2023
依存症は背くことと同じでしょうか
2023年8月号


ヤングアダルト

依存症は背くことと同じでしょうか

筆者はアメリカ合衆国テキサス州在住です。

依存症をより深く理解することは,主がいつの日かわたしたちを束縛から解き放ってくださると信頼する助けとなります。

illustration of flowers

堕落したこの世においては,依存症は非常に多くの人にとって挫折感を抱かせ,人生を変えてしまう現実となっています。食べ物,処方薬,ソーシャルメディア,うわさ話,ポルノグラフィー,うそ,ギャンブル,さらには過度の運動など,現実から逃れるためにそうしたものを利用するとき,人は簡単に依存症のサイクルにはまってしまうことがあります。

わたしは自分の周りにいる愛にあふれた人たちが,ただ間違った選択に屈するだけでなく,いわゆる依存症に苦しんでいるのを目にする中で,こうした神経学的衝動や欲望をより深く理解するために,聖文と依存症に関する最新の研究を調べるようになりました。

依存症という雑草

依存症とうまく付き合うことは,庭の手入れをするのに似ています。一度草取りをしただけで,それでもう大丈夫だと思う人はいないでしょう。後からまた雑草が出てくると分かっているので,植物を守るために,わたしたちは定期的に,注意深く雑草を抜き取ります。

依存症に苦しんでいるときには,たとえ悔い改めて助けを求めた後であっても,再発を経験して落胆することがあります。人生における非常に幸せな時期,あるいは非常に悲しい時期の後にそうした誘惑が特に強くなることに,驚いたり,失望したりするかもしれません。(それはちょうど,すがすがしい雨や大嵐の後に,雑草がいつも以上に伸びるのに似ています。)

依存症と故意に背くこと

わたしが発見したのは,サタンは依存症を,わたしたちは本来邪悪なものを欲していること,最初からそういう運命にあること,主はわたしたちを見捨てておられることを示す「証拠」として利用するということです。悪魔は恥を利用してわたしたちを落胆させ,何度悔い改めても誘惑はやって来続けるのだと突きつけてきます。

人が依存症に陥りやすい理由はたくさんありますが,依存症は多くの場合,「心の奥深くにある,満たされない欲求」を満たそうとすることから始まります。1ですから,背くことは依存症につながることがあり,依存症は罪の原因になることがありますが,この雑草は故意に背くことよりも,むしろ弱さの中に種がまかれ,大きくなることが多いのです。2

ありがたいことにわたしたちは,弱さは恵みについて学び,イエス・キリストの癒しの力に対する深い信仰を育む機会を与えてくれることを知っています。3

束縛から解放されるまで

依存症のわなをかわし,逃れることについて示唆に富んだ教えを与えてくれるのが,モルモン書に登場する二つの民,リムハイの民と,アルマの民です。

どちらの民も,かなり長い期間,束縛の中にいました。どちらの民も,囚われの状態から「逃れる手立てはまったくな〔い〕」と実感していました(モーサヤ21:5)。どちらの民も,時がたつにつれ,主に助けを求めるようになりました。

リムハイの民は,戒めに背いたことが理由で,奴隷の状態にありました。彼らは主の助けを求めずに,「怒り」に任せて自分たちを虐げる者と3度戦いました。戦う度に,リムハイの民は敗れました。彼らがへりくだり始めたとき,「主は……彼らの嘆願を聞き届けるのを遅くされた。それでも主は,彼らの嘆願を聞き届け,レーマン人の心を和らげてくださったので,レーマン人はリムハイの民の重荷を軽くするようになった。」(モーサヤ21:5;強調付加)リムハイの民は謙遜さを増したことで祝福を受けましたが,それからずっと後まで,「主は,彼らを奴隷の状態から救い出すのを,ふさわしいとは思われ〔ません〕」でした。

アルマの民は義にかなっていたにもかかわらず奴隷の状態にありましたが,彼らは「自分たちの心を主に注ぎ出し」ました。彼らの義にかなった望みを御存じでありながら,主は彼らを囚われの身から解放するまでに時間を置かれました。アルマの民は引き続き主に頼り,主は「わたしは,あなたがたの肩に負わされる荷を軽くし,あなたがたが奴隷の状態にある間,あなたがたの背にその荷が感じられないほどにしよう」と約束されました。そして,彼らは「心楽しく忍耐して,主の御心にすべて従〔い〕」ました(モーサヤ24:12,14,15)。

どちらの民も,最終的には解放されました。そしてわたしたちもまた,束縛の中で主に頼るならば,「この後,〔主〕のために証人にな〔る〕」ことができ,そして「主なる神……が,苦難の中にいる自分の民を訪れるということを,……確かに知る」ことになると約束されているのです(モーサヤ24:14)。依存症に苦しむ人も同じです。

喜びなさい

もしあなたが依存症で苦しんでいるなら,覚えておいてほしいのは,主の助けがあれば,この時間はキリストのような特質を育むための豊かな土壌となり得るということです。謙遜さが増すにつれて,忍耐,思いやり,寛容,柔和さを学ぶことができるようになります。

神権指導者に会い,あなたが自由を見いだせるように天の御父が用意してくださった多くのツールを用いてください。主に頼ってください。主に熱心に従うならば,主は心がくじけ,希望を失いそうになるこの困難を,霊的に精錬されるための強力な機会に変えてくださいます。4

オーストラリアのある初期の末日聖徒は,自らの過去と現在を比較してこう述べています。「これまでの人生は,一輪の花もない,雑草だらけの荒れ野〔でした〕。〔でも〕今は,雑草は消えうせ,花が咲き乱れています。」5

あなたとわたしが絶えず庭の草取りをし,試練の中で主に頼るなら,わたしたちはアルマの民に与えられた約束を受けるでしょう。「喜びなさい。明日,わたしはあなたがたを奴隷の状態から救い出す。」(モーサヤ24:16

草取りを続けましょう。収穫物にはそれだけの価値があります!