第7課
赦 しが持つ癒 しの力
目 的
参加者が互いに,
準 備
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教師としてのあなたの責任」(本書 ix-xi)にある原則を復習する。教える準備をする際にそれらの原則を応用する方法を探す。
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この課の教義と原則を示す太字の見出しを読む。準備として1週間を通しそれらの教義と原則を思い巡らし,参加者の必要に合ったレッスンを行うには何を強調すればよいかを
御霊 の導きを求めながら決める。 -
クラスに『結婚と家族関係参加者用学習ガイド』を持参するよう参加者に言う。レッスンの間にガイドを参照することは参加者にとって有益である。
注意:本課を教える際には,個々の参加者の状況にとりわけ注意を払う。参加者が虐待や不貞など重大な家庭問題について
レッスンの進め方の提案
夫婦間の赦 しの精神は平安と信頼と安心感をもたらす
七十人のヒュー・B・ピノック長老が語った以下の物語を読む。
「だいぶ年を取ってから結婚した一組の夫婦がいました。奥さんの方は婚歴がありましたが,ご主人の方は初婚でした。初めは楽しい生活が続きましたが,数か月たち,二人の間に激しい意見の衝突が起きました。ご主人は苦悩のあまり,毎日の仕事にも手がつかない状態になってしまいました。
彼はその危機に直面して動揺しながらも,その問題についてじっくり考えました。そして,少なくとも責任の一端は自分の側にあることに気づいたのです。彼は妻のところに行き,ぎこちない様子で何度か口ごもるようにしながら言いました,「わたしが悪かった」と。奥さんの方も泣きじゃくりながら,問題の大半は自分の責任であり,
この物語をゴードン・B・ヒンクレー大管長の話と比較する。結婚生活において問題に直面していたある夫婦と面接をしていたときの話である(『結婚と家族関係参加者用学習ガイド』27)。
「わたしはある夫婦から長々と話を聞いたことがありました。わたしの机をはさんで座った二人の間には苦悩が感じられました。かつては二人の愛も深く,本物であったに違いありません。しかし,互いに相手の欠点を口にする癖が高じて,だれにもあるような間違いでも
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これら二つの例からどのようなことが学べるだろうか。
この課では
夫婦は自分の欠点について相手からの赦 しを求め,改善に向けて誠実に努力しなければならない
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夫婦にとって,「ごめんなさい」と言って自分の過ちについて互いに
赦 しを求めることが大切なのはなぜだろうか。 -
赦 しを求めるのが難しいときがあるのはなぜだろうか。(利己心や高慢さがじゃまをする,わたしたちは時々自分たちの問題を他人のせいにすることがある,などの答えが考えられる。) -
どうすれば人に
赦 しを求めるための強さを見いだすことができるだろうか。
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改善に向けて努力せずに
赦 しを求めることにはどのような危険が潜んでいるだろうか。
レッスンの本項を終えるに当たり,以下の実話の一つまたは両方を紹介する。
ある夕べを妻と数名の友人とともに過ごした後,ある男性は妻がいつになく無口であることに気がついた。彼は妻にどうしたのかと尋ねると,妻は今夜彼が自分を話題にした話をしたために,何度か恥ずかしい思いをし,また傷ついたと説明した。初め,彼は自分の行動を弁護して,あれは冗談を言っていただけで,皆に楽しんでもらいたかっただけであり,彼女の反応は大げさであると言った。しかし話しているうちに,彼は自分がほんとうに妻の感情を傷つけていたことを理解した。彼は自分の軽薄な態度が妻に何度も恥をかかせていたことを理解し,非常にすまなく思った。彼は謝り,もう二度と彼女に恥ずかしい思いをさせないことを約束した。彼は約束を守った。それ以降,彼は人前で妻を心から褒めるようになった。
夫であり父親であったある男性は,10代のころにポルノグラフィーにふけるようになったまま,やめることができずにいた。彼はどうすれば変わることができるのか分からず,自信を失っていた。ついに,彼は助けを求めて熱心に祈り,
スペンサー・W・キンボール長老が十二使徒定員会会員であった当時に語った以下の言葉を紹介する。
「あらゆる
夫婦は互いに赦 し合うように努力すべきである
自分が犯した罪や過ちに対する赦しを求めることに加え,わたしたちには人を赦す必要があることを指摘する。わたしたちは人が行うささいな事柄のために感情を害することがあるが,主はわたしたちに互いに赦し合うよう命じておられる。参加者とともに教義と聖約64:8-10およびマタイ6:14-15を読む。
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夫婦が進んで互いに
赦 し合うとき,夫婦関係はどのように強められるだろうか。ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう勧告している。「……人に対する憎しみという,毒のある思いを募らせている人々がいるなら,
赦 す力を主に請い求めるように申し上げたいと思います。このような望みを表すことが,まさに悔い改めそのものなのです。主に赦しの力を請うのは容易でないかもしれませんし,その力がすぐに得られるともかぎりません。しかし,もし真剣に求め,その望みをはぐくんでいけば,赦しの力は得られるでしょう。……ほかの方法では得られない平安な気持ちが心の中に広がっていくのを感じるでしょう。」(「あなたがたには,赦すことが求められる」5。『結婚と家族関係参加者用ガイド』27も参照) -
赦 すのが難しいことがあるのはなぜだろうか。(今後自分が傷つくことがないように自分を守ろうとするため,赦すことは人を傷つける行動を見逃すことと同じだと考えているため,不愉快な行為をやめる努力をせずに赦しを期待する人を赦すことは難しいため,などの答えが考えられる。) -
赦 すことを拒む夫婦にはどのような危険が潜んでいるだろうか。 -
赦 しは赦される人々にどのような祝福をもたらすだろうか。赦されることは好ましくない行動を変えるうえでどのように役立つだろうか。 -
赦 しの精神は赦す人にどのような祝福をもたらすだろうか。
人から不当な扱いを受けたと感じたときには,救い主が自分にどのような対応を望んでおられるかを自問するように提案する。第14代大管長ハワード・W・ハンターはこう勧告している。「わたしたちは,聖なる事柄にいっそう思いをはせ,救い主が弟子たちに望んでおられるとおりに行動しなければなりません。あらゆる機会に,『イエスだったらどうなさるだろうか』と自分に尋ねてみる必要があります。そしてその答えに従い,さらに大きな勇気を持って行動してください。」(「神の御子に従う」『聖徒の道』1995年1月号,97)
第6代大管長ジョセフ・F・スミスの以下の勧告を読む。
「わたしたちは皆,弱点や欠点を持っています。夫は妻の欠点を目にして,妻をとがめることが時々あります。妻も時々夫が正しくないことを行っているのを見て,夫を非難します。そのようなことに何の益があるというのでしょうか。
結 び
スペンサー・W・キンボール長老の以下の言葉を紹介する。
「何という慰め,何という安らぎ,何という喜びであろうか。背罪や悲しみや罪の重荷に苦しんでいる人でも,主のもとに立ち帰り,主について学び,主の戒めを守るならば
『結婚と家族関係参加者用学習ガイド』の26-28ページを見てもらう。レッスンでの教義や原則を復習するため,参加者に以下を行うよう奨励する。(1)「応用のための提案」にある提案から少なくとも一つを行う。(2)ゴードン・B・ヒンクレー大管長の説教「あなたがたには,
次回のレッスンに学習ガイドを持参するよう参加者に言う。