「12月12-18日 マラキ:『主は言われる,「わたしはあなたがたを愛した」と』」『わたしに従ってきなさい—日曜学校用:旧約聖書 2022年』(2021年)
「12月12-18日 マラキ」『わたしに従ってきなさい—日曜学校用:2022年』
12月12-18日
マラキ
「主は言われる,『わたしはあなたがたを愛した』と」
マラキ書の幾つかのメッセージは,クラスの参加者にとって特に学ぶ必要があるものかもしれません。研究しながら,そのメッセージが何であるかを見分けられるよう祈ってください。そうすることは,あなたの教える人たちに対する主の愛を感じる助けにもなります。
印象を書き留める
分かち合うよう招く
マラキ書についての話し合いを始めるに当たり,ホワイトボードに「メッセージ」と書きます。クラスの参加者に,マラキ書の各章で見つけた大切なメッセージを分かち合うよう促します。分かち合われたことをクラスの参加者が覚えておき,それについて深く考えられるよう,ホワイトボードにそれらのメッセージを書くとよいでしょう。
教義を教える
主は「清いささげ物」を求めておられる。
マラキの預言は末日において成就されつつある
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マラキ3-4章についての話し合いを始めるために,モロナイがジョセフ・スミスに姿を現したとき,これらの章の聖句を分かち合ったことを指摘するとよいでしょう(ジョセフ・スミス—歴史1:36-39参照)。これらの章で述べられている真理の中で,ジョセフにとって特に知る必要のあった,そしてわたしたちにとって知る必要のある大切な真理だとクラスの参加者が感じるものは何でしょうか。クラスの参加者に少人数のグループに分かれてもらい,できるだけ多くの真理をリストにしてもらうとよいでしょう。グループでリストを分かち合ってもらい,なぜそれらの真理が末日において大切なのか話し合ってもらいます。
わたしたちが什分の一を納めるとき,主は天の窓を開いてくださる。
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什分の一の律法についての証を分かち合ってもらえるよう,クラスの参加者にマラキ3:8-12から原則を見つけてもらい,それらの原則が真実であることを自分がどのように知るに至ったか発表してもらうとよいでしょう。クラスの参加者に,什分の一を納めることで,主がどのように自分を霊的および物質的に祝福してくださったかについて話してもらうとよいでしょう。または,デビッド・A・ベドナー長老が「天の窓」(『リアホナ』2013年11月号,17-20)というメッセージで分かち合っている什分の一に関する教えについて話し合ってもらい,この律法に従って生活するよう努力する中で学んだことを分かち合ってもらってもよいでしょう。
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クラスの参加者に,マラキ3:8-12を黙読しながら,主がわたしたちに什分の一を納めるよう求めておられる理由を自分なら人にどう教えるか深く考えるように言います。さらに,「その他のリソース」にあるゴードン・B・ヒンクレー大管長の言葉を読んでもらってもよいでしょう。わたしたちは,ほかの人たちに什分の一についてどのようなことを理解してもらいたいでしょうか。例えば,什分の一を納めるとはどういう意味でしょうか。主がわたしたちにそれを望まれるのはなぜでしょうか。わたしたちが什分の一を納めるとき,「天の窓」(10節)はどのように開かれるでしょうか。什分の一を納めることについて,人はどのようなことを心配する可能性があるでしょうか。わたしたちは,それにどう対応すればよいでしょうか。クラスの参加者に,この戒めを守ることで,天の御父とイエス・キリストを信じる信仰がどのように強められたか発表するように言います。
「わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす」
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クラスの参加者は,これらの聖句と,モロナイがそれをジョセフ・スミス—歴史1:38-39でジョセフ・スミスに対して引用した際の表現とを比較することで,マラキ4:5-6について理解を深める手がかりを得られるかもしれません。(だれかにそれぞれの聖句をホワイトボードに並べて書いてもらうと役立つかもしれません。)モロナイの言葉によって,マラキ書の聖句に対するわたしたちの理解はどのように深まるでしょうか。また,次のような質問について話し合うのもよいでしょう。「父」とはだれでしょうか(申命29:13参照)。わたしたちの心はどのように父に向かい,父の心はどのようにわたしたちに向かうのでしょうか。マラキの預言がどのように成就したかをクラスの参加者が理解できるように,エリヤが結び固めの鍵をジョセフ・スミスに委ねたときのことについて読んでもらうとよいでしょう(教義と聖約110:13-16参照)。結び固めの鍵が回復されたことにクラスの参加者が感謝しているのはなぜでしょうか。
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マラキ4:5-6は,神殿・家族歴史活動について話すすばらしい機会を提供してくれます。クラスの参加者に,その活動に携わっている間に経験したことを話してもらい,その経験が自分の心を先祖に向けるのにどう役立ったか分かち合ってもらってもよいかもしれません。将来の世代がわたしたちに心を向けられるよう助けるために,わたしたちは何ができるでしょうか。
その他のリソース
什分の一は信仰の問題である。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長は次のように述べています。「什分の一を納めるのも難しいことではありません。それはお金の問題というよりもむしろ信仰の問題です。什分の一を忠実に納めていて,天の窓が文字どおりのすばらしい方法で開かれ,祝福を受けたことを証できないような人には,まだ会ったことがありません。」(「主のみ業を推し進める」『聖徒の道』1986年1月号,84)