2016
魂の誠実な望み
2016年11月


魂の誠実な望み

聖霊の力と御子の御名によって尊い祈りをささげるあらゆる瞬間は,御父と過ごす神聖な時間となり得ます。

現世の試練の中で,業を成し遂げるときや戦いに立ち向かうとき,逆境や,答えが出ていない質問に直面するときに,わたしたちは決して独りではありません。イエス・キリストは「失望せずに常に祈るべきこと」をたとえで教えられました。主は,神を敬わず,人を人とも思わない裁判官について話されました。一人のやもめが裁判官のもとに何度も来て,彼女を訴える者を裁いてほしいと願いました。しばらくの間,裁判官は聞き入れませんでした。しかし,彼女の忠実で一貫した願いに,裁判官はようやく「このやもめがわたしに面倒をかけるから,彼女のためになる裁判をしてやろう。そうしたら,絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう」と考えました。

その後,イエスはこのように説明しておられます。

「まして神は,日夜叫び求める選民のために,正しいさばきをしてくださら〔ない〕ことがあろうか。

あなたがたに言っておくが,神はすみやかにさばいてくださるであろう。」

そして主は,こうお尋ねになります。「しかし,人の子が来るとき,地上に信仰が見られるであろうか。」1

祈りは信仰を育むために不可欠なものです。主が再び来られるとき,信仰をもって祈る方法を知っていて,救いを受ける備えができている人々を,主は見つけることがおできになるでしょうか。「なぜなら,『主の御名を呼び求める者は,すべて救われる』とあるからで」す。2わたしたちは愛にあふれた天の御父の子供であり,「キリストを信じながら,誠心誠意」祈り,聖霊の促しにより受けた答えに従って行動するとき,主との個人的な交わりを享受することができます。3わたしたちは,御父と御子と一つになることを学ぶために,信仰をもって祈り,耳を傾け,従います。4

信仰の祈りは,栄光ある天からの祝福を受ける道を開きます。主はこう教えておられます。

「求めよ,そうすれば,与えられるであろう。捜せ,そうすれば,見いだすであろう。門をたたけ,そうすれば,あけてもらえるであろう。

すべて求める者は得,捜す者は見いだし,門をたたく者はあけてもらえるからである。」5

わたしたちが得たいと望むならば,求め,捜し,たたかなければなりません。ジョセフ・スミスは真理を探し求めているとき,次の聖句を読みました。「あなたがたのうち,知恵に不足している者があれば,その人は,とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に,願い求めるがよい。そうすれば,与えられるであろう。」6信仰の祈りへの答えとして,天が開かれました。父なる神とその御子イエス・キリストが栄光のうちに降り,ジョセフ・スミスに語り,時満ちる神権時代の到来を告げられました。わたしたちにとって,奇跡的な癒しや,力強い守り,神聖な知識,自由をもたらす赦し,貴重な平和は,信仰をもって「魂の〔誠実な〕望み」7をささげるときにもたらされる答えの一部です。

わたしたちはイエス・キリストの御名により,聖霊の力によって,神会の御三方すべてを祈りに加え,天の御父に祈ります。

わたしたちは天の御父に祈り,そして御父のみに祈ります。なぜなら「天に神がおられ,この神は無限かつ永遠で,永遠から永遠にわたって……天地とその中にある万物を形造られた御方である」からです。創造主として,神はわたしたちに「唯一の生けるまことの神である御自分を愛し,……また御自分が〔わたしたち〕の礼拝すべき唯一の存在である」との戒めを与えられました。8

信仰をもって天の御父に祈るとき,「神は苦難のときに〔皆さん〕を慰めてくださ〔います〕。……〔そして〕神の愛をよく味わ〔うことができます〕。」9ヘンリー・B・アイリング管長は,治る見込みのないがんと闘っている間も祈り続けた父親の経験から,神とその子供たちの深い個人的な関係について学んだことを分かち合っています。

「痛みが激しくなった日の朝,ベッドのそばにひざまずいている父の姿がありました。ひどく弱っていてベッドに戻ることができないほどでした。父は,善い人になろうといつも努めてきたのにこれほどの苦しみに遭うのはなぜなのか,天の御父に尋ねるために祈っていたと,わたしたちに言いました。そして,『神には勇敢な息子たちが必要である』と優しく語りかける答えを受けたと言うのです。

こうして父は,神が自分を愛し,祈りを聞き,支えてくださると信じて,最後まで耐え続けたのです。父は恵まれて,愛にあふれた神が祈りのように身近であることを幼いころから知っており,決して忘れることはありませんでした。」10

