教会歴史
4 国々への旗


第4章「国々への旗」『聖徒たち—末日におけるイエス・キリスト教会の物語』第2巻「いかなる汚れた者の手も」1846-1893年(2019年)

第4章:「国々への旗」

第4章

国々への旗

山頂から旗を振る男たち

1847年4月,サミュエル・ブラナンと3人の男たちはサンフランシスコ湾を出立し,ブリガム・ヤングと聖徒たちの本隊を探しに出かけました。どこに行けば彼らを見つけられるか確信はありませんでしたが,ほとんどの移住者は同じ道筋をたどって西へと向かっていました。サミュエルを含む小さな一団がその道に沿って東へと進めば,いずれ聖徒たちと出会うことになるでしょう。

少しの間ニューホープに立ち寄って物資を手に入れた後,男たちはシエラネバダ山脈ふもとの丘を目指して北東へ足を進めます。シエラ山岳地帯をよく知る人々は,年早々に山脈を渡ることのないようサミュエルに警告しました。山道がまだ雪でふさがれているため,2か月ほどにわたる厳しい旅路になるだろうと言うのです。

それでもサミュエルには,素早く山脈を越えられるという自信がありました。背に荷を積んだ動物たちを急き立てつつ,サミュエルと男たちは何時間も歩いて山を登って行きました。雪は深くとも,押し固められており,道に沿って足場を見つけるのは容易でした。しかしながら,山あいを流れる川は水かさが増しており,男たちは危険を承知で泳いで渡るか,同じく危険の伴う別の道を行くしかありません。

山岳地帯のはるか向こう側に目をやると,道はごつごつとした巨大な花崗岩の岩肌に沿って,美しい松林に囲まれた谷に続いており,空のように青々とした湖も見えます。谷へ下りて行くと,打ち捨てられた山小屋が何棟か建つ野営地を見つけました。辺りのあちこちに,人の遺骸が散乱しています。数か月前,カリフォルニアに向かっていた幌馬車の一隊が,雪の中で立ち往生してしまったのです。移住者たちは厳しい冬の嵐をしのごうと山小屋を建てたものの,食べ物が底を突き,防寒対策もしていなかったために,その多くが飢えるか凍えるかして次第に死に至ったのでした。中には,人肉を食べた者さえいました。1

このぞっとするような話は,陸路での旅路に伴う危険を思い起こさせるものでしたが,彼らの悲劇を知っても,サミュエルが怖気づくことはありませんでした。広大な荒れ野にすっかり魅了されていたのです。「こういった自然のままの山地を旅して初めて,人は己を知るようになるものさ。」そう高らかに言い放つのでした。2


5月中旬になると,ブリガム・ヤングと先発隊が歩んだ道のりは480キロ以上にも及んでいました。毎朝5時,ラッパの響きが陣営の人々を目覚めさせ,7時には旅が始まります。時折進度が遅くなることはあっても,隊はたいてい,毎日24キロから32キロの道のりを進みました。夜になると,皆は幌馬車を囲んで集まり,夜の祈りをささげてから,たき火を消すのでした。3

バッファローの出現により,変わり映えのしない日常が中断されることもありました。大きく毛深い動物が大群を成して,ごう音を立てながら,流れるように丘や低地を横切って行く様は,まるで平原そのものが動いているかのようです。男たちはそうした動物たちを仕留めたくてたまりませんでしたが,ブリガムは,狩りは必要に迫られた時だけにすべきで,むやみに命を奪ってはならないと忠告しました。4

隊は,西に向かった別の入植者たちが数年前に切り開いて残ったままの道をたどって旅をしました。進むにつれて,草深い平原から荒れた牧草地や低い丘へと,辺りの景色は次第に移り変わっていきます。ある断崖の頂から眺めると,荒れた海のような索漠とした景色が広がっていました。道はプラット川に沿って続いており,小川を幾つか渡ると飲み水や洗濯用水が手に入りましたが,大地そのものは砂地でした。隊は時折,道の脇に立つ木や青々とした草地の一画を目にしましたが,その土地のほとんどは見渡せるかぎり,人を寄せつけない荒れ地でした。5

