まずわたしの言葉を得るように努めなさい
宗教教育セミナリー・インスティテュート衛星放送2015年8月4日
はじめに
わたしはここにいられることに感謝します。皆さんと同じく,この仕事を愛しています。
今日の準備として,この話を家族の前で行って反応を見ました。……家族のほとんどがためになる意見を言ってくれました。ここで言うのを差し控えたくなるような反応もありました。クラスでこんな反応が返ってきたことのある人はまずいないはずですが,12歳の娘アニーが、話が半分までくると眠ってしまいました。アニーもわたしも,今回はもっと良い話ができることを望んでいます。
去年もおととしもチャド・ウェッブ兄弟は,救い主を信じる信仰が深くなるような聖文研究を生徒たちにさせるようわたしたちに勧めてきました。1昨年は,これまでになく多くの生徒が聖文を読みました。彼らは個人の聖文研究に優に900万時間かけました。2皆さんの努力に感謝します。
今日わたしたちは,改めてこの勧めをしたいと思います。有意義な聖文研究を毎日行えるようセミナリーとインスティテュートの生徒一人一人を助けてくださいませんか。それに,旧約聖書には確かに生徒が読んで理解するには難しい箇所があるでしょうが,生徒の後ろに行って「〔旧約聖書の聖文の意味を〕耳元でささやく」ことなどする必要がないと,わたしは心から信じています。3
ウェッブ兄弟は,「さらに聖文を中心にした教え方をするにはどうしたらよいか」を論じるようわたしたちに勧めました。4また,教える際に聖典が果たす役割についても幾つか質問を投げかけてきました。それについて多くの皆さんがよく考えてくれました。ありがとうございます。今日は,教える準備をする際に聖文の果たす役割について,少し話したいと思います。
1829年5月,ジョセフ・スミスとエマ・スミスがペンシルベニア州ハーモニーに住んでいた頃のことです。ハイラム・スミスがやって来て,展開しつつある回復の業の中で自分が果たす役割について知りたいと言いました。預言者ジョセフが主に伺うと,主の言葉は「生きていて,力があり,もろ刃の剣よりも鋭〔い〕」5と言われました。そして,救い主は教える際の重要な順序を定め,それを原則として優先するよう教えられました。「わたしの言葉を告げようとしないで、まずわたしの言葉を得るように努めなさい。そうすればその後,あなたの舌は緩められる。それから望むならば,あなたはわたしの御霊とわたしの言葉,すなわち人々を確信に導く神の力を受けるであろう。」6これはハイラムだけでなく,わたしたちにも当てはまります。
言葉を得る:まず心が内に燃えるはずである
教える作業はレッスンの準備で始まるわけではありませんし,どう教えるか考えることで始まるのではなく,教育課程を確認することで始まるのでもありません。教える作業は「アドフォンテス」,つまり,泉で始まるのです。7教える準備として,マリオン・G・ロムニー管長が言ったように,まさに地面から湧き出る泉からふんだんに飲むことに勝るものはありません。8聖文を力強く教えたいのであれば,ある聖句が真理であり重要だと生徒に感じてほしいのであれば,まず,わたしたち自身の中に新鮮な喜びがなければならないのです。9
ロムニー管長は次のように勧告しています。「優秀な福音の教師になるためには,〔主の〕教えが自分の教えになるまで……努力して研究しなければなりません。そうなって初めて,わたしたちは力強く確信をもって語ることができるようになるのです。これ以外の方法で準備するならば,……結局,自分の考えまたは誰か他の人の考えを教えることになります〔これは必ずしもうまくいくとは限りません〕。」10
言葉を得る:学習で目指すべきもの
聖文が心のうちに燃えるような方法で皆さんやわたしが言葉を得るように努める場合,目指すべき基準として簡単な概念を二つ挙げたいと思います。
まずは,真理には階層があるということです。この階層を見極められるようになると,わたしたちは祝福され,生徒たちも祝福されることになります。
第2に,聖文には関連性やパターン,テーマがあるということです。11これには予型や影が含まれ,その中で最も重要なものは救い主を指し示しています。
真理の階層
まず,ニール・A・マックスウェル長老は「真理の階級」,つまり,真理の中には忠義を示す価値のあるものがあるということについて書いています。忠義とは,忠実または従順,忠誠という意味の言葉です。
