2010–2019
御国が来ますように
2015年4月


15:32

御国が来ますように

主が来られることを思うと,わたしの心は高鳴ります。きっと息をのむすばらしさでしょう!その規模の大きさと雄大さ,広大さ,壮麗さは,これまで誰も見たことも,経験したこともないほどでしょう。

賛美歌を歌いながら,この瞬間に200か国に住む何十万,いやおそらく何百万人の信仰を持つ聖徒たちが75の言語で耳を傾けていることを思い,1 深く感動しました。わたしたちは声を合わせて神に歌いました。

来ませ,王の王

待ちに待てり

かばいて 自由,

人に与う 2

「来ませ,王の王。」3わたしたちは,世界的な教会の信者の家族の一員であり,主イエス・キリストの弟子です。

わたしたちは御子の御名を受け,毎週聖餐を受けるときに御子を覚えてその戒めを守ることを約束します。わたしたちは完全には程遠い存在ですが,自分の信仰を軽んじてはいません。主を信じ,主を礼拝し,主に従い,主を深く愛しています。主の大義はこの世で最も偉大な大義です。

兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは主の再臨に先立つ時代に生きています。これは古くから信者が待ち望んできた時です。わたしたちは,戦争と戦争のうわさのある時代,そして自然災害が起こり,世が混乱と騒乱に苦しむ時代に生きています。

しかし,わたしたちが生きている時代は,福音が世界中に広められる栄光ある回復の時代,主が「義と神の力をもって」4「一つの清い民を……起こ〔し〕」5武装させると約束された時代でもあります。

わたしたちはこの時代を喜び,試練と不安には勇気をもって立ち向かうことができるように祈ります。中には他の人より深刻な試練を受ける人もいますが,試練は誰もが経験するものです。ニール・A・マックスウェル長老から,かつてこう言われました。「今万事順調なら,少し待っていなさい。」

主は「恐れることはない」6と繰り返し保証してくださっていますが,試練のただ中にあるときに現世の先をはっきりと見据える観点を持ち続けるのは,必ずしも簡単なことではありません。

永遠の視点を持ち続けることについて,わたしはトーマス・S・モンソン大管長から大切なことを教えられました。

18年前,モンソン大管長とスイスを列車で旅していたときのことです。わたしは彼が負っている重い責任について尋ねました。彼の答えを聞いて,わたしの信仰は強められました。大管長はこう言いました。「大管長会では,この業を進めるためにできる限りのことをします。しかし,これは主の業であり,主がそれを導き,指揮を執っておられるのです。自分たちでは開けられない門戸を主が開き,想像もできない奇跡を起こされるのを目にして,わたしたちは感嘆するばかりです。」7

兄弟姉妹の皆さん,地上に主の王国を築くうえで主が行われる奇跡を認め,信じるならば,わたしたち自身の生活にも主の御手があることを認め,信じる助けになります。

主は「わたしにはわたし自身の業を行う能力がある」8と宣言しておられます。わたしたちはそれぞれの務めを果たすよう努力しますが,主こそ全ての設計者であられます。主は御父の指示の下でこの世界を造られました。「すべてのものは,この御方によって造られた。造られたもののうち,一つとしてこの御方によらないものはなかった。」9わたしたちが霊の目を覚まし注意していれば,主の御手が世界中に,そして自分自身の生活にも及んでいるのに気づくことができます。

一つ例を挙げましょう。

1831年,教会員がわずか600人しかいなかったとき,主は次のように宣言されました。「神の王国の鍵は地上の人にゆだねられており,あたかも人手によらずに山から切り出された石が全地に満ちるまで転がり進むように,そこから福音は地の果てまで転がり進むであろう。」10

預言者ニーファイは,わたしたちの時代には地上の人口と比較して教会員の占める割合は「小さ〔い〕」が,「地の全面にいる」のを予見していました。11

主の御手がその王国の建設に関わっているのが分かる3つの良い例が,モンソン大管長によって今日発表された3つの神殿の建設です。数十年前ですら,ハイチとタイとコートジボワールに神殿ができると誰が想像できたでしょうか。

