「12月19-25日 クリスマス:『わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる』」『わたしに従ってきなさい—日曜学校用:旧約聖書 2022年』(2021年)
「12月19-25日 クリスマス」『わたしに従ってきなさい—日曜学校用:2022年』
12月19-25日
クリスマス
「わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる」
個人の研究と教えるための準備をする際には,どうすればクラスの参加者が救い主の降誕に深く大きな喜びを感じられるよう助けられるか考えてください。イエス・キリストの贖いの愛について参加者に証してもらえるよう,御霊を招きましょう。
印象を書き留める
分かち合うよう招く
クリスマスは,旧約聖書の研究によってイエス・キリストを信じる信仰がどのように強められたかをクラスの参加者に分かち合ってもらう良い機会となります。
教義を教える
わたしたちは贖い主に喜びを感じる。
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クリスマスは喜びの季節として知られていますが,一年のこの時期にあっても喜びを見いだすのが難しい状況にある人も多くいます。クリスマスには,救い主はわたしたちの重荷を軽くして,平安や,さらには喜びさえも見いだせるよう助けてくださるという大切なメッセージが込められています。このメッセージを分かち合うため,ホワイトボードに次の聖句の場所を書きます:詩篇35:9;イザヤ25:8-9;44:21-24;51:11;ゼパニヤ3:14-20;モーセ5:5-11。続いて,次のような質問をホワイトボードに書き,クラスの参加者に聖句を読みながら深く考えてもらうとよいでしょう:これらの聖句は,喜ぶべき理由としてどのようなことを挙げていますか。見つけたことを発表してもらいます。時間を取り,クラスの参加者に,自分自身が救い主にあって感じている喜びについて書いてもらってもよいでしょう。また「その他のリソース」にあるラッセル・M・ネルソン大管長のメッセージからも,さらに洞察が得られるかもしれません。
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クリスマスは,人々に奉仕することによってキリストの喜びを広める機会を提供してくれます。クラスの前に,一人の参加者に,ウリセス・ソアレス長老のメッセージ「現代の天の軍勢」(大管長会クリスマス・ディボーショナル,2019年12月8日,broadcasts.ChurchofJesusChrist.org)を復習してもらい,ソアレス長老と家族がクリスマスの喜びを感じるうえで奉仕の業がどのような助けとなったかを分かち合えるよう準備してきてもらうとよいでしょう。また,ソアレス長老のメッセージの一部をクラスで分かち合ってもよいでしょう。クラスの参加者に,自分自身がクリスマスの時期に奉仕の行いをしたときや,または奉仕を受けたときの経験を分かち合ってもらうとよいでしょう。わたしたちはどうすれば救い主の「人に愛と善意を示す完全な模範」に従うというソアレス長老の招きを行動に移すことができるでしょうか。
象徴はわたしたちがイエス・キリストを思い起こせるよう助けてくれる。
神はわたしたちに御子という賜物を与えてくださった。
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ほとんどの文化において,プレゼントを贈ることはクリスマスの伝統になっています。神がわたしたちに与えてくださった賜物,特に御子イエス・キリストという賜物についてクラスの参加者と話し合うとよいでしょう。そのために,ビデオ「主こそ贈り物」(ChurchofJesusChrist.org)を見せ,救い主という賜物が自分にどのような意味を持っているか,クラスの参加者に話してもらうとよいでしょう。わたしたちはこの賜物に対する感謝を天の御父にどのように示せるでしょうか。
2:47
「その名は,『霊妙……』ととなえられる。」
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ベツレヘムでお生まれになるメシヤについて述べるために,預言者イザヤは多くの呼び名や称号を使いました(例えば,イザヤ7:14,9:6参照)。それらの称号について学ぶことで,クラスの参加者は救い主とその使命について,より多くのことを楽しく学べるかもしれません。称号を選んでもらい,その意味を理解するのに役立つそのほかの聖句を見つけてもらうとよいでしょう。例えば詩篇85:8,イザヤ52:7,ルカ2:14,ヨハネ16:33を読むことで,「平和の君」(イザヤ9:6)という称号についてより多くのことを学べるかもしれません。クラスの参加者がほかの聖句を見つけられるように,『聖句ガイド』(scriptures.ChurchofJesusChrist.org)を見るよう提案します。救い主や,救い主がわたしたちのために行ってくださることについて,それらの称号はどのようなことを示しているでしょうか。
その他のリソース
イエス・キリストは平安と喜びを与えてくださる。
ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように教えています。
「……生活の中心を神の救いの計画とイエス・キリスト,主の福音に向けるなら,人生で何が起こっても,起こらなかったとしても,喜びを感じることができます。喜びは主から始まり,もたらされるものです。主はすべての喜びの源であられます。クリスマスの時季,『もろびと,こぞりて 迎えまつれ』(訳注:英文の歌詞は,『世に喜びをもたらす,主がお生まれになった』の意)〔賛美歌116番〕と歌うとき,喜びを感じます。わたしたちはその喜びを,一年中感じることができるのです。末日聖徒にとって,イエス・キリストは喜びです。……
『人知ではとうてい測り知ることのできない』〔ピリピ4:7〕平安をもたらしてくださるのと同様に,救い主は人の論理や理解が及ばないほど強く,深く,満ち足りた喜びをも与えてくださいます。」(「喜び—霊的に生き抜く道」『リアホナ』2016年11月号,82)