「5月20-26日:『わたしたちは聖約を主と交わした』モーサヤ18-24章」『わたしに従ってきなさい—家庭と教会用:モルモン書 2024年』
「5月20-26日モーサヤ18-24章」『わたしに従ってきなさい—家庭と教会用:2024年』
5月20-26日:わたしたちは聖約を主と交わした
モーサヤ18-24章
モーサヤ18章;23-24章に書かれているアルマとその民の話は,「神の羊の群れに入〔る〕」(モーサヤ18:8)とはどういうことかを示しています。アルマの民はバプテスマを受けたときに,「主に仕えて主の戒めを守る」(モーサヤ18:10)という聖約を神と交わしました。これは神との個人的な約束でしたが,彼らが互いにどのように接するかにも関係していました。そうです。天の御父のもとに帰る旅は個人的なものであり,自分に代わって聖約を守ってくれる人はいませんが,だからといってわたしたちは独りではないのです。わたしたちは互いを必要としています。キリストの教会の会員として,わたしたちはみもとに帰る道すがら,「互いに重荷を負い合〔い〕」ながら,助け合い,奉仕し合うことによって神に仕えると聖約しているのです(モーサヤ18:8-10)。アルマの民は,確かに,わたしたち皆と同様,重荷を負っていました。主はわたしたちが「容易に重荷に耐えられるように」(モーサヤ24:15)助ける一つの方法として,ともに悲しみ,慰めるという約束を自分と同じように交わした聖徒たちの共同体を与えてくださっています。
家庭と教会で学ぶためのアイデア
バプテスマを受けるとき,わたしは神と聖約を交わす
モーサヤ18章で述べられている信者たちが,イエス・キリストに対してどれほど深い気持ちを抱いていたかを考えてください。彼らは主について学ぶために,大きな危険を冒してひそかに集まらなければなりませんでした(3節参照)。そして,バプテスマの聖約によって決意を示す機会が与えられたときには,「手をたたいて喜び,『それこそわたしたちが心から望んでいることです』と叫〔び〕」(モーサヤ18:11)ました。
これらの節を読むことは,自分にとって聖約がどれほど大切かを深く考える良い機会となるかもしれません。特にモーサヤ18:8-14を研究しながら,次のような質問について考えてください:
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あなたがバプテスマを受けたときに交わした約束について,この聖句からどのようなことが分かるでしょうか。神はあなたにどのようなことを約束しておられますか(10,13節参照)。
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神に仕えるという聖約は,互いにミニスタリングを行うこととどのような関係があるでしょうか(8-9節参照)。
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あなたにとって,「神の証人になる」(9節)ことにはどのような意味があるでしょうか。
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バプテスマの聖約を守ることは,「御霊に満たされ〔る〕」(モーサヤ18:14)ためにどのような助けとなるでしょうか。御霊はあなたが交わした聖約を守るのをどのように助けてくれるでしょうか。
これらの質問に答えるとき,聖約と儀式が神にとってなぜ大切なのかを深く考えることになるかもしれません。ゲレット・W・ゴング長老のメッセージ「聖約によるつながり」(『リアホナ』2019年11月号,80-83),またはジーン・B・ビンガム会長のメッセージ「神との聖約は永遠の栄光への力,守り,備えとなる」(『リアホナ』2022年5月号,66-69)から理解を得ることができるでしょう。あなたが聖約に感謝している理由は何ですか。あなたはバプテスマのときに交わした聖約を守るために,どのようなことをしていますか。
「福音トピックス」「バプテスマ」の項,福音ライブラリー;「父アルマ,教えを説き,モルモンの泉でバプテスマを施す」(ビデオ)も参照してください。
神は御自分の民に,集まり,組織し,一致するように命じておられる
なぜ教会が必要なのだろうかと疑問に思う人がいるかもしれません。モーサヤ18:17-31を調べて,「キリストの教会」(モーサヤ18:17)に集まることにアルマの民が見いだしていた価値を見つけてください。アルマの時代とわたしたちの時代のイエス・キリストの教会には,どのような類似点があるでしょうか。
組織された教会が必要であることを信じていない友人や家族に対して,あなたならどのように答えますか。イエス・キリストの教会に属していることにあなたが感謝しているのはなぜですか。
ワードや支部の会員たちが「互いに和合し,愛し合って結ばれた心を持〔つ〕」(モーサヤ18:21)よう助けるためにあなたに何ができるか考えてください。
