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総大会がわたしの改心に与えた影響
筆者は,アメリカ合衆国アイオワ州在住です。
総大会で分かち合われるメッセージは,わたしたちが真理に対していっそうの改心を遂げ,心に霊的な力を吹き込む助けとなってくれます。
40年前のこと,わたしはイエス・キリストに心を委ね,福音派教会に集うようになりました。すばらしい牧師がいましたし,わたしの霊的な成長を助けてくれる多くの友人もできました。長い年月足を運んでいたわたしでしたが,教会が新たに始めた慣行の幾つかに悩まされるようになりました。とどまろうと懸命にこらえていたものの,そうした変更事項に従うことはできなかったのです。
新たに通う教会を探し始めたころ,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であった兄夫婦に,自分たちの教会に来ないかと誘われました。ところが,ジョセフ・スミスが預言者であるということを心と思いで受け入れることはできませんでした。敬意を込めつつ,「ありがとう,でも大丈夫よ」と伝えました。
そうしてわたしは別の福音派教会に行き始めましたが,ここでも同じ問題が起こったのです。しばらくすると,その教会でも自分の霊的な必要が満たされていないと感じるようになりました。またしても,兄夫婦に自分たちの教会へ来るよう招かれましたが,わたしは変わらず丁重にお断りしたのでした。
ターニングポイント
どの教会も信頼に値しない,そう確信したわたしは,一人で自らの信仰を実践しようと計画を立てました。ところが教会も,またほかの人に信仰を分かち合う機会もないと,イエス・キリストに対するわたしの献身は失われていくように感じたのです。30年来信じてきた事柄に疑いを抱くようになったのです。わたしにとっては,これがターニングポイントとなりました。
唯一残っていると思われる選択肢に期待をかけたわたしはとうとう,一緒に教会に行きたいと兄夫婦に伝えたのです。
当初は懐疑的な態度を取っていたわたしですが,兄たちと一緒に出席した最初の日曜日のことは絶対に忘れません。聖餐会の間ずっと,わたしの心は高鳴っていました。日曜学校で新約聖書について話し合ったときも,扶助協会でともに美しい音楽を歌ったときもそうです。人々が愛と思いやりをもって交流している様子も好きでした。
心休まる場所だったのです。
答えを探し求めて
わたしは教会に通い続けていましたが,祈り,探し求めて2年近くがたっても,いまだ主に対する疑問は尽きず,バプテスマを受ける準備は整っていませんでした。そうして迎えた2012年の10月,わたしは答えを見いだすために総大会を視聴しようと決意しました。
土曜の部会はどちらも,わたしの心に深く響くものがあり,日曜午前の部会は教会の建物で観ることにしました。ほとんど人はいませんでしたが,わたしは礼拝堂で過ごそうと決めたことに確かな平安を覚えました。自分の心が和らげられるのを感じました。わたしは真理に飢え乾いていたのです。
大管長会第二顧問のヘンリー・B・アイリング管長が,いつまでも心に残るすばらしいメッセージを分かち合ってくれました。アイリング管長はジョセフ・スミスがリバティーの監獄でささげた祈りについて語りました。ジョセフはこのように声を上げたのです。「おお,神よ,あなたはどこにおられるのですか。あなたの隠れ場を覆う大幕はどこにあるのですか。」(教義と聖約121:1)アイリング管長はジョセフの思いを,わたしが感じていたことに照らしてくれました。
「わたしたちの多くは,苦難のときに神を遠く感じることがあります。……神は決してお隠れになりませんが,わたしたちは時折神から隠れることがあります。わたしたちは動機という大幕に覆われてしまうのです。その大幕はわたしたちを神から引き離し,神が遠くにおられ,近づく手立てがないと思い込ませます。……
神の前で幼子のようになるにつれ,神を遠くに感じる気持ちは次第に薄らいでいきます。……幼子のようになれば真理,すなわち,神はわたしたちの近くにおられ,わたしたちを御存じであり,忠実な神の子供たちから御自身を隠されることは決してないという真理に気づくことができます。」1
アイリング管長が,神の愛と御心を受け入れることについてのメッセージを分かち合う中で,わたしは御霊が思いに語りかけてくださるのを耳にしました。ごくシンプルな言葉でした。「バプテスマを受けなさい」と。
同日,十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老が改心について語ったときには,バプテスマに関して抱いていた懸念が消え失せてしまうのを感じました。2新たな宗派に加わることで,福音派教会にいたころから続く核となる信念を捨て去るわけではないと分かりました。すでに抱いていた信仰と真理の上に築き上げているのです。わたしはさらに主に帰依しようとしていました。主の預言者は,その道中で力になってくれたのです。
大会が終わったその朝,わたしは兄に電話をかけると,バプテスマを施してくれないかと頼みました。二人で涙した,喜びの瞬間でした。
総大会には答えがある
人生の旅路を振り返る中で,イエス・キリストを通じて可能となった様々な機会をありがたく思います。総大会にも感謝しています。総大会の間,神がわたしに耳を傾けてくださっているのを感じました。神は預言者を通じてわたしの問いかけにこたえ,恐れに対処し,愛を伝えてくださったのです。
それぞれの総大会において,主御自身からのメッセージが届けられると知っています。あなた自身,あなたが経験していることに合わせたメッセージです。神がわたしたちに送ってくださるメッセージを進んで受け入れようと,預言者に耳を傾けるなら,主の声が聞こえてきます。祈りに対する答え,疑問に対する答えを受けることでしょう。主が語られることを知ると,わたしたちはいっそう主に帰依するようになるのです。