パネルディスカッション
&2020年宗教教育セミナリー・インスティテュート年次訓練放送
2020年6月9日
ジェーソン・ウィラード兄弟:このパネルディスカッションにようこそ。ジェーソン・ウィラードと申します。宗教教育セミナリー・インスティテュートの教育長補佐を務めています。今日は特別ゲストにお越しいただきうれしく思います—中央扶助協会会長会第二顧問のレイナ・アブルト姉妹,中央若い女性会長会第一顧問のミッシェル・クレーグ姉妹,教育委員長ポール・V・フォンソン長老の奥さんのジル・ジョンソン姉妹,S&I教育長補佐のチャッド・ウィルキンソン兄弟とバート・ウィンピー兄弟をお迎えしています。&本日はご参加くださり,ありがとうございます。
このパネルディスカッションの目的は,幾つかの質問について話し合うことです。世界中の青少年とヤングアダルトにさらに大きな祝福をもたらそうと努力する皆さんのために,この話し合いが様々な状況で役に立てば幸いです。わたしたちは,天の助けを求めながら今日の話し合いの準備をしてきました。皆さんにもそうするようお勧めします。
では,最初の質問です。ストレスや不安,落ち込みをはじめとする情緒的な問題に苦しむ教師や生徒,家族が増えているようです。そのような人々を助けるために,何ができるでしょうか。
レイナ・I・アブルト姉妹:現実的に,わたしたち皆は何かにたいして癒しを受ける必要があります。でも,情緒の問題に対処したり苦しんたりしていたとしても,それは病気や障害ではなく,情緒は神の特質の一つであることを生徒に理解してもら得るようわたしたちが助けることが大切だと思います。ただし,常に悲しみを抱えている場合には,恐らく助けを求める必要があるでしょう。救い主の模範に従うようお勧めします。主は,人々が自分の気持ちを表現できるような質問をお尋ねになりました。主は人々が,自分が経験している苦しみを表現することを許されています。ラザロが死んだときにマリアとマルタに尋ねたことがその一例です。また,エマオに向かう道で弟子たちに話しかけ,問いかけて,彼らが救い主を失ったために感じている不安や苦痛を口に出せるようにされました。墓のそばではマグダラのマリアに,また様々な人々に同じように問いかけて,彼らが気持ちを表現できるようになさいました。
ですから,生徒たちが安心して気持ちを表現できる環境を作り出せば—教室でなくとも,また生徒同士ではなくとも—手紙で,あるいは家族や友人に,特に天の御父に,安心して気持ちを打ち明けられるのではないかと思います。わたしたちは,何らかの方法で彼らが自分の気持ちを表現できるような質問を投げかけることができます。「友達や家族についてどんなことが心配なのかな?」「どうすれば助け合えると思う?」
わたしが気づいたのは,人を助ける方法について何かアイデアがないか,啓示や霊感を受けたことがないかと尋ねると,彼らはそれについて祈って霊感を受け,だれかを助けることができるようになるということです。ですから,不当に評価されることがないと感じてもらえる環境を作り出せばその点で助けとなるでしょうし,間違えた答えというものはないことを理解してもらって,何を答えてもいいタイプの質問をすれば自分の気持ちを気兼ねなく言ってもらうことができます。特に,何かに悩んでいる人には,独りで対処する必要はなく,天の御父や救い主に助けを求めたり,助け合ったりすることができるということを理解してもらいます。生活の中で何が起ころうと,わたしたちは皆神の子供なのです。なので天父に助けを求めることができます。わたしたちは兄弟姉妹であり,助けあうことができます。またわたしたち皆が主の弟子であり,主に助けを求めることができます。
