2010–2019
霊的な能力
2019年10月総大会


10:28

霊的な能力

皆さんはイエス・キリストの忠実な弟子として,主の戒めに沿った,自分に合った個人的な霊感と啓示を受けることができます。

この夏,若い女性のキャンプから帰ろうとしていると,あるすてきな若い女性からカードを手渡されました。そこには,こうありました。「神様がわたしに何か伝えようとしておられるとき,どうしたら分かりますか。」すばらしい質問だと思います。わたしたちの魂は,天の家とのつながりを求めています。必要とされ,役に立っていると感じたいのです。しかし時折,自分の思いと御霊の穏やかな促しを区別するのに苦しむときがあります。古代と現代の預言者は,「善を行うよう誘い促すものはキリストから来ている」と教えました。

ラッセル・M・ネルソン大管長は,簡潔に力強く勧めました。「愛する兄弟姉妹の皆さん,啓示を受ける霊的な能力を伸ばすように,切にお願いします。……聖霊の賜物を享受するために,そしてもっと頻繁に,もっとはっきりと御霊の声を聞くために求められる霊的な業を行うことを選んでください。」

わたしは今朝,皆さんに,啓示を受ける霊的な能力を伸ばす4つの方法について心を込めて話したいと願っています。

1.意識的に神の御声を聞く時間と場所を作る

選択の自由を使って,神の御声,特にモルモン書にある神の御声に近づくため毎日時間を捻出するなら,やがて主の御声をより鮮明に,より身近に感じられるようになっていきます。

反対に,この世界やわたしたちの家庭,生活を取り巻く注意をそらすもの騒音は,主の御声を聞くのをより困難にすることがあります。こうした注意をそらすもので思いや心がいっぱいになると,聖霊の穏やかな促しを受ける余地がなくなってしまいます。

預言者ジョセフ・スミスは,ほとんどの場合,神は「個人に対して,部屋の中や荒れ野や野原において,たいてい物音や混乱を遠ざけて,ひそかに」御自身を現されると教えました。

サタンは,そのような静かな場所から遠ざけることで,わたしたちを神の御声から引き離したがります。神が静かな細い声で語られるのなら,その御声を聞くために,神に近づく必要があります。Wi-Fiにつながったままで天とのつながりを保ちたいと思っていたらどうなるか,想像してみてください。時間と場所を選び,神の御声を毎日聴いてください。その神聖な取り決めを厳密に守ってください。非常に多くのことがこれにかかっているからです。

2.すぐ行動に移す

促しを受けてから意図的に行動に移すなら,主が皆さんをお使いになれます。皆さんは行動すればするほど,御霊の声がもっとよく分かるようになります。ますます神の導きに気づくようになり,神が「御自分の思いと御心を……喜んで明らかにしたいと願っておられる」ことが分かるようになるでしょう。ぐずぐずしていたら,促しを忘れてしまったり,神の代わりにだれかを助ける機会を逃してしまったりするかもしれません。

3.主から用向きを受ける

天の御父が喜んでこたえてくださる祈りは,助けを必要としている人のもとへ導いてくださいという懇願だと思います。ヘンリー・B・アイリング管長は,神に代わってだれを助けることができるのか,神に尋ねることで啓示を求めるよう教えました。「そのように問いかけるならば,聖霊が降られ,皆さんは人のためにできることについて促しを感じるでしょう。行ってそれらのことを行うとき,皆さんは主の用向きを行っており,主の用向きを行うときには,聖霊の賜物を享受するにふさわしいのです。」

皆さんは,主に祈って用向きを尋ねることができます。そうするときに,主は皆さんの普段の力量を用いて,驚くべき業を成し遂げることがおできになります。

クレーグ姉妹の祖父,フリッツ・ランドグレン

祖父のフリッツ・ヤルマル・ラングレンは,19歳のときにスイスから移住して来ました。祖父は6年の学校教育を経て,スーツケース一つを携えて,たった一人でアメリカにやって来ました。英語をまったく話せなかった祖父は,オレゴン州まで行くと,そこできこりとして働き,後にわたしの祖母と母と一緒に教会に改宗しました。ワードを管理することは一度もなかったものの,祖父は忠実なホームティーチャーとして50家族以上を教会に連れ戻しました。どうやってそれができたのでしょうか。

祖父の死後,祖父の書類が入った箱を整理していたときに,祖父の愛のおかげで教会に戻った兄弟が書いた手紙を見つけました。手紙にはこうありました。「フリッツ兄弟の秘訣,それはいつも天の御父の用向きを行っていることにあると思います。」

その手紙は,ウェイン・シモニス兄弟からでした。祖父はシモニス兄弟を訪問し,家族一人一人と知り合い,やがて彼らが必要とされていることを伝え,教会に出席するよう招きました。ところがその日曜日,シモニス兄弟はジレンマを抱えながら目を覚ましました。屋根のふき替えがまだ終わっておらず,その週に雨の予報があったのです。そこで,教会に行き,祖父と握手だけしてから,帰って屋根を仕上げることにし,家族には自分抜きで聖餐会に出席してもらおうと思っていました。

