2000–2009
常に祈りなさい
2008年10月


16:25

常に祈りなさい

祈りをさらに意義深いものとするために,すべての行いについて主と相談し,心からの感謝を述べ,人のために祈りましょう。

前回の総大会でわたしが伝えたメッセージは,信仰をもって祈り求めるという福音の原則に焦点を当てたものでした。今日は,祈りをさらに意義深いものとするために必要な3つの原則を説明します。わたしと皆さんに聖霊の助けがあるよう祈ります。

原則1:祈りをさらに意義深いものとするために,すべての行いについて主と相談する(アルマ37:37参照)。

端的に言えば,祈りとは,天の御父の地上の息子娘から御父に向けられたコミュニケーションです。「神と自分の真の関係(つまり神が父親で自分がその子供であること)を知るやいなや,祈りは自然で本能的なものとなる。」(“ Bible Dictionary”‘Prayer ’の項,752)御子の御名によって絶えず御父に祈ることはわたしたちに与えられた戒めです(3ニーファイ18:19-20参照)。善いものや神の御心に添うもののために誠心誠意祈るなら,人は祝福と,守りと,導きを受けると約束されています(3ニーファイ18:20教義と聖約19:38参照)。

啓示とは,天の御父から地上の子供たちに向けられたコミュニケーションです。わたしたちが信仰をもって求めれば,啓示に啓示を,知識に知識を受け,平和をもたらす事柄と奥義,つまり喜びと永遠の命に至る知識が得られます(教義と聖約42:61参照)。「奥義とは,聖霊の力によってのみ知り,理解し得る事柄」です(ハロルド・B・リー,,Ye Are the Light of the World〔1974年〕,211参照)。

御父と御子の啓示は神会の第三の御方,すなわち聖霊を通して示されます。聖霊は御父と御子の証人であり,御二方のメッセージを伝える使者でもあられます。

神が地球を創造されたときの手順を見ることにより,祈りを意義深いものとする方法を学ぶことができます。モーセ書の第3章を読むと,神は万物を自然の法則に従って地上に置かれる前に霊的に創造されたことが分かります。

「さて見よ,わたしはあなたに言う。これが天地創造の由来である。主なる神であるわたしが天と地を造ったとき,

“地にはまだ野の植物もなく,また野の草も生えていなかった。主なる神であるわたしは,わたしが語ったすべてのものを,それらが地の面に自然に存在するに先立って霊的に創造した。」(モーセ3:4-5

この聖句から,霊的な創造が物質的な創造に先立っていたことが分かります。同様に,朝の意義深い祈りは,日々の霊的な創造を行うために重要なものであり,その日の物質的な創造,すなわちその日達成する事柄に先立ちます。物質的な創造が霊的な創造の延長線上にあるのと同じように,朝の意義深い祈りと,晩の意義深い祈りは,つながっているのです。

例えば,朝の祈りの中で,自分の性格,行動,霊的な成長に関して,天の御父に相談する必要があるかもしれません。まず祝福に対して十分に感謝します。その次に,自分の力だけではどうすることもできない事柄に対して,理解する力,導き,助けを請い願います。例えば,祈りながら次のようにすることができます。

  • 最愛の人たちに,とげとげしい言葉や不適切な言葉を使ったときのことを思い出す

  • どうすべきか分かっていても,いつもそのとおりにできるわけではないことを認める。

  • 自分の弱さや,自分の中の「生まれながらの人」を捨てる努力が足りないことを悔やむ。

  • もっと完全に救い主のような生活をすると決意する。

  • 行いと性質を改善するためにもっと力を願い求める。

このように祈ることは,一日の霊的な備えに欠かせません。

そして,一日中,助けと導きを求めて心の中で祈り続けます。アルマも次のように勧めています。「あなたの思いを常に主に向けるようにしなさい。」(アルマ37:36

そのようにして一日を過ごすならば,とげとげしい言葉を使いたくなるような場面でもそうしない自分,怒りたくなるような場面でも怒らない自分に気づきます。天の助けと力に気づき,へりくだり,祈りがこたえられたことを認識します。そう認識している間でさえ,心の中で感謝の祈りをささげるのです。