バート・ウィンピー兄弟:ホランド長老に感謝しています。2013年10月の総大会の説教を覚えていると思うのですが,ホランド長老はうつ病を患った経験について話しました。「高血圧や突然見つかった悪性腫瘍で苦しんでいても恥ではないように,恥じる必要はないのです。」それについて話したり,伝えたりしてもいい,と述べています。そして分かち合ってくれた3つのことが好きです。「天のお父様への信仰を決して失わないこと。あなたの霊的な健康の助けになる鍵をもっている人の助言を求めうrこと」また必要に応じて「しかるべき訓練を受けた専門的な知識とよい価値観をもっている人の助言を求める」ことです。2
生徒だけでなく教師もこういったことについて話し,必要な助けを得るとよいと思います。また,仕事においては人事の代表者と話して,助けを求めることの利点と救済機関について検討できるとすばらしいですね。それに教会ウェブサイトも,リソースを見つけるのに絶好の場所です。
ジェーソン・ウィラード兄弟:ウィンピー兄弟,ありがとうございます。次の質問は,青少年とヤングアダルトに関するものです。教会が彼らの生活になぜ関係があるのか,なぜ教会が必要なのか,教会にはなぜ彼らが必要なのかを理解してもらうには,どうしたらよいでしょうか。
ミシェル・クレイグ姉妹:とても大切な質問だおt思います。青少年とヤングシングルアダルトは,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であることがただの規則の羅列や義務のチェックだけではないと感じる必要があると思います。教会は単なる社交クラブでもありません。イエス・キリストの福音の本質は愛であることを理解する必要があります。神への愛であり,人への愛です。福音を学び実践する中で,彼らは自分がどういう存在なのか,自分にはどんな目的があるのかを知り,実感するようになります。
今日の青少年は,人を愛する,つまり社会の隅にいる人々に手を差し伸べるといった原則に応じます。彼らは大義を求めており,世の中に影響を及ぼしたいと思っています。忠実であれば,ほかのどの団体よりも,教会という組織の枠組みの中の方が,世の中に良い影響を与える機会があることを彼らが理解できるようになるといいと思います。
ネルソン大管長について,また教会の方向性についてすばらしいと思うのは,わたしの記憶するかぎり,どの時期にも増して,青少年とヤングシングルアダルトを重視している点です。成人であるわたしたちは一歩引いて,導き,計画し,啓示を求め,啓示に従って行動する機会を,青少年に与える必要があります。彼らの知性に敬意を払い,また,彼らが教えてくれるはずの教訓から学ぶ必要があります。わたしたちには彼らが必要です。それは会員数を増やすためではなく,彼らが提供するものが世の人々にどうしても必要だからです。そして教会には,一度に一人ずつそのような必要を満たす手段を提供する仕組みがあります。青少年やヤングシングルアダルトが,家庭や教会やセミナリー,インスティテュートで学ぶすべてのことに啓発されて,心と手を使って人々に手を差し伸べ,愛し,出会う人々に仕えることができるよう願っています。なぜなら,それはイエス・キリストへの愛と人々への愛の当然の結果だからです。
全てはイエス・キリストに帰着します。教師として,また青少年とヤングシングルアダルトと子供たちを愛し,彼らにかかわる者としてわたしたちが行い,教えるすべてのことは,イエス・キリストの生涯と使命と贖罪に対する証を強めるはずです。それが肝心なのです。わたしたちがそうするならば,これがイエス・キリストの福音であることを彼らは知るようになるかもしれません。すると,この福音を信じる教会員であることの祝福はきわめて大きく,この業を成し遂げるためにだれもが必要とされていることが分かるようになるのです。これはほんとうに主の業です。
ジェーソン・ウィラード兄弟:その通りです。ありがとうございます。ウィルキンソン兄弟,何か付け加えることがありますか?