神殿をどこに建設するかは,単なる地理的要素によって決定されるわけではありません。主から預言者に与えられる啓示によるものであり,達成されるべき大いなる業があることと,何世代にもわたって神殿を大切にし,維持する義にかなった聖徒たちがいることの表れです。12

Thomas S. Monson of the Quorum of the Twelve Apostles, visiting Haiti.  On April 17, 1983 he dedicated Haiti for the preaching of the gospel and also dedicated a site for the first meetinghouse to be built in Haiti.  It was the first visit to the island by a member of the Quorum of the Twelve.  (Ensign Aug. 1983, p. 79; Church News, May 22, 1983, p. 4)
A group of Missionaries with Elder Andersen

ちょうど2年前,妻のキャシーとハイチを訪問しました。トーマス・S・モンソン長老が30年前にその国を奉献したのを記念し,わたしたちはハイチの聖徒たちとともにポルトープランスを見下ろす高台に集まりました。2010年のハイチの壊滅的な地震を誰も忘れることはないでしょう。忠実な会員と,ほぼ全員がハイチ人から成る勇敢な宣教師たちの働きにより,教会はこの島国において発展し続け,強くなっています。このような神の聖徒たちが白い衣をまとい,聖なる神権の力をもって主の宮で聖なる儀式を管理し執行するのを思い描くだけで,わたしの信仰は鼓舞されます。

Sathit and Juthamas Kaivaivatana of Bangkok Thailand.
President Kaivaivatana and other members of the Thailand Bangkok Thailand North Stake leadership..

美しいバンコクに主の宮が建つのを誰が想像できたでしょうか。大多数が仏教徒のこの国ではクリスチャンはわずか1パーセントにすぎません。ハイチの場合と同じように,主はバンコクでも地上の選民を集められました。数か月前にタイを訪れたとき,サーティットとジュハマス・カイワルワタナ,そして彼らの子供たちに会いました。サーティットは17歳で教会に入り,母国で伝道しました。その後,インスティテュートでジュハマスと出会い,二人はマニラ神殿で結び固められました。1993年,カイワルワタナ夫妻は居眠り運転のトラックにはねられ,サーティットには胸から下にまひが残りました。それでも彼らの信仰は揺らぎませんでした。サーティットはバンコクのインターナショナルスクールの教師として尊敬を集め,タイ・バンコク北ステークのステーク会長を務めています。神の奇跡は驚くべき御業だけでなく,わたしたち個人の生活にも及ぶのが分かります。

Couples in the Ivory Coast

コートジボワールにおける教会の奇跡は,2組の夫婦の名を挙げずには語れません。フィリップとアネリス・アサード,それからルシアンとアガサ・アフーイです。彼らは新婚時代に教会に入りました。一組はドイツで,もう一組はフランスで改宗しました。1980年代,フィリップとルシアンは神の王国の建設のためにアフリカの祖国に帰るべきだという強い印象を受けました。ドイツ人であるアサード姉妹にとって,家族から遠く離れることや,アサード兄弟が熟錬の機械技師としての職を捨てることに同意するには,非常に大きな信仰が必要でした。2組の夫婦はコートジボワールで初めて出会い,一緒に日曜学校を始めました。30年前のことです。今,この美しいアフリカの国には8つのステークがあり,2万7,000人の会員がいます。アフーイ夫妻は今も気高い奉仕を続けています。アサード夫妻も同様で,最近ガーナ・アクラ神殿での伝道を終えたばかりです。

神の御手が業を進めているのが分かるでしょうか。ハイチの宣教師や,タイのカイワルワタナ夫妻の生活に神の御手があるのが分かるでしょうか。アサード夫妻とアフーイ夫妻の生活に神の御手があるのが分かるでしょうか。皆さんの生活にも神の御手があるのが分かりますか。

「すべてのことの中に神の手を認めない者……のほかに,人はどのようなことについても神を怒らせることはない。」13

神の奇跡はハイチ,タイ,コートジボワールにとどまりません。周りを見てください。14「神は……すべての民を心にかけられる……。まことに,神は御自分の民を数えておられ,神の憐れみの心は全地のうえに及んでいる。」15

