2022
教会に戻って,温かく迎え入れられる
2022年8月号


デジタル版のみ:ヤングアダルト

教会に戻って,温かく迎え入れられる

教会に行かなくなっても,自分が信じていたものに対する信仰を失うことはありませんでした。教会に戻ってきたとき,ワードのみんなが支えてくれました。

ジューシーなフライドチキンや塩味が強い完璧な揚げ具合のフライドポテトでべたついた指で,よく冷えたミルクシェークを口にしていたわたしは,数学のクラスだったはずの時間に,親しい友人から,末日聖徒イエス・キリスト教会という初めて耳にする新しい宗教を紹介されました。自分が神に導かれて,天の御父がわたしのために備えられた完璧な計画に従って,人々と出会い,様々な経験をしていたということを当時は少しも気づきませんでした。

わたしはカトリックとして育てられたので,幼いころから神を信じていました。しかし大学に入って,神についてもっと知りたいという思いを抱いたことをはっきりと覚えています。神とさらに近い関係を築きたいと思っていました。そのような思いを抱き,主に心を開いていたからこそ,友人はわたしに福音を紹介し,教会に誘ってくれたのです。

初めて末日聖徒イエス・キリスト教会に行ったとき,少し気後れしていたわたしを,みんながとても優しく,心から歓迎してくれたので,温かく迎えられているのを感じました。初めて会ったにもかかわらず,みんな家族のように接してくれました。定期的に教会に集うようになり,長期にわたるレッスンと人生を変える神権の祝福を受けた後,わたしは教会に入りました。ところが,教会に活発に集い,活動にも参加して5か月がたってから,わたしは信仰の試しを受けることになります。実家に戻るように導かれたのです。

地元に戻ったわたしは,新しいワードに集い,召しも受けていました。活発でい続けようとしたのですが,生活においてすべてがうまくいかず,結果的に次第に教会から足が遠のいていきました。

激しいジェットコースターのような日々は続いていましたが,信じていたことに対する信仰を失うことはありませんでした。教会にはイエス・キリストの完全な福音と,自分が人生で必要なすべてがあると知っていたのです。

教会にあまり活発ではない時期にも,時折違うワードに集ったりして,歓迎されるワードとまったく声をかけられないワードの違いを目にしました。幸い,宣教師が橋渡しをしてくれて,最終的に教会に戻れるようになるまで,必要な助けを与えてくれました。わたしのホームワードは,わたしをほんとうに歓迎してくれました。玄関から足を踏み入れた瞬間に,自分のいるべき場所に帰って来たように感じました。そのように歓迎してくれる会員たちのおかげで,わたしは教会に集い続けて,福音のすべての祝福を味わうことができます。

教会に集うのは自分のためで,人々に会うためではないとわたしも信じていますが,心から歓迎されることは,ほんとうに大きな助けとなります。幸い,教会で自分やほかの人が歓迎されていると感じられるように,わたしたちにできることがあります。

自分が歓迎されていると感じる方法:

  1. インスティテュートや奉仕活動,教会の活動に参加する。特にだれも知り合いがいなければ,はじめは緊張するかもしれませんが,そのような環境に自分を置くことで,新しい人に会って,生涯続く友情を育む機会を得られます。

  2. 自分と同じような考え方の人々と付き合う。これは,改宗者や教会に戻って来た会員にとって特に大切です。自分と同じような考え方の人々と付き合うというのは,自分が妥協しないということだけでなく,彼らからたくさん学ぶことができ,支えてもらうことができるということです。

  3. 神殿に参入する。神殿に参入できるように努力するということは,主の御心に自分の選びを添わせることを意味します。従順になることで自分が強められるのが分かるでしょう。

  4. だれのため,何のためであるかを忘れない。だれのために行っているのか。だれに関心を向けることが大事なのか。自分はなぜここにいるのか。そう自問することは,自分が成長するうえで何が必要かを知る助けとなります。

歓迎されていると感じられるように人々を助ける方法:

  1. 愛を示す。ほんとうの友人となってください。わたしたちは皆,異なる旅路にいます。人々を知ることは,彼らを助ける最善の方法を見つける助けとなります。活動に誘い,輪の中に招き入れ,教会で新しい人々に紹介することで,出会いを通して新しい友人ができるよう人々を助けることになるのです。

  2. 御霊の促しに耳を傾け,主の時を信頼する。天の御父がわたしたちを導かれ,わたしたちの歩む道に,人々を意図的に置かれるということを強く信じています。日々,最善を尽くせば,自分自身とほかの人々に祝福がもたらされます。

天の御父はほんとうに私たち一人一人を御存じで,愛しておられます。皆さんが御父の愛を感じ,御父が御覧になられるように自分やほかの人を見ることができるようにと願っています。また,御父が皆さんに抱いておられる愛を,皆さんがほかの人,特に訪問者や新しい改宗者,教会に戻って来た人と分かち合えるようにと願っています。わたしに声をかけてくれた一人一人に心から感謝しています。今度はわたしが同じことをする機会を探し求めています。