2010–2019
光あれ
2010年10月


14:34

光あれ

不義が増す世の中にあって,宗教上の信念に基づく価値観について公に話すことは非常に重要です。

わたしは先月誕生日を祝い,プレゼントとして,妻のメアリーからCDをもらいました。ベラ・リンという有名なイギリスの歌手の希望と信仰に満ちた歌が収録されたものです。ベラは第二次世界大戦の暗い日々にあって聴く人を元気づけました。

妻がこの贈り物をしたかった理由があります。1940年9月のロンドン空襲はわたしが生まれる前日に始まりました。1母は病室のラジオでロンドン大空襲のニュースを聞き,そのラジオのアナウンサーの名前にちなんでわたしをクエンティンと名付けることにしたのです。

歌手のベラ・リンは現在93歳です。昨年,戦時中の彼女の歌が数曲,再び売り出され,瞬く間にイギリスの音楽チャートで1位になりました。少し年配の皆さんは「ドーバーの白い崖がけ」(“The White Cliffs of Dover”)などの歌を覚えているでしょう。

わたしは「世界中に再び明かりがともるとき」(“When the Lights Go on Again All over the World”)という歌に深く感動しました。その歌を聴いて二つのことが心に浮かびました。一つは,イギリスの政治家の次のような預言的な言葉です。「ヨーロッパ中の明かりが消える。我々の時代に二度と再び明かりがともることはない。」2もう一つは,ロンドンのようなイギリスの都市を襲った空襲です。爆弾を落とす飛行機が目標を見つけにくくするために灯火管制が敷かれました。人々は明かりを消し,窓のカーテンを引きました。

その歌は自由と光が戻るという明るい希望の歌です。今なお続く善と悪の戦いにおける救い主の役割と「キリストの光」3について理解しているわたしたちにとって,世界大戦と現代の道徳的戦いの類似は明らかです。すべての人類が「善悪をわきまえることができる」4のはキリストの光によるのです。

自由と光は得るのも維持するのも決して容易ではありません。天上の戦い以来,悪の軍勢はあらゆる手段を講じて選択の自由を損ない,光を消そうとしてきました。道徳の原則と信教の自由に対する攻撃はとりわけ激しくなっています。

末日聖徒としてわたしたちは,光を保ち,道徳と信教の自由に対するこの攻撃から家族と社会を守るために最善を尽くす必要があります。

家族を守る

あらゆる方向から来るように思われる悪の軍勢の猛攻撃に家族は常にさらされています。わたしたちは何よりも光と真理を求めることに努めなければなりませんが,霊的な成長を損なう悪の攻撃から家庭を守るために知恵を働かせる必要もあります。特に,ポルノグラフィーは道徳の大量破壊兵器です。その影響力は最前線に立って道徳的な価値観をむしばんでいます。テレビ番組やインターネットサイトにも同様に破壊的なものがあります。こうした悪の力は世界から光と希望を取り去ってしまいます。堕落に拍車をかけています。5もしわたしたちが家庭や生活から悪を閉め出さなければ,当然,激しい道徳の退廃により,義にかなった生活の報いである平安は打ち砕かれることでしょう。わたしたちの責任は,世にあって世のものとならないことです。

さらにわたしたちは,家庭において,教会の教えに一段と忠実になる必要があります。家族で行う毎週の家庭の夕べ,毎日の祈りと聖文の研究は悪と戦うために不可欠な要素です。また,徳高い,好ましい,あるいは誉れあり称賛に値するような内容のメディアを家庭に取り入れるように絶えず努力する必要があります。6もしわたしたちが家庭を,悪を避ける聖なる場所にするならば,聖文が預言してきた厳しい結果から守られるでしょう。

社会を守る

家族を守るだけでなく,社会を守るためにも,わたしたちは光の源になるべきです。救い主はこう言われました。「あなたがたの光を人々の前に輝かし,そして,人々があなたがたのよいおこないを見て,天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」7

現代は「物が豊富な時代であるとともに疑いの時代でもある」8と言われています。神の力と権能を信じる基本的な信仰は,単に疑問視されているだけでなく中傷されてさえいます。こうした状況のもとで,信仰を持たない人や無関心な人の共感を得,暴力と悪への坂道を転げ落ちるのを食い止めながら,価値観を向上させるにはどうしたらよいでしょうか。