こう言っています。「真実ではあるけれども重要でないこともあります。……わたしたちは事実と虚構を区別するのみでなく,どの事実に忠義を尽くすかを知らなければなりません。
イエスの福音を学ぶと,真理には階級があって,他の真理よりも絶対に永久に重要な真理があるという現実に気がつくようになるのです。12
たいていの聖句にはある程度枝葉的な事柄があります。枝葉的な事柄でも原則を説明するために霊感を受けて書かれている場合は,それが伝えようとする原則13を浮き立たせてくれます。14
わたしたちは聖文に書かれている枝葉的な事柄と教義の両方を研究する優れた学習者になるべきです。教義とは別個に枝葉的なことがらが聖文に出てきた場合,それを理解し,その部分が独自に伝えている内容を理解することが大切です。そのような教えは「御霊があれば害にはならず,御霊がなければ役に立ちません。」15これに対して,個人的な話や個人的な考え,話し合いから生まれる気持ちのみで教えることは,真理を教え,人を鼓舞するために必要な聖文の内容に欠けため,十分ではありません。わたしたちが教える生徒たちは,福音の優れた学習者であり,聖霊の非常に大切な役割を理解している教師から教えられるときに,最も成長するのです。16
わたしは学識の欠けた「熱心な教え方」についてある人が話すのを聞いたことがありますし,改心させる力に欠ける学識ある教え方について別の人が話すのも聞いたことがあります。熱心な教え方も,ただ学識のあるだけの教え方も,それだけでは宗教教育の必要を満たしません。ロバート・J・マシューズ兄弟がかつてこう言ったことがあります。「『宗教(religion)』という言葉は文字通り『結び直す』という意味です。筋肉を骨に結び付けるという意味の『ligament』という言葉と関連があります。宗教とは,それを持つ人を神と神聖なもの,聖なるものに結び付けるものであるべきです。」17そして,それこそ宗教教育が生徒たちに果たすべきことなのです。
聖文に出てくる枝葉的な事柄が価値ある真理を示唆していることは,よくあります。証をもって真理を教えると啓示を招き,聖霊は,わたしたちが贖いの力を生活の中で受けられるようにしてくださいます。18それによって救い主に対する改心の度合いは深くなり,19天の御父の計画に従おうという決意が強くなるのです。
旧約聖書には確かに「劇的な話や魅力的な習慣,美しい文体」20が出てきます。覚えておかなければならず,教えるときにわたしたちが伝えなければならないのは,このような枝葉的な事柄は,聖句の目的ではないということです。これまで教えられてきたように,「聖文は原則を保存するために書き残されたものです。」21「これらの福音の原則こそが啓示の本質であり,啓示が与えられる目的です。」22
結局,原則の中にも順序があるのです。なぜなら,「わたしたちの宗教の基本原則は,使徒と預言者たちがイエス・キリストについて立てた証」だからです。23
枝葉的なことがらを原則から切り離すことは,原則の中にも存在する階層を認められるようになることとともに,生涯かけて行うことになる作業です。歴史や律法を隅々まで教え,イスラエルの放浪の全ての個所を教えるとしたら,旧約聖書24に出てくる天の御父の計画と救い主の贖いのメッセージを伝えることができなくなってしまいます。25
パウロは「旧約聖書を朗読する際には」覆いが「取り去られないままで残っている」と言っていますが,これはわたしのことであり,わたしが教える生徒の何人かのことを言っていると確信しています。これに続く言葉は,このジレンマを解決するための鍵となっています。つまり,この覆いは「キリストにあって取り除かれ」,「〔わたしたちの心が〕主に向くときには,その覆いは取り除かれる」とパウロは言っているのです。26
もしわたしたちが救い主を中心に教えるならば,27そして生徒たちの思いと心が救い主に向くよう助けることができるのであれば,生徒たちが旧約聖書を読む際に覆いは取り除かれるでしょう。そして,恐らくさらに大切なことは,生徒たちが聖文を研究するときに救い主を求めるようになるならば,彼らはそれと並行して,自分の生活の中でも救い主を探し求め,天の御父の御手を探し求めるようになるのです。
