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであり,キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である」と述べました(エペソ2:20)。教会は古代と同様現代も同じように組織されています。主の教会の特徴は使徒や預言者がおり,イエス・キリストご自身が中心のかしら石であることです。教会の歴代大管長は皆,イエス・キリストがこの教会の頭であると証してきました。
偶然や誤りはありません。選挙運動もありません。主の教会の大管長の職の後継者については,主がお選びになります。確かに主の御心が行われるのです。
今日わたしたちがトーマス・S・モンソン大管長によって導かれていることは主の御心であると証します。彼は確かに今日地上にいる主の預言者です。
旧約聖書の預言者エレミヤが預言者について教えたように,モンソン大管長についてもそれが真実だとわたしたちは知っています。聖文はこう述べています。「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに,あなたを知り,あなたがまだ生まれないさきに,あなたを聖別し,あなたを立てて万国の預言者とした。」(エレミヤ1:5)
本日わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の第16代大管長,トーマス・S・モンソン大管長の生涯と教導の業についてお話したいと思います。
ヒンクレー大管長は生涯の最後の年に,わたしを神殿部の管理ディレクターに任命しました。そしてモンソン大管長はこの責任に留任させるという栄誉を与えてくれました。これまで6年間,わたしは神殿に関わる事柄について,トーマス・S・モンソン大管長とその顧問を補佐するという,忘れられがたい大きな祝福をいただいてきました。大管長のそばで,世界中の神殿と神殿に関する事柄について多くの勧告と指導を受けてきました。大管長の招きにより,神殿の奉献式,鍬入れ式,神殿用地への訪問に同行させてもらいました。遠くウクライナのキエフ,フィリピンのセブ,イタリアのローマなどの興味深い場所を訪れ,世界各地を一緒に回る祝福にあずかりました。
世界各地の訪問に同行し,教会員だけでなく,あらゆる人々に対する大管長の深い愛を目にすることができました。特に子供や高齢者,身体の弱い者に対する常に変わらぬ温かさと友情,キリストのような優しさと思いやりを目にしてきました。モンソン大管長の姿を見ながら,たびたびこのような印象を 受けました。「救い主であったら,このようになさったでしょう。きっとこんなふうに人々に接したことでしょう。」
わたしは大管長の常に変わらぬ熱意,活力と決意,生きる喜び,主に仕える熱望,救い主の御心に添った行動を目にしてきました。大管長は主の業を行うことに決して倦み疲れることがありません。
教義と聖約52章14節で主はこう言っておられます。「あなたがたが欺かれないために,わたしはすべてのことに関して#規範#を与えよう。」
わたしはこの聖句が好きです。主はわたしに規範を与えてくださり,物事を行う方法,行動の仕方,生き方を示してくださると教えているからです。わたしだけではなく,わたしたち一人一人について,主は道を示してくださいます。生き方を示すために,それぞれの生活に規範を与えてくださるのです。
生活の中で大切な規範の一つは,今日主の教会を導いている預言者の生活だと思います。前に述べたように,若い頃のわたしにとっての模範はデビッド・O・マッケイ大管長でした。大管長を愛し,支持し,彼のために祈り,彼の言葉を注意深く研究し,できる限り彼のようになりたいと望みました。
皆さんの両親の多くが若い頃に模範としたのはスペンサー・W・キンボール大管長だったのではないかと思います。もちろん,わたしたちは皆,救い主を模範として生活するのが最大の望みです。主に従い,主の戒めを守り,できる限り祝福のようになりたいと思っています。
第3ニーファイ27章27節で主はこう教えておられます。「あなたがたはどのような人物であるべきか。まことに,あなたがたに言う。わたしのようでなければならない。」
それがわたしたちの第一の目標です。主のようになることです。