チャッド・ウィルキンソン兄弟:クレーグ姉妹の話にまったく同感です。クレーグ姉妹がインスティテュートについて話すのを聞きながら,わたしが担当した,ほぼ帰還宣教師ばかりのクラスのことを思い出しました。そして家に帰ってきて慣れるのに苦労したことを話してくれました。彼らは18か月から2年間ほかのことにずっと集中をしていたので,家に帰ってきて突然自分のことを考える必要がでてきたからです。福音の中で,またクラスの中で,わたしたちは彼らに人のことを考えたり,そういったことを行う方法を検討したり,ほかの人に手を差し伸べたりするよう勧めるといいですね。
ジェーソン・ウィラード兄弟:ジョンソン姉妹,何か付け足すことがありますか。
この質問について考えていて,聖約の力について思い起こしました。この力は,神の権能と力を持つ教会にしかありません。今日の世の中では,若者へのプレッシャーや教会から引き離そうとする力が強いため,聖約を守ることから得られる力を彼らに思い出してもらう必要があります。世の中で自分に襲い掛かる試練や誘惑を克服しようとすると,孤独や無力感を覚えることがあります。しかし,末日聖徒イエス・キリスト教会にのみ見いだすことのできる聖約や,神聖な場所には,そういった力よりもはるかに大きな力があり,教会はそれを提供できます。わたしたちはそのことを生徒に知らせ,そのことについて証し,わたしたち自身の生活を通して,良いことを行う以上のものが教会にはあることを示すことができます。聖約には力があります。
ウィンフリー兄弟:ジョンソン姉妹,コメントをありがとうございます。ウィンピー兄弟:ヤングアダルトたちと話していたときに,彼らは「教会に行かなくても天の御父を近くに感じられる」というようなことを言っていました。わたしは,「そうだね。でもわたしの目標は天の御父を近くに感じることではなく,天の御父のようになることなんだ。昇栄が目標なんだよ。」青少年やヤングシングルアダルトが,現世の目的は天の御父のようになることであることを覚えておけるよう助けたいです。ジョンソン姉妹が話してくださったように,教会は神権の鍵と儀式と聖約のあるところです。教会は地上における神の王国であり,そこでは,天の御父のようになるための助けが得られます。これが得られる場所や方法は,ほかにありません。
ジェーソン・ウィラード兄弟:おっしゃる通りですね。単なる大義に加わるだけでなく,「キリストの大義」に加わるのだとこの間の総大会で言っていましたね。それこそ聖約がもたらすものです。ありがとうございます。生徒を祝福する力をつけ,さらに大きな力で教え,真に驚くべき教えを実現するためにできる,小さな,簡単なことにはどのようなものがあるでしょうか。
ウィルキンソン兄弟:いい質問ですね。わたしたちは技術や手法などについてたくさん話したり教えたり訓練したりしてきました。どれも大切なことです。お気づきのように,聖霊に教師を務めていただくときに,つまり聖霊が教師であるときに,また聖霊を教室に招くときに,その力,つまり驚くべき教えが実現します。
ジョンソン長老はあるときこう教えてくれました。サタンは多くのS&Iの職員や人々に,姦淫をさせたり,知恵の言葉を破らせたり,極悪非道や深刻な罪を犯させることはできないかもしれないけれど,わたしたちの力を損なう小さなことはできる,と。サタンはわたしたちに,不平を言ったり,テーブルに着いてだれかの悪口を言ったり,生徒を笑いものにしたり,何かを笑いの種にしたり,ごく小さなことをするよう誘惑することはできます。その誘惑に屈すると,わたしたちは聖霊を失い,聖霊を伴侶とすることができなくなります。
旧約聖書のアカンのことを思い浮かべます。エリコとの戦いで,エリコから呪われたもの(物品や宝であろうと)をとってはならないと命じられていました。ところが,アカンはこっそりと奪いました。当然勝利するものと思われていた次の戦いで,彼らはアイの町に敗れて36人の男性が命を失いました。