これはとてつもなく重要な問題です。預言者モルモンが次のように叫んだときの苦悶くもんについて考えてください。「あなたがたは両腕を広げて立ってあなたがたを受け入れようとしておられた,あのイエスをどうして拒んだのか。」9モルモンの苦悶はもっともなことです。息子のモロナイは一人残って「〔彼〕の民の滅亡の悲話」10を書き記すことになりました。

わたしは世界各地に住み,多くの人と触れ合った経験から,楽観的になりました。光と真理は現代においても保たれると信じています。神を礼拝し,自分の行いについて神に責任を負うと考えている人がどの国にもたくさんいます。世界中で実際に宗教心が復興しているという見解を述べる人々もいます。11教会の指導者としてわたしたちは,ほかの宗教の指導者とお会いするうちに,神学上の相違を超え,より良い社会を求めて一致しようという共通の道徳的基盤があることに気づきました。

また,大多数の人はまだ基本的な道徳観を大切にしています。しかし,誤解してはいけません。断固として信仰を打ち砕き,社会におけるいかなる宗教的な影響も拒もうとしている人々もいます。そのほかにも,麻薬やポルノグラフィー,性的搾取,人身売買,窃盗,不正直な商売などにより,社会を食い物にし,不正に操作し,引き裂こうとする邪悪な人々がいます。こうした人々は比較的少数とはいえ,その力と影響は非常に大きいのです。

信仰を持つ人々と,宗教や神を市民生活から追い出そうとする人々の間には,常に戦いがありました。12今日も世論の担い手の多くは,ユダヤ教やキリスト教の価値観に基づいた道徳上の見解を拒否しています。客観的な道徳上の秩序などないという見解に立ち13,道徳的な目標にはいずれにも優先権を与えるべきではないと信じています。14

しかしながら,大多数の人々は善と高潔さを求めています。聖霊とは異なる「キリストの光」が人々の良心に語りかけます。聖文から「キリストの光」は,「世に来るすべての人に光を与え〔る御霊〕」15であることが分かります。この光は「全世界のために」16与えられます。ボイド・K・パッカー会長は,これは「霊感をもたらす……源であり,全人類が一人一人持っているものです」17と教えています。このようなわけで,自らは支持していない宗教的信念に基づくものであったとしても,多くの人が道徳に基づく価値観を受け入れるのです。モルモン書のモーサヤ書にはこう記されています。「民の声が正しいことに反する事柄を望むのはまれであるが,民の少数が正しくないことを求めるのは度々あることである。」そしてモーサヤはこう警告しています。「もしも民の声が罪悪を選ぶ時が来れば,それは神の裁きがあなたがたに下る時であ〔る〕。」18

不義が増す世の中にあって,宗教上の信念に基づく価値観について公に話すことは非常に重要です。宗教上の道義心に基づく道徳的見解は,ほかの見解と同様,公の場で論議されなくてはなりません。大抵の国の憲法のもとでは,宗教上の道義心は優先権を与えられるものではありませんが,無視されるべきものでもありません。19

宗教を信じる信仰は,光と知識と知恵の源です。そして信仰を持つ人々が神に責任を負うと感じるゆえに道徳的な行いをするとき,非常にすばらしい方法で社会に利益をもたらします。20

この点を説明する二つの宗教上の原則について述べましょう。

神に責任を負うことによって動機づけられる正直な行動

信仰箇条第13条はこう始まっています。「わたしたちは,正直……であるべきことを信じる。」正直は宗教上の信念に基づく原則であり,神の基本的な律法の一つです。

何年も前,カリフォルニアで法律事務所を開業していたとき,教会員ではない依頼人の友人がやって来ました。そして,近所のワードのビショップから受け取った手紙を熱意を込めて見せてくれました。ビショップは自分のワードのある教会員について書いていました。わたしの依頼人が以前雇っていた人で,仕事場から資材を持ち去り,余り物だと正当化していたそうです。しかし,献身的な末日聖徒になり,イエス・キリストに従う努力をした後,自分のしたことが不正直であったことを認めました。手紙には持ち去ったものの代金だけでなく,利子も含めた金額が同封されていました。わたしの依頼人は,一般の信者が指導者を務める教会が,神と和解しようと努力しているこの男性を助けようとしていることに感銘を受けました。