モンソン大管長がビショップに召されて以来いつも執務室の壁にかけてあったのは,ハインリヒ・ホフマンのよく知られた絵です。救い主が美しく描かれています。
この絵についてモンソン大管長はこう述べました。「わたしはこの絵が好きです。22歳でビショップに召されたとき以来ずっと,どこへ行ってもいつも仕事場にかけてあります。主を#模範#として生活するよう務めています。難しい決断をしなければならないときはいつでも,その絵を見て,こう自問します。『主ならどうなさるだろうか。』そして主がされるように努めるのです。」(ハイジ・S・スウィントン,To the Rescue: The Biography of Thomas S. Monson ,2010年, 135)
モンソン大管長はイエスの模範に従うことを心に留めていることを知っています。ある日大管長と一緒に,ある神殿の奉献式の前の行事に出ることになっていました。大管長はその日飛行機で到着したばかりでした。夕方開かれた集会が閉会に近づき,大管長はお疲れになっているだろうと察したわたしは,翌日の行事の前にゆっくり休んでいただきたいと思いました。閉会の賛美歌の間,わたしは大管長に顔を近づけてこう言いました。「大管長,閉会の祈りが終わったら,脇のドアからそうっと退場してください。そしてすぐにホテルへ戻って,お休みになってください。」
大管長は不思議そうな顔をして言いました。「ワーカー長老,イエスがここにおられたら,集会が終わるやいなや,脇のドアからそうっと出て行かれると思いますか。」
わたしはそのような提案をすることは二度とありませんでした。救い主がされたと思われるように,大管長は人々と一緒にいたいと思ったのです。自分のことについてはまったく考えていませんでした。自分がすべき善いことについて考えていたのです。
主がわたしの進む道に置かれた義にかなった人々の模範に従って生活するとき,自分はより良い人になれるといつも感じてきました。それは祖父母や両親,ビショップや伝道部会長,そして言うまでもなく神の預言者のような人たちです。日々姿を見たり話を聞いたりし,その人たちのために祈っています。皆さんもきっと同じことをしているでしょう。
主のように,また主の預言者トーマス・S・モンソン大管長のようになろうと努めることは,人生で素晴らしい祝福です。
モンソン大管長の生涯と教えについて,少し皆さんと分かち合いたいと思います。わたしの話を聞いて皆さんが自分の生活に取り入れたいと思う特性を見つけていただければ幸いです。主の預言者の模範に従って学ぶように努めるなら,皆,祝福されることでしょう。
ニーファイのように,またほとんどの皆さんのように,トーマス・S・モンソンは善い両親から生まれました。1927年8月21日にソルトレーク・シティーで誕生し,質素な環境で育ちました。自分の出身地についてあまりくわしく話そうとはしませんでした。控えめなユーモアの精神と自己充足感に満たされて,大管長は時折こう言うのです。「自分の出身が富裕層か貧困層か悩む必要はありません。なぜなら両者の間だからです。」
常に自分の少年時代を懐かしく語る大管長にわたしはいつも心を打たれます。まさにニーファイのようだったと思います。レーマンとレミュエルは問題を見つけ,物事の悪い面を見るのが上手でした。他方ニーファイは,前向きで楽観的で,感謝の気持ちがありました。周囲のあらゆることの良い面を見ました。そのようにしてトミー・モンソンは育ちました。その姿勢は生涯にわたり続いています。
大管長は良い生徒でした。さらに重要なことはおそらく,善良な少年でした。ワードの執事定員会の書記に召されたとき,主によく仕えたいという願いを示しました。70年近く経って大管長になりましたが,最善を尽くして執事定員会の議事録をつけたいという願いを持っていたことについて,いくらか誇らしげに思い出しています。どうして定員会の会長ではなく書記に召されたのだろうか,などと考えたことはありませんでした。ただ,自分の仕事をきちんとやりたいと思いました。主の教会の中で召された職を行うことに最善を尽くしたいと思ったのです。議事録をきちんとつけたいと思い,執事定員会のためにタイプしました。12歳の少年でありながら,素晴らしい模範を示したのです。
