「ヤコブ5:1-53:『果樹園の主人』」『モルモン書 教師用手引き』(2024年)
「ヤコブ5:1-53」『モルモン書 教師用手引き』
ヤコブ5:1-53
「果樹園の主人」
神は,義にかなった人も,不義であることを選んだ人も,御自分のすべての子供たちを気にかけておられます。ヤコブは,ゼノスのオリーブの木のたとえを教えましたが,これは義にかなった人々とそうでない人々の散乱を象徴的に示しています。また,このたとえは,主が終わりの時に,イスラエルの集合に努められることを示しています。この課は,あなたとすべての人に対してイエス・キリストが抱いておられる愛をあなたが感じる助けとなります。
迷える人々への神の愛
次のシナリオを深く考えましょう:
リサは,最近犯した幾つかの過ちに罪悪感を感じています。彼女は,これらの過ちのせいで,神がまだ自分を気にかけてくださるかどうかが心配になり始めました。
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リサのような気持ちになった人を助けるために,あなたならどのようなことを言いますか。
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罪を犯した後,わたしたちはなぜ神の愛に気づきにくくなったり,感じにくくなったりするのでしょうか。
今日あなたは,迷える人に対する主の愛を示す聖典の話を研究します。研究しながら,御自分から離れた人を進んで助けようとされるイエス・キリストの気持ちについての重要な教訓を探してください。学んだ真理が,自分の状況でどのように役立つかを深く考えてください。
オリーブの木のたとえ
ヤコブは,ユダヤ人がイエス・キリストを拒むことを預言しました(ヤコブ4:15参照)。ユダヤ人が主のもとに戻るのを救い主がどのように助けてくださるかを自分の民が理解できるよう,ヤコブはゼノスという名の預言者が与えたたとえを教えました。たとえとは,象徴的な言葉,物,行動を用いて真理を教えるものです。
以下は,このたとえに使われている重要な象徴の一部と,それが意味すると思われるものです。これらの象徴を学習帳か聖典に箇条書きにするとよいでしょう。
象徴 |
考えられる意味 |
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象徴 主または果樹園の主人 | 考えられる意味 イエス・キリスト |
象徴 果樹園 | 考えられる意味 この世 |
象徴 栽培されたオリーブの木 | 考えられる意味 イスラエルの家,主の聖約の民 |
象徴 野生のオリーブの木 | 考えられる意味 異邦人(主と聖約を交わしていない人々)と背教したイスラエル |
完成したイエス・キリストに関する洞察のページは,この課の課題として提出してもらいます。
たとえを理解する
このたとえの冒頭は,イエス・キリストの現世における教導の業よりも前の時代を表しています。ヤコブ5:3-6を読み,神の聖約の民を表す栽培されたオリーブの木がどうなったかを探してください。
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木が朽ちることは,何の象徴だと思いますか。
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果樹園主人が木を刈り込み,掘り,養いを与えることは,それぞれ何を象徴していると思いますか。
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これらの行為は,イエス・キリストについてどのようなことを教えていますか。(学習帳に自分の洞察を書き加えてください。)
この最初の訪問の後,果樹園の主人は,栽培されたオリーブの木を救うために,ほかに二つの重要な行動を取りました:
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主人はオリーブの木の枯れ始めた大枝を切り落とし,野生のオリーブの木の枝を何本か大枝に接ぎ木するように命じました(ヤコブ5:7-10参照)。この接ぎ木は,バプテスマと改心を通して,異邦人が主の聖約の民に加わるよう助ける主の努力を表していると考えられます。
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主人は柔らかい若枝を大枝のオリーブの木から取って,果樹園の様々な場所に接ぎ木しました(ヤコブ5:8,13-14参照)。これは,イスラエルが,世界の様々な場所に散らされたことを表していると考えられます。散乱した人々の中には,リーハイ家族のような,義にかなった人々もいました(1ニーファイ10:12-13参照)。ほかの人々は邪悪であったために散らされました。
このたとえの残り部分では,後に何度も果樹園の主人が自分の果樹園を訪れたことが描かれています。これらの訪問は,世界の歴史における異なる時代を象徴していると考えられます。
以下の聖句を研究して,各訪問の間に,元の大枝の木とあちらこちらに散らされた木がどうなったかを見つけてください。
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2回目の訪問(イエス・キリストの時代を象徴している):ヤコブ5:15-17,19-20,23-28
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3回目の訪問(大背教を象徴している):ヤコブ5:29-32,38-41,46-47
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この3回にわたる訪問の間の木々と実の状態について,どのようなことに気づきましたか。
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この3回にわたる訪問の間の果樹園の主人の言葉と行動について,どのようなことに気づきましたか。
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これらの言葉や行為は,イエス・キリストについてどのようなことを教えていますか。(学習帳に自分の洞察を書き加えてください。)
十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,これらの聖句から神について学べる一つの教訓を,次のように分かち合っています:
「掘り起こし,肥料と水をやり,下草を刈り,さらに刈り込み,剪定し,植え替え,接ぎ木した後に,果樹園の偉大な主人は鋤と剪定ばさみとを投げ捨てます。そして涙を流し,こう言います。『わたしの果樹園のために,これ以上何ができたであろうか。』〔ヤコブ5:41,49〕
わたしたちの人生にこれほど心を砕いておられる神の御姿を心からぬぐい去ることができるでしょうか。子供たちが御父を選ばず,御父が送られた『神の福音』〔ローマ1:1〕に従わないとき,御父の苦悩はこれほど大きいのです。このように深く愛してくださる御方を愛することは,どれほどたやすいことでしょう。」(ジェフリー・R・ホランド「偉大な神の性質」『リアホナ』2003年11月号,72)
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この言葉で心に残ったのはどのようなことですか。それはなぜですか。
果樹園の主人の継続的な努力
ヤコブ5:51-53を読み,果樹園の主人が,朽ちる状態にある自分の木を見た後,何をすることを選んだかを見つけてください。
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この聖句から,主についてどのようなことが分かるでしょうか。(学習帳に自分の洞察を書き加えてください。)
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あなたなら,ヤコブ5章から学んだ教訓をどのように一つの真理の文に要約しますか。
ヤコブ5章から学ぶことができる一つの真理は,主は天の御父のすべての子供たちを愛しておられ,たとえ彼らが御自分に背を向けても引き続き気にかけてくださる,ということです。
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この真理は,悔い改めたいという望みをさらに強く感じるうえでどのような助けとなるでしょうか。
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人々が主に背を向けた後も,主がどのように引き続き人々を愛し,気にかけてくださるかを示す例を,聖文または個人の生活の中から挙げてください。
今日学んだことや感じたことが,あなたの生活にどのような影響を与えるかについて考えてください。印象を学習帳に記録するとよいでしょう。