教師のチェックリスト
「救い主の方法で教える」―ウークトドルフ長老を迎えて
日本時間2022年6月13日(山岳部夏時間は6月12日〔日〕)
わたしの敬愛する人々!
愛する兄弟姉妹,そして友人の皆さん,この素晴らしい動画をともに視聴することができるのは何と素晴らしいことでしょう。この動画は教会員と世の人々が,どのようにあらゆる年代,あらゆる世代の人々に救い主の方法で教えることができるのかを教えてくれます。
さて,愛する友人の皆さん,わたしは敬愛する人々である過去,現在,未来の教師たちに囲まれていることに感謝します。だれもが,なんらかの意味で教師であるため,これには全ての人が当てはまります。わたしは教師の皆さんが大好きです。教師の皆さんとともに過ごすことが大好きです。わたしは人生で出会った恩師の方々を愛しています。彼らには返しきれないほどの恩を受けています。
何百年もの間,学者は優れた教師になるための要素について研究し,学習体験の成功の鍵に関する理論の提唱,推奨,発表をしてきました。
わたしたちは皆,史上最も偉大な教師であるイエス・キリストについて学ぶ祝福を受けています。過去2000年の間に,世界のどこであっても,主の教えは常に尊ばれ,学ばれ,熟考され,繰り返され,模範とされてきました。
善をもたらすための永続する違いをつくること。レッスンや教室の垣根を越えて人々の生活に祝福をもたらすこと。それらすべてが教師の目標ではないでしょうか。
ナザレのイエスは,過去,現在,未来において,まさにそのような影響力をお持ちです。わたしたちが学ぶのに,主以外にだれがいるでしょうか。主から学ぶなら,教師としてだけでなく,わたしたちの置かれた状況にも関わりなく,人としても大きな成長を遂げることでしょう。
ですから,今日は救い主について話せる機会を光栄に感じています。なぜなら,より良い教師になる最善の方法は,イエス・キリストにより良く従うことだからです。
飛行前点検の重要性
わたしが航空会社のパイロットだったとき,機長席に着く際はいつも一つの事だけが頭にありました。自分自身と乗務員,そして旅客を安全に目的地へ届けることです。これには集中力と注意深さが求められました。
この集中力を維持するため,パイロットは一連の飛行前点検や安全手順の演習,機材やその機能の点検を行います。チェックリストの各項目は,パイロットが何百回(あるいは数千回)行ってきたものです。
熟練したパイロットは,何百回も飛行機に乗ってきたと言って,飛行前の確認の必要がないと推測したり,それらを軽く流したりすることは決してありません。
飛行前点検は,フライトを成功させるための重要事項に集中するよう,パイロットを律するものです。
具体的な指針となる目的がパイロットにあるように,わたしたちも御言葉を伝える教師として,人々をキリストに近づける目的があります。教える機会があればいつでも,その目標を一番の念頭に置くべきです。
教師として,神聖な目的に焦点を当てるためのチェックリストがあるでしょうか。それがあります!
『救い主の方法で教える』
今月,末日聖徒イエス・キリスト教会は改訂版の『救い主の方法で教える』を出版します。これは家庭と教会で福音を教えるすべての人のためのガイドです。福音ライブラリーアプリで,70の言語で利用可能となります。印刷版は数か月後に出来上がります。
このリソースは,イエス・キリストの生涯と教えを指針とし,教師として霊感を与えるものです。主が教えられた方法で教えることに焦点を当てる助けとなります。
『救い主の方法で教える』は,教える役割のある皆さんを助けます。両親や隣人,ミニスタリングブラザーとシスター,宣教師,そしてイエス・キリストのすべての弟子に霊感と指示を与えることができます。弟子となるとは,人々を愛し,世話し,祝福し,高めることであり,それは教えることを意味します。
つまり,イエスがされたように愛し,仕えようと努めているのであれば,あなたは教師であって,『救い主の方法で教える』はあなたやわたしのためのものです。この歩みを始めたばかりの人にとっても,何年も経つ人にとっても貴重なリソースとなればと願っています。
『救い主の方法で教える』の第3部では,自己評価,つまりは飛行前点検リストがあり,それは教えることにより集中する助けとなります。内省し,盲点を明らかにし,成長できる方法に関する霊感を与えてくれます。パイロットにとっての飛行前の点検リストと同じくらい,教師にとって有益なものとなるでしょう。
今日,コックピットでわたしが皆さんの横に座ることを許してくだされば,教えるための飛行前点検を一緒に行いたいと思います。チェックボードを持っていると想定して,それぞれの項目で自分をどのように評価するか考えてみましょう。この自己評価は,今日だけでなく今後救い主の方法で教える準備をする度に,大きな祝福となることでしょう。
イエス・キリストに焦点を当てる
飛行前点検の最初の項目は,「イエス・キリストに焦点を当てる」です。それは,わたしたちが教える際に,ほんとうに救い主がその中心となっているかを振り返る機会です。次の質問について考えてください:
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わたしは,レッスンで何を採り上げていても,イエス・キリストについて教えているだろうか。
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わたしはイエス・キリストの模範を強調しているだろうか。
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わたしは,学習者が自分の生活の中で,主の愛と力と憐れみを認識できるように助けているだろうか。
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わたしは,イエス・キリストに似た者となるために学習者が意識的に努力できるよう助けているだろうか。
これらは何と奥深い問いかけなのでしょうか!