皆さんがこの話を聞いて感動するのはもっともです。少年トミーの素晴らしい働きについて耳にした彼のステーク会長も感動しました。そして,執事定員会書記としてステーク大会で話をするように頼んだのです。皆さんはステーク大会で執事定員会書記が話をするのを聞いたことがあるでしょうか。何と言う素晴らしい模範でしょう。
彼は高校を卒業すると,米国海軍に入隊しました。国のために奉仕し,その間,自分の身を清く保ちました。軍隊から戻ると,良い教育を受けるために一生懸命に勉強しました。良い学生となり,わたしたち皆にとって素晴らしい模範を示しました。(皆さんの中には,良い学生であるという模範がほかの人より重要だと思われる人がいることでしょう。)
彼はフランシス・ジョンソンという名の美しい末日聖徒の女性に恋をして交際し,まもなく求婚しました。そして1948年10月7日にソルトレーク神殿で結婚しました。21歳のときでした。素晴らしい模範ですね。(この点についても,皆さんの中には,ほかの人より重要だと思われる人がいることでしょう。)
結婚してからまだわずか1年半で,新しい仕事に就いて昇進を目指していたとき,都心部の大きなワードのビショップとして奉仕する召しを主から受けました。自分が育ったワードでした。(考えてみてください)時期が悪いとか,自分は若すぎるとか言うことなく,召しを受けました。主を信頼し,主から与えられた力と才能を使って全力を尽くして召しを果たしました。主に奉仕するために自分の最高の力を発揮したいと思ったのです。
若きモンソンビショップはある聖句を好きになりました。彼の人生を祝福したと同様,わたしたち一人一人を祝福する聖句です。
「心をつくして主に信頼せよ,自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ,そうすれば,主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5–6)
今日まで,モンソン大管長はその聖句をしばしば引用し,その教えに従って生活してきました。何と大きな模範でしょう。モンソン大管長がしてきたように,わたしたちもその聖句を心に留めて,それを人生観の柱にするとよいでしょう。
モンソンビショップのワードの会員数は千人を超え,その中には夫を亡くした女性が84人いました。彼の保護を受ける祝福にあずかったこれらの姉妹たちを世話した特別な経験についての話を,総大会やその他の場所で時折耳にしてきました。
わたしにとって大変感動的なのは,彼がビショップとして経験した話を聞くたびに,ワードの会員に対する彼の愛と関心はビショップを解任された後も変わらないことが分かったことです。彼は27歳でステーク会長会の一員として奉仕するように召されましたが,その後何年も経った後でも(伝道部会長そして使徒に召された後も),ワードの高齢の会員を愛し,養い,見守り続けました。単に責任から愛し世話しただけではないことは明らかでした。彼の愛情と関心は心の奥底から出たものであり,責任の変更によってなくなるものではありませんでした。
このようにして,モンソン大管長は道を示しています。より良い道であり,主の道です。主の教えに従って,人々を愛し,関心を示しています。何と大きな模範でしょう。
31歳のとき,モンソン大管長はカナダのオンタリオ州にあるトロントに本部を置くカナダ伝道部の会長に召されました。ビショップとして行ったのとまったく同じように,全力を尽くして召しを果たし,持てる力をすべて注ぎ,心から主を信頼しました。周囲の人は皆,主に対する彼の愛,妻子,宣教師や会員たちへの愛,奉仕するよう召された地カナダへの愛を目にすることができました。伝道部会長としての影響力は大きく,今日まで計り知れないものとなっています。宣教師たちは彼を愛し,伝道部会長にとって誇りとなるように生活しようと努めました。わたしたちは皆,その点で学ぶことがあります。
大管長はビショップを解任されたときとまったく同じように,自分の管理下に置かれた宣教師や聖徒たちに対する思いや愛情を心の中に持ち続けました。カナダ伝道部で一緒に奉仕した宣教師への決して変わらぬ愛情と関心をわたしは目にしてきました。何という素晴らしい模範でしょう。
モンソン大管長夫妻は主の王国における義にかなった奉仕の模範を示しましたが,わたしはその模範に従うように努めた宣教師たちを知っています。伝道部会長トーマス・S・モンソンの下で働いた宣教師たちです。実例を挙げるなら,現在世界各地で奉仕している141人の神殿会長の中の5人は,カナダ伝道部でモンソン会長の下で働いた若い宣教師でした。