隊の一員に,自分たちはどこへ向かっているのかと尋ねられることがあると,「目的地に着いたらお伝えすることにしよう」とブリガムは答えます。「わたしはその地を目にしました。示現で見たのです。実際にこの目で見たなら,すぐにそれだと分かるはずです。」6

来る日も来る日も,ウィリアム・クレイトンは隊が進んだ距離を概算し,時には自分たちを導く地図の誤りを修正しました。旅を始めたばかりのころ,ウィリアムとオーソン・プラットは,熟練した職人のアップルトン・ハーモンと一緒に「距離測定器」を作りました。荷馬車の車輪に取り付けた歯車によって,正確に距離を測ることのできる木製器具です。7

旅の進捗にもかかわらず,ブリガムは一部の隊員の振る舞いを目にして,しばしばいら立ちを募らせました。そうした者の大半は,教会員となって何年もたっており,伝道に従事し,神殿の儀式を受けていました。それにもかかわらず,ブリガムの勧告を無視して狩りをしたり,夜遅くまで賭け事やレスリング,ダンスに興じたりして,自由な時間を無為に過ごす者が大勢いたのです。時には,夜の間に起こった出来事を巡り男たちが言い争う声で,朝ブリガムが目を覚ますこともありました。口論がやがて殴り合い,あるいはさらに悪い事態に発展するのではと,ブリガムは心を悩ませます。

5月29日の朝,ブリガムは男たちにこう問いかけました。「我々は聖徒のための居場所,すなわち安息の地,平和の地を見いだそうとしているのではないのですか。そうした地に,粗野で卑しく,また下劣で軽薄な,そして強欲で邪悪な霊を宿した状態で神の王国を築き,国々の民を招き入れることができると思うのですか。」8ブリガムは,一人一人が信仰と自制心を備えた人間になり,祈りをささげ,瞑想することに時間を注ぐべきだと言明しました。

「今こそ,だれもが日々命じられなくとも進んで祈り,神を覚えるよう努めているかどうかを示して,自らを証明する機会なのです。」ブリガムは男たちに,主に仕え,神殿で交わした聖約を心に留め,罪を悔い改めるよう力を込めて勧めました。

その後,男たちは一堂に会して神権定員会を開き,行いを正し,神の前にへりくだって歩むことを挙手によって聖約します。9翌日,男たちが聖餐を取るときには,その場に新たな精神がみなぎっていました。

ヒーバー・キンボールは日記にこう記しています。「旅を始めて以来,日曜日に兄弟たちがこれほど静かに,また真摯な態度で臨むのを見たことがない。」10


先発隊が西へと旅する中,ウィンタークォーターズにいる聖徒たちのほぼ半数は,旅に備えて荷馬車の用意を整え,食料を積み込みました。夜になると,準備作業を終えた聖徒たちはしばしば集まり,歌ったり,バイオリンの演奏に合わせて踊ったりしました。また日曜日には,集会で説教を聞き,待ち受ける旅路について語り合いました。11

けれども,西へ向かうことをだれもが心から望んでいるわけではありません。ジェームズ・ストラングをはじめとする離反者たちは,食べ物や避難所,安全などを約束し,絶えず聖徒たちの気を引こうとしていました。ストラングと彼に従う者たちは,ノーブーから北東へ480キロばかり離れた地,ウィスコンシン州にコミュニティーを形成し始めており,定住者はまだ少なかったものの,何らかの不満を抱く聖徒たちが徐々にその地に集まりつつあったのです。ウィンタークォーターズにいた何家族かも,すでに家財を荷馬車に積み込み,立ち去って彼らに加わろうとしていました。12