実際,福音は非常に広範囲におよぶものであり,生涯を費やして学んでも,ほんの表面部分しか学べないことでしょう。福音の広大さを表す巨大な建物の壁に,建物と同じ高さと幅の的を描くことを想像してみてください。
教会歴史や教会のプログラム,教義のテーマ,いくつかの聖句など,わたしたちは皆お気に入りの福音に関する趣味,つまり関心事を持っています。そして,おもにわたしたちの好きなテーマに焦点を当てようとする誘惑に駆られるかもしれません。
しかし,福音の教えという的全体は大きいものの,わたしたちが焦点を当てることを忘れてはいけない,的の中心は小さいものです。それは,解説や世論調査,討論の中から得られるものではなく,救い主御自身が与えてくださったものです。
では,的の中心とは何でしょうか。
神を愛し,人を愛することです。
それこそが中心です。
そのほかのことは興味深いことかもしれませんし,重要かもしれません。しかし,中心ではなく,
補助的なものです。料理で言うサイドメニューであり,言わばコース料理のサラダです。風味を増し,ビタミンも取れるかもしれませんが,メインディッシュではありません。
では,教えるうえでわたしたちの目標は何でしょうか。
わたしたちの目標は,教える人々がキリストに近づき,神に対する知識と愛を増し加え,神のすべての子供たちに思いやりをもって手を差し伸べることを通して神に仕えられるよう助けることです。
それこそが中心です。
そして,神とほかの人々を愛する最大の模範は,どこに見い出せるでしょうか。
救い主であり贖い主であられる御方の生涯と教えにあります。
人々をキリストのもとに近づけるなら,彼らが神に対する信仰と愛を増せるよう,また,人々への思いやりと愛を深められるよう助けるのです。
興味をそそるその他の話題に心が向き,気を取られそうになるときは常に,こう真に自問すべきです。
「何について教えていようと,救い主に焦点を当てているだろうか。」
「教えていることは,ほかの人にとって神に対する愛を深め,愛と奉仕,救い主の教えを生活に当てはめることによってその愛を示す助けとなっているだろうか。」
教師として,わたしたちは天使の言葉で語り,楽しませ,喜ばせ,驚かせることができます。しかし,イエス・キリストに焦点を当て続けていなければ,的から外れてしまい,1わたしたちの教えは得られるはずだったことの一部のみになってしまいます。
常に救い主,贖い主であられるイエス・キリストに焦点を当て続けてください。
教える人々を愛する
2番目のチェックリスト項目は,「教える人々を愛する」です。このチェックリスト項目を使うことで教師としての自分の動機を振り返り,わたしたちが教える人々を愛し,尊重することに心を向けさせてくれます。以下の質問を考慮するとよいでしょう:
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わたしは,神が御覧になるように学習者を見るよう努めているだろうか。
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わたしは自分が教える人々を知り,彼らの境遇や必要,長所を理解するように努めているだろうか。
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わたしは学習者のために,名前を挙げて祈っているだろうか。
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わたしは,皆が尊重され,自分たちの貢献が重んじられていると感じてもらえるような安心できる環境を作っているだろうか。
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わたしは,自分の愛を伝えるための,適切な方法を見つけているだろうか。
わたしは,ある熟練した高校の女性教師の話を聞きました。彼女は長い年月を経て,自分なりの教え方を身につけ,生徒の生活に大きく貢献してきました。彼女はこの年代層の扱い方を熟知していました。
しかし,ある年,彼女はサマースクールのプログラムに参加し,これまでとは違い,5歳の子供たちを教えました。もちろん,クラスに参加する子供たちは好奇心旺盛で元気いっぱいでした。とてもにぎやかで,子供たちは笑ったり,叫んだり,机の間を走り回ったりしました。この教師は,クラスの秩序を築き,子供たちをおとなしくさせて席につかせるために,高校生に効果的だった声音で話しました。さて,何が起きたでしょうか。
