2010–2019
神から与えられる貴重な賜物
2018年4月


14:29

神から与えられる貴重な賜物

キリストを信じるまことの信仰をごくわずかでも,たとえ,からし種ほどの信仰でも行使するなら,人生を信仰と喜び,幸福,希望,愛で満たすことができます。

兄弟姉妹の皆さん,わたしたちはたった今聖会に出席したところです。この慣習は,古代イスラエルの民が集まって主の臨在を感じ,主の祝福を祝った聖書の時代にまでさかのぼることができます。わたしたちは,この古代の慣習が預言者ジョセフ・スミスを通して回復された時代に生きる特権にあずかっています。この最も神聖な機会に参加して感じたことを個人の日記に記録するよう,皆さんにお勧めします。

最近わたしたちは,愛する友人であり預言者である,トーマス・S・モンソン大管長に別れを告げました。だれもが寂しく思う一方で,主の教会を管理するために,主が新しい預言者,ラッセル・M・ネルソン大管長を召してくださったことに深く感謝しています。わたしたちは秩序ある方法で,今,教会歴史の新しい章を開いたのです。これは神から与えられた貴重な賜物です。

各自が手を挙げてネルソン大管長を支持したとき,わたしたちは神の御前に証人として立ち,彼がモンソン大管長の正統な継承者であることを認めました。また,大管長が主から指示を受けるときにわたしたちはその声に聞き従うことを,挙手をもって約束しました。

主はこう言われました。

「……彼〔すなわち教会の大管長〕が……わたしの言葉と戒めを受けるとき,あなたがた……は,彼があなたがたに与えるそれらのすべてを心に留めなければならない。

あなたがたは忍耐と信仰を尽くして,あたかもわたし自身の口から出ているかのように,彼の言葉を受け入れなければならない。」

わたしが新しい預言者である大管長と知り合ってから60年以上になります。十二使徒定員会でともに33年間奉仕しましたが,彼が管理使徒となり,地上の聖なる神権のすべての鍵を管理する預言者となるために,主の御手によって備えられるのを,わたしは目にしてきました。わたしたち一人一人が大管長と顧問を完全に支持し,彼らの導きに従うことができますように。わたしたちはまた,十二使徒定員会の会員としてゴング長老とソアレス長老を心から歓迎します。

わたしたちはこの輝かしい復活祭の週末にイエスの復活を祝いますが,イエスは復活後,弟子たちに現れてこう言われました。「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように,わたしもまたあなたがたをつかわす。」二つの行為に注目してください。まず神はその御子を遣わされます。そして御子は御業を成し遂げるために,主の僕,すなわち死すべき体の男女を遣わされます。

主の業を行うために召されたこれらの人が人間的に不完全であることを知っても,驚くべきではありません。聖典には,偉大な業を成し遂げるために神から召された男女の出来事について詳しく記されていますが,天の御父の善良な息子と娘が,教会での割り当てを果たすために奉仕するように召され,全力を尽くして務めながらも,一人として完全な人はいませんでした。わたしたちも同じです。

人間に弱さや欠点があるという現実を考慮すると,互いに支え合って前進していくにはどうすればよいでしょうか。それは信仰—主イエス・キリストを信じる,偽りのないまことの信仰から始まります。救い主を信じる信仰は,キリストの教義と福音の第一の原則です。

数年前,わたしは聖地を訪れました。からし畑のそばを車で通ったとき,BYUエルサレムセンターの所長から,からし種を見たことがあるか聞かれました。ないと答えると,車を止め,彼はからしの木から取った種を見せてくれました。驚くほど小さな種でした。

わたしはイエスの教えを思い出しました。「よく言い聞かせておくが,もし,からし種一粒ほどの信仰があるなら,この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば,移るであろう。このように,あなたがたにできない事は,何もないであろう。」

もしからし種ほどの小さな信仰があれば,わたしたちが家族や教会員,教会員ではない人を含め,神の子供たちとともに仕えるとき,待ち受けている課題に対する落胆や疑いという山を動かせるように,主は助けてくださいます。

兄弟姉妹の皆さん,キリストを信じるまことの信仰をごくわずかでも,たとえ,からし種ほどの信仰でも行使するなら,人生を信仰と喜び,幸福,希望,愛で満たすことができます。

ジョージ・A・スミス長老は,預言者ジョセフ・スミスから受けた助言を次のように回想しています。「ジョセフはわたしに,どのような困難に取り囲まれようとも,決して落胆してはいけないと言いました。ノバスコシアの炭鉱の底に沈められ,ロッキー山脈全体が頭上にのしかかってきたとしても,落胆せずに踏ん張り,信仰を働かせ,勇気を持ち続けるならば,ついには山の頂に出ることができるのです。」(

パウロの言葉を思い出してください。「わたしを強くして下さるかたによって,何事でもすることができる。」これを知ることは,神から与えられるもう一つの貴重な賜物です。

わたしが話したこの賜物に加えて,もっと多くの賜物がありますが,その中からほんの少し紹介しましょう—安息日,聖餐,人への奉仕という賜物,そして神から与えられた,救い主という比類ない賜物です。

