「9月1-7日:『シオンの救いのために』:教義と聖約94-97章」『わたしに従ってきなさい—家庭と教会用:教義と聖約 2025年』
「教義と聖約94-97章」『わたしに従ってきなさい—家庭と教会用:2025年』
9月1-7日:「シオンの救いのために」
教義と聖約94-97章
いにしえの時代,主はモーセに,「山で示された型どおりに」(ヘブル8:5。出エジプト25:8-9も参照)幕屋を建てるように命じられました。幕屋は,イスラエルの荒れ野での陣営の中心となるものでした(民数2:1-2参照)。
1833年,主はジョセフ・スミスに「世の方法によらずに」「わたしが……示す方法に従って」(教義と聖約95:13-14。97:10も参照)神殿を建てるように命じられました。荒れ野での幕屋のように,その神殿はカートランドの中心となるべきものでした(教義と聖約94:1参照)。
今日,神殿は世界中にあります。たとえ町の中心になくても,わたしたちの生活の中心となるべき御方であるキリストにわたしたちの心を向けてくれます。外観は神殿によって異なりますが,中に入れば,同じ神の規範,すなわちわ神のみもとに帰れるようにするための天の計画を学ぶことができます。神聖な儀式と聖約によって,わたしたちは「世の方法によらずに」,神が示される規範に従って,キリストとつながり,家族を強めるのです。
『聖徒たち』第1巻,163-164;「神のための宮」『啓示の背景』165-173を参照してください。
家庭と教会で学ぶためのアイデア
わたしはことごとく主に奉献することができる
教義と聖約94章で,主はカートランドに管理の務めのための建物,つまり事務所と印刷所を建てることについて指示を与えておられます。教義と聖約94:2-12で主がこれらの建物について言っておられることの中で,何が印象に残りましたか。97:10-17で主が神殿について言っておられることと比較してみましょう。
「ことごとく主に奉献〔する〕」とはあなたにとってどういう意味でしょうか。
主は御自分の愛する者たちを懲らしめられる
95章の啓示が与えられたとき,主が聖徒たちに神の家を建てるように命じられてから約5か月が過ぎていましたが(教義と聖約88:117-119参照),建設はまだ始まっていませんでした。この啓示の中で,主がどのように彼らを正されたかに注目してください。霊感により正すことに関して見つけた原則のリストを作るのもよいかもしれません。主が御自分の聖徒たちを正された方法から,主についてどのようなことが学べるでしょうか。
教義と聖約121:43-44;D・トッド・クリストファーソン「すべてわたしの愛している者を,わたしはしかったり,懲らしめたりする」『リアホナ』2011年5月号,97-100も参照してください。
神殿は主の宮である
カートランドで主の宮を建てていなかったことについて懲らしめを受けた後,教会の指導者たちは主の宮を建てる場所として小麦畑の一画を選びました。預言者の兄ハイラム・スミスは,畑を更地にする作業を始めようと,すぐに走って草刈り鎌を取りに行きました。「主のために家を建てる準備に取りかかりましょう。それをわたしがだれよりも先にします」と,ハイラムは言いました(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』271)。ハイラムが神殿を建てようとそれほど意気込んでいたのはなぜだと思いますか。教義と聖約95:8,11-17;97:10-17を読み,このことについて深く考えてください。
今日,主は「神殿建設のスピードを上げておられます。」(ラッセル・M・ネルソン「神殿を中心にする」『リアホナ』2022年11月号,121)イエス・キリストの教会がこれほど多くの神殿を建てる理由をだれかに尋ねられたとしたら,あなたはどう答えますか。考えられる答えを以下から探してください:
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新しい神殿を発表しているラッセル・M・ネルソン大管長のメッセージ(例えば,「今がその時である」『リアホナ』2022年5月号,126など)
カートランド神殿を建設した聖徒たちの努力を,神殿で主との有意義な経験ができるように備えるあなたの努力と比較するとよいかもしれません。ハイラム・スミスが主の聖なる宮に対して感じたのと同じような緊迫感を,あなたはどのようにして示すことができるでしょうか。例えば,ハイラムは畑を更地にしましたが,あなたには何ができるでしょうか。主はあなたにどのような犠牲を払うよう望んでおられると思いますか(教義と聖約97:12参照)。
「トピックと質問」「神殿」の項,「福音ライブラリー」も参照してください。
「わたしに受け入れられる」
何かのグループやチームに入れてもらえたときのことや,入れてもらえなかったときのことについて考えてください。そのときのことと,主に受け入れられるとはどういう意味かについて教義と聖約97:8-9で教えられていることには,どんな類似点や相違点があるでしょうか。9節のたとえを使って,主はあなたに何を教えようとしておられると思いますか。
エリック・W・コピシュカ「主によって受け入れられる」『リアホナ』2013年5月号,104-106も参照してください。
シオンとは「心の清い者」である
1830年代の聖徒たちにとって,シオンとは場所のことでした。97章の啓示の中で,主はその定義を広げて,民について述べておられます。すなわち,「心の清い者」(21節)です。18-28節を読む際,シオンという言葉が出てきたときには,この定義に置き換えてみるとよいでしょう。心の清い者であるとはあなたにとってどういう意味ですか。
モーセ7:18も参照してください。
子供を教えるためのアイデア
神殿は主の宮である
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95章と97章の背景について,『小さなみんなのための教義と聖約ものがたり』の「カートランド神殿」(「福音ライブラリー」。『聖徒たち』第1巻,201-202も参照)を子供たちと分かち合うとよいでしょう。子供たちに,カートランド神殿を建てるのを手伝っている動作(木を切る,釘を打つ,壁を塗るなど)をするように頼むと楽しいかもしれません。また,この概要にあるようなカートランド神殿の写真を見せながら,教義と聖約95:8を読んで,主がなぜわたしたちに神殿を建てるよう望んでおられるのかを教えてもよいでしょう。
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教義と聖約97:15-16を一緒に読んだ後,神殿が自分にとって特別なものである理由を互いに分かち合うとよいでしょう。「神殿に行きたいな」(『子供の歌集』99)など,子供たちが主の宮に対して敬虔な思いを抱く助けになる歌を一緒に歌ってもよいいかもしれません。なぜ神殿は神聖な場所なのでしょうか。
シオンとは「心の清い者」である
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教義と聖約97:21にある清いという言葉がどのようなことを意味していると考えられるかを子供たちが理解できるように,一緒にコップの中のきれいな水を見て,次に何か不純物(泥やこしょうなど)を水に入れます。水が清いことが大切なのはなぜでしょうか。その後,子供たちに21節を読んでもらい,清いという言葉を指さしてもらうとよいでしょう。わたしたちの心が清いとはどういう意味でしょうか。1-2節と8-9節から幾つかアイデアが見つかるでしょう。わたしたちの心を清くするのを救い主はどのように助けてくださるでしょうか。
主は御自分と交わした聖約を守る人々を祝福される
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あなたの子供たちは,バプテスマを受けるときや神殿で主とどのような聖約を交わすかを知っていますか。モーサヤ18:9-10,13または『総合手引き』27.2を子供たちと一緒に読んで,そのときの聖約について確認するとよいかもしれません。自分がどのように「犠牲を払って自分の聖約を……守ろうと」(教義と聖約97:8)しているかを,互いに分かち合ってください。
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子供たちに,教義と聖約97:9の情景を絵に描いてもらうとよいでしょう。子供たちに自分の絵を見せてもらいながら,聖約を守ることで主がどのような祝福をくださったか話します。それらの祝福は,「清らかな流れのほとりに植えられた……実り豊かな木」とどこが似ているでしょうか。