歴代大管長の教え
経歴のまとめ


経歴のまとめ

以下の年表は,本書で紹介されているジョージ・アルバート・スミス大管長の教えの歴史的な背景を簡単に紹介するものである。

1870年4月4日

ユタ州ソルトレーク・シティーで,ジョン・ヘンリー・スミスとサラ・ファー・スミスのもとに誕生する。

1874-1875年

父のジョン・ヘンリー・スミスがイギリスで伝道する。父が出発したとき,ジョージ・アルバートは4歳であった。

1880年10月27日

ジョン・ヘンリー・スミスが使徒に聖任される。

1882-1885年

ジョン・ヘンリー・スミスがヨーロッパ伝道部会長を務める。

1883年

ジョージ・アルバート・スミス,13歳のときに縫製工場で働き始める。

1888年

鉄道会社で働き始める。仕事で目を痛め,生涯にわたって後遺症が残ることになる。

1891年9-11月

ユタ州南部で若い男性相互発達協会の宣教師として働く。

1892年5月25日

ルーシー・エミリー・ウッドラフとユタ州マンタイ神殿で結婚する。

1892-1894年

結婚のわずか数週間後から,合衆国南部で伝道する。4か月後にルーシーも召されてともに働く。

1903年10月8日

ジョセフ・F・スミス大管長によって使徒に聖任される。

1904年

自らが人生の指針とする11の理念を述べた「個人の信条」を書く(本書1-2ページ参照)。

1909-1912年

深刻な健康問題に苦しむ。

1919-1921年

ヨーロッパ伝道部を管理する。

1921-1935年

中央若い男性相互発達協会会長を務める。

1922年

アメリカ独立戦争出征者全国協議会(National Society of the Sons of the American Revolution)の副議長に選出される。1925年まで務めた後,1944年から1946年にかけて再び同職を務める。

1930年9月

教会の史跡について場所の特定および表示を行うユタ開拓者トレイル・アンド・ランドマーク協会(Utah Pioneer Trails and Landmarks Association)の設立を助ける。同協会の初代会長に選出される。

1933年7月27日

ユタ盲人支援協会(Society for the Aid of the Sightless in Utah)会長に就任する。

1934年5月31日

アメリカボーイスカウト連盟から授与される最高の章であるシルバーバッファロー章を受章する。

1935-1936年

モルモン書の点字訳の出版を管理する。

1937年11月5日

ルーシーが長い闘病の後,68歳で死去する。

1938年1-7月

南太平洋にある教会の伝道部を訪問し,ハワイ,サモア,トンガ,タヒチ,ニュージーランド,オーストラリアなどに立ち寄る。

1943年7月

十二使徒定員会会長に任命される。

1945年5月21日

末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長に任命される。

1945年9月23日

アイダホ州アイダホフォールズ神殿を奉献する。

1945年11月2日

合衆国のハリー・S・トルーマン大統領と会見し,第二次世界大戦後のヨーロッパに救援物資を送る取り組みについて話し合う。

1946年5月

大管長として初めてメキシコの教会員を訪問する。メキシコのマヌエル・カマーチョ大統領にモルモン書を贈る。

1947年7月24日

ディス・イズ・ザ・プレース記念碑を奉献し,開拓者のソルトレーク盆地到着100周年を祝う。

1947年

教会員数が100万人に達する。

1949年9月30日-10月2日

テレビ中継された最初の総大会に出席する。

1951年4月4日

81歳の誕生日にユタ州ソルトレーク・シティーで死去。

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