この話が教えているのは,わたしたちの行いは重要だという原則です。わたしたちのちょっとした言葉や文句や不平,行いが重要で,聖霊の力が強く生活に働くようになるかどうかを左右するのです。これは,システム全体の力を左右する重要なことです。ですからささやなことをするようお勧めします。聖霊を招く,あるいは「教師」の影響を最大限受けられるよう助けてくれる,小さな,簡単なことに注意を払いましょう。
ジェーソン・ウィラード兄弟:ウィンピー兄弟,どうぞ。
バート・ウィンピー兄弟:救い主を中心にすることの大切さについてなのですが,わたしは生徒やレッスンについて考えるときに,キリストを中心としています。主の人格や属性を生徒に知ってほしいと思うので,そこから始めます。救い主に焦点を当てます。
次に生徒に焦点を当てます。ベドナー長老に感謝しています。リーダーシップ・エンリッチメント・シリーズの中でベドナー長老は,息子さんが祭司とローレルの活動のために何を計画すればよいか,助けを求めてきたときのことを話してくれました。ベドナー長老はヤコブ1:5を読みました。「わたしたちは信仰を持ち,また民のことを大いに心配していたので,将来彼らに何が起こるかが,すでに明らかにされていた。」息子さんがベドナー長老の言葉を理解するまでに何度か繰り返す必要がありましたよね。「何が起こる必要があるかな。活動を計画する前に,まず生徒たちがどのような経験を必要としているか考えるんだ。」わたしたちも準備する際に,どのようなことを生徒が経験する必要があるかを考えます。
三つ目に,ウィルキンソン兄弟が言ったように,教室で聖霊が御自分の役割と機能を果たせるよう意図的に取り計らうこともとても重要です。聖霊の役割と機能について考える際に,手引き『福音を教え学ぶ』の2.1を復習するととてもよいと思います。聖霊がその役割と機能を教室で果たされることを無条件に理解し,そうしていただくことは,とても重要です。
ミッシェル・クレーグ姉妹:ごく簡単なことなのですが,教えていてそこに御霊がないと感じたら,イエス・キリストと天の御父について証すると聖霊が来てくださることが分かりました。イエス・キリストと天の御父の神性について証することは聖霊の使命です。そのため,簡潔に証すると,御霊が来てくださいます。
ジェーソン・ウィラード兄弟:さらに力強く,キリストを中心として教えることについて話しましたが,もっと学習者に焦点を当てようとした場合,生徒にとって意味のあるレッスン,具体的に生徒に合ったレッスンを準備するにはどうすればよいでしょうか。
ジル・ジョンソン姉妹:この質問を初めて読んだときに,生徒一人一人にミニスタリングするとはどういう意味だろうと考えました。彼らについて具体的に知ることだろうか。個人的に知り合うことはできるだろうか。もっとよく生徒を知るためにともに時間を過ごすことでしょうか。考えているうちに,この質問は,オレムで100人以上の生徒を教えている教師にとっては違ったものになると思いました。生徒が6人だけで,家族ともとても仲がいいドイツのフランクフルとの教師とくらべると,わたしたちが生徒一人一人を知ろうとすることは途方もないことに感じるかもしれません。教師としての責任は家族を訪問したり行事に参加したりして生徒一人一人に個人的にかかわることだと感じると,気持ちがくじけてしまうのではないかと思います。生徒の行事は山ほどありますから,教師は参ってしまうでしょう。
ですから,生徒に何が必要かを評価するためのアイデアを紹介します。まず,尋ねます。何が必要か,生徒自身に尋ねる必要があります。同じ年齢,年代,文化の聖徒を持つほかの教師の考察を聞く必要があります。この教会は世界的で様々な文化の違いに溢れているからです。でもいちばん大切なのは,天の御父に尋ね,御霊に頼り,できることをすべてやれば,生徒を知るために必要な霊感をいただき,何を教えるべきかが分かるという約束を信じることです。この複雑な世の中で青少年が新しい問題を抱えていることを考えると,天の御父から導きを得ることはいっそう重要になってきます。
