2000–2009
祝福をもたらす神権,鍵,力
2003年10月


祝福をもたらす神権,鍵,力

ふさわしいメルキゼデク神権者は,神から語された力を行使して回りの人に祝福をもたらすよう期待されています。それは家族から始める必要があります。

回復の事実を明白に示す注目すべき事柄の一つに,ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリが述べた証があります。二人は,神権と人を導く神権の力がどのように地上に回復されたかを証しました。いずれの場合も,神権と神権の鍵は,かつてそれを持っていた天の使者によって回復されました。まずバプテスマのヨハネが,悔い改めの鍵とバプテスマの鍵とともにアロン神権を回復しました。1また,ペテロ,ヤコブ,ヨハネは,メルキゼデク神権だけでなく,「王国の鍵」2も回復しました。さらに,モーセとエリヤが「集合」と「結び固め」の鍵を携えて戻って来ました。3神権の回復に関するこれらの出来事は驚くべきものです。聖書に記されている,初期の神権時代に行われた神権の回復とまったく同じ方式なのです。例えば,救い主の時代に,神権の力の回復と移譲がどのように行われたのか考えてみましょう。

地上での務めを終えられるころ,イエスはペテロに「王国のかぎ」4を渡すことを約束されました。それは,御自分がやがて地上を去り,使徒たちが主の昇天後に業を進めるためには,神権の鍵が必要であることを承知しておられたからです。主が使徒たちに鍵を授けるためにどうされたかを,マタイは次のように記しています。イエスは「ペテロ,ヤコブ,……ヨハネだけを連れて,高い山に登られた。」そこで「彼らの目の前でイエスの姿が変り」,モーセとエリヤが「彼らに現れ〔た。〕」5この出来事の直後,救い主は,使徒たちが業を進めるための鍵を持っていることを宣言されました。6 預言者ジョセフ・スミスは次のように述べています。「山上において,ペテロとヤコブとヨハネが救い主の前で変貌へんぽうしたとき,救い主とモーセとエリヤは鍵を授けた。」7

マタイが記している神権の回復の方式は,わたしたちの神権時代に行われたものと同じです。初期の神権時代に鍵を持っていた使徒や預言者たちが,主の指示に従って,この神権時代が始まるにあたってその鍵を地上に回復したのです。

対照的に,19世紀のパルマイラ地域の50聖職者たちは,大背教が起きていたことを理解していませんでした。そして神権の授与に関してまったく異なった方法を信じていました。説教をする力は,内なる声によってキリストを信じるすべての人に与えられると信じていたのです。権能を持つ者による按手によって神権を受けることの必要性を理解していませんでした。8さらに,神権の鍵の目的や必要性についても分かっていませんでした。

神権とは,神から人に託された力であり権能です。神権の鍵とは,その力の行使について指示できる権利です。大管長は教会全体を治めるために必要な鍵を持っています。副管長および十二使徒定員会も同様に,王国の鍵を持っており,大管長の指示の下にその鍵を使います。ステーク会長,監督,神殿長,伝道部長,定員会会長には,それぞれの責任の範囲において教会を導く鍵が与えられます。また,補佐に召される人は鍵を持ちませんが,「召しと割り当てとによる権能の委任は受け」ます。9

神権と神権の鍵は,贖い祝福を受けられるようにしてくれます。神権の力を通して,人は罪の赦しのためのバプテスマを受けることができます。それは救い主の偉大な憐れみの業によって可能になりました。また,メルキゼデク神権を持つ者であれば,聖霊を授けることができます。聖霊が降くだられることによって,教会員は火で清められ,真理に導かれ,慰めを受けます。そして聖なる者となり,埴いの実を受ける者として様々な面で祝福を受けます。結び固めの権能は,男性と女性およびその子供たちを永遠に結び,来世での昇栄を可能とします。これもまた,救い主から頂いた祝福です。

ふさわしいメルキゼデク神権者は,神から託された力を行使して周りの人に祝福をもたらすよう期待されています。それは家族から始める必要があります。回復の偉大な受け継ぎの一つとして,メルキゼデク神権に聖任されている父親には,妻や子供に祝福を授ける権利が与えられています。父親が導きを受けたときや,妻や子供から祝福を求められたときに授けることかできるのです。

何年も前に,わたしたち家族はある経験をしました。それは,父親の祝福の大切さや価値,そして力を知るうえで忘れられない経験となりました。そのときの教訓は,皆さんにとっても興味深いものであろうと思われます。

長男が小学校に入学するとき,ベイトマン姉妹とわたしは,毎年,学年の始まりに,子供たち一人一人に父親の祝福を与えることを決めました。学年が始まる直前の家庭の夕べを使って祝福を与えるのです。長男のマイケルが小学3年生になった年の出来事は,特別な思い出になっています。2年生の夏から,マイケルは少年野球に参加していました。野球が大好きでした。そして新年度が始まる前の家庭の夕べで集まったとき,そのマイケルが「祝福は必要ない」と宣言したのです。すでに少年野球では最初のシーズンを無事に終えており,祝福は弟や妹に授ければいいとのことでした。