屋根の上でだれかがはしごを登って来る音を耳にするまで,すべては計画どおりに進んでいました。シモニス兄弟の言葉です。「顔を上げると……はしごの上に立っていたのはフリッツ兄弟でした。兄弟はわたしににっこり笑いかけました。最初,学校をずる休みしたのを見つかった子供のような恥ずかしい気持ちになり,それから……怒りを感じました。〔しかしフリッツ兄弟は〕スーツの上着を脱ぎ,はしごに掛けると,ワイシャツの袖をまくり,わたしの方を向いてこう言うのです。『シモニス兄弟,ハンマーがもう一つありますか。御家族を残してまでする重要な仕事なんでしょうから,それほど重要なら,ぜひ手伝いたいです。』フリッツ兄弟の目は,キリストのような愛と優しさだけをたたえていました。わたしの怒りは消え去りました。……その日曜日,わたしは工具を置くと,良き友人に続いてはしごを降りて,礼拝堂に戻りました。」

祖父は主から用向きを受けており,迷い出た羊を探し出す必要があることを知っていました。中風の友人を屋根の上まで運び,イエス・キリストに癒していただくために床をつり下ろした4人の男性のように,祖父の用向きが,祖父を屋根まで連れて行ったのです。主は,ほかの人を助けようとしている人に啓示を送られます。

4.信じ,信頼する

最近,聖文にある,主から用向きを受けた別の偉大な宣教師について読みました。アロンはレーマン人の王を教えていましたが,王はアロンの兄弟のアンモンがともに教えに来なかった理由を知りたいと思いました。「そこでアロンは王に,『まことに,主の御霊が彼をほかの場所へ呼ばれたのです』……と言った。」

すると御霊が,わたしの心にこう語りかけたのです。「人はそれぞれ果たすべき異なった使命があり,時には御霊がわたしたちを『ほかの場所』へ呼ぶこともある。」聖約を交わし,聖約を守るイエス・キリストの弟子として,神の王国を築く方法は数多くあります。皆さんは神の忠実な弟子として,主の戒めに沿った,自分に合った個人的な霊感と啓示を受けることができます。皆さんには,この世で果たすべき独自の使命と役割があり,それを成し遂げるために独自の導きが与えられます。

ニーファイ,ヤレドの兄弟,モーセはそれぞれ海を渡る必要がありましたが,それぞれ違う方法で渡りました。ニーファイは,「材木を入念な造りに」こしらえ,ヤレドの兄弟は,「皿のように透き間が〔ない〕」船を造り,モーセは,「海の中のかわいた地を行」きました。

それぞれが自分に合った個人的な指示を受け,それを信頼して行動に移しました。主は従う人のことを心に留めておられ,ニーファイの言葉で言うなら,「主が命じられることには,それを〔わたしたちが〕成し遂げられるように主によって道が備えられて」いるのです。ニーファイは,「the way」ではなく「a way」と言っています。〔訳注—「the way」の場合,特定の道のことを指し,「a way」の場合,道は複数ある可能性を示している。〕

主が備えられた「道(a way)」が自分の期待する道と違うからといって,主からの個人的な用向きを逃したり,拒んだりしてはいないでしょうか。

わたしの祖父は,一風変わった場所へと導かれました。スーツで屋根の上に,日曜日にです。たとえその道が思っていた道と違っていても,あるいはほかの人の道とは違っていても,神が皆さんを導いてくださると信頼しましょう。

末日聖徒には様々な人がいますが,「黒人も白人も,束縛された者も自由な者も,男も女も」,独身者も既婚者も,富んでいる者も貧しい者も,若い者も老いた者も,古くからの会員も改宗したばかりの者も,「すべての人が神にとって等しい存在」です。どのような人物であろうと,どんなことに直面していようと,皆さんは主の食卓に招かれているのです。

御父の御心を求め,御心を行うことが日々の生活のリズムになるなら,皆さんは確かに,変わるよう,悔い改めるよう導かれていくことでしょう。

教会の子供と青少年のための新しいプログラムは,啓示を求めることを学び,主が求めておられることを見いだし,受けた導きに従って行動するという土台の上に築かれています。年齢や状況にかかわらず,だれもが,求め,受け,行動するよう努力することができます。この時代のために定められた永遠の規範に従うなら,イエス・キリストに,すなわち,主の愛,主の光,主の導き,主の平安,癒しと能力を授ける主の力に,さらに近づくことができるでしょう。そして霊的な能力が増し,日々主の御手に使われる者となって主の偉大な業を成し遂げることができるでしょう。イエス・キリストの御名により,アーメン。