デジタル版のみ:信仰をもって歳を重ねる
介護しているなら,自分自身のケアも忘れずに
筆者は日本の山梨県在住です。
だれかを世話することで,疲労こんぱいしてしまう場合もあります。ですから可能なときはいつでも,再び力を蓄えることが大切です。
日本では昔から,長男もしくは長女が両親の家を受け継ぎ,両親が年を取ったら面倒を見るという慣習があります。長男または長女の伴侶となった人は必然的に,義理の両親の世話を担わなければと思うのです。こうした慣習は次第に薄れつつありますが,変わらず慣習に倣っている家庭も多くあり,介護が行われていても,揉め事が生じる場合もあります。
介護疲れ
以前の職場の同僚の母親が,まさにそういったケースでした。姑からの絶えざる要求と不平により,介護の担い手であったその母親は,務めを果たそうという意欲を保てなくなってしまったのです。世話をする中で,彼女は姑を忌み嫌うようになり,その死を願うまでになりました。
介護者であった彼女は身体的にも精神的にも次第に活力を奪われていき,ついには彼女自身の健康が損なわれてしまったのです。その結果,わたしの同僚は度々有給休暇を取る,あるいは仕事のスケジュールを調節することで,今度は自分の母親の面倒を見るようになりました。介護者であった母を介護するようになったのです。
どのような年齢であっても介護疲れは起こり得るものですが,65歳以上の年齢層ではとりわけ深刻な問題となっています。夫婦の一方がもう一方の世話をしているなど,老々介護の状態です。調査によると,ストレスを抱えている66歳から96歳の介護者は,介護を行っていない人と比べて死亡リスクが63パーセント高いとのことです。1
介護者サポート
他者を助けようと努めている介護者たちは,サポートを必要としています。多くの家族が,介護者をサポートするうえで優れた方法を学んできました。例として,妻の両親は日本の千葉県にある海沿いで暮らしていましたが,歳を重ねるにつれ,子供たちは両親の健康状態を心配するようになりました。
上の娘の一人は,自分が暮らす大阪付近に越してくるよう勧め,自ら主介護者になると言いましたが,子供たち全員が一丸となって,両親と姉をサポートしたのです。家を探して改装し,両親の必要を把握し,その自主性を尊重するようにしました。新天地での新たな生活において,両親が確かな喜びと幸せを感じられるように配慮したのです。
認知症である妻の父は近場のデイサービスに通うようになりましたが,別の年配者たちとの交流を楽しんでいます。なんとなく近所をうろつくよりも良いそうです。物理的には離れていますが,毎週日曜日になると,妻はインターネットを介して両親と教義について語り合っています。互いを力づけ,愛を分かち合う,充実した時を過ごしているのです。介護の状況を把握するために,妻はよくお姉さんの様子も伺っています。
介護者をケアする
介護は様々な状況下で行われています。多くの場合,介護者は世話をするのに移動する必要があります。介護を受ける人が,介護者の自宅内に居住しているケースもあります。たいていの介護者は,身体的,精神的,経済的な面で調整を図りながら介護に携わっています。伴侶や子供,地域社会とのかかわり方についても変化が伴うものです。
日本では病気休暇というものが存在しませんから,介護者たちは自分の休暇を使い果たしてしまいます。そうして介護に携わる人々は,勤務時間の調整を雇用主にかけ合うか,フルタイムで世話ができるよう仕事を完全に辞めることを余儀なくされます。日本政府のデータによると,2017年,自宅で介護を担う目的で職場を離れた人々は9万人におよぶのです。2
介護者は自身も助けを必要としながら,人々に手を差し伸べようとする中で,苦境に立たされます。自分が世話する相手に不満を漏らしたり,相手を失望させたりしたくはないのです。それどころか,すべての期待に応えようとしてプレッシャーを感じています。多くの介護者は長期間にわたり,多大な労力と犠牲を払っています。社会的支援もなければ,介護者たちは自らの悩みや苦痛を胸に秘めてしまいます。不安症状やうつ状態,身体的および精神的な疲弊に苦しむ人々もいます。介護は生活の質に影響をおよぼすものであり,繰り返しになりますが,調査によれば,長期にわたり介護に携わっている人々は,負担や気持ちの落ち込みを感じる状態に陥ることがほとんどなのです。3
介護者たちが以下の必要性を理解することが重要になってきます。
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直面している懸念や困難について,人々に話すのを恥ずかしく思わないこと
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親族や外的リソースに頼れるようになること
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様々な形のサポートを受け入れること
研究者らは様々な要因を探ることで,介護者の負担を軽減し,その身体的・精神的福利を向上させるのに役立つ方法を見いだそうと努めてきました。以下は,その効果が確認されている事柄です。
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各介護者が直面している困難について,情報を共有する(介護者の健康悪化に関するステージの認識度合いなど)
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家族による介入の度合いを高める
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地元のリソースを把握し,活用する
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家庭内外の社会的サポートに頼る
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介護者の必要および希望に注意深く耳を傾ける
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介護者の負担を和らげるべく,様々な人に協力を求める
