ヤングアダルト
独身でも幸せであることを学ぶ
自分がこれまで間違った方法でデートしていたことに気づきました。
「ほかのみんなはどうしてデートをして楽しそうにしているんだろう。」
「自分はなぜまだ結婚していないのだろう。」
「自分のどこが悪いのだろう。」
ほとんどの独身のヤングアダルトが一度はこのようなことを自問したことがあるのではないでしょうか。永遠の伴侶を探すという課題は,最も献身的な末日聖徒にとってでさえも,信仰と希望をくじかせる原因となり得ます。そしてもちろんわたしの場合も,デートは特に難しく感じました。
わたしは,結婚というものがいつも壮大な冒険のように思えて,若いときから心待ちにしていました。しかし大学生のときに,デートをしてもうまくいかないように思えて,落胆しました。何度もデートをして,真剣な関係になったことも何回かありましたし,すばらしい経歴があって興味深い女性と出会いましたが,結婚はしませんでした。わたしにとって,そのようにうまくいかなかった関係が,自分が劣っていて,魅力的ではないことを示しているように感じました。
自分が独身であることに対する気持ちは,社会人になって何度か別れた経験を通して,さらに悪化しました。結婚している周りのみんなが正しくて,自分が間違っているところは何なのかと自問することがよくありました。祝福文や何度か受けた神権の祝福で,はっきりと,具体的に現世で義にかなった女性と結び固められると告げられました。ではなぜそのとおりにならないのでしょうか。
「自分は神の計画から逸れるようなことを何かしただろうか」と思いました。
最終的に,長年にわたる祈りや聖文研究,神殿参入によって,神の前で「苦闘」した後に,自分の状況について,友人でありカウンセラーでもあるブラッド(名前は変えてあります)を通して啓示を受けました。カウンセリングのセッションの中で,彼は言いました。「あなたの幸せは自分次第なのです。ほかの人によるものではありません。あなたが独身でいるときも幸せであれば,どんな状況でも幸せでいることができますよ。」同じように,ラッセル・M・ネルソン大管長も次のように教えています。「わたしたちが感じる幸せは,生活の状況ではなく,生活の中で何に目を向けるかにかかっているのです。」(「喜び—霊的に生き抜く道」『リアホナ』2016年11月号,81)
それらの言葉がわたしの心に深く刻まれて,自分の見方がまったく変わりました。そして,自分が常に必要を満たすためにデートをしていたことに気がつきました。その必要とは,わたしの場合ただ一人でいることがないように結婚するというものでした。
そのような思いでは,もちろん永遠に愛してくれる伴侶に出会えるわけがありません。ブラッドを通して,主は,御自身の息子や娘たちのための計画は,個人の必要や文化的なプレッシャー,また恐れから結婚するようなものではないと,優しく教えてくださいました。結婚はキリストのような愛を基盤としています。それから主は,自分の未婚である状態を続けることから,有用性や機能ではなく,純粋な愛を基にした結婚を探し求める生き方を学ぶということも教えてくださいました。正しい理由から結婚を求めるのです。
この経験を通して,デートで落ち込んだときに考える3つの真理を学びました。
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自分の価値は,結婚しているかどうかに左右されない。イザヤは「〔神の〕思いは,〔わたしたち〕の思いとは異な〔る〕」(イザヤ55:8)と教えています。わたしは自分が独身であることは自分の価値が低いことを示していると思っていました。しかし神は,自分が独身でいることが,自分の計画どおりの結婚よりも,さらに良い結婚のために備えるためのものであることを気づかせてくださいました。もちろんそれは,わたしの価値とは関係のないことです。
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備えは不安と心配を取り除く。主は次のように述べておられます。「〔わたしたちは〕備えていれば恐れることはない。」(教義と聖約38:30)神の御心を求めて,それに従うことによって,以前に感じていた自分が独身であることに対する恐れや欲求不満を捨て去ることができました。そして,将来に何が待っていようとも,自分を備えることに集中できるようになりました。
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独身であることに喜びを感じることができる。独身であることによって,胸を躍らせるような旅の機会があったり自分の専門性を磨いたり,教会では独身でなければできない奉仕の機会に恵まれてきました。結婚や子供を持つことを今でも強く願っていますが,自分のそばに同僚がいるかどうかにかかわらず,今も主の王国において自分が果たせる役割がたくさんあるということを感謝できるように神は助けてくださいました。
わたしはまだ独身です。わたしの妻は,まだ魔法のように現れてはいませんが,デートや結婚に関する自分の考え方が大きく変わりました。それでもまだ,将来的にデートで不満を感じることもあるということも知っています。しかし,自分が未婚者であることに対する多くの恐れや心配はなくなりました。今は,現世と永遠の世において主がわたしにしてくださっている永遠の約束や祝福が成就するように主とともに働いているのであれば,独身でいることはまったく問題ではないということも知っています。