ユダヤ教とキリスト教の世界で,正直という共通の価値観が持つ光と真理について考えてください。もし青少年が学校でカンニングをせず,大人が仕事場で正直に働き,結婚の誓いに忠実であるなら,社会にどのような影響を及ぼすか考えてください。わたしたちにとって, 正直の基本的概念は,救い主の生涯と教えに基づいています。また,ほかの多くの宗教でも歴史に残る文学でも,正直は価値ある特質です。詩人のロバート・バーンズは「正直な人は神の最も崇高な被造物である」21と述べています。ほとんど例外なく,信仰を持つ人は,正直であったかどうかについて神に責任を負うと感じています。このような理由からカリフォルニアの男性は以前に行った不正直な行為を悔い改めたのです。

ハーバード大学教授であり教会の指導者であるクレートン・クリステンセンは,昨年行われた学位授与式の演説で,大学の同僚について実際にあった話をしました。友人は外国から来て民主主義を研究していました。民主主義にとって宗教がいかに重要なものかを知って驚き,次のように指摘しました。正直で誠実であることについて神に責任を負っていると意識するように市民が若いころから教えられている社会では,たとえ強制されなくても民主主義の理想の実現を促進する規則や慣習に従うのです。そうではない社会では,正直な行動を強制するために,幾ら警官がいても足りません。22

明らかに,正直に関する道徳的な価値観は,光と真理を行きわたらせ社会を向上させるうえで重要な役割を果たすことができ,信仰を持っていない人々もそうした価値観を大切にすることが望ましいのです。

神のすべての子供たちを兄弟姉妹として扱う

宗教を信じる信仰がいかに社会に利益を与え,世界に明かりをともすかを示す第2の例は,神のすべての子供たちを兄弟姉妹として扱う宗教の役割です。

過去2世紀の間,多くの宗教団体は悲惨な状況にある人々の救援に先頭に立って尽くしてきました。すべての人は神にとって等しい存在であるとそれぞれの信者が信じているからです。23そうしたすばらしい模範例が,大英帝国で奴隷売買の廃止に尽力したイギリスの偉大な政治家ウィリアム・ウィルバーフォースです。24彼の高潔な活動の話は,心を打つ賛美歌「アメイジング・グレイス」,そして精神を高揚させる,1800年代初期の雰囲気をとらえた同じタイトルの映画に描かれています。ウィルバーフォースの不屈の努力は,この悲惨で堪え難く,残酷で腐敗した慣習を撤廃する第一歩となりました。そうした努力の一環として,彼はほかの指導者と協力して一般市民の道徳観の向上に取りかかりました。教育と政府は道徳を基としなければならないと信じていたのです。25「彼は結婚制度を擁護し,奴隷売買の慣行を攻撃し,安息日を守ることを強調するなど,道徳的,精神的な豊かさという理想のために人生をささげました。」26精力を尽くし,国中の悪との戦いに国家の道徳的,社会的指導者を動員したのです。27

わたしたちの教会の初期に,会員の大多数は奴隷制に反対でした。28これは宗教上の信念とともに,敵意と集団暴力を招いた大きな要因であり,ミズーリ州のボッグス知事が撲滅令を発布する事態にまでなりました。29 1833年,ジョセフ・スミスは次のような啓示を受けました。「どんな人であっても,一人の人がほかの人に束縛されるということは正しくない。」30信教の自由を擁護し,すべての人を神の息子娘として扱うことは,わたしたちの教義の中心です。

以上は,信仰に基づく価値観が,社会にとって大きな祝福となる原則をどのように支えるかを示す二つの例にすぎません。もっとたくさんの例があります。わたしたちは,社会全体に祝福をもたらす道徳的価値観を再び確立するために,自ら取り組むとともに,高潔な人々がそうするのを助けなければなりません。

はっきり言いますが,公の場ではあらゆる声に耳を傾ける必要があります。宗教を持つ人もそうでない人も差別してはなりません。さらに,わたしたちの見解が宗教上の原則から生じたものだからといって,自動的に受け入れられたり優遇されたりすると期待してはなりません。しかし,そのような見解や価値観には,真価を見極められる資格があることも明白です。

