2010–2019
選択の自由――命の計画になくてはならないもの
2010年10月


16:22

選択の自由――

命の計画になくてはならないもの

わたしたちはキリストのみもとに来て,キリストの御名を受け,キリストの僕に従うことを選ぶかぎり,永遠の命への道を歩むのです。

最近,50年来の友人から1通の手紙を受け取りました。彼は教会員ではなく,以前に送った,福音に関する資料について感想を書いてきました。「最初は,『選択の自由』など,モルモン特有の専門用語が理解し難かったです。簡単な専門用語のページがあると助かるでしょう。」

「選択の自由」を意味する“agency”という単語が理解できないことに驚きました。インターネット上の辞書で調べてみると,10に上る定義と用法がありましたが,「選択する」という意味はありませんでした。教会では,選択の自由は,神から授けられた,選ぶ能力と特権であり,人は「思いのままに行動することができ,強いられることはない」1と教えています。選択の自由とは,自分の行動に責任をもって物事を行うことで,救いの計画に不可欠です。選択の自由のおかげで,人は「すべての人の偉大な仲保者を通じて自由と永遠の命を選ぶことも,あるいは悪魔の束縛と力に応じて束縛と死を選ぶことも自由」2なのです。

よく知られている賛美歌の歌詞が,この原則をはっきりと教えています。

人は皆,自由であり

己の生活と行く末を選び取る

このの真理があるゆえに

神はいかなる人にも救いを強いられない3

友人の質問とすべての善良な男女の疑問に答えるために,「選択の自由」の意味についてわたしたちが知っていることをもっと詳しく紹介しましょう。

わたしたちがこの地上に来る前,天の御父は御自身の救いの計画を示されました。すなわち,地上に来て肉体を受け,善と悪を選んで行い,御父のようになって,御父とともに永遠に住むという計画です。

選択の自由,つまり自分で選び行動する能力は,この計画になくてはならない要素でした。選択の自由がなければ正しい選択をして進歩することはできません。しかし,選択の自由を使って選択を誤り,罪を犯して,天の御父のみもとへ戻る機会を失ってしまうこともあり得ます。このため,悔い改める人の罪を負い,贖ってくださる救い主が備えられることになりました。救い主は無限のによって「憐れみの計画を成し遂げ……正義の要求を満た」4されるのです。

天の御父が計画を示されると,ルシフェルは進み出て言いました。「わたしをお遣わしください。……わたしは全人類を贖って,一人も失われないようにしましょう。……ですから,わたしにあなたの誉れを与えてください。」5御父はその計画を退けられました。選択の自由を否定するものだったからです。確かに,それは反抗の計画だったのです。

次に,天の御父が「初めから……愛し選んだ〔息子〕」であるイエス・キリストは,御自分の選択の自由を使って言われました。「父よ,あなたのが行われ,栄光はとこしえにあなたのものでありますように。」6こうしてイエスはわたしたちの救い主,世の救い主となられたのです。

ルシフェルが反抗したため,天で大きな争いが起こりました。天の御父の子供たちはそれぞれ,天の御父から授かった選択の自由を行使する機会を得ました。わたしたちは救い主イエス・キリストを信じる道を選びました。主のみもとに来て,主に従い,天の御父がわたしたちのために示された計画を受け入れることにしたのです。しかし天の御父の子供の3分の1は救い主に従う信仰がなく,ルシフェル,すなわちサタンに従うことを選びました。7

神はこう言われました。「あのサタンはわたしに背いて,主なる神であるわたしが与えた,人の選択の自由を損なおうとしたので,……わたしは……彼を投げ落とさせた」8と言われました。サタンに従った者たちは,死すべき肉体を得ることや,地上での生活,そして進歩する機会を失いました。選択の自由を行使した結果として,選択の自由を失ったのです。

現在,サタンとサタンに従う者たちが持っている力は,人を誘惑し,試す力だけです。彼らの唯一の喜びは,わたしたちを「〔彼ら〕のように惨めに」9することであり,唯一の楽しみは,わたしたちを主の戒めに不従順にすることです。

しかし,よく考えてください。わたしたちは前世で救い主イエス・キリストに従うことを選びました。そのため,地上に来ることを許されました。この地上にいる今も同じように救い主に従うことを選ぶなら,さらに大いなる祝福を永遠に受けることをわたしはします。しかし忘れないでください。救い主に従うことを引き続き選ばなければならないのです。これは永遠にかかわる問題であり,選択の自由を賢明に使うことは永遠の命を得るために不可欠なのです。