教室が静まり返り,子供たちはすぐに自分たちのしていることを止め,目を大きくして,開いている机に駆け寄りました。二人を除いてです。
一人は幼い女の子で,床に座り込み泣き始めました。教師はその子に怒りの感情を微塵も感じてはいませんでしたが,少女は自分がとても悪いことをしてしまったに違いないと感じ,涙をこらえきれませんでした。
二人目の小さくも,強い男の子は,教師を恐る恐る見て,戸口に向かって駆け込み,瞬間移動とも思える速さで廊下の方へ消えて行きました。教師はこの子が戻ってきてくれないのではないかと思うほどでした。
彼女はその日,自分が10代の若者に使ったテクニックでは,幼い子供たちにはあまりうまくいかない,という大切な教訓を学びました。
ここに,わたしたちも学ぶべき教訓があります。
わたしたちが教える人は皆,神の子供であり,それぞれの人格を持っています。
彼らのことを天の御父がなさるように,それぞれの思いや感情,試練や困難を持つ個人として見ているでしょうか。一人一人が安心し,受け入れられていると感じられる安全な学習環境を築いているでしょうか。
わたしたちの母国語が何であれ,生徒はわたしたちが愛という普遍の言語で語っていることを知っているでしょうか。わたしたちが彼らを大切にしていること,彼らへの思いやりと敬意は伝わっているでしょうか。
救い主は,生涯の大半を社会からのけ者にされた人や見捨てられた人々と過ごされました。
主は彼らを説き伏せ,非難することもできたでしょう。しかし,主は彼らを抱き締め,癒し,慰められました。
もちろん,「もう罪を犯さないように」と教えられましたが,2病人や罪人,体の不自由な人に対して,主は愛と憐れみと敬意をもって語り,行動されました。
神はわたしたち一人一人を全能の神の息子娘として,すなわち神に劣る者としてではなく,栄光のうちに神とともに歩む永遠の可能性を持つ者として見ておられるのです。
クリスチャンの偉大な作家であるC. S. ルイスは,この言葉を書いたときに同様の観点で教えました。「周りにいる人は皆,神や女神になる可能性を持っている。この事実を軽々しく扱ってはならない。すぐ近くにいる,だれよりも物分かりが悪くつまらない人が,いつの日か,あなたが心から崇拝したくなるような存在となるかもしれないということを忘れてはいけない。今のあなたには,その姿が見えていないだけなのだ。」さらに彼はこう続けています。「凡人などいない。あなたが話したのはただの人ではない。わたしたちが冗談を交わし,ともに働き,結婚し,けなし,利用する相手は,永遠の存在だ。尽きることのない永遠の輝きを持つ存在なのだ。」3
このような敬意をもって人に接するとき,わたしたちはイエス・キリストの模範を映し出しています。わたしたちは,主が愛されたように愛し,高められたように高め,教えられたように教えるのです。
忘れることなく,教える人々を愛し,尊敬し,高めましょう。
御霊によって教える
3つ目のチェックリストの項目は,「御霊によって教える」です。次の質問について考えてください:
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わたしは,教えるために自分を霊的に備えているだろうか。
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学習者の必要を満たせるよう霊的な促しにこたえているだろうか。
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わたしは,学習者に聖霊から教えを受けるための環境や機会を提供しているだろうか。
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わたしは,学習者が個人の啓示を求め,認識し,それに従って行動できるように助けているだろうか。
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わたしは度々証を述べ,学習者にも同じことをするように勧めているだろうか。
わたしは,福音を教え,人々をイエス・キリストのもとに導くために努力する中で,改宗させるのは自分ではないことを思い起こすように努めています。
聖霊のみが改宗をもたらすことができるのです。
わたしたちは言葉を語ることができますが,改宗は御霊によるものです。それは,聖霊が心に触れ,人が救い主に従うことによって主の影響に応じるときに起こります。