階層の例
聖文に書かれている真理を見極めるための提案を一つさせてください。聖句を一つ選び,それを読んで,「この聖句の枝葉的な事柄は何だろうか」と自問するのです。民や場所,時期,話の筋に線を引きます。その聖句のより大きな背景を調べてください。そして,背景描写が見つかったら,それに全て線を引くのです。わたしたちが使用している手引きにあるように,語り口や背景が変わる「自然な変わり目」28に注意してください。
さて,その聖句をもう一度見てください。そして,今回は,「応用できる原則または真理は何だろうか,29そして,理解できたら従いたくなる原則は何だろうか」30と自問するのです。教義のより大きな文脈を学んでください。各原則に,枝葉的な事柄とは違う方法で印を付けてください。原則が書いてあれば,31時間を取って,それを書き出します。
意識的に努力してこれを行うのは,最初はつらいでしょう。精神を集中させなければなりませんし,時間がかかります。これを行うと,祝福として,「この聖句の枝葉的な事柄は何だろうか,そして,この聖句が教えようとしている原則は何だろうか」と常に考えるようになります。
既に申し上げましたが,他の原則より絶対に重要な原則があります。そのような原則は救い主を指し示しているため,他の原則よりも霊感と命と救いに導いてくれます。ですから,その聖句をもう一度見てください。今回は別のレンズを通して見て,こう自問します。「この聖句はどんな点で救い主に注意を向けるために書かれているだろうか。32この聖句の何が,救い主と天の御父の計画についての理解と感謝の念を深め,救い主とこの計画に頼る決意を促しているだろうか。」
最後に,現代の預言者がその聖句に洞察と理解と霊感を与えるために述べなければならなかった事柄についてよく考えてください。
この方法で学習してから教科課程を見ると,そこに書かれてある記事や提案,指示が,聖文を読んで得た洞察や霊感,経験,それに預言者の言葉につながっていきます。このようにして,教科課程を見ながら御言葉を力強く述べるために準備してきたことを確認し,磨き上げ,改善するのです。
例を挙げましょう。今年ルツ記を学ぶときに,別離と忠誠の感動的な話を眼にします。つまり,この真理の階層を考えるならば,ルツが夫を失い,ベツレヘムへ行き33,ボアズとベツレヘムで会う話を読み,次に,ボアズがルツに必要なものを世話してパンと酢を与え34,町の門のところで仲裁者となり35,親戚として,字義通りの翻訳で「贖い人」となって36ルツを買い取り37,自分の妻にする38話を読みます。ボアズは,「事は決した」と言えるようになるまで休みません39。以上のことが分かり,偉大な血縁者40も同じことをわたしたち一人一人のためにしてくださったことを理解すると,啓発され,鼓舞されるとともに,この一連の聖文が伝える愛と贖いの証を感じ始めるようになります。
これは,聖文の調べ方の一例にすぎません。細心の努力を払う教師は,さらに,一人一人の生徒が同じ学習を自分で行えるよう助けるでしょう。こうして生徒たちは,霊的に自立していくのです。41
兄弟姉妹のみなさん,聖文のどのページでも,わたしたちはクラスで教え学ぶ力に影響を与える選択をします。このような選択です。どの真理に生徒たちの思いと心と信仰を向けようか。この選択は,生徒たちが受け取って考え,実践していく御言葉43の部分にとてつもない影響を与えます。この点によく注意を払わず42,あまり重要でない真理に「重きを置いて教える」と,ヘンリー・B・アイリング管長の言うように,「生徒が汚れた海に耐えられるように助けるという教義から既に身を引いてしまったも同然なのです。」43
関連性とテーマ,予型
この真理の階層を認識するとともに,言葉を得るために役立つもう一つの簡単な概念は,聖文には関連性とテーマ,予型がふんだんに出てくるということです。それぞれについて,旧約聖書から短い例を挙げましょう。
関連性
デビッド・A・ベドナー長老は,「関連性とは,概念,人物,事柄,出来事などの関係やつながりのこと」だと言っています。44
わたしたちが気づく関連性としては,旧約聖書には成功談と失敗談がたくさん出てくることと,それらは並べられて対比的に教えられているということです。カインとアベル,ヨセフとその兄弟,ヤコブとエサウ,アビガイルとナバルなど,たくさんあります。