救い主は生涯を通じて,選択の自由をどのように使うべきかを示されました。エルサレムでの少年時代に, イエスは自ら選択して御父の業に携わられました。10人々を教え導くとき,従順に「父の御心を行う」11ことを選び,ゲツセマネではあらゆる苦しみを受けることを選んで,言われました。「『わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください。』そのとき,が天からあらわれてイエスを力づけ」12ました。十字架上で主は敵を愛することを選んで祈られました。「父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。」13そしてついに,御自身の選びであることを証明するために,主は孤立無援の状態になって,「〔父よ〕どうしてわたしをお見捨てになったのですか」14とお尋ねになりました。主は最後まで選択の自由を行使し,そして言われました。「すべてがった。」15

主は「すべてのことについて,わたしたちと同じように試練に会われ」16すべての選びと行いにおいて選択の自由を行使して救い主となり,人のために罪と死の鎖を断ち切ってくださいました。また完全な生活を送ることによって,天の御父の御心を行うならば選択の自由が守られ,機会が広がり,成長できることを教えてくださいました。

この真理は聖文の至る所で見られます。ヨブは持てるものをすべて失いながらも忠実であることを選んだので,神の永遠の祝福を得ました。マリヤとヨセフが天使の警告に従ってエジプトに逃れる選択をしたので,救い主の命が守られました。ジョセフ・スミスがモロナイの指示に従うことを選んだので,預言された回復の業が始まりました。わたしたちはキリストのみもとに来て,キリストの御名を受け,キリストの僕に従うことを選ぶかぎり,永遠の命への道を歩むのです。

この世の旅路では,この逆もまた真理であることを知っておくとよいでしょう。つまり,戒めを守らず,聖霊のささやきに従わないでいると,機会は狭められ,活動して成長する力がそがれるのです。カインは神よりもサタンを愛したので弟の命を奪いましたが,その時点でカインの霊的な成長は止まってしまいました。

わたしは少年時代に,自分の選択の結果,自分の自由が奪われるという大切な教訓を得ました。ある日,板張りの床にニスを塗るよう父から言いつけられました。わたしはドアの所から始めて,室内に向かってニスを塗ることにしました。間もなく仕事が終わろうというとき,部屋から出られなくなっていることに気づきました。奥には窓もドアもありませんでした。部屋の隅に追い込まれ,行き場がありません。身動きが取れなくなったのです。

不従順になると,必ず霊的に片隅に追い込まれ,自分の選択に縛られます。霊的に行き詰まっても,戻る方法は常にあります。悔い改めと同じで,方向転換して塗ったばかりの床の上を元の方へ戻るのは努力を要します。二スを塗り直すのは大仕事だからです。主のみもとへ戻るのは簡単ではありませんが,努力する価値があります。

悔い改めが容易でないことが分かると,正しい選択へと導いてくださる聖霊の祝福に感謝し,戒めを与えてそれを守れるよう力づけ,支えてくださる天の御父に感謝する気持ちがわいてきます。また,戒めに従うことによって,結局は選択の自由が守られることが理解できるようになります。

例えば,知恵の言葉に聞き従うならば,思いどおりに行動する能力を文字どおり奪ってしまう病気や薬物依存に陥ることはありません。

負債を避け,今すぐ負債から抜け出しなさいという勧告に従うならば,選択の自由を行使し,自分の収入を使って人を助け,祝福する自由が手に入ります。

預言者の勧告に従って家庭の夕べを開き,家族の祈りをささげ,家族の聖文研究を行うならば,わたしたちの家庭は子供が霊的に成長する場所になります。そこは子供に福音を教え,証を述べ,愛を表す場所となり,子供の気持ちや経験に耳を傾ける場所になります。わたしたちの義にかなった選択と行動により,子供は光の中を歩む力を増し加えて,から解放されるのです。

世の中には選択の自由について偽りの教えがたくさんあります。多くの人はこう考えます。「飲み食いし,楽しみなさい。……たとえわたしたちに罪があるとしても,神はわたしたちをほんの少したれるだけで,結局わたしたちは神の王国に救われる。」17世俗主義を信奉し,神を否定する人もいて,「すべての事物には反対のものが」18あると考えず,「人がすることはどんなことも決して罪にならない」19と信じています。これは,「神の知恵とその永遠の目的……を滅ぼ〔す〕」20ものです。

