2000–2009
純粋な証
2004年10月


純粋な証

証,つまりほんとうの証は,御霊から生じ,聖霊によって確認され,人の生活を変えるものです。

わたしは最近,アジアでの任務を終えて帰国しました。任地では多くの忠実な聖徒と宣教師に会いました。ある集会は大都市圏で開かれました。2,100万人近い人口を抱えるその都市に,約1万4,000人の教会員が住んでいます。その比率をこの集会に当てはめてみると,このカンファレンスセンターに集っている2万人を超える聴衆の中に,教会員がたったの13人しかいないことになります。

この経験は,わたしたちがどれほど感謝しなければならないかを教えてくれました。暗黒と背教時代を経て,ジョセフ・スミスが聖なる森で御父と御子の驚くべき示現を受けたのです。天の御父である神が生きておられ,その御子イエス・キリストがわたしたちの救い主,贖い主であり,イエス・キリストの福音を管理する神権の権能が地上に再び回復されたという証を持つことは,現代の世にあって明らかにまれであり,貴重なことです。これらの真理に対する証を得ることは,計り知れないほど大いなる祝福です。決しておろそかにすべきではありません。

個人の証は信仰の土台です。それは世のほかの宗教と比較したときに,会員の生活の中に末日聖徒イエス・キリスト教会を特異なものとする力です。回復の教義はそれ自体がすばらしいのですが,その教義を力強く,意義深いものとするのは,回復された福音を受け入れ,日々その教えに従って生活しようと努める世界中の教会員の証なのです。

証とは,聖霊によって個人の心と霊に焼きつけられる永遠の真理を確証または確認することです。聖霊の第1の働きは,真理,特に御父と御子についての真理を証することです。人が神の定められた過程を経て真理の証を受けると,直ちにその人の生活に影響が表れます。息子アルマの言葉を借りると「その種はあなたがたの心の中でふくらみ始めるであろう。そして,あなたがたは種がふくらみつつあるのを感じると,心の中で次のように思うであろう。『……御言葉は良いもの〔である。〕これはわたしの心を広げ,わたしの理解力に光を注ぎ,まことに,それはわたしに良い気持ちを与え始めている。』」(アルマ32: 28

簡単に言えば,証,つまりほんとうの証は,御霊から生じ,聖霊によって確認され,人の生活を変えるものです。証によって考え方や行動,語る言葉が変わります。また,すべての優先順位とすべての選択に影響が及びます。イエス・キリストの福音に対する真の,そして不変の証を持つということは,「霊的に神から生まれ〔る〕」ことであり,「〔自分〕の顔に神の面影を受け〔る〕」こと,「心の中に……大きな変化」を経験することなのです(アルマ5:14)。

人生のあらゆることがそうであるように,証は経験と奉仕を通してはぐくまれます。会員,とりわけ子供たちが証するときに,家族や教会,教師,友達への愛など,感謝する事柄を次々と挙げるのを聞くことがあります。福音によって幸福と安らぎを感じるので,彼らにとって福音は感謝の対象となるのです。初期の段階としてはこれでよいのですが,証とはそれ以上のものでなくてはなりません。早い段階から福音の第一の原則にしっかりと根付かせる必要があります。

天の御父の愛の本質,イエス・キリストの生涯と務め,神のすべての息子娘に及ぼされる主の贖いの効力に対する証があれば,悔い改めて,聖霊を伴侶とするのにふさわしい生活を送りたいという望みを持つようになります。またその証によって,末日における福音の回復に対する確証を心で感じるようになります。これらの貴い真理に対する真の証は,家族を教えることや,祈り,聖文研究,人々への奉仕,天の御父の戒めに従順になることなど,誠実かつ懸命に努力した後に聖霊によって与えられます。福音の真理に対する証を得て,それを永遠に持ち続けることは,霊的な備えという点で求められるいかなる代価を払ってでも,手に入れるべきものなのです。

教会での経験を通じて気がかりなことがあります。ほとんどの会員の証が「感謝します」「愛しています」という段階にとどまっており,「知っています」と謙遜ながらも心からはっきりと言える人があまりにも少ないのです。その結果,教会の集会では,聞く人の生活に意義深く肯定的な影響を与えるような,霊的な証に満ちあふれる土台が欠けることがあります。