今晩わたしたちと共にいる皆さんの中には何千人もの帰還宣教師がいます。わたしたち一人一人がその5人の神殿会長の模範に従い,忠実さを保ち,伝道部会長たちが手本を示した義にかなった奉仕の道を歩むように祈っています。
チャーチニューズにカナダのトロント病院にいる人を訪問したモンソン大管長の写真が載っていましたが,最近それを見てわたしは感動しました。( “Teachings of the Prophet,” Church News, 2013年2月3日付け,7参照)その男性は50年前にモンソン大管長と共に奉仕した人です。大管長は忘れていませんでした。多くの年月が経っても,また遠く離れていても,一緒に主に仕えた人々に対する愛と感謝の気持ちは変わっていなかったのです。わたしたちも彼の模範に従い,以前にわたしたちの生活を祝福してくれた人々を忘れないようにしたいものです。
1963年,36歳のとき,トーマス・S・モンソンは当時の大管長デビッド・O・マッケイの執務室へ招かれました。このとき,マッケイ大管長から主イエス・キリストの使徒になるように召されたのです。
モンソン大管長ほど若くして使徒に召された人は過去100年間,ほかにだれもいません。確かに,この若き使徒の召しには主の導きがありました。主はトーマス・S・モンソンが今日の教会を導くことを御存知だったのです。
今年の10月の総大会でトーマス・S・モンソン大管長は使徒に召されてから50周年を迎えます。何と素晴らしいことではありませんか。(使徒が十二使徒定員会在任50年を祝うのは,ジョセフ・フィールディング・スミス以来の出来事です)
モンソン大管長は22年間,エズラ・タフト・ベンソン,ハワード・W・ハンター,ゴードン・B・ヒンクレーの3人の大管長の顧問を務めました。そして2008年2月3日に教会の大管長として聖任されました。2人の高潔で立派な顧問がそばにいます。ヘンリー・B・アイリング管長とディーター・F・ウークトドルフ管長です。この3人が今日地上における主の教会を導く管理大祭司です(教義と聖約107:22参照)。
モンソン大管長の注目すべき教導の業は,しばしば「救助に向かう」という言葉で表現されます。ハイジ・スウィントンは彼の生涯について素晴らしい伝記を書きましたが,To the Rescue(救助に向かう)という題をつけたのは,まさにふさわしいことでした。その伝記は2010年に出版されました。まだ読んでいない人は,ぜひ読んでください。皆さんの生活を祝福することでしょう。
言うまでもなく,その本のメッセージはルカによる福音書でイエスが与えてくださったのと同じものです。すなわち,99匹を残して1匹を捜しに出かけるということです。(ルカ15:4)これはイエス・キリストの福音の本質です。隣人を愛し,最善を尽くして隣人の生活を祝福するということです。モンソン大管長は常にこうした原則を教えてきましたが,さらに重要なことに,原則を実践しています。彼の生活には,夫を亡くした女性,子供,病人,悩む人,孤独な人,悲嘆に暮れた人など,困っている人々を捜し出して訪ね,慰め,助ける模範にあふれています。
使徒ヤコブはこう書いています。「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは,困っている孤児や,やもめを見舞い,自らは世の汚れに染まずに,身を清く保つことにほかならない。」(ヤコブの手紙1:27)
このようにしてモンソン大管長は人生を過ごしてきました。わたしたちへの教訓は,このように生活するには使徒になる必要はないということです。自分の宗教を実践し,父親のない子供や夫を亡くした人を訪ね,世の汚れに染まらないようにしましょう。預言者に心を向ければ,そのようにできる方法が分かります。自分にこう言いましょう。「わたしがなりたいのは,そのような人です。」
数年前,総大会の直前に,モンソン大管長はまたもや素晴らしいことを教えてくれました。今回はソルトレーク・シティーへ旅して来た中央幹部の集りでのことでした。世界各地で地域会長会の一員として奉仕している方々が集う非常に重要な集まりでした。大管長会と十二使徒から教えを受けるための集会です。
