信仰の堅き基
ヤングアダルト対象CESディボーショナル・2014年11月2日,ユタ州オグデン,オグデンタバナクル
今晩は妻ともども皆さんと一緒に過ごすことができ,大変うれしく思っています。皆さんの顔を見ると,独身・既婚にかかわらずこの会に参加している世界中のヤングアダルトの顔が浮かんできます。わたしたちは教会各地を巡回する機会があり,皆さんのような多くの方々に会ってきました。その中には改心をした人,改心を一層深めようとしている人もいますし,道に迷った人,道,正確には自分自身を見いだした人もいます。教会外の人,最近教会に入った人,家族が数世代にわたって教会員の人もいます。全ての人が神の子供であり,永遠に続くあらゆる祝福にあずかる機会を持っています。
教会の指導者を代表して強調いたします。「わたしたちは皆さんを愛しています。」預言者や使徒たちを,身近に接してよく知っているので,確信をもって言えるのです。彼らはヤングアダルトの皆さんを深く心にかけています。皆さんは現在と将来を担っています。わたしたちは皆さんが必要なのです。
この集会はオグデンタバナクルから放送しています。壮麗なユタ州オグデン神殿に隣接する,美しく改修された大きな建物です。神殿とこのタバナクルはわずか6週間前にトーマス・S・モンソン大管長によって再奉献されました。地上で現在稼動している143の神殿の一つです。わたしが生まれたときには,神殿は8つしかありませんでした。わたしの年齢,というより,主が御業をいかに速めているかが分かりますね。
神殿をたとえにして,基礎についてお話しします。どの神殿の設計と建築にも言えることですが,出来上がったときには目に触れない所に多くの力が注がれます。それは基礎の部分です。例えば,芸術家による完成予想図から今建築中のペンシルベニア州フィラデルフィア神殿の様子が分かります。完成すると,このすばらしい建物は屋根までの高さが約25メートル,天使モロナイ像の頭上までは約60メートルになります。見事な建物ですね。しかし,このように堂々とした壮麗な建物であれ,暴風や地下水の浸水の影響を受けます。そうした過酷な状況を放っておけば,この壮麗な建物に大きな損傷を与え,ひいては破壊する可能性もあります。
こうした自然の力が容赦なく神殿に襲いかかる恐れに備え,土木技師たちは建物が建つ敷地全体に深さ約10メートルの穴を掘りました。その穴は建物の土台を不動にするために,その土地特有の花崗岩の地層の中を掘り下げます。次に,ロックアンカーを用いてコンクリートの土台と基礎を花崗岩の岩盤に結合させます。暴風や地下水の激流に耐えるためです。アンカーは約15メートルから69メートルの深さまで花崗岩の中へ掘り下げ,張力は1平方センチ当たり約17.6トンに達します。このアンカーを約4.6メートル間隔で四方に配置するのです。
このように詳しく説明したのは,次の点について教えるためです。建物を建てることは一時的なものですが,永続的な,望ましくは永遠に続く生活を築く際には,不幸なことに,基礎を築くことにあまり注意を払わないことがあります。その結果,危険な力にさらされ,容易に打ちのめされてしまうのです。
今の世の中は混乱に満ちており,流れに身をまかせると,本当の自分を見失ってしまう恐れがあります。トーマス・S・モンソン大管長は次のように述べています。
「現世は試しの時期であり,天の御父のみもとに戻るためのふさわしさを証明する時期です。試しを受けるためには,試練や困難に遭わなくてはなりません。試しによってわたしたちの信仰は打ち砕かれ,魂にひびが入ってしまうかもしれません。信仰の土台と真理に対する証がしっかりしていないと,そうなる可能性があるのです。
一時的であれば,他人の信仰や証に頼ることもできるでしょう。しかし,最終的には自分自身のしっかりした土台を築かなくてはなりません。そうしなければ,誰の人生にも必ず訪れる嵐に耐えられないのです。」1
イエス・キリストは,主の言葉を聞いて主に従う人について次のように説明しておられます。