レイナ・I・アブルト姉妹:彼らと話し合い,彼らについて知るならば,もっとよく自分たちのことを知ることができるようになると思います。また,彼らをよく観察して,手がかりとなる言葉に耳を傾け,ヒントになる行動をよく見ておくことも,大切です。彼らの発言や発言のないこと,彼らの質問を通して,彼らをよく知ることができます。匿名で質問してもらってもいいかもしれません。名前を聞かない方が,心の内を話しやすくなることがあります。彼らの生活で起きていることに原則と教義を繋げることを忘れないでください。将来ではなく現在に焦点を当ててください。聖文の中,イスラエルの集合,救いと昇栄の業に自分自身を見いだせるようにしてください。また,人生を振り返って,主が祝福してくださった経験について思い起こすと,自分が神の子であり,主が常に祝福を与えようとしてくださっていることが分かるようになります。当事者意識を持ってもらえるようにしてください。そうするには,彼らがどのような生活をしているのかを知る必要があります。
チャッド・ウィルキンソン兄弟:どちらもすばらしいご意見です。初回の授業で,生徒に手紙を書いてもらうことができます。自分の罪などについて書くのではなく,生徒自身について書いてもらいます。この学期,あるいは今年,教師としてその生徒を助けるために知っておく必要のあることを書いてください,とお願いします。生徒の家族や仕事,携わっている活動について書いてもらいます。授業にどのようなことを期待しているかを書いてもらいます。「信仰を持てずに悩んでいます」とか「葛藤があります」でも構いません。そして,それぞれの生徒の写真を撮って,紙に貼ります。手紙を読むことを通して聖徒たちを 知ることができます。そして,それらのことを頭に入れながら準備をします。これらは,ジョンソン姉妹やアブルト姉妹が教えてくれたことを実践する幾つかの方法です。
ウィラード兄弟:次の質問は教師が助けることについてです。教義を明確に忠実に教えるという責任と,様々な状況や異なる文化的背景を持つ生徒たちに自分の考えや気持ちをうまく表現してもらうこととのバランスを,どのように取ればよいでしょうか。クラスで発言してもいい,話の流れと違う意見や気持ちを言ってもいいと感じてもらえるようにしつつ教義を教えようとしている教師に,どのような言葉をかけたらよいでしょうか。
バート・ウィンピー兄弟:教室でそのバランスを取るのは難しいときがあります。わたしたちの責任は真理を教えることだということを心に留めておく必要があると思います。生徒は,クラスに来たら真理を聞くのだということを理解する必要があります。だからこそ,聖文や預言者の言葉を中心に置く必要があります。生徒が来たら,聖文や預言者の言葉を調べてその中から答えを見つけるのです。それに,イエス・キリストの教えと贖罪に頼れるよう青少年とヤングシングルアダルトを助けるのがわたしたちの目的だということを,覚えておく必要もあります。生徒の理解を助ける必要があります。
その後,生徒にも責任があることを覚えておく必要があります。教義と聖約50章にあるように,わたしたちは真理の言葉を教えますが,その後生徒たちはそれを受け入れる必要があるのです。クラスに来るときには信心が必要です。クラスが実験室のような場所になると,クラスに来た生徒はここで真理が教えられると感じるのと同時に,疑問や経験や不安について安心して話せると感じます。ですが,教師として,わたしたちは生徒たちが学ぶ方法を学び,聖霊の感じ方を学び,その環境の中で自分自身で学び,考えていることを分かち合うよう助けるためにいます。それをきっかけに,話し合いや聖典,預言者の言葉に導かれて,単なる意見や今日世間で言われていることではなく真理を見つけることができるかもしれません。
真理に焦点を当てましょう。霊的な知識を得るパターンについて考えてください。このパターンに焦点を当てて信仰を持って行動し,永遠の観点を持って神聖なものの源泉から答えを得ることができるよう聖徒を助けるなら,彼らがクラスに来て真理を学び,天父のようになることを助けることができます。