集会の時間になると,全員が出席しているようでしたが,モンソン大管長はまだ到着していませんでした。開会時間の数分前になると,出席者は互いに話すのをやめて,敬虔な気持ちで前奏の音楽に耳を傾けていました。そろそろ預言者が姿を見せるだろうと思っていたのです。
開会時刻の午前9時を過ぎ,皆,忍耐強く待っていました。だれかが脇のドアから出て行きました。助けが必要かもしれないとの思いだったのでしょう。戻って来ると,「モンソン大管長はまもなくお見えになります」と言いました。
予定の時刻から15分位経つと,モンソン大管長が部屋に入ってきました。敬意を表するために,全員が立ち上がりました。大管長の姿を見るとお元気そうなので,わたしたちは安心しました。遅れたことについて何か明らかな理由があったようには思えませんでした。
モンソン大管長は説教壇へ真直ぐに行くと,こう言いました。「皆さん,遅れて申し訳ありません。今朝,妻がわたしを必要としていたのです。」
わたしは強く心を打たれ,謙虚な気持ちになりました。モンソン大管長の言葉が頭から離れませんでした。これはとても重要な集会でした。教会幹部が全員集っていました。でもモンソン大管長は模範を示したのです。妻に必要とされ,妻を世話するために必要な時間を取ったのです。それは素晴らしい説教でした。その日に話されたほかのことは覚えていませんが,「妻がわたしを必要としていました」という説教は忘れられません。
この説教はほかの場面でも説得力を持ちました。モンソン大管長はこう言いました。「妻を愛しているという言葉を聞くと,こう言いたくなります。『それなら妻に接し仕える方法によって,それを証明しなさい。』」
モンソン大管長はそのような方です。常にほかの人を気遣い,温かい思いやりを示す方です。
モンソン大管長のそばにいるとすぐに,最愛の妻であるフランシス・モンソン姉妹への深い愛と献身を感じることができます。妻について語るときはいつでも,彼の目は輝き,顔に大きな笑みが浮かびます。妻を愛する模範を周囲に示してくれます。モンソン夫妻は主に対する愛と義にかなった奉仕において,夫婦として釣り合うくびきを共にする模範を示しているのです。
わたしは主のようになりたいと思いますが,また主の預言者のようになりたいと思います。
モンソン大管長はわたしたち一人一人に何を望んでいるのでしょうか。次の経験をお話することが,皆さんのお役に立つかもしれません。
昨年11月に美しいアイダホ州ボイシ神殿の再奉献の準備がととのいました。最新の設備を持った美しい神殿にするため,1年半の間,閉館していました。アイダホ州とその近郊に住む忠実な聖徒たちが30年間大事に使ってきましたが,修理の必要が高まっていたのです。修理が終わったあとで,神殿の再奉献を祝う慣習的な行事として,該当地域の青少年が大々的な文化の祭典を催すように招かれました。歌やダンスを通して信仰と神殿への感謝の念を表す夕べでした。
わたしはモンソン大管長の隣に座り,様々なステークによる素晴らしいプレゼンテーションを見ていました。愛らしい若い女性のグループがダンスを発表しました。モンソン大管長は演技を楽しみながら,わたしに顔を近づけ,こう言って心の思いを表しました。「彼女たちが皆,神殿結婚をするといいね。神殿で結ばれるという祝福にあずかるよう心から願っています。」
わたしはこう思いました。「何と素晴らしいことか。この青少年の歌とダンスの文化の祭典を見ている神の預言者の心には,翌朝奉献する神殿と切り離せない思いがあふれている。彼の望みはそこにいる一人一人が神殿結婚することなのだ。」それがわたしたちに対する預言者の願いでしょうか。その通りです。わたしたち一人一人が自分自身にそう願い,人生の非常に重要な目標とすべきことなのです。
もう一つ,経験をお話しましょう。
2010年11月に,モンソン大管長,アイリング管長,十二使徒定員会のクエンティン・L・クック長老が,壮麗な神殿の再奉献のためにハワイ州ライエへ行きました。奉献式の前の晩,わたしたちはBYUハワイ校のキャンパスで開かれた文化の祭典に集っていました。プログラムは素晴らしいものでした。歌やダンス,物語を通して,その地域の青少年がハワイにおける教会の歴史や初期の宣教師や改宗者たちについて語りました。預言者となったジョセフ・F・スミスについて素晴らしい話を語りました。1854年,まだ15歳のとき,ハワイで伝道するよう召された若きジョセフ・F・スミスは,18歳の誕生日を迎える寸前に3年間の伝道を終えて帰りました。(つい最近,宣教師の年齢が18歳に変更されましたね)
