家族のためのリソース
第12課:模範と訓戒によって子供を教える


第12課

模範と訓戒によって子供を教える

目 的

両親には模範と教えによって子供を教える責任と,教えようとするに当たって神の霊感を求める責任があることを参加者に理解させる。

準 備

  1. 教える準備をしながら,「教師としてのあなたの責任」(本書 ixxi)にある原則を実践する方法を探す。

  2. 太字の見出しを読む。これらの見出しには本課の教義と原則が要約されている。準備の一部としてこれらの教義と原則を応用できるよう参加者を助ける方法を深く考える。参加者の必要に合ったレッスンを行うためには何を強調すればよいかを決めるに当たって,御霊みたまの導きを求める。

  3. 『家庭の夕べアイデア集』(31106 300)がある場合は,258-260ページにある「模範によって教える」および260-261ページにある「子供に言い聞かせる」を研究する。レッスンにおけるこれらの資料の利用を検討する。

レッスンの進め方の提案

両親は子供を教える責任を持つ

第15代大管長ゴードン・B・ヒンクレーが語った以下の物語を紹介する。

「わたしたちは結婚して間もなく,最初の家を建てました。お金はあまりありませんでした。ほとんどの仕事を自分でしました。……庭造りも全部自分でしました。たくさんの木を植えましたが,その最初はサイカチの木でした。……それは直径2センチほどの小さな木でした。枝はとてもしなやかで,どちらの方向にでも簡単に曲がりました。年月は過ぎていきましたが,わたしはその木にはほとんど注意を向けませんでした。

そしてある冬の日,たまたま窓越しに,葉をすっかり落としたその木を見たのです。それは樹形も悪く,バランスが取れず,西方に傾いていました。まったく信じられない思いでした。わたしは外に出て,その木を自分の力で押して,まっすぐに立てようとしてみました。しかし幹の直径はすでに30センチほどになっていて,わたしの力ではびくともしませんでした。……

最初に植えたときに,ひも1本で動かないようにしておけば,風の力にも耐えて,まっすぐに育っていたことでしょう。ひもを結わえることなど,わずかな手間でできたことですし,そうすべきだったのです。しかし,わたしはそれをしませんでした。そして木は吹きつける風の力に負けて,傾いてしまったのです。」(「子をその行くべき道に従って教えよ」『聖徒の道』66)

  • ヒンクレー大管長の経験は,子供を教えるという両親の責任にどのように当てはめることができるだろうか。(参加者がこの質問について話し合う際,彼らとともに箴言22:6を読む。)

    この木に関する自らの経験に言及して,ヒンクレー大管長はこう語っている。「わたしが見てきた子供たちにも,これと同じようなことがよく起こっています。子供たちをこの世に招き入れた親たちが,ほとんどその責任を放棄してしまっているように思えます。その結果は悲劇的です。たとえ単純であっても支えとなるものが少しでもあれば,子供たちはその生活を左右する力に耐えることができたのです。」(「子をその行くべき道に従って教えよ」66)

主は両親に子供を教えるという神聖な義務を与えておられることを説明する。この責任は軽視したり他人に任せたりしてはならないものである。十二使徒定員会会員のM・ラッセル・バラード長老はこう強調している。

「学校,地域社会,テレビ,教会の組織などに,子供の価値観の形成をゆだねることはできません。また,それはしてはならないことです。主はその義務を父親と母親に託しておられます。わたしたちはその責任を免れることはできません。また委任することもできません。ほかの人の助けを得ることはできますが,責任は両親にあります。ですから,わたしたちは自分の家庭を神聖な場所として守らなければなりません。家庭は子供が日々の生活の中で,価値観を築き,態度や習慣を身に付けていく所だからです。」(「子供を教えなさい」『聖徒の道』1991年7月号,80

  • 両親にとって,他人に任せるのではなく自分たちで子供を教えることが不可欠なのはなぜだろうか。両親がこの責任を果たさないとき,どのような危険が待ち構えているだろうか。