アイリング管長はこの重要な鍵について語っています。「失敗に関する記述の中に,成功への道が見え隠れします。……霊的な衰退と回復の繰り返し……が,皆さんの生徒たちの役に立ち,ためになるかもしれないのです。」45
テーマ
べドナー長老は次のように説明しています。「テーマとは,書物全体を織り成す糸のように,繰り返し登場し,全体をまとめる特徴や概念のことです。」46今年のテーマは,次の言葉の中に見つかることに気づくかもしれません。「わたしが……あなたがたの神,主であることを,あなたがたは知るであろう。」47
解放に先立つ災難とそれに続く奇跡を経験して,イスラエルの子らは,これらのことを通して「わたしが主であることを知るようになるであろう」と言われました。48
ゴリアテ打倒49,ナアマンの癒やし50,エリヤとバアルの祭司たち51,ダニエルがネブカデネザル王に対して取った神聖で厳粛な行動52,これらは全て,「イスラエルに,神がおられることを全地に知らせ〔る〕」という明言された目的で記録されているのです。53
イスラエルの民とわたしたちは,旧約聖書の出来事と教えの中で主にまみえ,主の御手を見るであろうと,詩篇54とイザヤ書55,エゼキエル書56,旧約聖書の17の書で,エホバは80回以上にわたって繰り返し強調し,断言しています。これは,わたしたちとその子孫が「日の出る方から,また西の方から,……わたしのほかに神のいないことを知るようになるため」57です。
インスティテュートの新しいコーナーストーンクラスで聖文のテーマを学習していくと,58聖文は「一方を読めば他方も読むことになり,一方から得た知識は他方を読むことによってより明確なものになります。」59もしこれらのクラスで聖文そのものを中心に学習するならば,聖文は「ともに成長し」生徒たちに「〔彼らの〕聖約についても知らせる」ことができるようになるでしょう。60ベドナー長老はこう言っています。「わたしたちは聖文のテーマを見つけようとしているうちに,根本的な救いの教義と原則を……知るようになります。そのような永遠の真理を知ると,やがて聖霊による確認を受けるようになります。……聖文という源から生ける水を飲むために効果的なこの方法は,骨の折れる厳しいものです。しかし,この方法は,人を教化し,最も大きな霊の糧を与えてくれます。」61これによって,わたしたち教師への要求は大きくなります。小さくなることはありません。62
キリストの予型と影
旧約聖書に出てくる多くのパターンの中で63,特にわたしたちの注意と努力を必要とするものが一つあります。それはもちろん,天の御父と救い主の証を探すということです。ブルース・R・マッコンキー長老はこう言っています。「あらゆる所でキリストの相似を探して,キリストとその律法が最も大切なものであることを思い起こすためにそれらを繰り返し活用することは有益であり,適正なことです。」64
救い主の予型と影を挙げることから始めるということは,川の水が何滴あるか数えたり,晴れた日に太陽光線の粒子が幾つあるか数えたりするようなものです。結局のところ,「世の初めから神が人に与えてこられたすべてのものは,キリストの予型」65なのです。
天地創造66,青銅のへび67,マナ68,子羊の血を家の入口の柱に塗ることによるエジプトの束縛からのイスラエルの解放69,犠牲と記念のシステムを含むモーセの律法全体は,意識的かつあからさまに「わたしたちをキリストに連れて行く養育係」となるために書かれています。70
アブラハム71が自ら進んでイサク72を犠牲にささげようとしたこと,「平和の君」73などのメルキゼデクの称号74,ヨセフが自分を売った兄たちを救ったこと75,モーセがイスラエルの子らを解放したこと76は,「きたるべき者の型」を象徴しています。77
アダムは非のない人でしたが78,園にいるときに自ら進んで自分の命を捨てることを選びました。79わたしたち人類が生まれるためです。80