一日の終わりに,再びひざまずいて御父に報告をします。その日の出来事を振り返り,受けた祝福や助けに心から感謝を述べます。悔い改め,翌日よりよい行動を取り,よりよい人になる方法を,主の御霊の助けを受けて見つけます。だからこそ,夜の祈りは朝の祈りを土台としたものであり,朝の祈りの続きなのです。また,夜の祈りは翌朝の意義深い祈りへの備えでもあります。

朝の祈りと夜の祈り,そしてその間の祈りは,それぞれ関係がないのではありません。むしろ,一日,数日,数週間,数か月,数年にわたってつながっているのです。これはある意味で「常に祈りなさい」という聖文の勧告にこたえる方法なのです(ルカ21:36;3ニーファイ18:15,18教義と聖約31:12)。そのような意義深い祈りは,神が忠実な子供のために取っておられる最も崇高な祝福を獲得する手段なのです。

わたしたちが神との関係を思い出して次の勧告に従うとき,祈りは意義深いものとなります。

「あなたの必要とするあらゆる助けを神に叫び求めなさい。まことに,あなたの行うことはすべて,主のために行うようにしなさい。どこへ行くにも主にあって行くようにしなさい。まことに,あなたの〔あらゆる〕思いを常に主に向けるようにしなさい。まことに,あなたの心の愛情をとこしえに主に向けるようにしなさい。

あなたのすべての行いについて主と相談しなさい。そうすれば,主はあなたのためになる指示を与えてくださる。まことに,夜寝るときは,眠っている間も主が見守ってくださるように,主に身を託して寝なさい。そして,朝起きるときに,神への感謝で心を満たしなさい。これらのことを行うならば,終わりの日に高く上げられるであろう。」(アルマ37:36-37。強調付加)

原則2:祈りをさらに意義深いものとするために,心からの感謝を述べる。

ブリガム・ヤング大学アイダホ校に勤めていたころ,ベドナー姉妹とわたしはよく自宅で中央幹部をもてなしました。ある夜,十二使徒定員会の一員と一緒にひざまずいて祈ったとき,わたしたち家族は意義深い祈りについて重要な教訓を得ました。

その日,ベドナー姉妹とわたしは親友の予期せぬ訃報ふほうを受けていました。わたしたちはすぐに,残された伴侶と子供たちのために祈りたいと思いました。わたしが妻に祈るよう頼んだとき,その日に起こった悲しい出来事について知らなかったその十二使徒は「祝福に対する感謝だけ述べて,何も求めないように」と優しく勧告しました。その勧告は,いにしえの教会にアルマが与えた「絶えず祈るように,またすべてのことに感謝をささげるように」という教えに似ていました(モーサヤ26:39)。しかし,そのような悲劇の中にあるときは,友人の家族への祝福を求めるのが先で,感謝を述べるのはその後ではないかと感じました。

ベドナー姉妹は十二使徒の指示に信仰をもってこたえました。彼女はその愛する友人とともにたくさんの意義深く心に残る経験ができたことを天の御父に感謝しました。聖霊が慰め主として与えられていること,逆境に立ち向かうときや人に奉仕するときに助けてくれる御霊の賜物が与えられていることに,心から感謝を述べました。何より重要なことに,妻はイエス・キリストの贖いの犠牲や主の復活,そして家族が永遠にともに住めるようにしてくれる,回復された福音の儀式と聖約への感謝を述べたのです。

わたしたち家族はその経験を通して,意義深い祈りにおいて感謝がどれほど大きな力を持っているかについて貴重な教訓を得ました。あの祈りのおかげで,わたしたちは霊感を受け,それまで頭や心を占めていた数々の不安を鎮めることができたのです。幸福の計画への感謝,人を救う救い主の使命への感謝が,そのとき必要だった安心感をくれ,愛する友人の家族は大丈夫だという気持ちになりました。この経験から,何について信仰をもって祈り,適切に願うべきか,理解が開けました。

わたしがこれまでに経験した最も意義深く霊的な祈りには,感謝の言葉が大半を占めていて,願いの言葉はほとんどあるいはまったくありませんでした。わたしは今,使徒や預言者と祈る機会に恵まれています。そこで気づいたのは,救い主の教会の現代の指導者は,モルモン書に記された司令官モロナイと同じ特質を持っているということです。なぜなら彼らもまた,神が民に授けてくださった多くの特権と祝福について,神への感謝で胸をいっぱいにしているからです(アルマ48:12参照)。言葉数は多くありません。祈るべき事柄が示され,願い事が多くあるからです(3ニーファイ19:24参照)。預言者たちの祈りが力強いのは,子供のように簡潔で,心から述べられているからです。

