慰め主、導きを与え、 証される御方
「聖霊のと力によって、あなたは人生の旅路を導かれて行くのです。」
「世にエス様ある時のお話を読む時、わたしもその時いたならよかったと思うよ」で始まる歌を皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか(「イエス様のお話を読む時」『子供の歌集』35)。聖典に書かれているように、イエスは地上におられたときに子どもたちの頭に手を置いて祝福をお与えになりました。それと同じことが皆さんに行われるとしたら、それはどのようなものかを想像してみてください。
救い主の近くに実際に行くことができるとしたら、それはどのようなものかを考えてください。いにしえの時代に救い主が子どもたちにされたように、皆さんが救い主に愛され、癒いやされ、祝福され、導かれているところを想像してください。主が地上におられたとき、教会員は主を愛し、主に頼り、主に従いました。彼らはイエスが去って行かれなければならないことを知ったときどれほど悲しい思いをしたか想像できるでしょう。けれども主はこのように約束されました。「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。……助け主〔は〕、すなわち、……聖霊〔である。〕」(ヨハネ14:16、26)イエスは御自分が去って行かれた後、彼らとともにおらせてくださる御方として、慰め主というかけがえのない賜物をお与えになりました。
皆さんも、古代の弟子たちと同じように、主から愛されています。皆さんが思っているよりもはるかに愛されています。主は皆さんが人生における使命を立派に果たすことを願っておられます。皆さんはこの世の様々な経験にたった一人で立ち向かうわけではありませんし、また、失敗するためにこの世に送られてきたのでもありません。
この理由から、皆さんがバプテスマと確認を受け、頭に手を置かれて、「聖霊を受けなさい」と告げられたときに、聖なる賜物が授けられたのです。それはあたかも、地上の神の王国に正式に入った皆さんを祝うために、天の御父が贈り物を下さったかのようです。聖なる御霊はいつも皆さんと一緒にいて、御父のみもとへ戻れるように導いてくれます。けれどもこの聖なる賜物の恵みを享受するには、皆さんがほんとうの意味でその賜物を受けて、生活の中で活用しなければなりません。このように尊い賜物を受けていながら、放り出しておいて使わないとしたら、それはどれほど悲しいことでしょうか。聖霊がおできになる事柄のうち、3つのことだけをお話ししたいと思います。聖霊はわたしたちを慰め、導き、証することがおできになるということです。
最初に聖霊の慰めの力について考えてみたいと思います。わたしは幼いころに大病を患いました。病状は日ごとに悪化していました。医者は手を尽くしましたが、効果がありませんでした。当時、非常に恐れられていたポリオという病気がアメリカ国内で急速に伝染し、猛威を振るっていました。多くの人が命を奪われ、たとえ助かっても障害の残ることが多かったのです。そのころ、ポリオはだれもが最も怖がる病気でした。
ある晩、わたしは生死の境をさまよいました。父と祖父は聖別された油を使い、二人がふさわしく保っていた聖なるメルキゼデク神権の力によってわたしに癒しの祝福を施し、快復と助け、導き、慰めを神に願い求めました。それから両親はわたしを別の町の医者に連れて行きました。すると、その医者は2時間半かかるソルトレーク・シティーへ急いで連れて行くようにと忠告しました。間違いなくポリオだと医師がささやいているのが聞こえてきました。
ようやくソルトレークの病院に到着すると、医師たちが待っていてくれました。彼らは両親の腕からわたしを奪い取るひと、大急ぎで運んで行きました。一言ひとことの別れの言葉も説明もなく、わたしたちは離れ離れにされたのでした。わたしはまったく一人ぼっちになり、死んでしまうのだと思いました。
脊髄から髄液を採取するなどの痛い検査や診察が終わると、わたしは病院の「隔離室」に入れられ、ほかの人に感染させないためにたった一人にされました。間違いなくポリオだったからです。
どれほど怖い思いをしたか、いまだに記憶に残っています。暗闇の中で、容態は重く、一人ぼっちでした。けれども両親から祈ることを教わっていました。わたしは高い手すりの付いたベッドの上でひざまずくと、祝福してくださるよう天の御父にお願いしました。わたしは泣いていました。まだ幼い子どもでしたが、天の御父はわたしの祈りを聞いてくださいました。ほんとうに聞いてくださいました。天の御父は慰めの力を送ってくださり、わたしは静かな愛に包まれました。聖霊の力を感じました。一人ぼっちではありませんでした。