もし説得力のある言葉や根拠のある議論のみで,だれかがイエス・キリストに従うべきことを「確信」したとしても,それは石地に落ちる種のようにはかないものとなるかもしれません。4
改宗させるのはわたしたちではありません。わたしたちの責任ではないのです。
では,わたしたちは何をするべきなのでしょう。わたしたちの時代に回復されたイエス・キリストとその福音の良い知らせを教えることです。そして,正直で誠実な行いをもって自分の言葉をもって証明することがわたしたちの務めなのです。わたしたちの人生,生き方,行動です。
わたしたちが教える事柄にだれかが応じるかどうかは,彼らと神との問題です。しかし,わたしたちは彼らを聖霊と結びつける架け橋となることができます。わたしたちは,聖なる御霊が彼らの生活に入り込むための窓となることができます。わたしたちの言葉と行動は,生徒が聖霊との交わりを経験する助けとなる方法でキリストの教義を教えることができます。
当時長老だったダリン・H・オークス管長が教えたように,「学問と理論を持って真理を見いだすことはできますが,確信を得るのは啓示を持ってのみです。」5
繰り返します。「学問と理論を持って真理を見いだすことはできますが,確信を得るのは啓示を持ってのみです。」
わたしたちは夢の中にいるかのように人生を過ごしてしまうことがあります。広告や,オンライン上の言葉,道路標識でさえ,見てはいても覚えてはいません。多くはわたしたちの心を貫くことなく,脳内から流れ去ります。
しかし,聖なる御霊が皆さんやわたしの心に語りかけるなら,忘れることはできません。その経験が皆さんを,そして,わたしたちを変えるからです。ヤコブの手紙1:5を読んだときのジョセフ・スミスの言葉を思い出してください。「この聖句が,このとき,かつて人の心に力を与えたいかなる聖句にも勝って,わたしの心に力強く迫って来た。」6
御霊は,普通に語られる普通の考えをも,火が燃えるようなものとすることがおできになります。
人の改心は,わたしたちの雄弁さや聖文を巧みに使いこなすかどうかに左右されません。教義をどれほどよく教え,擁護できるかにもかかっていません。わたしたちの知性やカリスマ性,言葉の上手さに左右されません。
わたしたちが取り組むべきはただ一つ,自分自身で知ることです。それから,天の御父はわたしたちに,「いつも口を開き,喜びの声を上げて〔御自身の〕福音を告げ知らせ〔るよう〕」招いておられます。7そして,そうするならば,聖なる御霊が真理を証してくださるでしょう。
わたしたちは神の子供であり,イエス・キリストに真に従う者である以上の何者かになる必要はありません。
救い主とその福音,主の教会に対する愛を喜びをもって伝えることができますか。
わたしたちが自らの役割を果たせば,御霊も御自分の役割を果たしてくださいます。それが「御霊によって教える」方法です。
教義を教える
飛行前点検の4番目の項目は,「教義を教える」です。もちろん,どの教義でも良いという訳ではなく,イエス・キリストが御父から受けられた教義です。救い主はこう教えておられます。「わたしの教はわたし自身の教ではなく,わたしをつかわされたかたの教である。」8主の模範にどれほどよく従えているかを評価するために,次の質問について考えてください:
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わたしは自分自身で教義を学んでいるだろうか。
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わたしは,聖典と末日の預言者たちの言葉から教えているだろうか。
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わたしは,学習者が聖文の中にある真理を識別し,理解するのを助けているだろうか。
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イエス・キリストを信じる信仰を築く真理に焦点を当てているだろうか。
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わたしは,学習者が教義から個人的な啓示が得られるように助けているだろうか。
わたしたちの神権時代に,主は次のように言われました。「あなたがたに一つの戒めを与える。あなたがたは互いに王国の教義を教え合わなければならない。熱心に教えなさい。そうすれば,わたしの恵みがあなたがたに伴うであろう。」9
教えるべき教義とは何でしょうか。