ウィンタークォーターズにおける管理使徒であったパーリー・プラットは,背教者たちを相手にすることなく,主の権能を持つ使徒に従うよう聖徒たちに懇願します。「主はわたしたちに集合するよう,散り散りになることのないよう常に命じておられます。」プラットはそう聖徒たちに呼びかけました。またプラットとジョン・テーラーは,春の終わりに何隊かを西へ送り出したいと考えていることを告げました。13

ところが,パーリーは出発を遅らせることを余儀なくされました。先発隊が出立する前,十二使徒は,啓示に従って隊を何組か組織していました。こうした隊の大部分は,養子縁組によってブリガム・ヤングとヒーバー・キンボールに結び固められた家族で構成されたものです。使徒たちは隊員に向けて,翌年のために十分な食料を積み込むよう,また貧しい聖徒たちやモルモン大隊に所属する男性陣の家族にも分かち合うよう指示しました。もし人々がこうした助けの必要な家族に物資を分け与えるという聖約を守らなければ,彼らの荷馬車は差し押さえられ,喜んで聖約に従う人々に与えられることになっていたのです。14

ところがパーリーは,定員会の計画を実行するうえで幾つかの問題があることを見て取ります。何人かの隊長を含め,これらの隊に属する聖徒の多くは,出立する準備が整っていなかったのです。旅に必要な物資が不足している者もおり,十分な必需品を備えていなければ,隊に属するほかの人々の重荷になることは目に見えていました。それ以外の隊員たちもまた,かろうじて自分の家族の必要を賄えるだけの食料しか持ち合わせていなかったのです。一方で,隊に属していない聖徒の中には,すでに用意が整い,出発を強く望む者たちもいました。そうした人々は,もう1年ウィンタークォーターズにとどまるならば,愛する人たちをさらに病気で亡くすことになるのではと恐れていました。15

そこで,パーリーとジョンは当初の計画を修正し,西へ旅立つ用意の整った1,500人ばかりの聖徒たちに合わせて部隊を再編成することにしました。しかし,十二使徒会が決めた計画を修正する権限がパーリーにあるのかと疑問を抱く一部の聖徒が変更に反対したため,二人の使徒は彼らを説得しようと努めます。

ジョンは,ブリガムが不在の場合,最も先任の使徒が教会員を導く権限を持つことを説明しました。ブリガムはウィンタークォーターズにいないのだから,移住に関して決定を下すのはパーリーの責任,また権利であるとジョンは思ったのです。

同意見であったパーリーはこう述べます。「我々の状況に応じて行動するのが最善だと思います。」16


ウィルフォード・ウッドラフは,先発隊とともに西へと旅する間,今回の旅の神聖な目的についてしばしば思い巡らせました。こう日記に記しています。「我々は,この先長年にわたってやって来るイスラエルの家の民のために道を切り開きつつあることを,しっかりと肝に命じておくべきだ。」17

ウィルフォードはある晩,先発隊が新たな集合地に到着した夢を見ます。その地にじっと目を凝らしていると,目の前に輝かしい神殿が現れました。その神殿は,白と青の石を使って建てられているようでした。ウィルフォードは夢の中で,自分の近くに立っていた数人の男たちの方を向くと,神殿が目に入るかと尋ねました。男たちは見えないと答えましたが,神殿を目にしたときにウィルフォードが感じた喜びが弱まることはありませんでした。18

6月を迎え,暑い時節がやって来ました。牛に食べさせる背の低い草は乾燥した大気の中で茶色くなり,木材を見つけるのもますます難しくなりました。火起こしの燃料となるのが,バッファローの乾燥した糞だけということもしばしばでした。19それでも隊一同は,ブリガムの指示に従って熱心に戒めを守り続けました。ウィルフォードは,神の祝福が,食料や家畜,荷馬車が保たれるといった形で示されるのを目の当たりにします。

「わたしたちの中には平和と一致があった」と,ウィルフォードは日記に記しています。「我々が忠実に神の戒めを守るならば,この務めから大いなる善が生じることだろう。」20