ある地域ディレクターがこんな経験について話してくれました。教室に座っていると,あるヤングアダルトが,教会の教えとあまり一致しない意見を述べたそうです。教師はこのように答えました。「救いの計画に関するあなたの証と理解から,何が分かるかな。信仰とあなたが知っていること,あなたが感じたことを出発点として,その視点から話し合ってみよう。」するとこのヤングアダルトは,信仰をもって行動し,永遠の観点から物事を見るようになり,その場ですぐに実際に啓示を受けたそうです。彼らは知っていることやまだ知らないこと,またなぜそれを知ろうと努力し続けたいかについて話し合いました。すべての答えは分かりませんでしたが,その環境にあって,真理を知るために集まったのなら,信仰を働かせて,信じようとしながら,知っていることから始めましょう。
さて,生徒がその能力を高めつつ,学び方や答えの見つけ方を会得できるよう,どのようにして助ければよいでしょうか。気を付けなければいけないのは,福音の原則と教義に合わせて自分を変えるのではなく,自分の都合に合うように福音の原則と教義を変えようとすることです。「天のお父様,あなたのようになりたいです。福音の原則と教義がどのように助けになるのか教えてください」ということを「まだ疑問や不安があるけど真理が知りたい」という態度で聞きます。教師として,わたしたちはそのような環境作りや応じ方ができると思います。生徒が聖典や預言者の言葉から真理を学べるよう助け,葛藤する生徒が真理をほんとうに知ることができるように助けるのです。それと,証の力を過小評価しないでください。「二人または三人の証人の口によって,すべての言葉が確定される」のです。3聖文には,預言者の言葉と,真理についての証があります。御霊が証するならば,若者たちはそれを受け止め,自分で知る方法を知り,真理を理解するようになります。
ウィラード兄弟:ニーファイが「わたしは、神がその子供たちを愛しておられることは知っていますが、すべてのことの意味を知っているわけではありません」と言ったことが好きです。4ニーファイは自分が知っていることについて証し,それがすべての人にとってどれほどの祝福となるかを証しました。
チャッド・ウィルキンソン兄弟:ジェーソン,姦淫で捕らえられた女性と救い主の模範を思い出しました。主は真理を教えるのを避けることなく,よくないことだという教義を教えられました。でも,彼女が守られ,安心して経験できるような方法で教えられました。
ジル・ジョンソン姉妹:わたしも同じことを考えていました。もし生徒が救い主の愛と贖罪の力をもっと感じられれば,と思うのです。戒めや,それに従わないときの結果について教えるよりも,その方が力があると思いました。生徒が,自分をこよなく愛してくださっている御方がいらっしゃり,贖罪の力を受ける方法があり,過ちを犯しても—だれもが犯すのですが—贖罪があるということを感じられたら,良い気持ちで教室や授業を後にできると思います。希望が湧いてくるでしょう。この世にはそれが必要だと思います。
ジェーソン・ウィラード兄弟:ご意見ありがとうございます。最後の質問はそれに関連しています—青少年が,見守られ,自分は大切なことについ疑問を持っていると感じられるようにするには,どうすればよいでしょうか。クレーグ姉妹,何か付け加えることはありますか。
ミッシェル・クレーグ:皆さんよく御存じの,マルコ伝の聖句を思い出しました。ある裕福な若い役人が,永遠の命を受けるために何ができるか考えながら救い主のもとに来ます。救い主は,彼がすでに従っている戒めを幾つか挙げられます。それから,とても難しいこと—だれにも難しいことがありますが—を行うように求めます。21節が好きです。「イエスは彼に目をとめ」つまり「見て」,「いつくし……〔まれ〕た。」5青少年とかかわるうえで最も大切なのは,彼らが愛されていると感じられるように助けることです。救い主がご覧になるように見るというのは,常に簡単にできることではありませんし,相当な努力と祈りが必要になることもあります。
