家族のためのリソース
第4課:夫婦間の問題に対処する


第4課

夫婦間の問題に対処する

目 的

夫婦は協力して問題に取り組まなければならず,フラストレーションや怒りではなく,忍耐と愛をもって対処すべきであることを参加者に学ばせる。

準 備

  1. 「教師としてのあなたの責任」(本書 ixxi)にある原則を復習する。教える準備をする際にそれらの原則を応用する方法を探す。

  2. この課の教義と原則を示す太字の見出しを読む。準備として1週間を通しそれらの教義と原則について思い巡らし,参加者の必要に合ったレッスンを行うには何を強調すればよいかを御霊みたまの導きを求めながら決める。

  3. 18ページにある聖句を研究し,それらについての話し合いを進める準備をしておく。

  4. 『家庭の夕べアイデア集』(31106 300)がある場合は,256-257ページにある「結婚生活における争いを解決する」を研究する。この資料をレッスンで利用することを検討する。

レッスンの進め方の提案

夫婦は皆,問題に直面する

七十人のブルース・C・ヘーフェン長老が語った以下の物語を紹介する。

「〔ある〕花嫁は,式の当日に,うれしさのあまりため息交じりにこう言いました。『ああ,やっと悩みから解放された。』『そうよ』と母親が答えました。『でも,新しい悩みが待っているわ。』」(「聖約による結婚」『聖徒の道』1997年1月号,29

  • 夫婦が直面する悩みや困難にはどのようなものがあるだろうか。(参加者の答えを黒板に書く。以下のような答えが考えられる。)

    1. 意見の不一致

    2. 利己心

    3. 心を傷つけられる

    4. 健康に恵まれない

    5. 子供に恵まれない

    6. 老い

    7. 障害を持った家族

    8. すべての子供が家を離れた後の充足感の模索

    9. 愛する者の死

    10. 財政問題

    11. 道をそれた子供

    12. 天災

試練の中には夫婦関係における問題の結果として生じるものもあれば,人生の一部として自然にやって来るものもあることを指摘する。

結婚を聖約の関係として見れば,夫婦はどのような問題も解決できる

夫婦が問題にどのように対処するかは,彼らが夫婦関係をどのように考えるかによって異なってくることを説明する。黒板に契約および聖約と書く。

契約とは個人または団体の間の書面による合意であることを説明する。契約はその国の法律によって効力を持つ。聖約は契約と似ているが,より大きな影響力を持つ。「聖約」という言葉は人と人との間で交わされる合意を指すこともあるが,福音においてはわたしたちと主の間で交わされる合意を指す。聖約では,主が条件をお定めになり,わたしたちはそれらを守ると約束する(『聖句ガイド』「聖約(契約)」の項,152参照)。わたしたちが約束を守るとき,主は御自身の約束を果たす義務を負われる(教義と聖約82:10参照)。

今日こんにちの社会では多くの人が結婚を単なる契約としか考えていないことを指摘する。以下の質問について参加者に心の中で考えてもらう。

  • 夫婦間に問題が生じたとき,二人の関係を契約として考えている夫婦はどうするだろうか。二人の関係を聖約として考えている夫婦の場合はどうだろうか。

    七十人のブルース・C・ヘーフェン長老はこう述べている。「問題が起きると,合意だけの結婚による当事者たちは,離れ去ることで幸福を求めます。彼らは利益を求めて結婚したのであって,その報いがある間だけ,彼らは婚姻関係を続けます。しかし聖約による結婚に問題が起きた場合,夫と妻は協力して問題を解決します。……合意のうえの伴侶はんりょは結婚生活を守るために半分の努力しかしませんが,聖約によって結ばれた伴侶は全身全霊を尽くして結婚生活を守ります。結婚は本来は聖約によるものであり,勝手に解消できる個人的な合意ではありません。」(「聖約による結婚」『聖徒の道』1997年1月号 29

問題が生じたときは,フラストレーションや怒りではなく忍耐と愛をもって対処できる

夫婦が直面する問題の中には避けられないものもあるが,問題にどのように対応するかは選ぶことができる。七十人のリン・G・ロビンズ長老はこう説明している。「わたしたちを怒らせる人などいないのです。だれかがわたしたちを怒らせるのではありません。何ら強制力は働いていないのです。怒りは意識的に選ぶものであり,意志に基づいて決めることなのです。ですから,わたしたちは怒らないという選択が可能なのです。わたしたちが選ぶのです。」(「選択の自由と怒り」『聖徒の道』1998年7月号,86