王は「ダニエルのうちにあるすぐれた霊のゆえに,ダニエルを立てて全国を治めさせようと」81しました。「総監および総督ら」82,つまり権力のある地位に就いていた人たちはダニエルを憎み,ダニエルを訴えるべき口実を得ようとしたが,彼らは訴えるべき何の口実も……見いだすことができ」83ませんでした。そこでこの悪人たちは,「集まって,……相はかった」84のです。ダニエルはいつもの場所に行って85祈りました。86この全てを聞いて王は,「ダニエルを救おうと心を用い」87ました。そして,ダニエルがししの穴に投げ込まれると,「一つの石を持ってきて,穴の口をふさいだ」88のです。王は「朝まだき起きて,ししの穴へ急いで行ったが」89,穴には天使がいたことを知りました90。そこで「ダニエルは穴から出させたが,その身になんの害をも受けて」いませんでした。91
アルフレッド・イーダーシャイムは全体として「旧約聖書はキリストを指し示す目的で書かれている」と言っています。「律法だけではない。律法はキリストへの養育掛であり,様々な予型はキリストの影であり,そして数々の預言はキリストについての予告である。旧約聖書の歴史は,全体にわたってキリストに関する言葉で満ちている。……このことから一つの結論が導き出される。つまり,救い主を知るようになって初めて,聖文の……研究が十分かつ有益であると言えるのである。」92
皆さんのクラスの中で,家庭や家族の中でも,時間を取って,何を学んでいるのか,天の御父と救い主について理解しそれに頼ることにはどんな点でためになるか,生徒たちや子どもたちに尋ねてください。そして,天の御父と救い主についての証を,授業の第1日目から,生徒たちに意識的に探してもらうのです。このすばらしい証を伝えることこそが,霊感を受けた人たちが聖文を書いた目的なのですから。
まとめ
兄弟姉妹の皆さん,聖文は,わたしたちが教える際にも,教える準備をする際にも,何物にも代えられない役割を果たします。ロムニー管長からの次の警告を思い出してください。
「わたしたちは主から受けたもの(聖文)を生徒に伝えるという使命を帯びています。まず言葉を得ることなくそれを伝えようとすることがあるかもしれませんが,
〔わたしたちは〕……主に備えていただく機会を頂く前に,行って宣べ伝えようではありませんか。」93
この精神で,わたしはウェッブ兄弟から昨年受けた少しの質問を付け加えます。教える準備をする際に考慮していただければ幸いです。
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わたしはレッスンの準備を,聖文を調べることから始めているだろうか。
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わたしは今日教える聖文を喜んでいる94だろうか。そして,その聖文は「燃える火の我が骨のうちに閉じこめられているよう」95だろうか。
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わたしは,霊感を受けて聖文を書いた人の望むような見方と理解の仕方で,枝葉的な事柄と原則の両方を理解しているだろうか。
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わたしは預言者の言葉を読んで,ある聖句について預言者がどんなことを強調しているか,どんな意見を言っているか,どんな証を述べているかを調べているだろうか。
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そして,どんなときでも,その聖句が救い主とその贖いについてどのように証しているかを,わたしは調べているだろうか。96
わたしたちの教室で,聖文が心の内に燃えて,言葉がもろ刃の剣97よりも鋭くなりますように。枝葉的な事柄と原則を区別することを決意できますように。生徒たちが聖典の中に天の御父とその愛する御子のすばらしい証を見いだす術を身に着けることができますように。98
皆さんの証にわたしの証を付け加えます。特に,天の御父の愛99が御子の奇跡的な贖いを通して明らかにされ,わたしたちがその恵みにあずかれることを証します。そして,主の名を全地に永遠にわたって告げ知らせるという驚くべき回復の業に携われるすばらしい特権に,感謝の意を表します。100イエス・キリストの御名によって,アーメン。
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