世の中の教えとは逆に,聖文の教えによれば,人には選択の自由が与えられていて,それを義にかなって行使すれば,様々な機会が広がり,選択の自由に基づいて行動し,永遠に進歩する能力が増し加えられるのです。

例えば,主は預言者サムエルを通して,サウル王に明確な命令をお与えになりました。

「主は,わたしをつかわし,あなたに油をそそいで,その民イスラエルの王とされました。それゆえ,今,主の言葉を聞きなさい。… …

『今,行ってアマレクを撃ち,そのすべての持ち物を滅ぼしつくせ。』」21

しかし,サウルは主の命令に従いませんでした。彼の行為は「選り好みの従順」と言えます。サウルは自分の知恵に頼って,アガグ王の命を許し,羊と牛とその他の動物の最も良いものを持ち帰りました。

主はこのことを預言者サムエルに告げて,サウルを王座から降ろすために再びサムエルを遣わされました。預言者が到着すると,サウルは「わたしは主の言葉を実行しました」22と言いました。しかし,そうではないことを知っていた預言者は言いました。「それならば,わたしの耳にはいる,この羊の声と,わたしの聞く牛の声は,いったい,なんですか。」23

サウルは他人のせいにして言い逃れるために,主に犠牲としてささげるために民が動物を残したと言いました。預言者は明確にこう答えました。「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように,や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ,従うことは犠牲にまさり,〔主の戒めを〕聞くことは雄羊の脂肪にまさる。」24

ついにサウルは告白して言いました。「わたしは主の命令とあなたの言葉にそむいて罪を犯しました。民を恐れて,その声に聞き従ったからです。」25サウルは厳密に従うのでなく,「選り好みの従順」を選んだため,王座を保つ機会,王でいることを選択する自由を失ったのです。

兄弟姉妹,わたしたちは主と主の預言者の声に厳密に聞き従っているでしょうか。それとも,サウルのように,人の声を恐れて,「選り好みの従順」を実行しているでしょうか。

確かに,だれでも過ちを犯します。聖文にあるように「すべての人は罪を犯したため,神の栄光を受けられなくなって」26います。過去の間違った選択に縛られて暗い片隅で動けなくなり,選択の自由を正しく使っていれば得られたはずの祝福をすべて失っている人に申します。皆さんを愛しています。戻って来てください。隅の闇から光の中へ出て来てください。ニスを塗ったばかりの床を歩かなければならないとしても,それだけの価値があります。「キリストの贖罪により,〔あなたとわたしを含む〕全人類は福音の律法と儀式に従うことによって救われ得る」ことを信じてください。27

贖罪を成し遂げる時が訪れたとき,救い主は偉大な執り成しの祈りをささげて,わたしたち一人一人について,こう言われました。「父よ,あなたがわたしに賜わった人々が,わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。……わたしに賜わった栄光を,彼らに見させて下さい。」28「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」29

御二方が生きておられることを特別に証します。選択の自由を正しく行使するならば,わたしたちは御二方を知り,御二方のようになり,「すべてのひざがかがみ,すべての舌が〔イエスが救い主であられることを〕告白」 する日に備えることができるでしょう。30初めに御子と永遠の御父に従ったように,引き続きこの御二方に従えるよう,イエス・キリストの御名により祈ります,アーメン。

  1. 2ニーファイ2:26

  2. 2ニーファイ2:27

  3. “Know This, That Every Soul Is Free”『賛美歌』(英文)240番

  4. アルマ42:15

  5. モーセ4:1

  6. モーセ4:2

  7. 教義と聖約29:36参照

  8. モーセ4:3

  9. 2ニーファイ2:27。2ニーファイ9:9も参照

  10. ルカ2:49

  11. 3ニーファイ27:13

  12. ルカ22:42-43

  13. ルカ23:34

  14. マタイ27:46;マルコ15:34

  15. ヨハネ19:30

  16. ヘブル4:15

  17. 2ニーファイ28:8

  18. 2ニーファイ2:11

  19. アルマ30:17

  20. 2ニーファイ2:12

  21. サムエル上15:1,3

  22. サムエル上15:13

  23. サムエル上15:14

  24. サムエル上15:22

  25. サムエル上15:24

  26. ローマ 3:23

  27. 信仰箇条1:3

  28. ヨハネ 17:24

  29. ヨハネ 17:3

  30. モーサヤ27:31