第一と第二の戒め
当然ながら,世話する人の最たる模範は救い主イエス・キリストです。第一と第二の大切な戒めに関して主が語られた事柄を研究することで,わたしたちはキリストのような介護について多くを学ぶことができます。
「イエスは言われた,『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ。』
これがいちばん大切な,第一のいましめである。
第二もこれと同様である,『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』」(マタイ22:37-39)
主はこの聖句で介護者にとって特に助けになる導きを与えてくださっていると,わたしは信じています。まず第一に,主を愛してください。霊的な活力を取り戻すための簡単なことをおろそかにしてはいけません。祈ってください。聖文を読んでください。自分の心の中に,平安を見いだしましょう。天の御父がわたしたちに対して抱いておられる愛の力と強さを感じてください。
恐らくあなたはすでに隣人への愛,この場合は介護する相手への愛で,満たされていることでしょう。しかし,あなたは義にかなった形で,自分自身のことも愛しているでしょうか。だれかを世話することで,疲労こんぱいしてしまう場合もあります。ですから可能なときはいつでも,活力を取り戻すことが大切です。ほんとうの意味で「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛〔する〕」なら,再び力を蓄えることで勢力を維持し,継続的に奉仕できるようになりたいと望むはずです。
自らをもう一度強化する
十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,次のように述べています。
「重荷を負い合おうと熱心に努力する皆さんのような人にとって,大切なことは,周りから篤く期待を寄せられ,実際に多くを求められるときに,自分をもう一度強化し,鍛え直すことです。疲れやいらだちを少しも感じない,あるいは自分を大切にする必要がないほど強い人はいないからです。……
世話をする人も,世話をしてもらう必要があるのです。タンクに燃料が入っていなければ,ほかの人に与えることはできません。」4
大管長会第二顧問のヘンリー・B・アイリング管長はこのように語っています。「人々への長期にわたる愛にあふれた奉仕は豊かな報いをもたらしますが,行えることには物理的,情緒的,経済的な限界があることを,皆さんは経験から知っています。十分長く人の世話をしてきた人が,世話を必要とする状態になってしまうことがあります。」
キリストの弟子として世話をする
介護者と教会指導者は力を合わせ,各家族が抱えているそれぞれの困難に応じるべきです。それには雇用面,身体面および精神面での困難,また家族や夫婦関係にかかわる問題もあるでしょう。ストレスにさらされる中,困難な時期を過ごす中,世話する人は自分の能力を過大評価することのないよう勧められています。ある程度の時間を割いて力を取り戻すことについても,日ごろから思い起こせるようにしておく必要があります。
わたしがカウンセラーとしての経験と,自分の家庭での経験の両方から気づいたのは,介護者はあらゆることを自分でしなければいけないと感じることが多いということです。これはまったく正しくありません。支援を受け入れようとしない介護者は,必ずある時点で「燃え尽きて」しまいます。そのような人は,ほかの人たちに手助けしてもらう必要があります。家族や友人,ワードおよび支部の指導者,またミニスタリングブラザーやミニスタリングシスターと相談する必要があるのです。介護者を支援したいという意欲を持っている人も,愛する人を祝福し見守りたいという,介護者の望みを尊重する必要があります。
以下のような項目を,一緒に話し合うといいかもしれません。
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家族からは,どのようなサポートが得られるか。
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どのようなことが,介護者にとって数分,さらには1,2時間の休憩を取る機会になるか。
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どのくらいの頻度の訪問が助けになるか。それは,どのような種類の訪問か。
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神殿に参入したり,教会に行ったり,聖餐を受けたりすることで聖約を新たにする時間を,どのようにすれば介護者は見つけることができるか。
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だれかと話すだけでも,介護者にとってどのような益となるか。
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食物,移動手段,政府プログラムに関する支援の必要はあるか。
わたしたちは教会員として,イエス・キリストに真に従う者になろうとします。「自分の持っている分に応じて,それぞれ持ち物を貧しい人に分け与えるようにしてほしい。例えば,飢えている人に食べさせ,着る物のない人に着せ,病人を見舞い,各々の入り用に応じて霊的にも物質的にも助けを与えることである」と言われているとおりです(モーサヤ4:26)。末日聖徒であるわたしたちは,仕えたいと願っています。子供が自分の親を世話するというのはすばらしいことです。さらに,ミニスタリングブラザーやミニスタリングシスターが世話する人を支え,その心を高め,重荷を分かち合うのはすてきなことです。
それと同時に,介護者および彼らをサポートする人々は,次の勧告に従う必要があります。「これらのことはすべて,賢明に秩序正しく行うようにしなさい。人が自分の力以上に速く走ることは要求されてはいないからである。」(モーサヤ4:27)