文化の祭典は続き,青少年がポリネシア人の間で教会が発展した様子を演じました。また,50年以上経った後,ジョセフ・F・スミス大管長がハワイへ戻り,大管長としてライエ神殿の建設用地を奉献し鍬入れを行った経過を語りました。
文化の祭典は素晴らしいものでした。モンソン大管長は終始楽しんでいました。特に,第二次世界大戦のとき流行ったダンス曲「ブギウギビューグルボーイ」の演奏を聴くと,米国海軍時代のことを懐かしく思い出していました。そのほか,ハワイの島民の様々なダンスが披露されました。
美しいフラダンスの演奏がありました。このダンスに加わっていた若い女性の一人は車椅子に乗っていました。とても可愛い女性で,足を使わなくても,美しく踊っていました。モンソン大管長は彼女を指して,なんて可愛らしく,美しい踊りだとほめました。
プログラムが終わると,だれもが素晴らしい演奏に満足していました。わたしたちは演壇を降りると,踊り手たちが皆,フロアーに戻りました。フラダンサーもいました。モンソン大管長は予定されていた出口へ向わず,真直ぐにフロアーへ行き,青少年に感謝の意を表しました。特に,車椅子に乗った美しい少女のもとへ行き,称賛の言葉と愛を伝えました。
文化の祭典と大勢の群衆の中にあっても,モンソン大管長は救い主の純粋な愛を再び示しました。群衆の中のひとりに近づき,頭を下げて彼女の額にキスをしました。わたしはこう思いました。「何て素晴らしい。再び神の預言者が,身の回りの人に手を差し伸べ,思いやりと愛,励ましと勇気を与える方法を示してくれた。イエスであったら,このように行うであろう。このようにほかの人に接してほしいと救い主は望んでおられることだろう。」
「わたしもなりたい,イエスさまのように」という初等協会の歌がわたしは好きです。(「イエス様のように」『子供の歌集』 40-41)その歌詞にこう付け加えたいと思います。「わたしもなりたい,主の預言者のように。」
モンソン大管長の模範に従う5つの方法を提案したいと思います。
第一に,前向きになり,明るい気持ちを持ちましょう。
高価な真珠の中で,預言者ジョセフ・スミスは明るい人柄だったと描写されています(ジョセフ・スミス――歴史1:28参照)。それはモンソン大管長にも当てはまります。本当に明るい人柄です。
あるとき,モンソン大管長はこう言いました。「わたしたち前向きな態度を持つ方を選ぶのがよいでしょう。風の方向を変えることはできませんが,船の帆を調節することはできます。つまり,前途にどんなことが起きようとも,明るく前向きな道を選ぶ方がよいのです。」(“Messages of Inspiration from President Monson,” The Church News, 2012年2月9日付け, 2)
ある日わたしは大管長会の会議室の外で待っていました。神殿の事柄について話し合う集会に加わるように招かれていたのです。部屋の外でひとり静かに座っていました。大管長会の会合はすでに始まっていて,まもなく加わるように招かれるのだろうと思っていました。するとだれかが口笛を吹きながら廊下を歩いて来るのが聞こえました。わたしはこう思いました。「正しい作法を知らない人だ。大管長の執務室の外で口笛を吹くなんて,常識はずれだ。」次の瞬間,口笛を吹いた人が廊下の角を曲がってきました。モンソン大管長でした。明るく前向きな人柄でした。温かい笑顔であいさつして,こう言いました。「そろそろ会議を始めましょうか。」教会全体の重みが肩に乗っているにもかかわらず,明るい人柄の模範を示し,常に前向きな態度を持っています。わたしたちもそのようにすべきです。
第二に,モンソン大管長のように,子供たちに思いやりと愛情を示しましょう。
イエスはしばしば子供たちについて語りました。主の預言者モンソン大管長もしばしば子供たちについて語りました。特に,わたしは神殿の奉献式で,大管長がいかに子供たちを愛しているかを目にし,子供への接し方の手本を教えてもらいました。神殿の奉献式ではいつも子供たちに心を向けます。定礎式に子供たちを参加させ,神殿の竣工の象徴として礎石にモルタルを流し込む作業をいつも数人の子供にさせるのです。楽しく,また思い出に残る経験となるようにはからいます。いつもニコニコ笑い,子供たちを励まし,ほめるのです。ほほえましい光景です。
