2010–2019
聖餐―霊の更新のとき
2014年10月


10:39

聖餐―霊の更新のとき

御霊によりわたしたちは癒やされ,霊が更新されます。聖餐に伴う約束とは,「いつも御子の御霊を受けられる」ことなのです。

ある若い女性たちにこう聞かれたことがあります。「わたしたちの年齢のときに知っていたらよかったと思うことは何ですか。」今その質問に答えるとすれば,こう言うでしょう。「皆さんくらいの年の頃,もっと聖餐の大切さを理解していればよかったと思います。ジェフリー・R・ホランド長老の次の言葉のように聖餐について理解していたらどんなによかったでしょう。『聖餐の儀式に含まれる招きの一つは,聖餐を通して,真に霊的な経験をして,神聖な交わりを持ち,霊を更新することです。』1

毎週,聖餐を通して「真に霊的な経験をして,神聖な交わりを持ち,霊を更新する」にはどうすればよいのでしょうか。

聖餐の祈りに耳を傾け,聖約を新たに交わすときに,聖餐は霊的に強められる時間となります。そのために,わたしたちは進んでイエス・キリストの御名を受けなければなりません。2この約束について,ヘンリー・B・アイリング管長はこのように教えています。「すなわち,自分を主のものと見なすのです。生活の中で主を最優先します。自分の望みや,世の中がわたしたちに望むように教えていることではなく,主が望まれることを求めるのです。」3

わたしたちは聖餐を受けるとき,イエス・キリストを「いつも…覚え」4るという聖約も交わします。キリストは十字架に架けられる前夜,使徒たちを集めて聖餐を定められました。パンを割き,祝福し,こう言われました。「取って食べなさい。これはあなたがたのために贖いとして与えるわたしの体を記念するものである。」5次に主はぶどう酒の入った杯を手に取り,感謝した後,使徒たちに渡して飲むように言われました。「これは,……わたしの名を信じるすべての人のために流すわたしの……血を記念するものである。」6

ニーファイの民の中で,また末日に主の教会が回復されたときにも,主は,御自身を記念するために聖餐を取るべきであると繰り返し言われました。7

聖餐を取るとき,わたしたちは聖餐の儀式の短い間だけでなく,いつも御子を覚えていることを神に証明します。つまり,常に救い主の模範と教えに従って考え,選択し,行動するということです。8

聖餐の祈りはまた,「御子が与えてくださった戒めを守」9らなければならないことを思い起こさせてくれます。

イエスは,「もしあなたがたがわたしを愛するならば,わたしのいましめを守るべきである」10と言われました。聖餐は,内省し,心と意志を神に向け直す機会となります。戒めに従うことにより,福音の力が生活にもたらされ,一層大きな平安と霊性を得ます。

救い主の贖罪を通してもたらされた,人を贖う力と,人に能力を授ける力について深く考えるときに,聖餐は真に霊的な経験をする時間となります。最近,ある若い女性の指導者は,深く考えながら聖餐を取るように努めるときに受ける力について学びました。彼女は「成長するわたし」の条件を達成するために,聖餐の賛美歌と祈りの言葉に注意を払うという目標を立てました。

彼女は,毎週聖餐会で自己評価を行いました。自分が犯した間違いを思い出し,翌週改善することを約束しました。主の御名を受け,主の戒めを守る努力を新たにすると約束したのです。彼女は,自分の道を正し,清くなれることに感謝していました。この経験を振り返って,彼女はこう言います。「わたしは,贖罪の中の,悔い改めに関わる部分を実践していました。」

ある日曜日,彼女は自己評価をした後に憂鬱で悲観的な気持ちになりました。毎週同じ過ちを何度も繰り返していることに気づいたのです。しかしその時,彼女は贖罪の重要な部分,つまり人に能力を授けるキリストの力を見過ごしているというはっきりとした印象を受けました。彼女があるべき姿になり,自分の力以上に奉仕できるよう,救い主が幾度となく助けてくださったことを忘れていたのです。

このことを念頭に,彼女はもう一度前の週について考えてみました。彼女はこのように言っています。「主がたくさんの機会と能力を授けてくださったことに気づき,憂鬱な気持ちが喜びに変わりました。分かりづらい時でも我が子の必要に気づけるようにしてくださったことを思い出し,感謝しました。また,一分の余裕もないと思っていた忙しい日に,友人に励ましの言葉をかけることができたことに気づきました。いつもなら忍耐を示せない状況で忍耐を示せたこともありました。」

彼女はこう結論づけています。「人に能力を授ける救い主の力がわたしの生活にあることを神に感謝しているうちに,その時に実践していた悔い改めの過程にもっと楽観的な気持ちで臨めるようになり,新たな希望をもって翌週に目を向けられるようになりました。」

