デジタル版のみ:ソーシャルメディア発信の教会指導者の教え
日々弟子として生きる
主イエス・キリストに従うことについて,預言者,使徒,その他の教会指導者がソーシャルメディアで教えてきたことを見てみましょう。
救い主は現世での務めの間,こう教えられました。「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら,あなたがたは,ほんとうにわたしの弟子なのである。」(ヨハネ8:31)『聖句ガイド』の「弟子」の項では,そのような人を「イエス・キリストに従〔う〕……人」と説明しています。救い主の模範に従う努力をするならば,主はわたしたちが天の御父のみもとに戻れるよう導いてくださいます。
大管長会第一顧問のダリン・H・オークス管長は,こう説明しています。「イエス・キリストの福音は,神の子供としてなるべき者に,わたしたちがなるために備えられた計画です。この染みのない完全な状態は,絶えず聖約と儀式を更新し,それに基づいて行動すること,正しい選択を積み重ねていくこと,常に悔い改めることの結果としてもたらされるものです。『現世は神にお会いする用意をする時期である。』(アルマ34:32)
今こそ個人の改心と,天の御父が望んでおられるような人を目指して努力する時です。」1
弟子としての旅路のどこにいようと,このような教会指導者発信の最近のソーシャルメディアメッセージを,わたしたちはイエス・キリストの弟子として忠実であり続けるための助けにすることができます。
伝統的でない道を歩むことに関する指示
「皆さんは,同年代の人が歩んでいるような,いわゆる『通常の』道を自分は歩んでいないと感じることがあるかもしれません。人生において進むことのできる道がたくさんあるため,進むのがこわくなることがあるかもしれません。主が望んでおられるような人になる道を歩んでいるのかどうか不安になり,可能性の分岐点で立ち往生することがあるかもしれません。
自分が正しい道を歩んでいるかどうかを心配するよりも,良い変化を遂げることに力を集中してください。なりたい人物になるために,はっきりとした具体的な目標を立ててください。その過程で,常に主の導きを求めてください。
進むべき道の次の一歩に確信が持てない場合は,自分がなりたい人物『であるかのような』行動を取ってください。そうするならば,皆さんはそのような人になっていくでしょう。結局のところ皆さんは,行動や態度の積み重ねによって,なりたい人物になっていくのです。
このような人物になろうと努力し,神が自分のために用意された計画があることを信じるならば,たとえ完全には分かっていなくても,それが周りの人と違っていても,自分の人生が良い方向に向かっているという平安を感じるようになるでしょう。」
M・ラッセル・バラード会長,Facebook,2023年8月23日,facebook.com/mrussell.ballard。
弟子として多くが求められる困難な時期
「神はわたしたちを見守っておられます。……わたしたちはいつでも,天の御父を信頼することができます。……主は非常に多くの場合,ほかの人を通してわたしたちの祈りにこたえてくださいます。
自分は限界まで追い込まれていると感じるようなときには,自分の信仰では対応できないほどの状態まで追いやられることはないということを思い出すことができます。古くからの格言に,『人の窮地は神の好機』という言葉があります。自分がどれだけの力を持ち合わせているのかは,試され,精錬され,再び試されるまで分からないものです。
多くの場合,恐らく通常は,人生において困難で多くが求められる時こそが,成長の時,つまり決定的な時なのです。そのような時にこそ,人は今の自分から,なるべき自分に変わるのです。」
ジェフリー・R・ホランド長老,Facebook,2021年6月6日,facebook.com/jeffreyr.holland
聖約の道で一つとなる弟子たち
「妻のハリエットとわたしは最近,ドバイへのすばらしい教導の旅から戻りました。…
…わたしたちはホテルのダンスホールを借りて行われたすばらしい聖餐会に出席し,世界中から来たイエス・キリストの弟子たちとともに神を礼拝しました。その地の教会員に受け入れられていることが感じられて,感謝で胸がいっぱいになりました。イエス・キリストの普遍的な福音を宣べ伝え,実践する世界規模の教会の一員であるとは,何とすばらしいことでしょうか。
