聖文は,ふさわしくないときには聖餐をとらないように教えています。1
また,神殿推薦状の質問の一つには,主の宮に入るにふさわしいと感じるかどうかを尋ねるものがあります。2
まだ間違いを犯すことがあるのに,ふさわしいと言えるでしょうか。
中央若い男性会長会のブラッド・R・ウィルコックス兄弟は,かつて大会でこのことについて教えました。
特に若い男性と若い女性に向けられた彼のメッセージは,このようなものです。「ふさわしさは完璧さでは〔ありません〕……。ふさわしさとは,正直であり努力しているということです。」
彼は,ポルノグラフィーの習慣を断ち切れない若い男性の話をしました。その若者は,つまずくたびに,神の愛を受けるにふさわしくないと感じていました。偽善者だと感じていました。
幸いなことに,この若い男性の神権指導者は賢明で,「行動に偽りがなく,前に進もうと取り組んでいるのなら,偽善者ではないよ。それは主の弟子であるということなんだ。」3
わたしたちは皆,様々なことで苦しんでいます。天の御父は,今すぐ完全になることを期待してはおられません!ただ,向上するよう努力し続けることを期待しておられるのです。
ウィルコックス兄弟の説教を読んで,聖霊を通して神の愛を感じてください。
注
1.モルモン9:29参照。
2.『総合手引き』26.3.3.1 の質問16参照。
3. 「ふさわしさは完璧さではない」2021年10月の総大会から