主がその翼に癒しを備えてよみがえられたので,
わたしたちは勝ち得て余りがある
イエスはこの世の虐待に打ち勝ち,皆さんが生き延びるだけでなく,いつの日か,イエスを通じて,乗り越え,さらには勝利する力を与えてくださいました。
マリン,わたしはホランド長老です。そしてこのお話はもっとつまらないですよ。
わたしたちは勝ち得て余りがある
九死に一生を得る話にはだれもが引かれます。冒険家の勇敢な話や,どこにでもいるような人が絶体絶命の状況から生還した話を聞くと,こう自問せずにはいられません。「自分にそんなことができるだろうか。」
すぐに思い浮かぶのは,イギリスの探検家アーネスト・シャクルトンとその船エンデュアランス号の隊員たちです。南極海の氷中で難破した後,2年近くも不毛の島に取り残されました。その極限の状況で,シャクルトンの類まれなリーダーシップと不屈の決意が隊員の命を救いました。
また,月面着陸を目指し宇宙を突き進んでいたアポロ13号の乗組員のことも思い出されます。途中で酸素タンクが爆発し,そのミッションは中止となりました。酸素が欠乏する中,乗組員と管制塔はその危機を乗り切る方法をその場で編み出し,3人の宇宙飛行士全員が地球に生還しました。
戦火を生き抜いた個人や家族の驚くべき話にも目を見張ります。彼らは,収容所に捕らえられたり,難民となりながら,ともに苦しむ人々の目から希望の光が消えないように気丈に振る舞い,残虐な行為が横行する中で善を分け与え,ともにいる人がもう一日だけでも耐えられるようにと,何とかして助けているのです。
そのような過酷な状況にわたしたちは耐えられるでしょうか。
九死に一生を得た話を聞くと,虐待,無視,いじめ,家庭内暴力などを受け,今まさに自分こそが被害者だと叫びたい人もいることでしょう。そのような皆さんは,船が難破したり,成功を約束されていた宇宙飛行が突然打ち切りとなったりしたときと同じように,何とか生き延びようと必死にもがいていることでしょう。皆さんは救い出されるでしょうか。九死に一生を得ることができるでしょうか。
答えは「はい」です。皆さんは九死に一生を得られます。実際,すでに救い出されています。皆さんの今の苦しみを受け,皆さんと同じ苦悩を耐えられた御方により,もうすでに救われているのです。1イエスはこの世の虐待に打ち勝ち,2皆さんが生き延びるだけでなく,いつの日か,イエスを通じて,乗り越え,さらには勝利する力を与えてくださいました。そのため皆さんはいつの日か,イエスを通じて,完全に立ち上がり,苦痛や苦悩,悲痛が平安に取って代わるのを目にします。
使徒パウロはこう問いました。
「だれが,キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か,苦悩か,迫害か,飢えか,裸か,危難か,剣か。……
しかし,わたしたちを愛して下さったかたによって,わたしたちは,これらすべての事において勝ち得て余りがある。」3
聖約の民イスラエルへの約束
総大会でラッセル・M・ネルソン大管長が次のような招きを発表したときのことを思い起こすことと思います。「今後半年間聖典を研究するときに,主が聖約のイスラエルのためにすると約束されたすべてのことのリストを作るようお勧めします。……きっと驚くでしょう!」4
わたしの家族が見つけた力強く慰めに満ちた約束を幾つか紹介しましょう。主がこれらの言葉を皆さんのために,すなわち,今もがいている皆さんに対して語っておられるところを想像してください。なぜなら,実際に皆さんへの言葉だからです:
恐れてはならない。5
わたしはあなたの苦しみを知っている。わたしは下って,あなたを救い出す。6
わたしはあなたを見捨てない。7
わたしの名があなたのうえにあり,わたしの天使たちがあなたに対する務めを果たす。8
わたしはあなたがたのうちに不思議を行おう。9
わたしとともに歩み,わたしに学びなさい。あなたがたを休ませてあげよう。10
わたしはあなたがたの中にいる。11
あなたはわたしのものだ。12
今まさに生き延びようとしている人へ
これらの約束をはっきり心に留めながら,他人の残忍な行為により負わされたトラウマのために自分が救い出される道を見いだせないでいる方々に直接お伝えしたいと思います。あなたがそのような状況にあるなら,わたしたちはともに涙を流します。その混乱,恥辱,恐怖をあなたが乗り越えられるように,そしてイエス・キリストを通して勝利できるように,心から願います。
犠牲者から生存者,そして勝利者へ
何らかの虐待,暴力,迫害を受けたことがある人は,それは自分のせいであり,今感じている恥辱や罪悪感を背負い続けなければならないと思い込んでいるかもしれません。あなたはこう思ったかもしれません:
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食い止められなかったのは自分だ。
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神はもうわたしを愛しておられない。
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もうだれもわたしを愛してくれないだろう。
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わたしの傷は癒せない。
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救い主の贖罪はほかの人のためで,わたしのためではない。