6月27日,先発隊は道中,モーゼス・ハリスという名の有名な探検家に出会います。ハリスは聖徒たちに,ベアリバー盆地もソルトレーク盆地も定住には適さないと言いました。そうして,グレートソルトレークの北東にあるキャッシュバレーと呼ばれる地に定住するよう勧めたのです。

翌日,隊はまた別の探検家,ジム・ブリッジャーと出会います。ハリスと異なり,ブリッジャーはベアリバー盆地とソルトレーク盆地を高く評価していましたが,ベアリバー盆地では夜になると気温がかなり下がるので,トウモロコシを育てるのは厳しいだろうと警告しました。また,ソルトレーク盆地は土壌が良く,真水の流れる小川が幾つかあり,年中雨も降ると言います。ブリッジャーはそのほか,グレートソルトレークの南に当たるユタバレーについても高評価を口にしましたが,同時に,その地域に住むユトインディアンを妨害しないよう注意を促しました。21

ソルトレーク盆地に関するブリッジャーの言葉は,聖徒たちを奮い立たせました。実際に目にするまでは,定着地を特定することに気乗りしないブリガムでしたが,彼自身も隊員たちも,ソルトレーク盆地の探索に大いに興味をそそられます。そこが自分たちの定住地として主が望んでおられる地ではないとしても,ひとまずその地に立ち寄って作物を植え,盆地内に恒久的な居場所を見いだすまでの一時的な居住地を築くことはできるでしょう。22

その2日後,ちょうど日が沈もうとする時刻のことでした。先発隊の男たちが流れの速い川を渡るためにいかだを造っていると,皆が驚いたことに,サミュエル・ブラナンと連れ立つ者たちが歩いて野営地にやって来ました。隊一同は,サミュエルが語るブルックリン号やニューホープ設立の話,またサミュエル自身が山々や平原を渡って彼らを見つけるまでの危険に満ちた旅の話にすっかり心を奪われ,夢見心地で耳を傾けました。サミュエルによると,カリフォルニア州にいる聖徒たちは,何エーカーもの畑に小麦やジャガイモを植え,彼らの到着に備えていると言います。

カリフォルニアの気候や土壌に対するサミュエルの情熱は,たちまち人々の心を捉えます。ほかの移住者たちがたどり着く前に,サンフランシスコ湾岸地帯の権利を主張するようにと,サミュエルは隊一同をたきつけました。理想的な定住地であるうえに,カリフォルニア州の名士たちは聖徒の大義に対して好意的であり,一同を迎えることをいとわないと言うのです。

サミュエルの話に黙って耳を傾けていたブリガムは,その提言に懐疑的でした。カリフォルニア沿岸の魅力については疑いようがないものの,主は聖徒たちに対し,ロッキー山脈付近に新たな集合地を築くよう望んでおられることをブリガムは承知していたのです。「我々の目的地はグレートベースンです」と,ブリガムは断言します。23

1週間あまり後,隊一同はよく踏みならされた道をそれて,別の道,すなわち南方のソルトレーク盆地へと続くより不確かな道を進んで行ったのでした。24


その夏,ルイーザ・プラットは,以前に5ドルで購入した小屋に自分の家族を移り住ませました。ウィンタークォーターズにおける3つ目の住まいです。ところが,芝土でできた家の上に煙突が崩れ落ちてしまったため,ルイーザは家族をじめじめとした地下壕に移動させます。そこは地面に深さ1.5メートルあまりの穴を掘って作られたもので,雨漏りのする屋根が付いていました。

ルイーザは数人の男性に賃金を支払い,この新たな家に割った木材で床を貼ってもらいました。それから,家の前の木蔭に,25人ほどが座れるベンチをしつらえてもらい,娘のエレンと一緒に子供たちのための学校を開設しました。その間,同じく娘のフランシスは,家庭菜園の植え付けや手入れをし,家の暖房と調理用に薪を割りました。