「それは,地を深く掘り,岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても,それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。
しかし聞いても行わない人は,土台なしで,土の上に家を建てた人に似ている。激流がその家に押し寄せてきたら,たちまち倒れてしまい,その被害は大きいのである。」(ルカ6:48–49)
イエス・キリストはわたしたちが土台を据えるべき岩です。主は御自身のことを「イスラエルの石」と呼ばれ,「この岩の上に建てる者は,決して倒れることはない」と強調されました(教義と聖約50:44)。
モーセは次のように述べました。「われわれの神に栄光を帰せよ。主は岩であって,そのみわざは全く」(申命32:3‐4)。ダビデはこう言いました。「主はわが岩,わが城……わが盾……わが高きやぐら」(サムエル下22:2-3)。主はエノクに言われました。「わたしはメシヤであり,シオンの王であり,……天の岩である」(モーセ7:53)。ニーファイは「わたしの救いの岩」であり「わたしの義の岩」である主をほめたたえました(2ニーファイ4:30,35)。イザヤは主を「試みを経た石,堅くすえた尊い隅の石」と呼びました(イザヤ28:16)。パウロは教会の土台である使徒たちや預言者たちについて語り,「キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である」と述べました(エペソ2:20)。2
これは新しい教義ではありません。だれもが何らかの形で理解している教義です。両親から教わったり,初等協会,若い女性,アロン神権のクラスや定員会,セミナリーやインスティテュートで習ったり,専任宣教師や友人,地元の教会指導者,聖文,生ける預言者や使徒たちから学んだ教義です。それなのになぜ多くの教会員にとって,その教えに従って生活することがそれほど難しいのでしょうか。
簡単に言えば,頭で理解したことを心と魂に刻み込む必要があるのです。時折考える,あるいは感じるだけでは不十分です。自分の人格の一部になる必要があります。父なる神,御父の永遠の計画,そして御子でありわたしたちの岩であられるイエス・キリストとのつながりが,確実にわたしたちの土台の隅石となるほど堅固なものになる必要があるのです。そうすると,自分自身を何よりも永遠の存在,すなわち神の息子,娘として認識し,イエス・キリストの贖いの祝福を感謝して受けるようになるのです。次に,その土台の上に,その他の正しい認識を持てるようになります。永遠に続くものと一時的なものとの区別がつき,優先順位が分かるようになるからです。また,この世では高く評価されている考えや習慣を捨てる選択さえできるようになります。
愛唱されている賛美歌「主のみ言葉は」はわたしの好きな歌です。モルモンタバナクル合唱団による演奏が特に好きです。総大会のときに合唱団のすぐ前に座り,オルガンが奏でる曲と歌声による音楽の力に聴き入っていると,立って一緒に歌いたい衝動にかられますが,カンファレンスセンターを出なくてはならない身なので,その衝動を抑えます。つい1か月前の総大会の日曜日午前の部会で歌われたこの賛美歌を聞いてください。歌詞をじっくり味わいましょう。特に最後の一節です。実際には7番ですが,ここでは4番の歌詞でした。
先日,わたしはソルトレーク神殿で開かれた集会に出席しました。大管長会,十二使徒定員会をはじめ,教会本部で働く全ての中央幹部が出席していました。この美しい賛美歌を普通どおり3番まで歌い,聖餐会やその他の集会でよく行われるとおり3番で終えようとしました。ところがそのとき,モンソン大管長がこう言いました。「7番を歌いましょう。」生ける預言者と使徒を含むこれらの立派な中央幹部全員と一緒に,わたしたちは歌いました。
この歌詞は皆さんがどのような者であるか,少なくとも,どのような者になろうとしているかを言い表しているのではないでしょうか。霊的な基礎を築く努力は簡単なものではありません。築く過程は大変な仕事であり,良い状態を維持することは生涯にわたる仕事です。