わたしたちの教義の道徳的基盤は,世の人々にとって良い模範となり得るものです。また,道徳観とイエス・キリストを信じる信仰を結びつける力ともなります。わたしたちは家族を守るとともに,すべての善意ある人々と協力し,社会における光と希望,道徳を守るために,世界中で先頭に立って最善を尽くす必要があります。

もしわたしたちがこれらの原則を宣言するとともに実践するなら,世の真の光であるイエス・キリストに従っていることになります。そして,わたしたちの主,救い主イエス・キリストの再臨に備えるに当たって義の軍勢となることができます。「世界中に再び明かりがともるとき,自由な心が歌う」31という麗しい日を楽しみにしています。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。

  1. リチャード・ハフ,デニス・リチャーズ共著, The Battle of Britain: The Greatest Air Battle of World War II (1989年), 264

  2. エドワード・グレー卿の言葉とされている, ウィキペディア, “When the Lights Go On Again (All over the World),”の項参照

  3. 教義と聖約88:11-13参照。キリストの光とは「万物の中にあり,万物に命を与える光であり,万物が治められる律法」である(13節)。キリストの光についての総合的な理解,およびキリストの光と聖霊の違いについては,ボイド・K・パッカー「キリストの光」『リアホナ』2005年4月号,8-14を参照

  4. モロナイ7:19

  5. ジェークス・バルザン, From Dawn to Decadence: 500 Years of Western Cultural Life (2000), 798

  6. 信仰箇条1:13参照

  7. マタイ5:16

  8. ロジャー・B・ポーター,“Seek Ye First the Kingdom of God,”(マサチューセッツ州ケンブリッジステーク,ケンブリッジ大学ワードでの講話,2009年9月13日

  9. モルモン6:17

  10. モルモン8:3

  11. ジョン・ミクルスウェイト,エイドリアン・ウールドリッジ共著, God is Back: How the Global Revival of Faith is Changing the World,(2009年)

  12. ダイアナ・バトラー・バス,“Peace, Love and Understanding,(ジョン・ミクルスウェイト,エイドリアン・ウールドリッジ共著,God Is Backの書評)Washington Post National Weekly Edition,2009年7月27日-8月2日付,39

  13. デビッド・D・カークパトリック, “The Right Hand of the Fathers,” The New York Times Magazine,2009年12月20日付,27

  14. カークパトリック, “The Right Hand of the Fathers”,27。ロバート・P・ジョージは,わたしたちが得るのは道徳的な理由および自由な選択か,あるいは道徳観念の欠如と決定論のどちらかであると教えている。

  15. 教義と聖約84:46

  16. 教義と聖約84:48

  17. ボイド・K・パッカー『リアホナ』2005年4月号,8

  18. モーサヤ29:26-27

  19. マーガレット・サマビル,“Should Religion Influence Policy?”www.themarknews.com/articles/1535-should-religion-influence-polic参照

  20. シャオ,チャオ, “Market Economies With Churches and Market Economies Without Churches,”〔2002年〕www.danwei.org/business/churches_and_the_market_econom.php参照。この中国政府の経済学者は,人々がうそをつき他人を傷つけるのを防ぐために道徳の基礎が必要だと主張している。

  21. “The Cotter’s Saturday Night,” Poems by Robert Burns, (1811年), 191

  22. クレートン・M・クリステンセン,“The Importance of Asking the Right Questions,” ニューハンプシャー州マンチェスター,サザン・ニューハンプシャー大学学位授与式での講話,2009年5月16日

  23. 創世1:26参照

  24. ウィリアム・ヘーグ,William Wilberforce: The Life of the Great Anti-Slave Trade Campaigner, (2007年),352-356

  25. ヘーグ,William Wilberforce,104-105

  26. ヘーグ,William Wilberforce,513

  27. ヘーグ,William Wilberforce,107-108

  28. ジェームズ・B・アレン,グレン・M・レナード 共著, The Story of the Latter-day Saints, 第2版(1992年), 93, 120,202参照

  29. レナード・J・アリントン, デービス・ビトン共著, The Mormon Experience: A History of the Latter-day Saints, 第2版 (1992年),48-51参照。クライド・A・ミルナー他著,The Oxford History of the American West(1994年),362: “Proslavery settlers and politicians persecuted them mercilessly.”も参照

  30. 教義と聖約101:79

  31. “When the Lights Go On Again (All Over the World)”の歌詞の最後の行