  • 祖父母やおじ,おばなどの親族は,両親が子供を教えるのをどのように支援できるだろうか。

両親は子供を教えるときに霊感を受けることができる

参加者に義と聖約42:14を開かせる。この節には両親が子供を教えるうえで大切なかぎが記されていることを説明する。その後,参加者とともにこの節を読む。

  • この節に記されているかぎとは何だろうか。(わたしたちは御霊みたまによって教えなければならない。)御霊によって教えるとはどういう意味だろうか。

    参加者とともに2ニーファイ32:5および33:1を読む。御霊みたま,あるいは聖霊は,わたしたちが何を行い,何を言うべきか分かるよう助けてくれることを指摘する。両親が聖霊の促しに従って教えるとき,聖霊がそのメッセージを子供の心に伝えるであろう。

ゴードン・B・ヒンクレー大管長の以下の勧告を紹介する。

「父親と母親の皆さん,子供たちを愛してください。子供たちを大事に育ててください。子供たちはこの上ない大切な存在です。未来は子供たちの中にあります。子育ては自分自身の知恵以上のものが求められます。主の助けが必要です。主の助けを祈り求め,与えられる霊感に従ってください。」(「信仰とあかしがあやなす織物」『聖徒の道』1996年1月号,99)

  • 子供を教えようとする両親に霊感が必要なのはなぜだろうか。子供を教えるときに聖霊の影響力があるようにするために,両親はどのようなことができるだろうか。

七十人のF・エンツィオ・ブッシェ長老が語った以下の物語を紹介する。

「ある日のことです,わたしは急な用事ができて普段なら家にはいない時間に帰宅しました。わたしが奥の部屋にいると,学校を終えて帰ったばかりの11歳になる息子が妹に下品な言葉を浴びせているのが聞こえてきました。息子の口からそのような言葉を聞こうとは夢にも思わなかったわたしは,ひどく腹をたてました。怒りのあまり立ち上がり,息子をしかりに行こうとしました。しかし幸いなことに,息子のところへ行くには,部屋を横切り,ドアを開けなければなりませんでした。その数秒間に,わたしはこの事態を正しく処理できるように真心から天父に祈ることを忘れなかったのです。わたしの心は平安を取り戻し,怒りはすでに消えていました。

わたしが家にいるのを知った息子は激しく動揺し,わたしが近づくにつれて恐れの色を濃くしました。ところが驚いたことに,わたしはこう言ったのです。『やあ,お帰り』そして手を差し伸べて握手をしたのです。それからごく普通の態度で息子を居間に招き入れ,二人で話をするために近くに座らせました。わたしの口からは息子への愛を表わす言葉が出てきました。わたしは息子に,すべての人が日々心の中で戦いをしていることについて話しました。

そして息子を信頼していることを伝えると,息子は泣き出して,自分のふさわしくない行いを告白し,激しく自分を責め始めたのです。こうなるとわたしの役目は,息子の罪を正しく見すえ,息子に慰めを与えることでした。わたしたちはすばらしい御霊みたまに包まれ,しまいには互いに涙を流し,愛に満たされて抱き合いました。そして喜びが訪れたのです。父と息子の悲惨な対立にもなり得たこの出来事が,天からの力に助けられ,二人の間に忘れることのできない最も麗しい経験を残してくれました。」(「愛は家族をいやす力」『聖徒の道』1982年7月号,122)

  • この父親が怒りに任せて行動していたらどのような結果になっていただろうか。

子供をある方法で,例えば当初計画していなかったような方法で,教えたり助けたりするよう聖霊に導かれた経験を参加者に分かち合ってもらう。

両親は模範と訓戒によって子供を教える

一般的に,両親が子供を教える方法には二つあることを説明する。模範によってと言葉によってである。

  • 子供を教えるとき,両親の模範はどのような点で彼らの言葉をより力あるものとするだろうか。

    十二使徒定員会会員であった当時にジェームズ・E・ファウスト長老が語った以下の言葉を参加者に読ませる(『結婚と家族関係参加者用学習ガイド』52)。

    「親が子供に危険を避けるように教えるとき,『わたしたちは世の中のことについてもっと経験を積んでいて賢いから,あなたたちより危険な誘惑に近づいても大丈夫』などと言うのは愚かなことです。親の偽善を見ると子供は疑い深くなり,家庭で教えられたことに不信を抱くようになります。例えば,子供には禁じている映画を親が見るならば,親の信用というものはなくなります。子供に正直であるよう期待するならば,親が正直でなくてはなりません。子供に徳高くあるよう期待するならば,親が徳高くあらねばなりません。尊敬される者になるよう望むならば,まず自分が尊敬される者にならねばなりません。」(「この世での最大のチャレンジ-良い親であること」『聖徒の道』1991年1月号,36)