一生懸命に取り組んでいる皆さんをわたしたちは心からほめたたえ,皆さんが今どのようなことをしているか知りたいと思います。ソーシャルメディアを使って今やっていることを知らせてください。#cesdevoを使い,「わたしは……によって霊的な基礎を築いています」という文を完成してください。答えはそれぞれの状況によって違うでしょう。それでよいのです。皆さんの声を聞き,皆さんの生活の中で起きていることについて知らせていただければありがたく思います。
このような基礎をこれまでまったく築いてこなかったか,または不注意により基礎にひびが入ってしまったとしても,安全帽をかぶって修復に取り組むのに遅すぎることはありません。必要な道具は全てそろっています。築かれた基礎を維持するために使われるのと同じ道具です。どんなものか御存じでしょう。日頃の誠実な祈り,聖文による日々の福音研究,教会の集会への活発な参加,特に真摯な思いで聖餐を取ること,頻繁に行う無私の奉仕,熱心に聖約を守ることなどです。
もう一つの重要な道具は生ける預言者の勧告です。預言者,聖見者,啓示を受ける者として支持されている人が地上に15人います。神の神権の鍵を持つ人たちです。わたしたちはしばしば教えを受け,1年に数回,手を挙げて支持し,彼らのために毎日祈ります。しかし,そのメッセージを聞く機会があふれているという大きな祝福に恵まれすぎているために,その重要性に感謝する気持ちが失われることがあります。
ヘンリー・B・アイリング管長は次のように警告しています。「信仰深い人々にとって,預言者の勧告の中に安全への道を求めるのは当然のことです。預言者が語るとき,信仰の弱い人々は単に賢人が良いアドバイスを与えていると考えます。ですから,その勧告が心地よく,理にかなっていて,自分の望みに合うようであれば受け入れます。でもそうでない場合は,その勧告を誤りであると決めつけたり,自分の置かれた状況はその勧告には当てはまらないと考えたりするのです。」
アイリング長老はこう続けています。「もう一つの誤った考えは,預言者の勧告を受け入れるか否かの選択を,良きアドバイスを受け入れて得をするか,それとも受け入れずに今の状態にとどまるかの選択と同列に捉えることです。しかし,預言者の勧告を受け入れないという選択をすると,わたしたちが立つ土台が変わり,わたしたちは今までよりもっと危険な状態にさらされます。」4
基礎を築き,維持するためには,次の3つの原則を覚えておいてください。将来を展望する,義務を果たす,自制心を持つ。将来を展望するとは先を見る能力です。福音の話では,「永遠の観点」と言うことがあります。ヤコブが言うように,「現在のことをありのままに示し,未来のこともまた,ありのままに」見ることです(モルモン書ヤコブ4:13)。
義務を果たすとは進んで約束することです。わたしたちは「聖約」と呼ぶことがよくあります。正式には,神権の儀式を通して神と聖約を交わします。「神権の儀式によって神性の力が現れる」ということを覚えておいてください(教義と聖約84:20)。神に対してだけでなく,自分自身,配偶者,友人,わたしたちの奉仕を受ける人々に対しても,進んで義務を果たしてください。
自制心とは,将来への展望と果たすべき義務に従って生活する能力であると定義することができます。自制心を育むことは進歩するために不可欠です。学んだことを速やかに実行できるようになるからです。最終的には,霊的な土台の強さは,いかに生きるか,特に失意と試練のときにどう生きるかによって示されます。
何年も前になりますが,ゴードン・B・ヒンクレー大管長がキャロライン・ヘメンウェイの話をしました。キャロラインは1873年1月2日,11人兄弟の2番目としてソルトレーク・シティーで生まれました。
「キャロラインは,22歳でジョージ・ハーマンと結婚しました。7人の子供がいましたが,一人は幼いときに亡くなりました。そして39歳で夫を亡くしました。