ルイーザの健康状態は相変わらず思わしくありません。熱と震えが治まったかと思うと,ルイーザは凍った雪の上でひどい転び方をして,ひざを痛めてしまいました。そのうえ,地下壕の中で暮らす間に壊血病が悪化し,前歯を失いました。それでも,ルイーザと娘たちの被った苦しみは,多くの聖徒たちに比べれば軽いものでした。そのころ陣営内に蔓延していた病気のために,隣人や友人を失った人がそこら中にいたのです。25

家の購入と修繕のために,ルイーザの手もとにはほとんどお金が残っていませんでした。食べ物が底をつかんばかりになると,ルイーザは近所を訪れて羽毛入りのベッドを買うつもりはないかと尋ねましたが,彼らも同様に一文無しでした。ルイーザは隣人と話す中で,家には食べ物が何もないと口にしました。

すると,そこの家族の一人が,「あなたは困っているようには見えないわ」と言います。「何を求めているの?」

「あら,いいえ,不安には思っていないだけよ」とルイーザは答えました。「何か思いがけない方法で助けが与えられると分かっていますから。」

家に帰る途中,ルイーザは別の隣人を訪ねました。会話の中で,ルイーザが持っている旧式の鉄製吊り具が話題に上りました。暖炉に鍋を吊るしておくために使う道具です。「それを売ってくれるなら,トウモロコシ粉を2ブッシェル(約50キロ)差し上げましょう」と隣人は言いました。ルイーザは,この度も主が祝福してくださっていると分かり,その取り引きに応じたのでした。

その春,健康状態が回復しつつあるのを感じたルイーザは,聖徒たちとともに礼拝しようと思い切って出かけました。そのころ定住地の女性たちはともに集い,それぞれの霊的な賜物を用いて互いを強めるようになっていました。ある集会で,女性たちが異言を語ると,長年聖徒たちの霊的指導者を務めてきたエリザベス・アン・ホイットニーがその解き明かしをしました。エリザベス・アンは,ルイーザが健康を取り戻してロッキー山脈を越え,そこで夫と喜びに満ちた再会を果たすと言います。

ルイーザは驚きました。ウィンタークォーターズでアディソンと再会し,その後夫とともに西へ旅をするという確信をすでに得ていたからです。夫の助けがなければ,肉体的にも経済的にも自分には旅をする術がないことを,ルイーザは承知していました。26


先発隊の隊員らがロッキー山脈の中心部に差しかかると,道はますます険しくなり,男女ともにさらなる疲労が溜まっていきました。前方に目をやると,起伏のある平原の上に雪を頂いた山頂がくっきりと見えます。その山々は,合衆国東部で目にしてきたどんな山よりもはるかに高くそびえ立っていました。

7月初旬のある晩,ブリガムの妻クララは熱と頭痛で目を覚ますと,腰と背中に激しい痛みを感じました。間もなく,ほかの家族も同様の症状を訴え始めたため,一家は隊の人々に遅れずついて行こうと四苦八苦します。一家は苦しみにもだえながら,弱り切った足で石だらけの大地の上を一歩,また一歩と進むのでした。27

クララは日に日に体力が回復していくのを感じていました。原因不明の病は,急に襲いかかってきたかと思うと,その後,しばらくすると症状が治まります。ところが,7月12日,今度はブリガムが発熱で倒れ,一晩中意識がもうろうとしていました。翌日,ブリガムは幾分体調が良くなったと感じますが,彼と十二使徒会は,隊員の大部分を休ませることにしました。その間,オーソン・プラットが42人の男たちから成る一団とともに先へ進むことになります。28

1週間ほど後,ブリガムはウィラード・リチャーズ,ジョージ・A・スミス,エラスタス・スノーをはじめとする何人かに,旅を続け,先に出発したオーソンの一団に追いつくよう指示します。「ソルトレーク盆地に着いたら,適切だと思われる最初の場所で足を止め,種芋やソバ,カブの植え付けをしてください。最終的な定住地でなくてもかまいません。」ブリガムはそう言いました。29この地域に関するジム・ブリッジャーの話を覚えていたブリガムは,その地に住むユト族について詳しいことが分かるまで,南のユタバレーには行かないよう隊員たちに注意しました。30