2番目の経験をお話ししたいと思います。人生の悲しみの中で慰めを必要としている一人のすてきな若い女性を知っています。家族のことで、特に両親のいさかいで悩んでいます。彼女にとっても弟や妹にとってもそれは悲しく、大きな苦しみです。彼女は最年長の子どもで、家族のこの危機を乗り越えるために何ができるだろうかと考えています。同じような境遇にある方が皆さんの中にもいらっしゃるかもしれません。簡単な解決策はありませんし、心を痛め心配しているすべての人に効果のある方程式はありませんが、皆さんの状況を心から心配しておられ、皆さんが何をすべきかを御存じの方がおいでになります。それは天の御父です。天の御父はあたかも皆さんのそばにおいでになり、面と向かってお話しができるのではないかと思うほど、皆さんの生活に大きな関心を寄せておられます。天の御父はこの少女の心にある思いを御存じであり、また皆さんの心にある思いも御存じです。皆さんを祝福するために、聖なる御霊が連んでくれる平安の賜物が皆さんに与えられています。イエスは言われました。「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」(ヨハネ14:27)若い女性の皆さん、慰めを求めて祈ってください。そうすれば、その賜物が与えられるでしょう。
第2の要点は、聖なる御霊は導く力を持っているということです。15歳のある少女は新しい友達を見つける必要があると感じていました。皆さんはそのように感じたことがあるでしょうか。彼女はこのように書いています。「友達を変えなければならないような経験があなたにもあったかどうか知りませんが、正直なところ、わたしにとってそれは今まででいちはん大変なことでした。」彼女はその問題を主にゆだねることにしました。両親にも相談しました。数か月たつと彼女は「もう投け出したかった」と言っています。ある日の午後、彼女はセミナリーの教師と何げなく話をし、問題を打ち明けました。すると教師はこう言いました。「どうしてこういう質問を君にするのか自分でもよく分からないけれど、あなたたちの年齢の女の子はどんなか知っているよね。」少女は知っていると答えました。すると教師は言いました。「そういう女の子たちと友達になろうと考えたことはないの。」
「彼女たちとうまくやるなんてとてもできないと答えました。先生は女の子たちの一人と話してみようかと言いました。そこで、わたしが当惑するようなことはしないという条件で、お願いすることにしました。
翌日、一人の女の子から電話がかかってきました。理解していただきたいのは、その女の子は生徒会の役員だったということです。それに、こういう言葉を使いたくないのですが、彼女は『だれにでも好かれる』女の子でした。その日の夜、バスケットボールの試合を一緒に見に行こうと誘ってくれました。これまでの人生でその晩ほど楽しく、心が穏やかだったことはありませんでした。翌日、彼女は学校で二人の女の子にわたしを紹介してくれました。わたしたちはすぐに友達になりました。この出来事がわたしを変えたのです。」
このような言葉で締めくくられています。「あなたはどうか分かりませんが、物事の今しか見えないわたしよりも、あらゆることの結果を御存じの主にわたしの人生を導いていただきたいと思います。たとえ孤独を感じるときでも、主はわたしたちのすぐそばにいて、一緒に人生を歩んでくださいます。」(若い女性事務局保管の手紙)
主はこのように約束しておられます。「柔和で心のへりくだった状態であれば聖霊の訪れがある。この慰め主は、希望と完全な愛を人の心に満たされる。そしてこの愛は、熱心に祈ることによって、……続くのである。」(モロナイ8:26)
皆さんが導きを求めるとき、天の御父は正しい道を選べるように助けてくださいます。けれども、祈った後、立ち上がって、何か建設的なことを始め、正しい方向に向かって行動しなければならないことを忘れてはなりません。天の御父はあなたの行く道の先々で助けてくれる人たちを遣わしてくださるでしょうが、同時にあなたは自分のなすべきことを行わなければなりません。聖霊の賜物と力によって、あなたは人生の旅路を導かれて行くのです。