どんな人にとっても,どこにいる人にとっても,イエス・キリストは力です。ユタ州にいても,ドバイやロンドン,ブラジルにいても,わたしたちは主に平安を見いだし,主の忠実な弟子たちと一致することができます。世界のどこにいようと,わたしたちは皆,愛してくださる御父のもとに帰る聖約の道をともに歩んでいるのです。」
ディーター・F・ウークトドルフ長老,Facebook,2023年3月16日,facebook.com/dieterf.uchtdorf
救い主の道
「降誕から十字架の刑,最終的な復活に至るまで,イエス・キリストは御自分の前に定められた使命を果たす旅を歩まれました。主の弟子としてのわたしたちの使命は,主の道に従えるようになることです。
今週は,救い主の霊的な足跡だけでなく,救い主の降誕の地であり,地上での旅が始まったベツレヘムを含め,主の実際の足跡をたどるという喜ばしい経験をしました。
イエス・キリスト生誕の地として伝統的に認められている聖カテリナ教会を訪問中に,わたしたちは皆,弟子としての旅路歩んでいるということを考えました。わたしはBYUエルサレムセンターのディボーショナルで,弟子になるということについて話しました。
イエス・キリストに従う者として,わたしたちは救い主のようになろうと努め,何を行うにも主の模範に従います。弟子としての道に足を踏み入れた瞬間から,目に見える祝福,目に見えない祝福が,神から注がれるようになります。
皆さんとわたしは,どこにいようと,今日,弟子としての道を歩むことができます。謙遜になりましょう。心を尽くして天の御父に祈りましょう。そして,御父に近づき,御父について学びたいという望みを表そうではありませんか。」
ディーター・F・ウークトドルフ長老,Facebook,2023年4月22日,facebook.com/dieterf.uchtdorf。
弟子たち—学び,従う
「行う。なる。克服する。分かち合う。
MTCの宣教師と一緒にいることほど,人を高める経験はそうありません。霊が鼓舞されました。妻のキャシーとわたしは最近,家族の何人かと一緒にその場にいました。わたしたち皆に当てはまることを,幾つか紹介しましょう。
宣教師は,自分が信じていること,知っていること,感じていることを強く明確に理解できるようになる必要があります。これは人の行動に大きな影響を与えます。皆さんにもわたしにも,同じことが言えます!
イエス・キリストについてただ学んでいればイエス・キリストの弟子になれるというわけではありません。聖文にある神の言葉を研究し,信仰に応じた行動をし,救い主の模範に従わなければなりません。学ぶことと従うことは,切っても切り離せない関係にあります。
伝道の経験を通して,救い主に頼り,すがり,救い主を求め,救い主に慰めていただくことによって困難を乗り越える方法を,わたしは学びました。そのときに学んだ教訓は,生涯にわたってわたしの指針となりました。それは,皆さんにとっても自分の経験が指針となっているのと同じです。
宣教師として,またイエス・キリストに従う者として,わたしたちは救い主に近づく準備のできている人々を教え,助けます。わたしたちと交流のあるすべての人は,わたしたちの行いと言葉を通して,神が自分を愛しておられ,救い主イエス・キリストにわたしたちが献身していることを知るはずです。」
ニール・L・アンダーセン長老,2023年4月23日,facebook.com/neill.andersen
最も安全で,最も速く,最も幸せな道
「わたしを強くして下さるかたによって,何事でもすることができる。」(ピリピ4:13)……
現在キリストの若い弟子である皆さんは,困難な障害に直面するでしょう。……
聖約の道は,最も安全で,最も速く,最も幸せな道だということを,どうか忘れないでください。これらの聖約は,預言者,聖見者,啓示者とともに,道しるべの役割を果たし,天の御父のみもとに戻る旅の指針となります。」
ゲレット・W・ゴング長老,Facebook,2023年1月30日,facebook.com/gerritw.gong
平和を広める者
「イエス・キリストに従う者としてわたしたちは,主と主の贖いの犠牲を通して惜しみなく与えられている平安を,広める者となっています。