  • 模範によって福音の原則を教えるために両親はどのようなことができるだろうか。

    管理監督であった当時,ロバート・D・ヘイルズ長老はこう語っている。「妻や子供たちとの交わりについて考えると,自分の両親が示してくれた模範を思い出さずにいられません。」(「どのように子供の心に残る親か」『聖徒の道』1994年1月号,9)以下の回想はヘイルズ監督がどのように両親から学んだかを示している。

    「神権を敬うことを教えてくれたのは父でした。わたしがアロン神権者だった当時は,聖餐せいさんで使うトレイはステンレス製でした。ですから,こぼれた水に含まれる成分が凝固して,表面が汚れました。アロン神権者のわたしには,聖餐の準備を助ける責任があります。父はわたしに命じてトレイを家に持って来させ,一緒にスチールたわしで全部のトレイがピカピカになるまで磨きました。わたしは聖餐を配るとき,聖餐の儀式を神聖なものとするために多少とも自分が貢献していることを感じていました。」(「どのように子供の心に残る親か」『聖徒の道』1994年1月号,9

    「夫と子供のために献身的に働いた母にも感謝しています。母は模範を通して教えてくれました。30年以上にわたる扶助協会での献身的な働きに感謝しています。わたしは16歳のときに特に恵まれて,彼女から教訓を得ることができました。それは,母が監督を助けて,貧しい人や助けのいる人に手を差し伸べている現場へ連れて行ってもらったときのことでした。」(「神の恵みへの感謝」『聖徒の道』1992年7月号,68)

  • 両親が言葉によって子供を教える機会にはどのようなものがあるだろうか。

    参加者がこの質問について話し合う際,家族の祈り,家族の聖文学習,および家庭の夕べについては第16課で話し合うことを説明する。これらすでに定められた教える機会のほかに,日々の生活の中で思いがけないときに数多くの教える機会が訪れる。これらの機会は子供が経験している事柄に密接に結びついているために,教えるためのすばらしい機会となる。そのような機会はほんのわずかな時間しかないことがあるので,両親はその機会に気づいて,子供たちが学ぶ準備のできている原則を教えられるよう備えておく必要がある。

  • 思いがけない教える機会で,両親が心積もりをしておくべきものにはどのようなものがあるだろうか。(答えがなかなか出ないようであれば,話し合いを促すために以下の提案を紹介するとよい。)

    両親は,子供が質問や心配事,兄弟や友人と付き合っていくうえでの問題,決断をする機会,あるいはメディアを通じて知った考えに対する懸念を抱くときに,教える機会を見いだすことができる。また教える機会は,子供が自分の過ちから学ぶ必要があるとき,奉仕をしているとき,怒りを抑制する必要があるとき,あるいは聖霊の影響力を認識するために助けを必要としているときにも訪れる。

  • 食事の時間や就寝時といった家族の日課は,どのような形で教える機会を提供してくれるだろうか。

  • 子供との一対一の時間は,どのような形で教える機会を与えてくれるだろうか。子供たち一人一人と一対一で過ごす時間を確実に取るために,両親はどのようなことができるだろうか。

  • これまであなたは思いがけない教える機会に,子供にどのようなことを教えることができただろうか。

本コースでこれから学ぶ4つの課では,両親が子供に教えなければならない原則と,両親に与えられた教えるための機会について話し合うことを説明する。

結 び

親が主から導きを求めるなら,主は彼らが子供を教えるときに導いてくださることを強調する。模範と言葉によって教えようとするとき,両親は絶えず努力し,首尾一貫していなければならない。

御霊みたまの促しに従って,レッスンで話し合ったことが真実であることをあかしする。

『結婚と家族関係参加者用学習ガイド』の51-56ページを見てもらう。レッスンでの教義や原則を復習するため,参加者に以下を行うよう奨励する。(1)「応用のための提案」にある提案から少なくとも一つを行う。(2)ジェームズ・E・ファウスト長老の説教「この世での最大のチャレンジ-良い親であること」およびリグランド・R・カーティス長老の説教「愛に囲まれた食卓」を読む。学習ガイドに掲載されている説教を夫婦でともに読んで話し合うことは,既婚者にとって大変有益であることを指摘する。