クララの異父兄弟である年若い弟二人,それに母親は,ブリガムをはじめとする病気を患う開拓者とともに後に残りました。隊の人々は旅を続けられるだけの体力があると感じられると,下草の茂る,でこぼことしたやぶ道をたどって進みました。峡谷の所々では,高くそびえ立つ岩壁のせいで大気に大量の土ぼこりが立ち込め,前方を見通すことができないほどでした。

7月23日,クララと病気を患う一団は,長く険しい山道を登って,ある丘の頂上にたどり着きました。一行はそこから,うっそうとした木立ちの間を下って行きました。曲がりくねる道には,その道を切り開いた人々が残して行った切り株が散在しています。丘を数キロほど下ると,山間の谷で,クララの弟たちを乗せた荷馬車が転覆し,岩にぶつかって大破してしまいました。男たちは急いで荷馬車の幌を切り裂いて穴を開け,中にいた少年たちを無事引き上げました。

隊の人々が丘のふもとで休んでいると,オーソンの隊から馬に乗って陣営にやって来た二人が,ソルトレーク盆地はすぐそこだと教えてくれました。クララと母親は疲れ果てていましたが,隊のほかの人々とともに,夕暮れになるまで前へ前へと足を押し進めました。上に目をやると,今にも嵐が来るかのような空模様です。31


翌朝の1847年7月24日,ウィルフォードは自分の荷馬車を走らせ,深い峡谷まで数キロ下って行きました。馬車の後部座席では,高熱で弱り切って歩くこともできないブリガムが横たわっています。別の峡谷を流れる小川に沿って道を進むと,すぐにソルトレーク盆地を一望できる平坦な高台に着きました。

ウィルフォードは,眼下に広がる広大な一帯を驚嘆の思いで見据えました。目前には,緑草が一面に生い茂り,清らかな谷川が潤す肥沃な原野が数キロにわたって広がっています。また幾筋かの谷川が注ぎ込んで一本の細長い川になり,谷底に向かって延々と流れています。鋭く尖った峰は高く雲を突いて連なっており,谷を取り囲む高い山々のへりは,まるで要塞のようでした。西側に目を転じると,グレートソルトレークが日の光の中で鏡のようにきらめいています。

平原や砂漠,渓谷を通り抜け,1,600キロを超える旅をした後の眺めは,息をのむすばらしさでした。ウィルフォードは,聖徒たちがその地に定住し,もう一度シオンのステークを築く姿を思い描くことができました。聖徒らは家々を建て,果樹園や畑を手入れし,世界各地から神の民を呼び集めるでしょう。遠からず,主の宮が山あいの地に建てられ,まさしくイザヤが預言したように,もろもろの峰よりも高くそびえ立つことでしょう。32

ブリガムのいる場所からは盆地がはっきりと見えなかったので,ウィルフォードは友がその景色をもっとよく眺められるように,馬車の向きを変えました。盆地一帯を見渡しながら,ブリガムは数分間,その地をじっくり観察しました。33

そうして,「結構です。まさにこの地です」とウィルフォードに告げるのでした。「さあ,行きましょう。」34


その地を見るやいなや,ブリガムはそこが目的地であると分かりました。示現で目にした山の頂は,盆地の北端に当たります。ブリガムはその場所に直ちに導かれるようにと祈っていましたが,主はその祈りにこたえてくださったのです。ほかの場所を見る必要などありませんでした。35

