わたしのバプテスマの目的
バプテスマを受ける前,わたしは一人で腰掛け,友人たちが奇跡的に現れるよう祈りました。
子供のころ,台湾の台北郊外に住んでいたわたしは,宣教師の存在を知りませんでした。ですから初めて宣教師と出会ったとき,彼らのメッセージに興味を持ちました。それから間もなく,わたしはぜひとも宣教師の教えに従い,生活で福音を実践したいと思うようになりました。これこそが,神がほんとうにおられるのかどうかを知るための方法だと感じました。
1か月もたたないうちに,わたしはバプテスマの前に教わる福音と戒めを学んでしまいました。祈りによって心に平安が訪れ,聖文を学ぶことで個人の啓示を受けました。教会の集会には欠かさず出席しました。わたしはバプテスマを受けようと決意しました。
そのとき直面した最大の試練は,何人かの友人との間に生じた問題でした。友人たちは,わたしが教会にかかわることに反対していたのです。この問題について何度祈っても,友人との関係は悪化するばかりに思えました。
わたしは友人たちをバプテスマ会に招待しましたが,完全に無視されてしまいました。どうしたらよいのか,まるで分かりませんでした。バプテスマを受ける前,わたしは一人で礼拝堂の手前にあるホールのソファーに腰掛け,奇跡的に友人たちが現れるように祈りました。そうすれば自分が生活にもたらした前向きな変化について伝え,バプテスマを受けることは正しい決断なのだと証明できるでしょう。
結局友人たちは現れませんでしたが,神に心を注ぎ出している間,わたしはある印象を受けました。そのとき天の御父の大きな愛を感じました。天の御父がそこにおられ,わたしの祈りをほんとうに聞いてくださっているのが分かりました。
バプテスマを受けようと思ったのは,生活にたくさんのすばらしいことが起こっているからでしたが,そのとき,わたしは自分のバプテスマの目的を理解しました。
わたしが受けた印象はまるで,主の声が優しく,直接語りかけてくださったかのようでした。「あなたはだれに対しても何も証明する必要はありません。あなたがしなければならないのは,ただわたしに対して,あなたが進んでわたしのもとに来て,生涯にわたってわたしの福音に忠実であり続けると証明することだけです。」