ヨハネ13章
「互に愛し合いなさい」
過越の食事を取った後,イエスは弟子たちの足を洗い,互いに仕え,愛し合うことについて教えられました。この課では,イエスがなさったようにほかの人に仕え,愛することによって幸せを求めるようになってもらいます。
イエスのようになる努力
「イエス様のように」(『子供の歌集』40-41)を歌うか,その歌詞を読みます。または,ChurchofJesusChrist.orgにある「音楽ビデオ:I’m Trying to Be like Jesus—Emily Brown(イエス様のように—エミリー・ブラウン)」(3::18)を見てもいいかもしれません。歌ったり,読んだり,見たりしながら,イエス様のようになりたい理由を考えましょう。
-
あなたはどのようにして,イエスのようになろうとしていますか。
-
あなたは,イエスのようになろうとしている人の生活がどう変わっていくのを見たことがありますか。あなた自身の生活ではどうですか。
聖霊の促しに注意を払いながら,このレッスンに参加してください。聖霊は,救い主の模範と教えによく従えるよう霊感を与えてくださいます。
「わたしは手本を示したのだ」
救い主は生涯が終わりに近づくころ,最後の過越の食事に使徒たちを集められました。この晩の出来事は,しばしば「最後の晩餐」と呼ばれます。
ヨハネ13:1-11 を読んで,イエスと使徒たちが過越の食事を終えた後にイエスが何をされたかを調べてください。
新約聖書の時代,人々は通常,サンダルを履き,ほとんどが未舗装であった道路を歩いていたため,足が非常に汚れていました。このことを知っておくと役に立つかもしれません。ほかの人の足を洗うことは,通常,最も地位の低い使用人によって行われていたようです。
-
使徒たちの足を洗うという行為から,イエスの特質についてどんなことが分かりますか。
-
イエスからこのような謙遜な奉仕をされたとしたら,あなたはどのように感じ,どう対応したでしょうか。
ヨハネ13:12-17 を読んで,救い主の言葉から学ぶことができる教訓を探してください。
-
この聖句で救い主が教えておられることから,どんなことが学べますか。
-
あなたはどんなときに,イエスの奉仕の模範に従って幸福を感じましたか。
ほかの人に仕えると幸せになる例を見るために,ChurchofJesusChrist.orgにあるビデオ「あなたがたが奉仕しているとき—YW」(3:07)と「あなたがたが奉仕しているとき—YM」(3:02)のどちらかまたは両方を見るといいかもしれません。
「互に愛し合いなさい」
使徒たちの足を洗った後,救い主は時間を取って彼らを教えられました。 ヨハネ13:34-35 を読んで,イエスが教えられた重要な教義を見つけてください。
-
この聖句を読んで考えると,どのような考えが浮かび,どのような気持ちを感じ,どのような疑問が湧いてきますか。
救い主がほかの人に愛を示した聖文の中の話について,考えてみてください。
-
イエス・キリストは,人によってどのように方法を変えて愛を示されましたか。
時間を取って,自分に対するイエスの愛をいつ,どんなふうにして感じるか考え,それを書き留めてください。心を静めて,そのようなときのことに気づけるよう天の御父に助けを求めるといいかもしれません。
-
救い主が自分を愛してくださっていることを知り,その愛を感じると,ほかの人に愛を示したいという気持ちはどう変わってきますか。
1. 学習帳を使って,次の活動を行いましょう:
救い主の模範に従って人を愛し,人に奉仕するために何をするか,それをいつしたいか,計画を立ててください。以下に挙げるアイデアについて考えると,計画を立てるのに役立つかもしれません:
-
家族や友人,地域社会の人のために,今日何かをする。
-
自分とは違う人,あるいは過去に仲良くするのに苦労した人にさえも,愛と優しさを示すために何かをする。
-
自分が大きな愛や敬意を示したくなる人はだれか考える。
-
どうしたら救い主の愛をもって努力することができるかを考える。
さらに学びを深める(任意)
ヨハネ13:26 。一きれの食物とは何か
ヨハネ13:26 にある「一きれの食物」とは,食事をしている人々がボウルからスープや肉をすくうために使う,パンの小さな切れ端でした。主人がパンの切れ端をスープに浸して夕食の客に渡すのは親切と敬意のしるしだったので,救い主はこの行為によってユダに友情を申し出られたのです。ユダにとっては,計画した裏切りをやめる最後の機会だったのかもしれません。
どうすれば,奉仕を通してほかの人にイエス・キリストの愛を感じてもらうことができるでしょうか。
ヘンリー B・アイリング管長は次の話をしています:
「介護施設での聖餐会を訪問する割り当てを受けたときのことです。聖餐のパスを頼まれました。聖餐のパスの正確さについて考える代わりに,年配の方々一人一人の表情を見ていました。多くの方が涙を流していました。一人の女性がわたしの袖をつかんで,わたしを見上げ声を出して,『ありがとう,ありがとう』と言いました。
主は御自分の御名によって行われた,わたしの奉仕を祝福してくださったのです。その日,わたしは自分の役割をよく果たせるようにではなく,このような奇跡が起こるように,人々がわたしの愛を込めた奉仕を通して,主の愛を感じられるようにと祈りました。これこそが,主の御名によって人々に仕え,祝福をもたらす鍵だと学びました。」
(ヘンリー B・アイリング「主の御名によって祝福する」『リアホナ』2021年5月号,69)