クリスマス・ディボーショナル
13ソアレス


10:17

現代の天の軍勢

愛する兄弟姉妹,こんばんは。人類史上最も栄えある出来事,神の御子が世に来られたことを祝う夕べに,お話しする機会に恵まれて感謝します。キリストの降誕とその生涯,贖罪は,天の御父からわたしたち全員への贈り物です。

この喜びあふれる時季に救い主の誕生を祝うなら,神の絶えざる永遠の愛がわたしたちの霊をより豊かに満たし,家族や友人や隣人に心を向けるように,また寂しさや孤独を感じている人,慰めと平安を必要としている人をもっと思いやれるように助けてくれます。

いつも感動するのですが,ルカの福音書では,そのような状況にある人々に与えられた慰めと平安について,イエスの降誕を取り巻く出来事の中で,幾つか例が伝えられています。愛にあふれる天の御父が,社会的に孤立している羊飼いらに天使を送って夜の間に御子の降誕を知らせたとき,今度はその羊飼いたちが,ガリラヤの家から遠く離れた地で生まれたばかりの子供を世話するマリヤとヨセフを訪れたときなどが挙げられるでしょう。

マリヤとヨセフが人口調査のためにナザレからベツレヘムまで長い旅をしたのは,単なる偶然ではありません。古代の預言者らは何世紀もの間,世の救い主がダビデの町ベツレヘムでお生まれになることを預言してきたからです。1天の御父は神の独り子の降誕にまつわるあらゆる詳細を熟知し,かかわっておられたことが分かります。「彼らがベツレヘムに滞在している間に,マリヤは月が満ち」2ました。

羊飼いと若き夫婦,マリヤとヨセフの社会的境遇について考えると,野にいた羊飼いらに天の軍勢が現れたことや,羊飼いらがマリヤとヨセフのもとを訪れたことは,彼ら自身の生活にどれほどの慰めと平安,喜びをもたらしたことでしょうか。

羊飼いたちにとって,御使いは彼らが必要としていた慰めだったかもしれません。神は羊飼いたちを御存じで,その価値を認めておられ,生まれたばかりの神の小羊の最初の証人として選ばれたのです。マリヤとヨセフにとっては,この羊飼いたちが,二人の切望する慰めをもたらしたかもしれません。自分たちのかかわる神の奇跡を理解する人々が,ほかにも存在したのですから。3

確かにわたしたちの中には,現代の羊飼い,すなわち生計を立てるために朝早くから夜遅くまで働く男女がいます。こうした現代の羊飼いには,警備員,病院や救急隊の職員,24時間営業のコンビニやガソリンスタンドの従業員,ニュース放送のチームなどが含まれるかもしれません。夜勤で働く人は時折,いつも普通の労働時間で働く人と社会的に切り離されていると感じることがあるかもしれません。それに加えて,現代のヨセフとマリヤもいます。故国から遠く離れ,クリスマスや誕生日,結婚,だれかの死といった大切な行事を過ごしながら,新しい生活に順応しようと努力している人々です。

クリスマスが近づく中,わたしたちはさらに天の軍勢のようになれないでしょうか。現代の羊飼いを訪れ,キリストのよきおとずれと平安と慰めをもたらすのです。また,もっと羊飼いのようになれないでしょうか。近所や地域社会にいる現代のヨセフとマリヤを訪れてミニスタリングを行い,神が彼らを愛し,見守り,気にかけておられることを確信させるという召しにこたえるのです。

わたしたち家族は,現代の天の軍勢からもたらされる慰めと平安を,様々な機会に経験してきました。今晩,その一つをお話ししたいと思います。2003年,わたしたちは母国からユタに引っ越してきました。その冬は,ここ数年で最大規模の吹雪がユタを襲いました。ヤシの木と砂浜に囲まれて育ったわたしたちには見たこともない光景です。バウンティフルの丘の片隅に建つ我が家には,玄関まで長い歩道がありました。雪が降り始めると,妻は果敢にも自宅前の車道と歩道の除雪を始めました。なぜなら数日前,近所の家を訪問しようと,その家の前の道を歩いていたとき,わたしは氷で滑って手首を骨折していたからです。その怪我のためにわたしは手術を受け,2か月間,大きなギプスを腕に付けていました。愛する妻は,人生で初めてとなる除雪機での除雪を始めましたが,車道の片側を除雪した後,雪を飛ばすシューターの向きを変えなければならないことにまったく気がつきませんでした。ですから,反対側の車道を除雪しようとしたとき,そこには除雪機で移動させた雪が積もっていました。行きつ戻りつしながらも,どうすることもできません。厄介なことになりました。寒風に長時間さらされていた妻の両耳は感染症にかかり,2か月間,ほとんど音が聞こえませんでした。それに加えて16歳の息子は,そり滑りで背中に怪我を負い,傷が治るまでベッドに寝ていなければならなかったのです。一人は寝たきり,一人は聞こえず,一人はギプスを付ける中,全員が凍えていました。隣人にとって目を覆う光景だったことでしょう。そんなある日,ひどく寒い朝の5時ごろ,わたしは窓から聞こえる除雪機の音で目を覚ましました。窓の外を眺めると,通りの向こう側に隣人のブレイン・ウィリアムズ兄弟が見えました。70歳近い彼は,わたしたちが除雪できないことに気づくと,暖かく快適な自宅を出て,静かにやって来て,我が家の車道と歩道をきれいにしてくれたのです。彼がひっそりと控えめにやって来たように,別の友人,ダニエル・アルメイダ兄弟も我が家に現れ,非常に厄介なギプスのために運転できなかったわたしを,職場のソルトレークまで車で送ってくれました。わたしたち家族が回復して自力でできるようになるまで,彼らは毎朝思いやりをもって静かに助けてくれました。2003年のあの寒いクリスマスの季節,天使のような兄弟たちがわたしたちのもとに送られました。身分の低い古代の羊飼いたちに,仕える天使が送られたのと同じです。この二人の兄弟は救い主の模範に従い,自身の必要よりもわたしたちの必要について考えてくれたのです。

愛する兄弟姉妹,救い主の生涯は,人に愛と善意を示す完全な模範です。主は常に自分よりもほかの人を気に掛けられ,主がなされたことはすべて無私の行いでした。そして季節にかかわらず,毎日それを行われました。救い主のように心を外に向けるなら,クリスマスの精神をより味わうことができるとお約束します。自分を必要としている人々に,静かに思いやりをもって自らをささげる無限の機会を見いだすことができるでしょう。それにより,わたしたちは救い主をさらに深く知るようになり,自ら地に平和を,人に善をもたらす者となるでしょう。ほとんどの場合,わたしたちがほかの人々に対して感じ,分かち合う愛と平安と新たな力は,そのように増し加えられていくのです。救い主の模範に倣うとき,主の足音にもっと耳を澄まし,この大工の確固とした手を取ることができますように。わたしたちが行うことの中に,救い主を見いだそうとするとき,クリスマスは単なる一日,一つの季節ではなく,心と思いの状態であって,クリスマスに感じる喜びと愛はいつでもそばにあります。ベツレヘムでお生まれになったみどりご,イエス・キリストが,事実世の救い主であり,贖い主であられることを証します。

皆さんに,メリークリスマス。これらをイエス・キリストの御名により申し上げます,アーメン。