証会では,救い主,福音の教義,回復の祝福,聖文の教えにもっと焦点を当てるべきです。家族の話や旅行談,講話を,純粋な証に取って代える必要があります。教会の集会で話す責任や教える責任を受けた人は,耳と心に響き,霊を高め,会員を教化する教義の力をもってその責任を果たさなければなりません。ベニヤミン王が民に向けた力強い説教の中心が,当時まだ降誕しておられなかった救い主に対する個人的な証であったことを思い出してください。

説教の中で王が民に証を述べたとき,「主の御霊が彼らに降られ〔まし〕た。そして彼らは……喜びに満たされ〔まし〕た。それは,彼らが……将来来られるイエス・キリストを深く信じたためで〔す。〕」(モーサヤ4:3

キリストに対する純粋な証が述べられているときに,御霊を制止することはできません。そのため,ベニヤミン王の証に深く感銘を受けた民の生活は,まさにその場で変化し,彼らは新たな民となったのです。

また,アビナダイとアルマを思い出してください。アビナダイは主イエス・キリストに対する証を勇敢に述べたので,邪悪なノア王の怒りを買いました。そしてこの偉大な宣教師は,自身の証と信仰のために究極の犠牲を払いました。しかしその前に,アビナダイの純粋な証は一人の信じる者の心に響きました。ノア王の祭司だったアルマは「自分の罪……を悔い改め,〔イエスをキリストとして受け入れ〕,人々の中をひそかに巡って,アビナダイの言葉を教え始めた」のです(モーサヤ18:1)。アビナダイの救い主に対する力強い証と,ただ一人それを信じたアルマによって,多くの人がイエス・キリストの福音に改宗しました。

使徒パウロもキリストに対する証を熱心に述べ,伝道活動を通して多くの人を改宗しました。そしてアグリッパ王の前でひるむことなく証を述べました。パウロの言葉があまりにも力強かったので,このローマ帝国の有力な代表者ですらこのように叫びました。「おまえは少し説いただけで,わたしをクリスチャンにしようとしている。」(使徒26:28

このことから明らかなように,証は持っているだけでは十分とは言えません。実のところ,ほんとうに改宗していれば,証せずにはいられないはずです。いにしえの使徒や忠実な会員たちがそうであったように,「真実であると知っている事柄を告げ知らせ〔る〕」ことはまた(教義と聖約80:4),わたしたちの特権であり,務めであり,神聖な義務なのです。

念を押しますが,ここで話しているのは真の証を伝えることであって,感謝している事柄をただ一般的に述べることではありません。愛や感謝を表すことは常にすばらしいことですが,そのような表現が人の生活に信念の火を燃え立たせるような証を築くのではありません。証するとは「聖霊の力によって証言をすること,また自分の知識や信念に基づいて厳粛に真理を宣言すること」です(『聖句ガイド』「証する」の項,7-8)。明確に真理を宣言することで,生活に変化が表れます。それが心を変えるのです。そして聖霊が神の子供たちの心に確信をお与えになります。

様々な事柄に対して証を持つことができますが,教会の会員として,教会内だけでなく,信仰の異なる人々に対しても絶えず教え,述べるべき一つの基本的な証があります。神がわたしたちの御父であり,イエスがキリストであられることを証してください。救いの計画は救い主の贖いを中心としています。また,ジョセフ・スミスはイエス・キリストの完全な永遠の福音を回復しました。そしてモルモン書は,わたしたちの証が真実であることを証明してくれます。

会員が宣教師とともに教会員でない人に純粋な証を伝えるとき,奇跡的なことが起こります。例えば,アモナイハの地で多くの人がアルマの証に感銘を受けたとき,アミュレクが立ち上がって自分の証を添えると,「人々は……証する証人が一人にとどまらなかったので……驚」きました(アルマ10:12)。現代でも同じことが起きます。わたしたちがともに立ち上がり,一致して証を述べるなら,主は御自身の声を知る,より多くの羊を見いだせるよう助けてくださいます。

何年も前,ブリガム・ヤングは教会初期のある宣教師について話しました。その宣教師は大勢の人の前で証を述べるよう求められました。しかしヤング大管長によると,その長老は「今までジョセフ〔・スミス〕が預言者であると公言できずにいた」のです。できれば祈るだけにとどめ,その場を立ち去りたいと思いましたが,許される状況ではありませんでした。彼は口を開くと,「『ジョセフは』と言った途端に,『預言者です』という言葉が続き,その後も彼の舌は緩み,夕暮れまで語り続けたのです。」