救い主の平安を広める一つの方法は,人への接し方です。わたしたちがさらに救い主に近づいていて,救い主のようになりつつあることの最も明らかなしるしの一つは,どんな状況にあっても,愛と忍耐と思いやりをもって同胞に接するということです。
救い主のような特質を伸ばす努力をするならば,わたしたちは主の手に使われ,主御自身が定められた方式で世界に主の平安をもたらす者になることができます。人を元気づけて支える人,理解と赦しの心のある人,ほかの人のいちばん良い点を探す人になれる方法を考えるよう,皆さんにお願いします。『どのようなことでも,徳高いこと,好ましいこと,あるいは誉れあることや称賛に値することがあれば,わたしたちはこれらのことを尋ね求めるものである』(信仰箇条1:13)という言葉をいつも忘れないでください。」
ウリセス・ソアレス長老,Facebook,2023年4月2日,facebook.com/soares.u
霊感を与える弟子
「最近ブラジルを訪れた際に,マルコス・ロシというキリストの霊感あふれる弟子に,予期せずして出会いました。忘れられない出会いでした。
マルコスはハンハルト症候群という,腕と足の完全な発達が阻害される珍しい障害がある状態で生まれました。医師たちからは30年しか生きられないと言われましたが,すでにマルコスは30歳を過ぎています。そして,次々に限界を突破しています。マルコスは夫であり父親であり,作家であり,サーフィンにスケートボード,スキューバダイビングもやれば,DJもこなし,歌手でもあり,国際的な講演者でもあり,そのほかの分野でも活躍しています。
人にはだれにでも限界がありますが,大切なのは,ともすれば人生の妨げとなる障害からどのようにして学び,成長するかです。大変な苦労をしてきたにもかかわらず,マルコスには強い信仰があります。自分の試練は一時的なものだということを,理解しているのです。天の御父の永遠の計画に感謝しているので,毎日幸せで,やる気に満ちています。
御父はわたしたちがいつの日か御自分のもとに戻ることを望んでおられ,わたしたちには救い主によって完全になれるという約束があります。その日まで,主は現世の旅の一歩一歩をわたしたちとともに歩んでくださいます。主に心を向けるならば,目の前に試練があろうと喜びを見いだすことでしょう。」
ウリセス・ソアレス長老,Facebook,2023年8月14日,facebook.com/soares.u
神への日々の献身
「心と思いをイエス・キリストと一致させるなら,失望や心痛,あらゆる試練から解放されます。神と一致し続けるために,わたしたちは日々神に献身し,祈り,聖文を研究します。日々悔い改めます。奉仕します。『徳高いこと,好ましいこと,あるいは誉れあることや称賛に値すること』(信仰箇条1:13)を口にします。
これはすべて,生活に御霊を招きます。聖霊の声に熱心に耳を傾けましょう。考え方や時間の使い方を調整して,常に天と交ることができるようにしてください。」
カミール・N・ジョンソン姉妹,Facebook,2023年8月29日,facebook.com/RSGeneralPresident
自分のペースと成長
「先週の土曜日,わたしはユタ州YSAカンファレンス『キリストにあってともに集う』で,とてもすばらしい男女とともに5キロ走を走りました。そしてその晩,御霊に心を打たれました。ともに集ってキリストについて語り,主の聖なる宮の近くを走るのはとても楽しく,わたしたちは力づけられました。印象に残ったことで,たとえとして皆さんに話したいことが幾つかあります。
第1に,わたしたちは自分のペースで走る必要がありました。
この5キロ走でのわたしの目標は,(プレッシャーをあまり感じないように,)走り続けること,止まらないこと,そしてゴールインすることでした。準備をしながら,自分の一定のペースで走ればもっと遠くまで行けるということに気づきました。このすばらしい5キロ走では,スピードを上げて走る人もいれば,ゆっくり走る人もいましたし,歩く人もいれば,車いすの友達や家族を押す人もいました。目的は,だれが一番でだれが最後かではなく,進み続け,力を合わせてゴールしようと励まし合うことでした。
皆さんのペースや成長は,皆さんと主との間の問題です。主は,皆さんが前や後ろにいる人と比べてどのくらいの位置にいるのかにはあまり関心がないと,わたしは思います。主はむしろ,皆さんが主のもとに帰る旅路のどこにいようと進み続けられるよう助けることに関心をお持ちだと,わたしは思うのです。ですから,自分に合ったペースを見つけて楽しみ,天の御父と救い主に,あなたの歩みを強めて,足もとを照らしていただいてください。