下方の谷底には,すでに活気が満ちていました。ブリガムやウィルフォード,ヒーバー・キンボール一行が山を下る前に,オーソン・プラット,エラスタス・スノーをはじめとする男たちがすでに本拠地となる野営地を整えていたのです。さらに,畑を耕し,作物の植え付けをし,灌漑作業までも始めていました。ウィルフォードは野営地に到着するとすぐさま聖徒らに加わりました。夕食を取るのも,その晩の寝床を整えるのも後回しにして,10キロあまりのジャガイモの植え付けをしました。

翌日は安息日でした。聖徒たちは主に感謝をささげ,隊一同が集って説教を聞き,聖餐を取りました。ブリガムは弱った体ながらも短かく話をし,安息日を守るよう,また土地の手入れをし,互いの所有地を尊重するよう聖徒たちに勧めました。

7月26日月曜日の朝,引き続きウィルフォードの馬車の中で療養していたブリガムは,ウィルフォードに向かってこう言いました。「ウッドラフ兄弟,少し歩きたいのですが。」

「かまいませんよ」とウィルフォードは答えます。36

その朝,二人はほかに8人の男たちを伴って出かけると,北方の山地に向かいました。その道中,ウィルフォードの馬車に乗り込んだブリガムは,両肩を覆う緑色の外套を両手できつく握り締めます。山麓の丘に着くまでに大地は平坦になりました。ブリガムは馬車から足を踏み出すと,肥沃な軽量土の上をゆっくりと歩きました。

男たちが土地にほれぼれしながらブリガムの後につき従っていると,突然ブリガムは足を止め,手にしていた杖を大地に突き立てて言いました。「ここに,我々の神の神殿を建てるのです。」37ブリガムの脳裏には,目の前に建つ神殿が,すなわち谷底からそびえ立つ6本の尖塔を有する神殿の光景が,すでにありありと思い描かれていたのでした。38

ブリガムの言葉に,ウィルフォードはあたかも稲妻に打たれたかのような衝撃を受けます。男たちは先に進もうとしましたが,ウィルフォードは待ってくれるよう頼むと,近くに生えていたヤマヨモギの一枝を折り取って大地に打ち込み,目印としました。

そうして男たちは,やがてこの盆地に聖徒たちが築くことになる町を思い描きながら歩みを進めるのでした。39


その日の遅く,ブリガムは盆地の北にそびえる山の頂上を指差して言いました。「あの頂まで登りたいと思います。あそこが,示現でわたしに示された場所に違いないとはっきりと感じ取りたいのです。」ロッキー山脈の山頂周辺は容易に登れるうえ,盆地のどこからでもはっきりと見えます。国々への旗を掲げ,神の王国が再び地上に築かれたことを世に示すのにうってつけの場所です。

ウィルフォードとヒーバー・キンボール,ウィラード・リチャーズ,そのほか数名を伴って,ブリガムはさっそく山頂を目指して出かけました。最初に山頂に登り着いたのはウィルフォードでした。頂上からは,眼下に広がる盆地が見渡せます。40聖徒たちが神の律法に従って生活し,イスラエルの民を集め,再び神殿を建て,シオンを築こうとするに当たって,高い山々と広々とした平原を併せ持つこの盆地は,彼らをその敵から安全に守ってくれることでしょう。十二使徒会と五十人評議会による集会で,ジョセフ・スミスは,そのような場所を聖徒たちのために見つけたいという望みを度々口にしていました。41

ウィルフォードに続き,友人たちも間もなく山頂に到着しました。一同はその場所を「エンサインピーク」,すなわち「旗の峰」と呼びました。イスラエルの追いやられた者とユダの散らされた者が,一つの共通の旗の下に地の四方から集められるという,イザヤの預言を彷彿とさせる呼び名です。42

いつの日か,その山頂に壮大な旗を掲げたいと皆が思いました。しかし現時点では,この特別な出来事を記念するために最善を尽くしました。実際の出来事は定かではありませんが,男たちの一人の回想によれば,ヒーバー・キンボールが黄色いバンダナを取り出し,それをウィラード・リチャーズの杖の先端に結びつけると,山の暖かな空気の中で大きく前後に振ったのでした。43