メルビン・J・バラード長老は,聖餐は癒やしと清めをもたらすと教えています。

「安息日から次の安息日までの間に,言葉や思い,行いにより自らの霊を傷つけない人が一人でもいるでしょうか。わたしたちは,後になって悔やむようなことや,赦してほしいと望むようなことをしてしまいます。……赦しを得るには,自分の罪を悔い改め,罪を犯した相手のもとへ行って赦しを得てから,聖餐を受けるために戻ります。心から悔い改め,適切な状態に身を置くことができたなら,赦され,心に霊的な癒やしが与えられます。……

聖餐式が執行されている時に御霊がくだり,そのぬくもりが頭から足の先まで広がることを証します。霊の傷が癒やされ,重荷が軽くなるのを感じるでしょう。この霊的な食物にあずかりたいと心から望む,ふさわしい人には慰めと幸福が与えられるのです。」11

傷ついた心は癒やされ,更新されます。なぜなら,パンと水は救い主の体と血の犠牲を思い起こさせてくれるからだけでなく,これらの象徴のおかげで,主が常にわたしたちの「命のパン」12と「生ける水」13となってくださることを思い起こせるからです。

イエスはニーファイ人に聖餐を施した後にこのように言われました。

「このパンを食べる者は,自分のためにわたしの体を食べるのであり,このぶどう酒を飲む者は,自分のためにわたしの血を飲むのである。その者は決して飢えることも渇くこともなく,満たされるであろう。

さて,群衆は皆食べ終え,飲み終えると,見よ,彼らは御霊に満たされた。」14

御霊がわたしたちの霊を癒やし,更新することを,キリストはこれらの言葉でわたしたちに教えておられます。聖餐の約束された祝福とは,わたしたちが「いつも御子の御霊を受けられる」ことなのです。15

聖餐を取るとき,わたしはある絵を思い浮かべることがあります。復活された救い主が腕を広げ,わたしたちをその愛に満ちた腕で受け止めようとされているかのように描かれている絵です。わたしはこの絵が大好きです。聖餐が執行されているときにこの絵について考えると,心が高められ,救い主が次のように語る声が聞こえてきそうな気がします。「見よ,わたしの憐れみの腕はあなたがたに向けて伸べられている。わたしは来る者をだれでも受け入れよう。わたしのもとに来る者は幸いである。」16

アロン神権者は,聖餐を準備し,祝福し,配るときに,救い主の代理となります。神権者が腕を伸ばして聖なる象徴を差し出すとき,それは救い主ご自身が憐れみの腕を延べて,主の大いなる贖いの犠牲を通してもたらされた尊い愛の賜物を受け取るよう,わたしたち一人一人に招いているのと同じです。主の愛の賜物とは,悔い改め,赦し,慰め,希望の賜物です。17

聖餐の大切さについて深く考えれば考えるほど,聖餐が神聖で意義深いものとなります。ある96歳の父親は息子に次のように尋ねられました。「父さんは何のために教会に行くの。目は見えないし,耳も遠いし,歩くのも大変なのに,何のために教会に行くの?」父親はこう答えました。「聖餐があるからだよ。聖餐を取るために教会に行くんだ。」

わたしたちが準備をして聖餐会に臨み,「真に霊的な経験をして,神聖な交わり持ち,霊を更新する」ことができますように。18

わたしは天の御父と救い主が生きておられることを知っています。聖餐を通して御二方の愛を感じ,御霊を受ける機会があることに感謝しています。イエス・キリストの御名により,アーメン。

  1. ジェフリー・R・ホランド,Christ and the New Covenant: The Messianic Message of the Book of Mormon(1997年),283

  2. 教義と聖約20:77参照

  3. ヘンリー・B・アイリング「わたしたちが一つとなれるように」『リアホナ』1997年7月号,71

  4. 教義と聖約20:77,79

  5. ジョセフ・スミス訳―マタイ26:22(「聖句ガイド」より)

  6. ジョセフ・スミス訳―マタイ26:24(『聖句ガイド』より)。マタイ26:26-28,マルコ14:22-24;ルカ22:15-20も参照

  7. 3ニーファイ18:7,11教義と聖約20:75参照

  8. 「いつも救い主を覚えるという聖約を守るにはどうすればよいでしょうか」日曜学校教科課程『わたしに従ってきなさい』;lds.org/youth/learn/ss/ordinances-covenants/remember; 『真理を守る―福音の参考資料』(2004年),123-135参照

  9. 教義と聖約20:77

  10. ヨハネ14:15

  11. メルビン・J・バラード,Melvin J. Ballard: Crusader for Righteousness(1966年),132-133参照

  12. ヨハネ6:48

  13. ヨハネ4:10

  14. 3ニーファイ20:8-9

  15. 教義と聖約20:77

  16. 3ニーファイ9:14

  17. この原則に関するアン・マドセンの洞察に感謝いたします。

  18. ジェフリー・R・ホランド,Christ and the New Covenant,283