大管長の温かいあいさつにはときに,手のひらを打ち合わせたり,ピクピク耳を動かしたりする動作もあります。また伝道や神殿結婚を勧めることもあります。本当に人生を楽しんでいるのです。わたしたちも皆,そうすべきですね。
数年前,モンソン大管長は誕生日にユタ州オーカーマウンテン神殿を奉献する予定になっていました。神殿に着いて玄関に近づくと,若い人たちが集っていました。明らかに,その日がモンソン大管長の誕生日であると知っていて,「ハッピーバースデー」の歌を歌い始めました。大管長は嬉しそうに足を止め,ほほえんで彼らの方を見ました。あたかも歌の指揮をしているかのように,手を振り始めました。歌の終りに「ずっといつまでも」という歌詞が付け加えられるのを聞くと,それも気に入って,わたしにこう言いました。「そこがわたしの大好きなところだよ。」
子供や若い教会員は大管長が大好きです。なぜなら,大管長に愛されているからにちがいありません。イエスは幼い子供たちが大好きでした。主の預言者も幼い子供たちが大好きです。素晴らしい模範ですね。
第三に,モンソン大管長のように,御霊の導きに従いましょう。
主に対するモンソン大管長の献身と御霊の導きに従う強い決意については,預言者ご自身が次のような美しい言葉で述べています。「人生で最もうるわしい経験は,御霊の導きを感じてそれに従って行動し,それがだれかの祈りの答えであったり,だれかの必要を満たしたりしたことがあとで分かるという経験です。必要なときにはいつでも,トム・モンソンが主の用向きを果たすということを,常に主に知っていただきたいと思います。」(On the Lord’s Errand 〔DVD,2008年〕それはわたしたち皆が従いたいと望むべき模範です。
第四に,モンソン大管長が神殿を大切にしたように,わたしたちも神殿を大切にしましょう。
モンソン大管長は教会歴史の中で神殿の建設に力を入れた預言者のひとりです。2008年2月に大管長になって以来,神殿建設の偉大な業を続けてきました。彼が発表した神殿の中には最も歴史的な神殿に数えられるものもあります。「今朝,5つの新しい神殿の建設について発表できることをうれしく思います。それらの神殿用地はすでに購入済みで,数ヶ月から数年のうちに以下の場所に建てられる予定です。カナダのアルバータ州カルガリー,アルゼンチンのコルドバ,グレーター・カンザスシティー地域,ペンシルベニア州フィラデルフィア,そしてイタリアのローマです。」(「大会へようこそ」『リアホナ』2008年11月号,6参照)
預言者を務めてきた過去5年間に,モンソン大管長はさらに33の新しい神殿建設計画を発表しました。つい先月の4月の大会で,二つの新しい神殿の計画を発表しました。ユタ州シーダーシティー神殿とブラジルのリオデジャネイロ神殿です。
3月にホンジュラス・テグシガルパ神殿が奉献され,現在教会には141の神殿があり,あと29が建設中または計画中です。今日は主の教会における神殿建設と神殿礼拝の偉大な時代です。モンソン大管長は神殿参入にはまだ若すぎる人たちにこう言います。神殿へ行き,神殿の壁に手を触れるように,そうすれば「神殿があなたの心に触れる」でしょう。
モンソン大管長はこう述べています。「神殿が人生と家族に影響を及ぼすものとなるために,わたしたち一人一人が清い手と純真な心をもってふさわしい生活をすることができますように。」(「神殿の祝福」『リアホナ』2010年10月号,19)
次に,このような素晴らしい約束をしています。「わたしたちが神殿を大切にし,神殿に触れ,神殿に参入するとき,その生活は信仰を反映したものとなります。聖なる神殿に行くとき,そこで交わす聖約を思い起こすとき,わたしたちはあらゆる試練に耐え,それぞれの誘惑を克服することができるでしょう。」(「神殿の祝福」『リアホナ』2010年10月号,15参照,強調付加)
神殿を大切にする預言者の模範に従いましょう。
第五に,モンソン大管長がしているように,ほかの人に思いやりと配慮,愛を示しましょう。
