計画が現実となるとき
筆者はアメリカ合衆国ユタ州在住です。
突然,救いの計画がただのフローチャート(流れ図)以上のもの,すなわち,わたしの希望と慰めの源になりました。
「自分の才能をすべて書き留めて,一つ選んでそれについて話してちょうだい」とジェンセン姉妹はわたしたちローレルクラスの生徒に言いました。わたしはバレーボールを自分が最も得意としていること,そして次のシーズン,つまりわたしのバレーボール最後の年は,これまでで最高の1年になるだろうということを誇らしげに説明しました。
「才能は様々な形でもたらされます。霊的な賜物もあります」とジェンセン姉妹は教えました。「わたしは自分の周りのすべての人を愛することができるよう天の御父が祝福してくださったと思います。」
ジェンセン姉妹は行く先々で愛を振りまき,日常の会話の中で自分の証を分かち合っていました。彼女の愛は偽りのない,思いやりにあふれた,キリストのような愛でした。彼女はわたしにとって若い女性の指導者以上の人になりました。すなわち,彼女は第二の母,姉,あるいは高校時代の親友のように感じたのです。わたしたちはいつも一緒にコンサートに行ったり,買い物に行ったり,イチゴジャムを作ったりしました。わたしが親知らずを抜いたときは,手作りのプリンを持って来てくれましたし,わたしが働いていたかき氷屋によく来てくれました。彼女はわたしの学校で働いていたので,わたしのすべてのバレーボールの試合にも来てくれました。
数か月後,夏休みの終わり近く,わたしは午前3時に電話の呼び出し音で目が覚めました。母が電話に出てから,わたしの寝室に来ました。「ジェンセン家が親戚との集まりの帰り道に交通事故に遭ったそうよ」と母は言いました。「車が高速道路から転げ落ちて,ジェンセン姉妹は亡くなったって。」
わたしは心が沈みました。わたしはこう思いました。「これは現実ではないわ。彼女は今日早くにメールをくれたもの。亡くなったなんてあり得ないわ。」
わたしはショック,混乱,悲しみのすべてを同時に感じました。数分後,涙が出てきました。わたしが泣いている間中,母が抱き締めてくれました。眠ることはできなかったので,その夜はずっとジェンセン姉妹のことを考えて泣きながらベッドに横たわっていました。
それから数週間,今まで感じたことがなかったほどの悲しみに沈みました。バレーボールは優先事項ではなくなりましたし,もはや新学期が始まるのも楽しみではありませんでした。以前はとてもわくわくしていた事柄がすべて,今や悲しみに埋められてしまいました。「悲しみで完全に打ちのめされてる」と,ある夜,自分の日記に書きました。「泣かずにはいられないし,いつも疲れてる。」
新学期が始まる前の夜,わたしはベッドに横になり,泣きながらジェンセン姉妹の死について考えていました。わたしは悲しんでいることにうんざりしており,その苦痛を克服するためには助けが必要なことに気づきました。祈る必要がありました。
「彼女が亡くなった理由を理解し,この出来事に耐えられる方法が分かるよう助けてください」と祈りました。
わたしは静かにそこにひざまずき,神様が答えてくださるかどうか考えました。数分後,心の中で,起こったすべての事柄が結びつき始めました。わたしは心に温かさを感じ,自分の思いが高められたように感じました。これらの思いは自分自身のものではないことに気づきました。御霊が教えてくださっていたのです。
救いの計画,すなわち,初等協会にいたときから教えられてきたフローチャート(流れ図)は,現実なのです。ジェンセン姉妹はこの世に生まれ,幸福を経験し,試練に耐え,愛を分かち合い,そして今,霊界にいるのです。彼女の霊は今でも存在しており,わたしは再び彼女と会うことでしょう。わたしはこの計画,すなわち幸福の計画は,わたしたちが天の御父のもとに,家族のもとに,友人のもとに戻る助けとなるように作られたものであることに気づきました。その瞬間,わたしは彼女と再び会うことができるよう,義にかなった生活をすることを何よりも望みました。
新学期の最初の数週間,わたしはすべての人を愛するというジェンセン姉妹の才能を育んでみることに焦点を当てました。ほかの人々を愛することに集中したとき,わたしの苦痛はゆっくりと治まり始め,さらに幸せを感じました。ほかの人々への愛を示す方法は幾らでもあることを学びました。すなわち,耳を傾ける,笑顔で接する,世話をする,褒めるなどによってです。これらは,ジェンセン姉妹がわたしのためにしてくれた小さな事柄です。ですから,彼女を記憶に留めるための最善の方法は,彼女が見せてくれたような愛を広めることだったのです。
ジェンセン姉妹は亡くなりましたが,わたしはいつでも彼女の愛を感じることでしょう。わたしはほかの人々に対してもう少し多くの愛を示すために毎日努力するとき,彼女が示した生き方に従って生きているのです。すなわち,再び彼女と会うのに,また一歩近づいたのです。