第3の要点は、聖霊は証をする御方でもあられるということです。この聖なる御霊は、イエス・キリストが世の救い主であられること、キリストによってこの世に生きた人は再び生きるという、人に知らされた最も大切な真理を心の奥底で理解できるように助けてくれます。わたしたちが悪い行いを悔い改めて、天の御父のみもとへ戻る道に引き返すことができるのはキリストのおかげです。これが贖罪の意味です。わたしたちが知りたいと求めるとき、聖なる御霊はわたしたちの心にその真理を証し、またわたしたちがこれらの真理について証するとき、聞く人々にそれが真実であることを証してくれます。
ジェフリー・R・ホランド長老は、わたしたちが人々に証するとき、相手の人は「キリストに関するわたしたちの証を聞いているだけにとどまらない」と教えています。「その人自身のキリストに関する証をはじめ、ほかの、かつて述べられた証がこだまするのを聞いてもいるのです。」なぜならば、彼らは前世でキリストを選び、サタンよりもキリストに従うことを選んだ雄々しい者たちの中に数えられていたからです。「人々が〔キリストの〕救いに関する使命について証を聞くとき、その証は懐かしい響きを持ち、彼らがすでに知っている真理とこだまする」とホランド長老は教えています。さらに、キリストの使命について証するとき、「皆さんは父なる神と聖霊の力をその場に招いているのです。」(“Missionary Work and the Atonement,” Ensign、 2001年3月号、11-12参照)モロナイ書第10章5節には「聖霊の力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう」と約束されています。愛する若い姉妹の皆さん、キリストの使命に関する証を得るために努力してください。この証は聖霊の力によって与えられます。証を得たら、それを分かち合い、しばしばその証を述べてください。
聖なる御霊は慰め主であり、導きを与え、証される御方です。何と驚くべき、聖きよい神会の御方でしょうか。皆さんは御霊の影響と霊感を受ける権利を持っています。何と祝福され、愛されていることでしょうか。このように、皆さんは非常に多くのものを受けているので、与えなければならない立場にいます。このことを踏まえて、今晩、皆さんに特別なお願いをしたいと思います。実際のところ、それは呼びかけです。皆さんにそれを引き受けて、行動していただきたいと思います。準備はいいでしょうか。これが呼びかけです。
これから1年の間に、一人の若い女性に手を差し伸べて、教会に活発になるよう力を尽くしていただきたいのです。あまり活発でない少女や最近改宗した若い女性、教会員でない人を、きっと皆さん一人一人が知っているはずです。一人の若い女性に手を差し伸べて、イエス・キリストの福音を分かち合うようお願いします。今晩お話ししてきたすばらしい天の祝福を、その若い女性にも味わっていただきたいのです。
どれだけ多くの人々の生活に恵みがもたらされ、どれだけ大勢の若い女性が慰められ、導かれ、より強い証を得られるかを考えてみてください。今年、教会には50万人以上の若い女性がいます。考えてみてください。皆さん一人一人がこの呼びかけにこたえて、手を差し伸べ、ただ一人を迎え入れることができたら、来年は2倍の活発な若い女性がいることになるのです。努力するとき、聖なる御霊の導きを求めてください。何をどのようにしたらよいかについて、皆さんの両親や指導者が助けてくれます。皆さんの経験と成功をぜひお聞かせください。このお話で第3の要点、すなわち証することを説明するために、実例となるお話を使いませんでした。なぜならば、わたしたちの願いを受け入れ、書いてくださる皆さんのお話がそれに当たるからです。そのお話を今晩から始めてくださるようお願いします。
このお話の最初に、救い主が地上の人々の中におられたときのことを思い起こさせてくれる歌を紹介しました。話を終えるに当たって、わたしたちの贖い主、主イエス・キリストは幕のかなたへ行かれましたが、今も生きておられ、わたしたちを愛し、祝福してくださることを思い起こさせてくれる賛美歌の歌詞を読みたいと思います。「主は……わが恐れをとめ涙ぬぐいたまい、心に喜びを与えて、生きたもう。」(「主は生けりと知る」『賛美歌』75番)主は聖霊の賜物と力を通してそのようにしてくださることを証します。わたしたちがこの神聖な賜物を神から頂き、活用できるよう、愛する救い主イエス・キリストの聖なる御名によってお祈りします。アーメン。