そのような誤った考えや感情が障害となり,家族や友人,指導者や専門家の助けを借りられず,独りで苦しんできたのかもしれません。信頼できる人の助けを借りてきたとしても,恥辱や,さらには自己嫌悪から抜け出せないでいるかもしれません。そのような出来事の影響は,何年も続くかもしれません。癒される日を待ち望みながらも,その日はまだ来てくれません。
虐待した人やほかの人が何を言ったとしても,あなたが受けた虐待は過去も現在も将来もあなたのせいではありません。暴行や近親相姦,そのほかのあらゆる逸脱した行為の犠牲者は,悔い改めを求められる側ではありません。あなたに責任はないのです。
他人がしたことのせいで,あなたのふさわしさも,あなたの大切さも,人としてまた神の娘,息子として受ける愛も,損なわれることはありません。
神は今も,そしてこれまでも決して,あなたを卑しまれたことはありません。何が起きても,あなたを恥じたり,あなたに失望したりされません。神はあなたが思うよりずっとあなたを愛しておられます。神の約束を信頼し,あなたは「わが目に尊〔い〕」13という神の言葉が信じられるようになるなら,あなたは神の愛に気づくでしょう。
どんなにひどいことをされても,それによってあなたが何者であるかが決まることはありません。あなたが神の息子や娘であることは,永遠に変わらぬ栄えある真理です。あなたを創造された御方は,完全な,無限の愛で,欠けることのない完全な癒しへとあなたを招いておられます。
不可能に思え,不可能だと感じるかもしれません。しかし,「その翼に……いやす力を備えて」14よみがえられたイエス・キリストの贖罪が持つ,癒しの力という奇跡により,癒しは可能なのです。
慈悲深い救い主は,闇と邪悪に勝利し,あらゆる不公平を正す力をお持ちです。これはほかの人々によって不当な目に遭った人に生きる力を与える真理です。15
救い主は,実にあなたに起きたことも含め, すべてのものの下に身を落とされました。そのために,ほんとうの恐怖と恥辱とはどのようなものであるか,見捨てられ打ちひしがれる気持ちがどのようなものなのかを主は完全に御存じです。 16贖いの苦しみの底から,救い主は,あなたが永遠に失ったと思っていた希望,決して得られないと信じていた強さ,可能だとは想像すらできなかった癒しを与えてくださいます。
主と主の預言者は虐待を強く非難している
いかなる家庭,国,文化であれ,身体的,性的,情緒的,言語的など,いかなる種類であれ,虐待は容認されません。妻,子供,または夫が何を言い,何をしたとしても,暴力で返す「正当な理由」にはなりません。国や文化を問わず,権威者や大きく強い相手に向かって,自分を攻撃したり暴力を振るったりするよう「求める」人などいません。
虐待したり,非道な罪を隠したりする人が平気でいられるのはつかの間です。すべてを御覧になる主は,行いや心の思いと志を御存じです。17主は公正な神であられ,神の正義は成就されます。18
奇しくも,主はまた,心から悔い改めた者に対しては憐れみの神でもあられます。虐待の加害者は,かつて自分も被害者だった人を含めて,その罪を告白し,捨て,力の限り償いをするなら,キリストの贖罪の奇跡を通して赦しが得られます。
冤罪の被害者には,言葉にできないほど重く,特有の苦しみがありますが,救い主の身代わりの苦しみにより,最終的には真実が勝利を得ると知ることにより,彼らも祝福されます。
しかし,虐待をした人が悔い改めなければ,主の前でその非道な罪を報告することになります。
いかなる虐待も容認されないことは,主御自身が明言しておられます。「しかし,……これらの小さい者のひとりをつまずかせる者は,大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が,その人の益になる。」19
結論
深く傷ついた,愛する友である皆さん―人生で不当な扱いを受けた,すべての皆さん―にお伝えします。皆さんは新たに始め,再出発することができます。ゲツセマネとカルバリで,イエスは「皆さんとわたし……が経験する……すべての悩みと苦しみを,御自分の身に受けられ」,20そのすべてを乗り越えられました!救い主は両腕を広げ,癒しの賜物を差し出しておられます。勇気と忍耐,信仰をもって主に心を向けるなら,ほどなくしてこの賜物を完全に受ける日が来ます。苦しみの荷を降ろして主の足もとに置くことができるのです。
心優しい救い主は次のように宣言されました。「盗人が来るのは,盗んだり,殺したり,滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは,〔あなた〕に命を得させ,豊かに得させるためである。」21あなたは生き延びました。あなたは,癒されることができます。そして,イエス・キリストの力と恵みにより,乗り越え,勝利することに信頼を置くことができます。
イエスは不可能に思えることを可能にする御方です。主が来られたのは,不可能を可能にし,取り戻せないものを取り戻し,癒せないものを癒し,正せないものを正し,約束し得ないことを約束するためです。22主はそれを得意とし,事実,それを極めておられます。わたしたちの癒し主,イエス・キリストの御名により,アーメン。
詳細情報とリソースは,ChurchofJesusChrist.orgと「福音ライブラリー」アプリにある「ライフヘルプ」セクション内の「虐待」を参照。