モンソン大管長はほかの人を愛するという素晴らしい模範となっています。大管長が教え導く業には,家庭を訪問し,按手をして祝福を与える,突然電話をかけて慰めや励ましを与える,奨励や賛辞や感謝の手紙を送る,病院や養護施設を訪問する,多忙な日程にも関わらず葬儀やお通夜へ行くなどが含まれます。
先ほど述べたように,モンソン大管長がビショップをしていた頃,彼のワードに夫を亡くした女性が84人いましたが,ビショップとして奉仕した後の数十年間にわたり,驚くべき深い献身と多くの祈りの結果により,モンソン大管長はその一人一人の葬儀に出席することができたのです。考えてもみてください。
救い主がなさったように,モンソン大管長は良い行いをして回り,祝福と愛を人々に注いでいます。あたかも,それが人生の原動力であるかのようです。わたしたちも大管長に見習おうと努めるときに,皆,学ぶことでしょう。
昨年,モンソン大管長の注目すべき思いやりの模範を目にしました。美しいユタ州ブリガムシティー神殿が竣工を迎えるとき,わたしは大管長会と会合し,神殿の奉献の計画について話し合いました。ブリガムシティーはソルトレーク・シティーの北へわずか1時間の距離にあるため,モンソン大管長にとって奉献に出かけることは,ごくたやすいことでした。ところが,大管長はこう言ったのです。「ブリガムシティーはボイド・K・パッカー会長の生まれ故郷です。彼は十二使徒定員会で長年わたしと一緒に働いてきた立派な使徒です。彼に自分の故郷で神殿を奉献する名誉と祝福にあずかってもらいたいと思います。わたしではなく,パッカー会長にブリガムシティー神殿を奉献するよう割り当てます。彼にとって特別な日にしたいのです。」
その日はブリガムシティーで育ったパッカー会長夫妻にとって素晴らしい日になりました。わたしはモンソン大管長が同僚の使徒に対して示した思いやりと寛大な心にとても感動しました。わたしたちも皆,そのようにするとよいでしょう。自分のことばかり考えるのではなく,分かち合い,思いやりをもって周囲の人のことをもっと考えなくてはなりません。
わたしは「預言者にしたがおう」という子供の歌が大好きです。9番までありますが,時間がないので最後の9番を読みましょう。
やみの力おいはらい
たしかな道歩むために
耳かたむけしたがおう
主の預言者とく教え
… … … … … … … … … .
したがおう預言者に じゅうじゅんに道それず
… … … … … … … … … .
したがおう預言者は 主の道をしっている
(『子供の歌集』2005年,58)
モンソン大管長は確かに道を知っています。正しい道は主の道です。「正しい道とは,キリストを信じること」です(2ニーファイ25:29)。
モンソン大管長は総大会で霊感に満ちた素晴らしいメッセージを語り,わたしたちが人生を歩むべき道を教えてきました。また注目すべき素晴らしい模範をみずから示し,イエス・キリストに従う方法を教えてきました。本当に,主はすべてのことに関して規範を与えてくださいました。わたしたちが従うよう努めるべき規範の一つは,愛する預言者の規範です。
わたしたちを御存知で,わたしたちを愛しておられる神が天におられることを証します。神は,わたしたちに道を案内し,教え,この末日に導くために預言者をお与えになりました。イエス・キリストは神の御子,世の救い主であられると証します。主はわたしたちが預言者を愛し,支持し,彼の模範に従うように期待されていると確信しています。
預言者に対して,心から神に感謝を捧げましょう。現代の預言者に感謝しています。トーマス・S・モンソンが主の預言者を務める時代に生きていることを大きな祝福であると思っています。わたしたちは預言者に従い,預言者のようになろうと努めるとき,主イエス・キリストの一層忠実な弟子になることができる日が必ず来るでしょう。
今晩皆さんにお話しできたことは光栄です。主が皆さん一人一人に豊かな祝福を与えてくださいますようにお祈りします。これは主の御業であると証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。
© 2013 Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved. 英語版承認:2012年9月 翻訳承認:2012年9月 原題:Our Prophet: Thomas S. Monson Japanese. PD50046139 300