彼女の妹のグレースは夫の弟デビッドと結婚しましたが,1919年のインフルエンザの大流行のときに,デビッドはかなりの重症になり,グレースも病気になりました。そこでキャロラインは,自分の子供のほかに妹の家族の面倒まで見ることになりました。こうした苦難の最中,グレースは男の子を産むと,数時間後に死んでしまいました。キャロラインは生まれたばかりの子を引き取り,育てました。それから3週間後,今度は自分の娘のアニーが死にました。
結局キャロラインは自分の子供二人と夫と妹を亡くしたのです。心労がたたり,病に倒れてしまいました。糖尿病になったのです。しかし歩みを止めることはありませんでした。妹の赤ん坊の世話を続けたのです。その赤ん坊の父親である義理の弟は毎日会いに来ました。後にキャロラインは,デビッド・ハーマンと結婚し,子供は全部で13人になりました。
ところがそれから5年後,デビッドは大きな悲劇に見舞われます。苦痛を共にした者にとっては大変な試練でした。ある時,種の作付けの準備で強力な消毒剤を使ったのですが,それを自分の体に浴びてしまったのです。その結果,悲惨な目に遭いました。皮膚は肉と一緒に骨からそげ落ち,舌と歯は抜け落ちてしまいました。消毒剤は体の組織まで破壊していったのです。
キャロラインはこの恐ろしい病にかかった夫を懸命に介抱しましたが,そのかいもなく夫は亡くなり,あとには自分の子供5人と妹の子が8人,それに100ヘクタールもの農場が残されました。家族は助け合ってその土地を耕し,種をまき,灌漑をして,生活するに足るだけのものを収穫しました。同時にその間,18年間にわたって扶助協会会長として働きました。
自分の大家族を養い,他の人へも愛の手を差し伸べたキャロラインは,1日にパンを8斤も焼き,1週間に40杯分の洗濯をしました。また野菜や果物をトン単位で缶詰にし,現金収入のためにニワトリを千羽も飼いました。彼女にとって自立は当然のことでした。怠惰は罪だと考えたのです。そして自分の家族の面倒を見るだけでなく,周囲で飢えていたり,着るものがなかったり,寒さで凍えたりする人がいないように親切な心で手を差し伸べたのです。
後にキャロラインはユージーン・ロビンソンと結婚しますが,程なくして夫は脳溢血で倒れ,夫が死を迎えるまでの5年間,全ての面にわたって介護しました。
ついに力尽きた彼女は,糖尿病が悪化し,67歳でその生涯を閉じたのです。しかし子供たちに植え付けた勤勉の習慣は,年を経るごとに報いとなって表れました。生まれた直後からずっと育ててきたあの赤ん坊は後に,兄や姉たちとともに,愛と感謝の気持ちを表したいとして,〔ブリガム・ヤング大学〕に莫大な寄付をしました。そのお金で建てられた美しい建物は,彼女の名にちなんで命名されました。」5
堅固な基を持つことは,世の中の悪から守られる最強のとりでとなります。アンモンとその同僚たちから教えられたレーマン人たちが得たものを,熱心に求めてください。「主に帰依したレーマン人は皆,二度と道を踏み外さなかった」と言われています(アルマ23:6)。
メアリー・アン・プラットは1837年にパーリー・P・プラットと結婚しました。他の聖徒たちと一緒にミズーリへ移動した二人は,恐ろしい迫害に耐えました。パーリーが預言者ジョセフとともにミズーリ州ファーウェストで暴徒に捕らえられ,投獄されたとき,メアリー・アンは重い病にかかって病床にありながら二人の幼い子供を世話していました。
後に,メアリー・アンは牢獄にいる夫のもとを訪れ,しばらくそこに滞在しました。彼女はこう書いています。「夫が投獄されていた牢屋でわたしも過ごしましたが,そこはじめじめした暗く汚い所で,換気もなく,一方の壁に小さな格子窓があるだけでした。このような所でわたしたちは寝なくてはなりませんでした。」
パーリーが牢から出た後,二人はニューヨークとイングランドで伝道しました。「ユタへ向かう最後の疲れ果てた一行に加わった」とメアリー・アンは書いています。パーリーは結局,別の伝道に出ている間に殉教しました。
