2017
変わる方法
2017年2月


教会指導者からの答え

変わる方法

1980年3月18日にブリガム・ヤング大学で行われたディボーショナルでの説教を基に書かれました。

あなたが罪を犯し,自分の過ちの深刻さを認識しているとき,あなたにとって最も重要なチャレンジは,あなたは変わることができること,別の自分になれることを信じることでしょう。信じないことは,あなたを落胆させ,打ちのめすことを目的とした,サタンの策略であることは明らかです。悔い改めは不吉な言葉ではありません。それは,信仰に続く,キリスト教用語の中で最も勇気を与える言葉です。あなたは変わることができます!あなたは義なるものにおいて,何でも自分のなりたいものになることができます。

わたしが我慢できない嘆きの言葉があるとすれば,それはかわいそうで哀れな,生気のない次のような言葉です。「まあ,自分はそうだから。」もしあなたが人を落胆させる態度について話をしたいなら,その言葉を使うことこそがわたしを落胆させるのです。「自分はそうだから」という言葉についての演説は控えてください。罪を犯すことを望み,それを心理学だと呼びたがるあまりにも多くの人々から,それについて聞いたことがあります。また,わたしは,落胆と疑いと絶望をもたらすあらゆる習慣を意味するものとして,という言葉を使用しています。

あなたは変えたいものは何でも変えることができますし,非常に早く変えることができます。悔い改めるには何年も何年も,永遠の長い年月が必要だと信じさせるのは,サタンのもう一つの偽りです。悔い改めには,本気で「わたしは変わる」と言えるようになるのとちょうど同じ時間がかかります。もちろん,解決しなければならない問題や,償わなければならないこともあるでしょう。あなたは永続的に悔い改めを証明しながら残りの人生をより良く過ごすことができます。実際,そのように過ごした方がよいのです。しかし,変化,成長,再生,そして悔い改めは,アルマとモーサヤの息子たちがそうであったように,即座にもたらされることもあります。

誤解してはなりません。悔い改めは,簡単なもの,または痛みを伴わないもの,あるいは便利なものではありません。それは地獄の苦い杯となる可能性があります。しかし,サタンだけはあなたに,罪を認めるという必要不可欠なことが,罪の中に永遠にとどまるよりも嫌なことだと思わせようとします。サタンは次のように言うだけです。「君には変わることなんてできない。君は変わらない。変わるには時間がかかりすぎるし,難しすぎるよ。諦めればいい。降参して,悔い改めなんてやめるんだ。君は君のままでいいのさ。」友人の皆さん,それは絶望から生まれたうそです。そのようなことにだまされないでください。