わたしたちは,他の人の生活に主の御手を見ることができても,「どうしたら自分の生活の中に主の御手をもっとはっきり見ることができるだろう」と考えがちです。

救い主は言われました。

「疑ってはならない。」16

「恐れることはない。」17

「あなたがたの父〔が知らずに〕……一羽の〔すずめ〕も地に落ちることはない。

それだから,恐れることはない。〔なぜなら,〕あなたがたは多くのすずめよりも,まさった者〔だから〕である。」18

敵に囲まれた若者が預言者エリシャに「ああ,わが主よ,わたしたちはどうしましょうか」19と叫んだことを覚えているでしょうか。

エリシャは答えて言いました。

「『恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから。』

「〔それから〕エリシャが祈って『主よ,どうぞ,彼の目を開いて見させてください』と言うと,主はその若者の目を開かれたので,彼〔は〕火の馬と戦車が山に満ちて〔いるのを見た。〕」20

皆さんが戒めを守り,自分の生活において主の御手を認められるよう信仰をもって祈るとき,主は皆さんの霊の目をこれまで以上に大きく開き,皆さんが独りではないとはっきり分かるようにしてくださるとお約束します。

聖文はわたしたちに「将来の出来事を確固として信じ続け」21なければならないと教えています。将来の出来事とは何でしょうか。救い主はこう祈られました。

「天にいますわれらの父よ,御名があがめられますように。

御国が来ますように。みこころが天で行われるとおり,地にも行われますように。」22

わたしたちは皆で,「来ませ王の王」と歌ったばかりです。

主の栄光に満ちた再臨の日を待ち望むとき,わたしたちの信仰は増します。主が来られることを思うとわたしの心は高鳴ります。きっと息をのむすばらしさでしょう!その規模の大きさと雄大さ,広大さ,壮麗さは,これまで誰も見たことも,経験したこともないほどでしょう。

その日,主は布に包まれて飼葉おけに寝かせられた状態23ではなく,「天の雲の中に,力と大いなる栄光とをまとって,すべての聖なる天使たちとともに」来られるのです。24「天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響く」25のが聞こえ,太陽と月は光を与えず,「もろもろの星はその場所から投げ落とされる」26でしょう。皆さんやわたし,あるいはわたしたちの後に続く「聖徒たちは地の四方から出て来」27て,「身を変えられて,主に会うために引き上げられ〔ます〕。」28義のうちに亡くなった人々もまた,「天の……ただ中で主に会うために引き上げられる」29のです。

それから想像を絶するようなことを経験します。主は,「すべての肉なるものがともにわたしを見る」30と言われました。どのように起きるのでしょうか。わたしたちには分かりません。しかし,わたしは預言されたとおりに起きると証します。わたしたちは敬虔にひざまずくことでしょう。「また,主は声を発し,地の果てに至るすべての者がそれを聞く。」31「それは大水のとどろきのような,また激しい雷鳴のような声であ〔る〕。」32「〔それから〕,主すなわち救い主が,その民のただ中に立〔たれる〕」33のです。

それから,天の使いと地上の聖徒たちが感動的な再会を果たします。34しかし,イザヤは何よりも大切なことをこう宣言しています。「地のすべての果は,われわれの神の救を見」35て,主は「すべての肉なるものを治める」36と。

その日,懐疑論者は口を閉ざします。なぜなら,イエスがキリストであり,神の御子,世の救い主,贖い主であることを「すべての耳が……聞き,すべてのひざがかがみ,すべての舌が告白するから〔です〕。」37

今日は復活祭です。わたしたちは主の栄光に満ちた復活と,わたしたち自身の約束された復活を喜びます。主の再臨を待ち望み,それに備え,その時を心の中で,そして家族や友人と,繰り返し思い描きましょう。主と同じく,わたしたちも「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように」38と祈りましょう。主は生きておられると証します。「来ませ,王の王。」イエス・キリストの御名によって,アーメン。

  1. 総大会は94言語に翻訳されていますが,全ての言語が全部の部会に対して同時通訳を提供しているわけではありません。この大会の日曜午後の部会は75の言語で同時通訳が提供されました。