このような波乱の人生にもかかわらず,メアリー・アン・プラットは忠実であり続けました。力強くこう語っています。「わたしはバプテスマを受けて末日聖徒イエス・キリスト教会に入ったとき,最初に聞いた説教で教義が真実だと確信しました。そしてこう決心しました。この信仰に忠実な人が3人しかいなくなっても,わたしはその一人になろう。それからずっとあらゆる迫害に遭って堪え忍んできましたが,わたしの気持ちはいつも変わらず,決心が揺らぐことは一度もありませんでした。」6
今晩お話ししている問題は各々が自分で取り組まなければならないことです。他の人から教わったり,他の人の行動を見たり,他の人の過ちや成功から学ぶことはできます。しかし,誰も代わりに行うことはできません。自分の霊的な土台を他の人に築いてもらうことはできないのです。つまり,これは自分自身でやるべき仕事なのです。
ヒラマンは次のように力強く教えています。「わが子らよ,覚えておきなさい。あなたたちは,神の御子でありキリストである贖い主の岩の上に基を築かなければならないことを覚えておきなさい。そうすれば,悪魔が大風を,まことに旋風の中に悪魔の矢を送るときにも,まことに悪魔の雹と大嵐があなたたちを打つときにも,それが不幸と無窮の苦悩の淵にあなたたちを引きずり落とすことはない。なぜならば,あなたたちは堅固な基であるその岩の上に建てられており,人はその基の上に築くならば,倒れることなどあり得ないからである。」(ヒラマン5:12)
わたしは36年以上前に,自分の基を築くのに役立った,人生で最もすばらしい経験をしました。大学課程を修了した後,ダイアンとわたしはわたしの生まれ故郷のホノルルへ引っ越しました。人生の次の一時期を過ごすためでしたが,実際は27年もの長い時期になってしまいました。預言者から召しを頂かなければ,ハワイを離れることはなかったでしょう。
ハワイには二つの神殿があるため,ハワイ神殿は現在ハワイ州ライエ神殿と呼ばれています。1919年11月27日,感謝祭の日にヒーバー・J・グラント大管長によって初めて奉献されました。カートランド神殿とノーブー神殿を除き,ユタ州外に初めて建てられた神殿です。ほぼ60年にわたり,ハワイをはじめ,太平洋とアジア地域の聖徒たちのために使われました。1970年代の半ばに閉館して増改築する必要が生じました。そして,1978年6月13日に再奉献されることになったのです。
再奉献式を管理したのはスペンサー・W・キンボール大管長です。第一顧問のN・エルドン・タナー管長,第二顧問のマリオン・G・ロムニー管長も同行していました。十二使徒定員会会長のエズラ・タフト・ベンソン,その他の十二使徒や七十人も同席していました。今日のように大きくなった教会では,教会本部から離れた場所で行われる行事に,先任幹部がそれほど多く出席するのを目にすることはめったにないでしょう。1978年当時にはそのような祝福にあずかれたのです。
当時,わたしは若い神権指導者でした。キンボール大管長とその一行のために地元の警備と交通手段の手配をするよう神殿再奉献調整委員会から依頼されました。自分の責任を誇張して話すつもりはありません。単なる裏方の支援業務でした。しかし,その責任上,キンボール大管長と身近に接することができたのです。1週間という長い間,そのうちの3日間は神殿再奉献のセッション,厳粛な会合,そして大きな地区大会があり,わたしは大管長が権威と権能をもって教え,証を述べ,預言する姿を見ました。群衆ではなく「一人」の人を教え導くたゆまぬ努力をしていました。集会や移動の途中で目に留まった人に個人的に会うことを求めることもありました。「神の手に使われる者」の務めを絶えず果たす姿を目にしたのです(アルマ17:9)。本当に心から感動しました。