このことについて考えていてもう一つ思ったのは,質問の力を活用する必要があるということです。生徒や教える相手に合わせて,良い質問を投げかけられるようになる必要があります。彼らの感じていることや彼らの状態を的確に知ることができるような質問をして,彼らのほんとうの疑問を引き出すのです。そういった質問をするのは気まずかったり,簡単には答えが見つからなかったりすることもあります。そういった質問は,関心があることのしるしですから,拒絶することはできません。生徒に受け身の参加者になってほしくはありません。質問してもらいたいのです。わたしたちの仕事は,彼らを正しい情報の源である主へと導き,個人の啓示を受けてそれに従って行動できるよう彼らを助けることです。生徒が安心して自分の信じていることや,時には疑いを口にできる,信頼できる環境を作り出すときにも,同じことをする必要があります。この安全の環境を作り彼らと彼らの知性,能力,わたしたちに教えてくれること,彼らが差し出してくれるものにに敬意を払うとき,わたしたちは預言者とイエス・キリストが言われたように救いと昇栄の業に彼らが携わることがき,感じて,見て,聞くことができるように助けていることになります。自然にそのようになるでしょう。
レイナ・I・アブルト姉妹:生活状況や家庭状況の異なる生徒たちにも配慮する必要があると思います。彼らが疎外感を感じず,教会,すなわちキリストの体の一部であると感じられるようにする必要があります。また,教師は自分の使う言葉に気を付ける必要があるとも,わたしは感じています。例えば,生徒で両親と一緒に住んでいない人がいるでしょう。なので,「両親は」と言う代わりに「あなたの家族は」とか「あなたが愛する人たちは」と言うことができます。傷つきやすい人は,だれもが悩みや弱さを抱えていることを理解することのできる人だとも,思います。ですから,生徒は自分は皆が歩むこの人生の旅路を一緒に歩む仲間の一人であり,完全な人はいないと分かると,自分は大切な存在だと感じるようになると思います。それにもちろん,彼らの発言や質問に耳を傾けることも大切です。彼らが質問したら,わたしたちは立ち止まって彼らがその質問に自分で答えることができるように助けます。単に答えをあげるのではなく,聖典を開いて,祈りを通して,生ける預言者の言葉を通して答えを見つけるよう助けます。
ジル・ジョンソン姉妹:この質問について考えながら,自分が出会ってきた教師のことを思い出していました—。また,これのために準備をしていたこの数日間で,自分の教師たちとその愛と,彼らの救い主に対する献身と,その大きな影響力について思い起こせたことに感謝します。彼らや,救い主とわたしに対する彼らの愛のおかげで,わたしは自分が重要な存在だと感じました。教会のすばらしい教師の皆さんにも永遠に感謝します。教師の皆さんの良いところを思い返す,すばらしい機会になりました。
ジェーソン・ウィラード兄弟:すばらしい教師の模範は実に多くのことを教えてくれます。このパネルディスカッションや,延々と続く教授法の話よりも,模範から学ぶことの方が多いと言えます。自分の人生に祝福をもたらしてくれた教師や,自分に手を差し伸べてミニスタリングをしてくれた人を思い浮かべるだけで,今日この時間に学ぶよりも多くのことが学べるでしょう。ありがとうございます。
皆さんと過ごすこの時間を閉じるに当たり,パネラーの皆さんに感謝します。話し合いの中で言葉により教えてくださっただけでなく,さらに重要なことですが,キリストのような生活の模範によっても教えてくださいました。皆さんはイエス・キリストの弟子です。皆さんとともに過ごし,皆さんから学べたことを光栄に思います。また,全パネラーを代表して,世界各地で聞いている皆さんに愛をお伝えします。神の子供たちを祝福するために様々な方法で努力してくださり,ありがとうございます。主が生きておられ,これが主の業であることを証します。皆さんがどこにいようと,主の最も豊かな祝福が皆さん一人一人の生活に注がれますように。イエス・キリストの御名により,アーメン。