これは,聖文や使徒と預言者の口から出る言葉です。教義を説き明らかにし,明確にする権利と権能を持っているのは彼らです。神は常に彼らを通して御自分の言葉を宣言し,神の子供たちに導きと理解をお与えになられました。
末日聖徒イエス・キリスト教会の中心である救いの教義は,イエス・キリストが,すべての人の救い主,贖い主であられるというものです。復活された救い主と会い,会話をした使徒パウロは,コリント人にこう書いています。「わたしが以前あなたがたに伝えた福音〔を〕……思い起こしてもらいたい。……すなわちキリストが,聖書に書いてある通り,わたしたちの罪のために死んだこと……葬られたこと,聖書に書いてあるとおり,三日目によみがえったこと,ケパに現れ,次に十二使徒に現れたことである。」10
わたしたちは,「生きていて,力があり,……細くて狭い道にあって,キリストの人を導〔く〕……〔神の言葉を手に入れる〕」よう命じられています。11
教師として,わたしたちはイエス・キリストの福音を恥じてはなりません。12むしろ,一部の人にはつまずきの石となり,愚かに見られることでも,主の教義を教えるときは喜んで声を上げなければなりません。13「それは,……すべて信じる者に救いを得させる神の力」だからです。14
熱心に学ぶよう招く
飛行前点検の最後の項目は,「熱心に学ぶよう招く」です。この項目は,わたしたちが熱心に教えることは方程式の半分にすぎないということを思い出させてくれます。長い目で見て,より重要な残りの半分は,生徒たちが熱心に学ぶということです。熱心に教えることが熱心に学ぶことにつながっているのかどうか評価する助けとなる質問を幾つか紹介します:
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わたしは,学習者が自分の学びに責任を持てるように助けているだろうか。
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わたしは,毎日福音を研究するよう学習者を励ましているだろうか。
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わたしは,現在学んでいる真理を分かち合うよう,学習者に勧めているだろうか。
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わたしは,今学んでいることに従って生活するよう,学習者に勧めているだろうか。
わたしたちの霊は,神がわたしたちを創造された光と栄光の存在となるために,絶えず養いを必要とします。神の預言者の言葉を研究し,深く考えるとき,わたしたちは生ける水を飲み,キリストの言葉を味わいます。
言葉を読むだけでは十分ではありません。彼らの言葉に聞き従い,深く考え,自分の心に取り入れる必要があります。15
ことわざを言い換えますが,「人に福音を教えれば,その人の一日を祝福することになり,神の言葉をよく味わい,聖なる御霊とつながるように教えれば,生涯にわたってその人を祝福します。」
霊感と個人の啓示のプロセスを通して,わたしたちは贖い主の岩の上に人生を築きます。16そうすることで,イエス・キリストの福音は「たましいの錨」となるのです。17
福音を教えるのは重要なことです。熱心に祈り,御霊を求め,学んだことを応用するように人々に教えることも,少なくとも,同じくらい重要です。
祝福を&約束する
愛する兄弟姉妹,愛する友人,敬愛する貴い教師の皆さん―皆さん全員,わたしたち全員が教師ですよ。皆さんの忠実さと善を行いたいという望みに感謝しています。喜んで福音について人々を備え,ミニスタリングし,教えることに多くの時間を費やしてくださっていることに感謝します。
新しいガイド『救い主の方法で教える』を研究し,自己評価を活用して,自身の目的を思い出すようお招きします。
神の言葉を手に入れ,同様に行うよう人々に教える,つまり救い主の方法で教えることによって,わたしたちは神と同胞や人類に対する愛を示すことができます。その細くて狭い道を歩むとき,わたしたちは,自分の不滅の霊とほかの人々の霊を「天の王国における神の右に至らせ,もはや外に出されることなく,アブラハム,イサク,ヤコブ,およびすべての聖なる先祖とともに座に着かせる」のです。18
敬愛する教師,友人,弟子の皆さん,救い主の名で教える皆さんの誠実な働きに対して,神の祝福がありますように。最も偉大な教師,主,キリスト・イエスの聖なる御名により,アーメン。