1週間が過ぎ,わたしたちはキンボール大管長と一行を見送るために空港へ行きました。再度強調しますが,わたしは裏方の支援業務を果たしただけなのですが,そのときの経験を分かち合いたいと思います。キンボール大管長がわたしのところへ来て,わたしの至らぬ努力に感謝の意を表しました。大管長はあまり背が高くなかったのですが,わたしは大柄の体格でした。彼はわたしの背広の襟を掴むと,自分の背の高さまでぐいっと引っ張りました。そしてわたしの頬にキスして感謝したのです。2,3歩,歩くと,戻って来て,また同じようにして,もう一方の頬にキスして,わたしを愛していると言ってくれました。その後出発しました。
その1年前にスペンサー・W・キンボール大管長の伝記が出版されました。大管長の息子と孫が書いたものです。わたしはそれを読んで興味を覚えました。しかし,スペンサー・ウーリー・キンボールとごく身近に接した経験の後,空港から帰宅すると,ぜひもう一度読んでみたいと思い,書斎の本棚からその分厚い本を取り出しました。その日から数日間,起きている時間で他の用をしていないときはずっと,その本を読みながら自分の経験を思い起こしていました。今読んでいる本は,わたしが心から愛している人,そして確かにわたしを愛している人について書かれた本だと思いました。その人のためなら何でもしたいと思う人です。なぜなら,その人から勧められることは,わたし自身にとって一番ためになることだと知っているからです。
気分を高揚させるあの経験を通して,もう一つの経験をしました。これは人に話せない個人的なものですが,心から恥ずかしいと感じました。最も大切な方々であられる神会の方々,特に救い主,贖い主のイエス・キリストに対して,同じような愛と尊敬を持っていなかったことが分かったのです。そこでわたしは主の「伝記」を研究しました。祈りと断食と瞑想を通して,心から愛する御方について読んでいることが分かるようになりました。確かにわたしを愛している御方,その御方のためなら何でもしたいと思う御方です。なぜなら,その御方から勧められることは,わたし自身にとって一番ためになることだと分かったからです。
愛する若い友人の皆さんに証します。この知識によりわたしの生活と家族に大きな変化が生じました。ただし,魔法のように完全になったり,必ずしも生活が楽になったりしたわけではありません。それは神の計画に沿わないからです。しかし,基となる希望,すなわち「完全な希望の輝き」を与えてくれるのです(2ニーファイ31:20)。諦めたり,途中でやめたり,退却したりすることは決してありません。皆さんもそうなってほしいと思います。
皆さんはすばらしい方々ですが,これだけ多くの人の心中には,喜びだけでなく苦しみも多いことでしょう。それぞれが人生の重荷を強く感じていることでしょう。家族が望ましい状況に置かれていない人,信仰について悩んでいる人,過去において自分がしたことや他の人から受けた不公平な扱いに苦しんでいる人もいるかもしれません。耐え難いような肉体的,精神的,情緒的な問題を抱えている人もいるでしょう。どのような状況であっても,堅固な基を持つことにより,重荷が軽くなります。よく歌われている賛美歌「神の子です」7の歌詞を唇だけでなく心と魂に刻み込み,救い主イエス・キリストの贖いに絶えず頼ることにより,最も困難なときでさえ心に平安と慰めを感じることができるのです。
今日という日を,人生が変わるような重要な日にしましょう。決心し,基を築くか,または強めるために,自制心をもって取り組みましょう。人によっては,習慣性の習癖や神の御心にそぐわない不快な習慣をやめる,あるいは生活の優先事項を変え,神に対する愛を第一にする必要があるかもしれません。これはいかなる代価を払うにも値するものであり,生涯取り組むべき業の核心です。
非常に多くの聴衆を前にして,できる限り個々人に向けて証します。イエス・キリストは教会の隅石であり,わたしたちの生活の岩です。主の聖なる御名について,主の権能と主の使命,そして最も重要なことは主の贖罪について証します。主の贖いにより,わたしたち一人一人は,置かれた状況にかかわらず,主のみもとへ行くことができます(モロナイ10:32参照)。イエス・キリストの御名により,アーメン。
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