ヤング大管長はこの経験を用いてこう教えました。「主のお与えになった言葉を証するとき,主はその人に御霊を注がれます。」(Millennial Star,補遺,1853年,30)

預言者の兄ハイラムはそのことを知っていました。そして弟ジョセフに啓示された神の真理を雄々しく証し,自身の心に確信を得たのです。ハイラムの証は多くの人の生活を祝福しましたが,パーリー・P・プラットもその一人でした。パーリーが初めてモルモン書と出会ったとき,ハイラムはパーリーを自宅に連れて行き,教え,証しながらその晩を過ごしました。そしてジョセフに課せられた預言者としての召しと,モルモン書が真実であることを証しました。しばらくたってから,ハイラムは自分の用事を後回しにして,……パーリーの望みにこたえるためにバプテスマを施しに〔行きました。〕(Autobiography of Parley Parker Pratt, パーリー・P・プラット・ジュニア編,〔1938年〕,35-42参照)

パーリー・P・プラットに対するハイラムの証が,どれだけの影響を及ぼしたかを十分に計り知ることはできないでしょう。多くの信仰深い子孫に加えて,パーリーの使徒としての証や伝道活動は数え切れないほどの人を神の王国に導きました。興味深いことですが,パーリーがカナダで伝道したときに教会に入った人の中に,ジョセフ・フィールディングとその姉妹である,メアリーとマーシーがいました。ハイラムは最初の妻ジェルーシャが亡くなってから,メアリー・フィールディングと出会い,結婚しました。この二人から,後に大管長となるジョセフ・F・スミスをはじめ,多くの教会員と教会指導者が誕生しました。しかしすべての証が,ハイラムの証のような祝福をもたらすわけではないことも承知しています。

イギリス,サッチャムでの新しい改宗者,ジョセフ・キンバーは,ともに農業に従事する少年に簡潔な証を伝えました。キンバー兄弟のジョセフ・スミスと回復に対する証が,17歳のヘンリー・バラード少年の心に信仰の火をともし,バプテスマを受けたいという気持ちにさせたのでしょう。バラード家は何世代にもわたり,謙虚な証から恩恵を受けています。

今日の会員と宣教師は,最善を尽くして生活し,「いつでも,どのようなことについても,どのような所にいても……神の証人になる」備えをすることで人を改宗する機会にあずかることができます(モーサヤ18:9)。最近ある友人が,ブラジルで1時間半バスに乗ったときのことを話してくれました。友人はバスの後部座席に行って,若者たちに声をかけるべきだと感じました。その若者たちは,友人たちビジネスマンの一行を案内してくれていました。彼の父親の知人も一緒に後部座席に行き,回復された福音に対する彼の証を聞きました。父親の知人であるこの男性は後にこう言いました。「あなたの証を聞いたとき,それが真実であるというはっきりとした感覚が体中に走りました。」その男性と妻は間もなくバプテスマを受けます。

宣教師たちは今,会話文を暗記したり,形式的なレッスンを行ったりはしません。彼らは御霊の導きを求め,福音の真理を霊から霊へ,心から心へ伝えるにはどうしたらよいか考えながら,福音の原則の概要をまとめます。兄弟姉妹の皆さん,宣教師とともに貴重な証を日々分ち合い,あらゆる機会に回復のすばらしいメッセージについて証してください。より多くの御父の子供たちに福音を紹介するうえで必要なのは証の炎だけです。主を信頼してください。そして御霊の力によって述べる証が人の生活に及ぼす影響を,決して過小評価しないでください。疑いと恐れはサタンの道具です。今はどのような恐れをも克服し,あらゆる機会をとらえて福音についての証を大胆に述べる時なのです。

皆さんが祈りや個人の福音学習,奉仕活動を通してこれからも証をはぐくむときに,主の祝福がありますように。わたしは大いなる喜びをもって,神がわたしたちを愛しておられること,イエスがキリストであられ,ジョセフ・スミスが完全な永遠の福音を回復したこと,またモルモン書がこれらの真理を立証してくれることを慎んで証します。今日わたしたちは生ける預言者によって導かれています。愛する兄弟姉妹,皆さんが教え,証するときに,主が祝福してくださいますように。イエス・キリストの御名によりお祈りします。アーメン。