天父はわたしたちに選択の自由,すなわち自分自身で選び行動する力を与えてくださっていることを強調する。わたしたちは問題が生じたときに,選択の自由を行使して忍耐と愛を選ぶことができる。

参加者に以下の聖句を順番に朗読してもらう。読みながら,夫婦は夫婦関係や日々の生活における問題に対応する際に,これらの聖句をどのように応用することができるかについて話し合うよう奨励する。

  • フラストレーションや怒りを感じ始めたとき,そうした気持ちを克服するためにどのようなことができるだろうか。(以下のような答えが考えられる。)

    1. 落ち着くまでその場から離れる。

    2. 助けと導きを求めて祈る。

    3. 意見の不一致がある場合は,時間を取って相手がそう考える理由や相手の気持ちについてよく考える。

    4. 地元の教会指導者や,必要であれば考え方や療法が教会の教えと一致している専門のカウンセラーの助けを求める。

夫婦が問題への対応の仕方を選ぶことができることを説明するために,以下の物語を読む。これは結婚生活で生じる日常的で小さな問題の一例であることを説明する。

「いつもと同じような日でした。デラは一日中,どんなに頑張って働いても,家族の必要を満たすことができませんでした。隣の家に住む人たちは,自分のところより子供の数が多いのに,とても楽しそうにやっているようでした。デラはそれを見て,自分の,女として母親としての能力に自信をなくしてきていました。ベンは会社から帰るとき,いつもよりずっとおなかがすいていました。何しろ今日は農機具を配達するために,いつもより130キロも余計に回ったのです。彼は疲れていました。いつも家に帰るのはとてもうれしいことでした。家には平安,食物,そして休息があるからです。

ベンの車が家の前の道に入って来る音を聞いて,デラは時計を見ました。ああ,いけない!もう7時じゃない!どうしましょう!彼女はちゃんとごはんの用意をしておこうと思っていたのですが,間に合いませんでした。大急ぎで最後のパンの練り粉を天板に置いたとき,ドアの開く音が聞こえました。

ベンは入って来ると,壁に寄りかかって,デラにほほえみかけました。彼女が息を詰めて見ていると,彼は,テーブルの上に何も用意していないのに気がつきました。彼はちょっと間をおいてから,ふうっとため息をつきました。」(『家庭の夕べアイデア集』256)

参加者に以下の質問をする。

  • ベンが自分のことしか考えていないとしたら,何が起こるだろうか。

  • ベンが妻のことを気遣っているとしたら,彼はどのような反応を示すだろうか。

質問について話し合った後,物語を続ける。

「ベンはふうっと息を吐いてから,ほほえんで言いました。『手伝うのにちょうど間に合ったようだね。』彼女はほっとしました。彼女は安心して,彼にキスをしながら言いました。『お帰りなさい。大変だったでしょう。夕食ちゃんと用意しておきたかったんだけど』と彼女は,準備のできていないテーブルを指して言いました。

『一緒にやろうよ』と彼は言って,腕を彼女に回しました。二人は,互いにその日の出来事を話し始めました。ベンがテーブルに食器を並べている間,デラはパンをオーブンに入れながら,一日中忙しくて,ダウンしそうだったことを話しました。ベンは,とてもおなかがすいていることも忘れて,どうしたら彼女が少しでも楽になるか考えていました。」(『家庭の夕べアイデア集』257)

結 び

『結婚と家族関係参加者用学習ガイド』の15-17ページを見てもらう。このレッスンでの教義や原則を復習するため,参加者に以下を行うよう奨励する。(1)「応用のための提案」にある提案から少なくとも一つを行う。(2)リン・G・ロビンズ長老の説教「選択の自由と怒り」を読む。学習ガイドに掲載されている説教を夫婦でともに読んで話し合うことは,既婚者にとって大変有益であることを指摘する。