わたしたちはイエス・キリストの御名により祈ります。なぜなら,救いがキリストによりもたらされ,「わたしたちを救いうる名は,これを別にしては,天下のだれにも与えられていないからで〔す〕。」11わたしたちはイエス・キリストの聖なる御名によって御父のもとに来ます。12なぜならば,キリストは御父に対するわたしたちの弁護者であり,わたしたちのために弁じてくださるからです。13主は御父に栄光を帰するために,苦しみ,血を流し,亡くなられました。そして,わたしたちのために憐れみ深い嘆願をし,わたしたち一人一人がこの生涯で平安を得,来るべき世において永遠の命を得ることができるよう道を開いてくださいました。主は,わたしたちが長い間苦しみ,必要以上の試練に遭うことがないよう望んでおられます。主は,わたしたちが主に立ち返ることを望んでおられ,わたしたちの重荷を軽くし,心を癒し,主の清めの力で心を洗い清められるようにさせてほしいと望んでおられます。決まり切った同じ言葉を繰り返し,主の御名を無駄にすることがあってはなりません。イエス・キリストの聖なる御名によりささげる心からの祈りは,わたしたちの献身的な愛と永遠にわたる感謝,そして主が祈られたように祈り,主が行われたように行い,主のようになるというわたしたちの確固とした望みの表れです。

わたしたちは聖霊の力によって祈ります。なぜなら,「御霊によって求める者は,神の御心にかなって求める〔からです〕。」14信仰をもって祈るとき,聖霊はわたしたちの思いを導き,わたしたちの言葉が神の御心と一致するようにしてくださいます。「求めるものを自分の欲望のために無益なものにせず,むしろどんな誘惑にも負けないで,まことの生ける神に仕えようという,確固とした決意をもって求めなさい。」15

「祈る方法を知るだけではなく,祈りに対する答えを得る方法や,識別し,注意を払い,わたしたちに関する神の御心と目的をはっきりとした視野と明確な意図をもって理解する方法を知ることは同様に重要です。」16

アイリング管長はこのように述べています。「わたしは祈りの答えを受けてきました。答えが最もはっきりしていたのは,神が望んでおられる事柄を知る必要性を痛感し,自分の望みが忘れ去られたときです。そのときに,愛する天の御父からの答えが,『静かな細い声』によってわたしたちの思いに告げられ,わたしたちの心に書き記されるのです。」17

Christ with the Apostles
Christ in Gethsemane

救い主がゲツセマネの園に行かれたとき,主は悲しみのあまり死ぬほどでした。苦しみもだえているとき,主が唯一頼れるのは御父だけでした。主はこう嘆願されました。「もしできることでしたらどうか,この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」けれどもこう付け加えられました。「しかし,わたしの思いのままにではなく,みこころのままになさって下さい。」18罪がなかったにもかかわらず,救い主は御自分の民のために病や死を含む「あらゆる苦痛と苦難と試練を受け」るため召されました。「〔主〕は御自分の民の罪を負い,御自分の解放の力によって彼らの背きを取り消すために,肉において苦しみを受けられ〔ました〕。」19主は3度,こう祈られました。「父よ,みこころが行われますように。」20しかし杯は取り除かれませんでした。主は謙遜で誠実な祈りにより強められ,わたしたちが悔い改め,信じ,従い,永遠の祝福を得られるよう,わたしたちの救いのために備えるという御自分の神聖な使命を果たされました。

Christ praying in Gethsemane

祈りにより受ける答えは,わたしたちが望むものではないことがあります。しかし,苦難のときに,わたしたちの祈りは,愛と深い憐れみを受けるための命綱となります。嘆願するとき,わたしたちは前進し,聖任されていることをすべて果たせるよう強められます。苦難の時代を生きた聖徒たちに主はこう言われました。「心に慰めを得なさい。すべての肉なるものはわたしの手の内にあるからである。安らかにしていて,わたしが神であることを知りなさい。」21

わたしたちは個人で,または家族とともに,あるいは教会や神殿,どこにいても祈ります。打ち砕かれた心と悔いる霊をもって赦しや天の知恵を得るためであろうと,あるいは単に堪え忍ぶ力を得るためであろうと,わたしたちは常に全身全霊をもって神に祈り,わたしたちや周囲の人々の幸福のために祈ります。豊かな祝福と人生の教訓に対する感謝の思いがこもった誠実な望みは,キリストへの確固とした信仰,「希望の輝き」,そして「神とすべての人〔への〕愛」をわたしたちの心に植え付けます。22

祈りは神から与えられる賜物です。わたしたちは決して戸惑いを覚えたり,独りだと感じたりする必要はありません。聖霊の力と御子の御名によって尊い祈りをささげるあらゆる瞬間は,わたしたちの御父と過ごす神聖な時間となり得ることを証します。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。