ダリン・H・オークス「教会の必要性」『リアホナ』2021年11月号,24-26;「共に愛し合え」『賛美歌』192番も参照してください。
神はわたしが重荷を負うのを助けてくださる
リムハイの民とアルマの民は,状況は異なるものの,どちらも囚われの状態に陥りました。モーサヤ19-22章にあるリムハイの民の話と,モーサヤ18章;23-24章にあるアルマの民の話を比較することで,どのようなことが学べるでしょうか。学びながら,あなたの生活に応用できるメッセージを見つけてください。例えば,「次第に栄え〔る〕」(モーサヤ21:16)とはどういう意味でしょうか。この原則をどのように応用できるでしょうか。
わたしは主を信頼することができる
アルマとその民は,罪を悔い改めたにもかかわらず,なお囚われの状態にありました。彼らの経験から,主を信頼して聖約を守るならばいつも困難が取り除かれるというわけではありませんが,苦難を乗り越えるための助けを得られることが分かります。モーサヤ23:21-24と24:8-17を読んで,どのような状況にあろうと主を信頼できるようになるために役立つ言葉を見つけてください。
デビッド・A・ベドナー「容易に重荷に耐えられるように」『リアホナ』2014年5月号,87-90も参照してください。
子供を教えるためのアイデア
バプテスマを受けるとき,わたしは神と聖約を交わす
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子供たちがバプテスマに備えるのを助ける大切な一つの方法は,バプテスマを受けるときに交わす聖約について彼らに教えることです。これは,今週の概要の最後に載っている絵を見せ,モーサヤ18:9-10で聖約について一緒に読むといった簡単なことかもしれません。すでにバプテスマを受けている子供に,このことを年少の子供たちに教えてもらうとよいでしょう。子供たちは,あなたのバプテスマについて聞くのを楽しむかもしれません。神との聖約を守ることで,あなたの生活にどのような祝福がもたらされてきましたか。
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バプテスマを受けた子供たちは,毎週聖餐を受けることで,自分が交わした聖約を頻繁に思い起こし,聖約を新たにすることができます。子供たちに,モーサヤ18:8-10に説明されているバプテスマの聖約と,聖餐の祈り(教義と聖約20:77,79参照)を比べてもらうとよいでしょう。自分のバプテスマと同じように聖餐を特別で敬虔な機会にするために,どんなことができるでしょうか。
わたしはバプテスマを受けるときにイエス・キリスト教会の会員になる
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子供たちは,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であることの意味を知っているでしょうか。モーサヤ18:17-28で教会員が行っていることを表している写真を子供たちが見つけるのを助けるとよいでしょう。例えば,神権への聖任や,什分の一を納めること(『福音の視覚資料集』106,113番)の写真は,18節と,27-28節を表していると言えるでしょう。イエス・キリストの教会の会員であることにあなたが感謝している理由を子供たちに話してください。
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子供たちが,自分たちは「互いに和合し,愛し合って結ばれた心を持〔っている〕」(モーサヤ18:21)と感じられるように助けることは,彼らが生涯を通じて教会につながっているための助けとなります。子供たちにモーサヤ18:17-28を読んでもらうとよいでしょう。アルマの時代のキリストの教会の会員は,互いに愛し合い,仕え合うためにどのようなことをしましたか。そのことを,わたしたちのワードや支部,地域社会でどのように行えるでしょうか。「友達」(『子供の歌集』78-79)など,愛についての歌は,このメッセージをさらに力強いものにしてくれるでしょう。
神はわたしの重荷を軽くすることがおできになる
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実物を使った簡単なレッスンは,学ぶことをより記憶に残るものにします。バッグの中に重いもの(重荷を表します)をいっぱい入れて,一人の子供にそれを持ってもらうとよいでしょう。子供たちと一緒にモーサヤ24:8-17を読みながら,アルマとその民が自分たちの重荷について神の助けを求めるために行ったことが出てくる度に,袋から物を一つ取り出してもらいます。その後,わたしたちが天の御父の助けを求めるときに,御父がどのようにわたしたちの重荷を軽くしてくださるかについて話し合うとよいでしょう。