第2に,人と一緒の方が走りやすいということです。
わたしは救い主のすばらしい弟子たちと出会って一緒に走ることができて幸せでした。ほかの人たちと一緒だと,走り続けたいという気持ちになりますし,距離も長く感じませんでした。ある姉妹に言われました。「姉妹と一緒にだと走りやすくなるわ。」励まし合って走るのは楽しいものです。走りながらほかの人を励ますと,自分自身も走り続けようという気持ちになるのです。呼吸が苦しいながらもどうにかおしゃべりすると,走り続けられるような気がしてきました。それは,わたしが人と一緒に走っていたからであり,わたしたちが実は主のために走っていたからだと思います。わたしたちはキリストにあって集まっていました。
そして,わたしたちがこの5キロ走で互いに高め合い励まし合ったように,救い主はしばしばこの人生でほかの人を通して,わたしたちの重荷を軽くし,力と励まし,安心感と慰めを与え,喜びを大きくしてくださいます。主は横で一緒に走る人を通してわたしたちの疲れを和らげてくださいます。
最後の道は長い上り坂で,輝く夜景のユタ州サラトガスプリングズ神殿に一直線に向かっていました。ゴールに向かってともに走る中で与え合った仲間意識と愛を,わたしはしばらくの間忘れることがないでしょう。わたしたちがこの人生という旅を,キリストにあって一緒に走る中で,互いに励まし合い,さらに大きな喜びを感じることができますように。」
クリスティン・M・イー姉妹,Facebook,2023年8月18日,facebook.com/RS2ndCounselor
日々の生活におけるイエス・キリストの模範
「イエス・キリストは,日々の生活で主の模範に従うようわたしたちを招いておられます。そして,わたしたちが最善を尽くして主に従い,主に倣った生き方をしようとするならば,主は幸福を約束してくださいます。最近,救い主のような忍耐力が欲しいと強く願うようになりました。イエス・キリストは,地上で教え導いていた間,忍耐の完全な模範であられました。天の御父に進んで従い,すべてを耐え忍び,すべてのことを行われたのです。……
わたしは〔『イエス様のように』という〕歌が大好きです。わたしが毎日行おうとしていること,主の模範に倣うことについて,たくさん表しているからです。
……こんな歌詞があります。……『わたしもなりたい イエス様のように。言葉行いで 愛を示そう』このメッセージを,わたしはこよなく愛しています。
これについては,ヨハネ13:15でさらに学ぶことができます。『わたしがあなたがたにしたとおりに,あなたがたもするように,わたしは手本を示したのだ。』救い主は従うべき規範を与えてくださっています。そして,主を求め,その規範に従う努力をするならば,わたしたちは主のようになれるのです。これは,わたしにとって力強い教えです。
ですから,次のことを今日学ぶよう,わたしはお勧めします。イエスはわたしたちにどんな方法で御自身のようになるよう望んでおられるでしょうか。そして,今日,特に意識して,自分の行動や行動,言葉にそれを取り入れるようにしてください。」
トレーシー・Y・ブラウニング姉妹,2023年4月27日,facebook.com/Primary2ndCounselor
イエス・キリストの弟子である子供たち
「子供は体は小さいかもしれませんが,霊は小さくありません。ほとんどの子供は難しい言葉を使いませんし,物事の説明はとても簡潔です。ほんとうだと分かっていることについては,恐れを知りません。物事をはっきりと言います。曖昧な言い方をすることは,あまりありません。だから子供たちの証はわたしの心に強く響きます。ですから,わたしたちが子供たちをイエス・キリストの弟子として見ることができるようにと願っています。
8歳で聖約を交わすようにと彼らに勧めていますが,彼らはそうしています。ですから,彼らも弟子です。弟子としての務めを果たすよう勧め,主の弟子として見て,弟子として扱ってください。わたしたちがそうするとき,わたしたちがどんなチャレンジをしようと子供たちはそれをやり遂げるようになるでしょう。」
トレーシー・Y・ブラウニング姉妹,2023年8月11日,facebook.com/Primary2ndCounselor