ベイトマン姉妹とわたしはとても驚きました。そして,学業の助けにもなるだろうからと,祝福を勧めました。祝福は守りとなるでしょうし,きょうだいや友人との関係を築くうえでも助けになるでしょう。励ましたり,優しく諭したりしましたが,結局,うまくいきませんでした。自分で物事を決める年齢になっていたのです。選択の自由の原則を信じていたので,8歳の子供に無理やり祝福を授ける気にはなりませんでした。その年,マイケルを除く子供たちは皆,祝福を受けました。

その年はごく普通に過ぎていきました。マイケルもほかの子供たちも学校での成績はよく,家族はとても仲良くやっていました。そして5月になり,少年野球のシーズンが始まったのです。終業式が終わると,マイケルの監督から練習を始めると連絡かありました。マイケルの期待はこれまでになく膨らみました。いよいよ夢が実現するのです。マイケルは先発のキャソチャーに指名されていました。野球場は我が家からほんの数プロソクの所にあり,子供たちも監督も,交通量の多い道路を横切って球場まで歩いて行きました。そして練習が終わって帰宅しようとしたときです。マイケルともう一人の友人は,監督やほかの子供たちの前を走っていました。車の行き交う道路まで来ると,マイケルは左右も見ずに,1台の車の前に飛び出しました。運転していたのは16歳の若者で,初心者でした。この若者がどれほど恐ろしい思いをしたか想像できるでしょうか。若者は急ブレーキを踏み,何とかマイケルをかわそうとしました。しかし残念ながら,マイケルはバンパーの側部にぶつかり,道路にたたきつけられたのです。

ベイトマン姉妹とわたしはすぐに警察から連絡を受けました。マイケルは危険な状態で,救急車で病院へと運ばれていました。急がなければなりません。家を出る前に友人に電話し,病院で祝福を授けるのを手伝ってくれるようお願いしました。20分の運転をどれほど長く感じたことでしょう。息子の命が救われるよう,また主の御心を知ることができるよう熱心に祈りました。

救急病棟の入り口のそばに車を止めると,警察官が泣きじゃくる若者を連れて出て来ました。警察官はわたしたちに気づき,その若者が車を運転していたことを告けました。事件の詳細を聞いていたわたしたちは,その若者を抱き締め,「君の責任でないことは承知しているから」と伝えました。それから病棟に入り,マイケルの病室を探しました。病室に入ると,医師や看護師たちはマイケルの状態に合わせて慌ただしく処置を施していました。友人はすでに到着していたので,2,3分の間,身内だけの時間を頂けるか尋ねました。神権を持つ友人が油を注ぎ,わたしが結び固めました。マイケルの頭に手を置くと,わたしは慰めと平安に満たされ,祝福と約束の言葉があふれ出ました。そしてマイケルは手術室へと入って行ったのです。

それからの4週間,マイケルは病院で横になったまま,頭は包帯で巻かれ,足は牽引されていました。毎週水曜日になると,少年野球の仲間が試合の後で病室に来て結果の報告をしてくれました。仲間たちの報告を毎週聞く度に,マイケルの目からは涙があふれ,頬を伝って流れていきました。4週間の牽引の後,マイケルは胸からつま先までギプスで覆われました。わたしたちはマイケルを2,3回外へ連れ出して,仲間たちの試合を観戦させました。さらに4週間が経過すると,ギプスは腰からつま先までのものと交換されました。そして,学校が始まる2日前には,最後のギプスも外されたのです。翌日の夜,年度始めの祝福のために家族が集まったとき,だれが最初に祝福を求めたかはもうお分かりでしょう。9歳になった長男が,少し大人になり,はるかに賢くなって,最初に並んだのです。

それから何年もたち,子供たちは,神権の祝福を受けたからといっていつでも事故から守られるわけではないことを理解するようになりました。しかし同時に,神権によって様々な場面で守られることも分かるようになったのです。今では,孫の代が神権の祝福を受けています。伝統が第2,第3世代に受け継がれています。家族が永遠に続くように,この慣習が永遠にわたって受け継がれていくことを信じています。

14歳の少年ジョセフ・スミスが森に入り,真実の教会を尋ね求めたことに心から感謝しています。ジョセフが受けた答えに対して,またその結果として,バプテスマのヨハネやペテロ,ヤコブ,ヨハネ,そのほかの聖なる使者によって神権と神権の鍵が回復されたことに,永遠に感謝します。この偉大な力を行使して,まず自分の家族に,そして神のすべての子供たちに祝福をもたらすことができるよう,イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。

  1. .教義と聖約13章;ジョセフ・スミス—歴史1:68-72参照

  2. .教義と聖約27:12-13参照

  3. .教義と聖約110:11-16参照

  4. .マタイ16:19参照

  5. .マタイ17:1-3

  6. .マタイ18:18;教義と聖約7:7参照

  7. .Teachings of the Prophet Joseph Smith, ジョセフ・フィールディング・スミス選(1976年),158

  8. .ミルトン・V・バックマン・ジュニア,Christian Churches of America, Origins and Beliefs,改訂版(1976年,1983年),54-55

  9. .『教会指導手引き第2部神権指導者・補助組織指導者』(1998年)165