参考資料

伴侶はんりょへの虐待は神に対する罪である

怒りやフラストレーションを感じている夫や妻が乱暴で破壊的な行為をすることがあることを説明する。夫婦はいかなる形であれ,決して伴侶を虐待してはならない。虐待は神の戒めや教会指導者の断固とした宣言に反する行為である。第8代大管長ジョージ・アルバート・スミスはこう宣言している。「主の御霊みたまを受けていれば,人は決してだれかを傷つけたりはしない。人を傷つけるのは,御霊以外の何かほかのものに支配されているときである。」(Conference Report,1950年10月,8)

以下の事項を簡潔に紹介する。

伴侶はんりょの虐待には精神的,身体的,性的なものがある。

精神的虐待には,どなる,ののしる,侮辱的または品位を傷つけるようなことを言う,横暴な振る舞いをする,子供や他人の前で伴侶はんりょに恥をかかせる,罰として支援や愛情表現を差し控える,伴侶の感情を無視または軽視する,などの行為が含まれる。

身体的虐待には,突き飛ばす,拘束する,揺さぶる,殴る,平手打ちをする,強制する,財政的支援を差し控えることなどが含まれる。

性的虐待には精神的あるいは身体的なものがある。それには性的いやがらせをする,苦痛を与える,力や脅迫を用いる,および性関係を持つときに相手にとって不快なことを繰り返すことが含まれる。

虐待に含まれるものについてさらに質問がある生徒は,監督に相談するべきであることを説明する。

第15代大管長ゴードン・B・ヒンクレーの以下の言葉を紹介する。ヒンクレー大管長のこの警告は妻を虐待している男性についてのものであるが,女性にも当てはまることを指摘する。この勧告を聞きながら,自身の振る舞いを静かに吟味するように参加者に言う。

「……男性の中には,日中は人々の前でにこやかな顔をしていながら,夜になって家に帰ると,自制心を忘れ,ささいなことに腹を立て,怒りを爆発させる人がいます。

このような悪と野蛮な振る舞いをしている男性は,神の神権にふさわしくありません。そのようなことをしている男性は,主の家に入る特権にふさわしくありません。わたしは,自分の妻や子供たちから愛される資格のない男性がいることを残念に思います。自分の父親を恐れる子供,また自分の夫を恐れる女性がいます。わたしの声を聞いている人の中に,このような男性がいるとすれば,わたしは主のしもべとして,その人を叱責しっせきし,悔い改めるよう求めます。自分自身を抑え,感情をコントロールしてください。あなたを怒らせている原因の多くは,ささいなことのはずです。それに比べて,あなたが自分の怒りと引き換えに払う代価は実に恐ろしいものなのです。主にゆるしを請うてください。妻に赦しを請い,子供に謝る必要があります。」(「教会の女性」『聖徒の道』1997年1月号,77

自分が虐待的な行為をするようになっていることに気づかない人々がいることを説明する。また自分の態度を変える必要があると認識していても,助けなしには変えることができないと感じている人々もいる。

自分の虐待的な行為を理解し変えることに関して助けを望む人は,謙遜けんそんに主の助けと導きを求めるときに変わることができる。監督に助言を求めてもよい。監督は教会の標準と一致した援助を提供している地域社会の機関を勧めることもできる。

  • 伴侶はんりょへの虐待は,子供にどのような影響を与えるだろうか。

    参加者の答えを求めるほか,伴侶への虐待は破壊的な方法で問題の解決を試みる例として,いつまでも子供の心に残ることを指摘する。子供のころにそのような虐待を目にした人は,しばしば他人を虐待することがあり,結婚後に自らも同じ道をたどることがある。

  • 両親が優しさと忍耐をもって問題を解決するのを目にするとき,子供はどのような影響を受けるだろうか。

    問題に直面した際に愛にあふれ成熟した態度を示す父母を通じて,子供は生涯失うことのない良い習慣を学ぶことを説明する。管理監督であった当時,ロバート・D・ヘイルズ監督はこう語った。「すばらしい親同士でも意見の食い違うことがあるということ,また,殴ったり,どなったり,物を投げたりしなくても,意見の相違は乗り越えられるということが分かれば,子どもたちに助けとなります。互いの見解を尊重しつつ穏やかに話し合うさまを見聞きすることによって,子どもたち自身も生活の中で見解を異にする相手とどう協力すればよいかを学べるからです。」(「どのように子どもの心に残る親か」『聖徒の道』1994年1月号,10