安息日の力とは,教会や家庭で,何からも妨げられずに,主の御霊を感じる楽しみや喜び,ぬくもりを経験することです。

あまりに多くの人が,電子機器を使ってほとんどオンラインの生活をしています。昼夜を問わず,彼らの顔は画面に向き,イヤフォンをしているので,御霊の静かな細い声を聴くことができません。電子機器から離れる時間を取らなければ,主の声を聞く機会を逃してしまうかもしれません。主はこう言われました。「静まって,わたしこそ神であることを知れ。」さて,主によって霊感された最新技術を利用するのは何ら悪いことではありませんが,賢く使わなければなりません。安息日の賜物を忘れないでください。

聖餐会で聖餐を受けるという祝福は,決してありふれた行為や決まり切った行為になってはいけません。わたしたちが生活の中で一息ついて,安らぎと喜び,幸せをより深く感じる時間は,1週間でわずか70分しかありません。

聖餐を取って聖約を新たにするのは,わたしたちが主を常に覚えることを主に示すしるしです。主の贖罪は,神から与えられる貴重な賜物です。

天の御父の子供たちに仕えるという特権は,互いに仕え合うことによって,御父の愛する御子の模範に従うもう一つの機会なのです。

奉仕の機会の中には,家族の中での奉仕や教会の召し,地域社会の奉仕団体への参加など,公式に割り当てられるものもあります。

教会員は男女を問わず,本人が望むのであれば,どこに住んでいようと,いかなるレベルの行政機関の役職であろうと,立候補することを躊躇すべきではありません。わたしたちの声は,学校や町や国にとって今必要であり,重要なのです。民主主義の国では,進んで奉仕する高潔な男性や女性に投票することが,会員であるわたしたちの義務です。

割り当てなしに,非公式に奉仕する機会の多くは,人生の旅路で出会う人々に手を差し伸べるときにもたらされます。イエスが良いサマリヤ人のたとえを使って,神を愛するべきことと,自分を愛するように隣人を愛するべきことを律法学者に教えられたのを思い出してください。

奉仕により,キリストの生涯と使命を理解するための窓が開かれます。聖文が教えているように,主は仕えるために来られました。「それは,人の子がきたのも,仕えられるためではなく,仕えるためであり,また多くの人のあがないとして,自分の命を与えるためであるのと,ちょうど同じである。」

ペテロは救い主のこの世での使命を(5つの英単語で)的確に表現しています。イエスは「よい 働きを しながら……巡回 されました。」

主イエス・キリストは,神から与えられるすべての賜物の中で,最も貴重な賜物です。イエスはこう言われました。「わたしは道であり,真理であり,命である。だれでもわたしによらないでは,父のみもとに行くことはできない。」

ニーファイは救い主の重要性を理解して,こう宣言しました。「わたしたちはキリストのことを話し,キリストのことを喜び,キリストのことを説教し,キリストのことを預言し,また,どこに罪の赦しを求めればよいかを,わたしたちの子孫に知らせるために,自分たちの預言したことを書き記すのである。」わたしたちはいつでも,どこでも,キリストを生活の中心に置かなければなりません。

忘れてならないのは,わたしたちは主の御名を冠する場所で礼拝し,主の御名でバプテスマを受け,主の御名で確認や聖任,エンダウメント,結婚の結び固めを受けるということです。また,聖餐にあずかるときに主の御名を受け,真のクリスチャンになることを約束します。最後に,聖餐の祈りの中で「いつも御子を覚え」るように求められます。

明日の復活祭の日曜日に備えるとき,キリストが至高者であられることを覚えておきましょう。主は義の裁き主,誠実な仲保者,祝福された贖い主,良い羊飼い,約束されたメシヤ,真の友,まだまだ,たくさんあります。主はまさに,わたしたちの御父が与えてくださったきわめて貴重な賜物なのです。

主の弟子として,わたしたちは多くの要求や関心,割り当てを抱えています。しかし,中には,常に教会員の中心になければならない活動があります。主は命じておられます。「それゆえ,忠実でありなさい。わたしがあなたを任命した職において務めなさい。弱い者を助け,垂れている手を上げ,弱くなったひざを強めなさい。」

これが行動する教会です。清く汚れのない信心です。霊的・物質的に困っている人々を助け,支え,強めるとき,それが真の意味での福音なのです。それを行うには,天の御父とイエス・キリストと主の贖罪を信じる信仰の証が彼らの心に根付くように彼らを見舞い,助けることが求められます。

主の助けと祝福があって,回復された主の教会の会員であることを含む,神からの多くの貴重な賜物を大切にできますように。わたしたちが天の御父の子供たちに対する愛で満たされ,彼らの必要を理解し,福音に関する彼らの質問や懸念に分かりやすく親切な方法で答えて,互いへの理解や感謝を増し加えることができるように祈っています。

イエス・キリストがわたしたちの救い主であられることを証します。この総大会で教えられることは,使徒や預言者から,中央幹部から,そして教会の中央組織の指導者である姉妹たちから,霊感によりもたらされます。主の喜びと平安が一人一人とともにありますように,主イエス・キリストの御名により,へりくだり祈ります,アーメン。