  2. 「来ませ,王の王」『賛美歌』29番

  3. 2015年3月31日火曜日,大管長会事務局はわたしに電子メールで,わたしの総大会のお話は4月5日の日曜午後の部会の中で,「来ませ,王の王」を全員で歌った直後であると知らされました。パーリー・P・プラットの詩によるこの末日の偉大な賛美歌の言葉は,救い主が地上に戻って来られることに対する謙遜な願いが込められています。この賛美歌は,恐らくどの賛美歌よりも力強く,この大会のわたしのメッセージを表現していると思います。世界各地にいる信仰深い聖徒たちが復活祭の日曜日に,声を合わせ,神に向かって,「来ませ,王の王,待ちに待てり」と歌うことの意味を思い,わたしの心は深く感動しました。総大会の選曲について,わたしは何も提案しませんでした。そのことを考えると,音楽を担当する人たちがわたしの大会説教のタイトルが「御国が来ますように」であることを知って,救い主の再臨に関するこの賛美歌を選んでくれたのではないかと考えています。後で知ったのですが,タバナクル合唱団の指揮者たちはこの賛美歌を3月の始めに大管長会に推薦していたということです。それは,翻訳のためにわたしが自分のお話の原稿を大管長会事務局に送付した日よりも数週間も前のことです。前回「来ませ,王の王」が総大会の全体で歌う賛美歌に選ばれたのは2002年10月の大会でした。わたしたちはそれぞれが自分の分を果たすように努めますが,全体をとりまとめておられるのは主であられます。

  4. 1ニーファイ100.16

  5. 教義と聖約14:14

  6. 教義と聖約10:55

  7. 個人的な経験,1997年5月

  8. 2ニーファイ27:20

  9. ヨハネ1:3

  10. 教義と聖約65:2

  11. 1ニーファイ14:12

  12. 2001年の秋,ブラジルに住んでいた頃,わたしは大管長会のジェームズ・E・ファウスト管長にクリチバに住む聖徒たちのすばらしい事柄について熱心に話しました。ゴードン・B・ヒンクレー大管長にそのことを伝えてほしいと願っていました。ファウスト管長はわたしの言葉を遮ってこう言いました。「ニール,わたしたちは大管長を説得しません。神殿をどこに建設するかは,主とその預言者の間で決められることです。」ブラジル・クリチバ神殿が奉献されたのは2008年でした。

  13. 教義と聖約59:21

  14. 主の御手による大きな奇跡の一つは,アメリカ合衆国において主の王国が全ての州の町々に及んだことです。一つの例を紹介しましょう。2006年5月,わたしはテキサス州デントンでステーク大会を管理する割り当てを受けました。宿泊したのはステーク会長のボーン・A・アンドラス会長宅でした。アンドラス姉妹がデントンにおける初期の教会の話をしてくれました。教会はアンドラス姉妹の両親であるジョン・ポーター,マーガレット・ポーター夫妻から始まりました。最初は日曜学校だけだったそうです。しかし,ポーター家族がラグズデール家族に福音を紹介し,次にラグズデール家族がノーブル家族とマルティノ家族に紹介しました。もちろん,宣教師の大きな貢献もあり,多くの家族が教会に入りました。西部からデントンに引っ越してきた人々もいました。当時小さな支部だった所には,現在4つのステークがあります。16歳で改宗したマルティノ家の息子の一人は,現在教会の中央幹部として奉仕しています。

  15. アルマ26:37

  16. マタイ21:21

  17. マルコ5:36

  18. マタイ10:29,31

  19. 列王下6:15

  20. 列王下6:16-17

  21. モーサヤ4:11

  22. マタイ6:9-10;教義と聖約65:6も参照

  23. ルカ2:12

  24. 教義と聖約45:44

  25. 1テサロニケ4:16

  26. 教義と聖約133:49

  27. 教義と聖約45:46

  28. 教義と聖約88:96

  29. 教義と聖約88:97

  30. 教義と聖約101:23

  31. 教義と聖約45:49

  32. 教義と聖約133:22

  33. 教義と聖約133:25

  34. モーセ7:63参照

  35. イザヤ52:10

  36. 教義と聖約133:25

  37. 教義と聖約88:104

  38. マタイ6:10