祈りを意義深いものにしようと努力するときに次のことを覚えておきましょう。「すべてのことの中に神の手を認めない者と,神の戒めに従わない者のほかに,人はどのようなことについても神を怒らせることはない,すなわち,ほかのどのような人に向かっても神の激しい怒りは燃えない。」(教義と聖約59:21)皆さんもわたしも,時々は感謝するだけの祈りをささげるようにしましょう。何も求めず,ただ心を喜ばせ,心を尽くして感謝を伝えましょう。

原則3:祈りをさらに意義深いものとするために,真心から誠実に人のために祈る。

自分の人生に祝福を求めて天の御父に懇願するのは良いことであり,ふさわしいことでもあります。しかし,愛する人のためにも,悪意をもって自分を利用しようとする人のためにも熱心に祈ることは,意義深い祈りにとって大切な要素です。祈りの中でより多くの感謝を述べると啓示を受けやすくなるように,全身全霊で人のために祈ると,主の御声がもっとよく聞こえるようになります。

モルモン書のリーハイの模範から大切な教訓が学べます。リーハイはエルサレムの滅亡に関する預言者の教えや警告に信仰をもってこたえました。彼はそれから「民のためにまことに一心に主に祈〔り〕」ました(1ニーファイ1: 5。強調付加)。この熱烈な祈りの答えとして,リーハイは栄光あふれる示現を受け,その中で神と御子,そして差し迫っているエルサレムの滅亡を見ました(1ニーファイ1:6-9,13,18参照)。主が見せてくださった事柄のためにリーハイは喜び,胸がいっぱいになりました(1ニーファイ1:15参照)この示現は,個人的な教化や導きを求めた結果ではなく,人のためにささげた祈りの答えとして得られたことに注意してください。

救い主は人のために一心に祈ることについて完全な模範を示されました。十字架にかかる前夜にささげた執り成しの祈りの中で,イエスは使徒やすべての聖徒たちのために祈られました。

「わたしは彼らのためにお願いします。わたしがお願いするのは,この世のためにではなく,あなたがわたしに賜わった者たちのためです。彼らはあなたのものなのです。……

わたしは彼らのためばかりではなく,彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも,お願いいたします。……

……あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり,またわたしも彼らのうちにおるためであります。」ヨハネ17:9,20,26

アメリカ大陸で教え導かれたとき,救い主は民に,御自身の教えについて深く考え,理解を求めて祈るよう指示されました。主は病気の者を癒いやされました。そして,書き記すことのできない言葉で民のために祈られました(3ニーファイ17:1-16参照)。主の祈りの影響力は計り知れないものでした。「わたしたちは,イエスがわたしたちのために御父に祈ってくださるのを聞いたが,そのときにわたしたちの心に満ちた喜びは,だれも想像することができない。」(3ニーファイ17:17)世の救い主が自分たちのために祈ってくださるのを聞いたとしたらどのように感じるか想像してみてください。

わたしたちが伴侶や子供など,家族の具体的な必要や望みについて御父に祈るとき,彼らはわたしたちの祈りの力を感じているでしょうか。わたしたちが仕える人々は,彼らのために信仰をもって誠実に祈るわたしたちの祈りを聞いているでしょうか。愛し仕える人々がわたしたちの祈りを聞くことも,祈りの影響を感じることもないとすれば,悔い改めるべき時は今です。救い主の模範に倣うなら,祈りは真に意義深いものとなります。

わたしたちは「常に祈〔る〕」ように命じられています(2ニーファイ32:9教義と聖約10:590:24)。「心の中……だけでなく,声に出しても祈り……隠れて祈るだけでなく,世の人々の前でも祈り,ひそかに祈るだけでなく,公にも」祈るよう命じられています(教義と聖約19:28)。すべてのことについて主と相談し,心から感謝を述べ,誠心誠意人のために祈るなら,祈りがさらに意義深いものになることを証します。

天の御父が生きておられ,すべての心からの祈りを聞いてこたえてくださることを証します。イエスはキリストであり,わたしたちの救い主,仲保者であられます。啓示は実在します。この神権時代に完全な福音が地上に回復されました。主イエス・キリストの聖なる御名により証します,アーメン。