ヘブル11章,第2部
イエス・キリストへの信仰により生きる
人生で最も困難な試練に直面しても,信仰を持ち続ける人がいることを不思議に思ったことはありませんか。その人たちは,自分たちが堪え忍べるように助けてくれる天の御父とイエス・キリストについて,何を理解しているのでしょうか。パウロは,ヘブルの聖徒たちに信仰について教えた後,ほかの信者たちが行ったように,イエス・キリストを信じる信仰を行使するよう促しました。この課は,イエス・キリストへの信仰により生きたいという望みを強め,その信仰ゆえに神があなたに与えられた祝福を認識するのに役立ちます。
信仰をもって行動する
聖典や教会歴史の登場人物またはあなたが知っている人で,イエス・キリストへの信仰を行使したために神の祝福を受けた人々のことを考えてみてください。以下の画像は,そうした話を思い出すのに役立つかもしれません:
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その人のストーリーで,心に残ったのはどの部分ですか。
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信仰の話を聞いたり,分かち合ったりすると,わたしたちはどのような影響を受けるでしょうか。それはなぜですか。
前の課では,あなたにとってイエス・キリストを信じることにはどのような意味があるかについて学びました。主を信じる信仰をもっと行使するならば弱点だと自分が思っている部分がどう強くなるか,考えてください。感想を学習帳に記録しておくとよいでしょう。今日学びながら,どうしたら信仰を行使する意欲と能力を高めることができるか考えてみてください。
「信仰」をもって生きる人々
ヘブル11章にあるように,パウロは旧約聖書の中で「信仰によって」生きた人々の例を数多く記録しています。そのような記述がヘブル11章に何回も出てくることに気づくでしょう。パウロがヘブルの聖徒たちに伝えた例を学びながら,神が信仰をもって行動した人々に与えられた報いと祝福に,神の愛と寛大さがどのように示されたかを考えてください。
以下のような2列の表を学習帳に書きましょう。各見出しの下に十分なスペースを確保してください。
信仰がどのように行使されたか |
神は信仰の行いにどのように報われたか |
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次の聖句のうち,少なくとも一つを研究してください。研究しながら,考えたことを学習帳に書き留めましょう:
パウロが伝えた忠実の模範から,わたしたちは信仰,神,自分自身についての多くの真理を学ぶことができます。この章を通して示された真理の一つは, ヘブル11:6で教えられています:神はイエス・キリストへの信仰を行使する者に報いくださる。まだ印をつけていない人は,第6節の「ご自身を求める者に報いて下さる」に印をつけておきましょう。
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熱心に神を求めることが,どうして信仰を行使する一つの方法になるのでしょうか。
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わたしたちが信仰を行使するとき,なぜ天の御父は喜ばれると思いますか。
信仰によって生きる
神は,これまで神への信仰を行使した人々を祝福されてきただけでなく,現代においても「〔神〕を求める者に報いて下さる〔方〕」でもあります(ヘブル 11:6)。
できれば,ChurchofJesusChrist.orgにあるビデオ,「清く純粋な信仰」(5:21)を見てください。このビデオで,若い女性とその家族がイエス・キリストへの信仰を行使したときに神がどのように祝福されたか見てください。また,あなたが神への信仰を行使したときに,神があなたをどのように祝福したかも考えてください。
イエス・キリストへの信仰を行使したことで,あなたやあなたの知っている人が神の祝福を受けたときのことを考えてみてください。
ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように教えています。
「人生における良いことのすべて—永遠にわたって重要な祝福となり得ることすべて—は,信仰から始まります。生活の中で神に勝利を得ていただくことは,まず神は喜んで導いてくださると信じる信仰から始まります。」
(ラッセル・M・ネルソン「キリストはよみがえられた—キリストを信じる信仰は山を動かす」『リアホナ』2021年5月号,102)
ヘブル11章で信仰について学んだことと,感じたことを振り返ってください。学習の結果,あなたは何をしようという気持ちになりましたか。イエス・キリストをより信じる信仰をもって行動するために,あなたにはどのようなことができるでしょうか。自分の考えや印象を学習帳に書き留めます。
さらに学びを深める(任意)
わたしはどのようにして神から祝福を受けるのでしょうか
十二使徒定員会のデール・G・レンランド長老は,次のように教えています:
「神がわたしたちに与えたいと望んでおられる祝福のほとんどは,イエス・キリストを信じる信仰に基づくわたしたちの行動を必要としています。救い主を信じる信仰は,行動と力の原則です。まずわたしたちが信仰をもって行動すると,神の御心と神の時にかなって力がもたらされます。この順序はきわめて重要です。そして,最終的に受ける祝福と比べると,求められる行動は常にささいなものです〔モーサヤ 2:24-25参照〕。」
(デール・G・レンランド「多くの祝福を得る」『リアホナ』2019年5月号,70)
今日の教会員の模範から何を学ぶことができるでしょうか
次のビデオは,天の御父とイエス・キリストへの信仰を行使した人々の記録です。彼らの模範が,あなたの人生でより強い信仰を行使するためにどのように参考になるかを考えてみましょう。これらのビデオはChurchofJesusChrist.orgにあります。
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ビデオ:「新しい人生」(8:20)
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ビデオ抜粋:「信仰は偶然ではなく,選びによって与えられる」(10:49-14:13)
もし答えや祝福を受けられなかったとしたら,それは自分の信仰が足りないからでしょうか
十二使徒定員会のロナルド・A・ラズバンド長老は,次のように教えています:
「今日,イエス・キリストに従う人々の間に,皆さんやわたしの生活に,奇跡,しるし,不思議がたくさんあります。……
それらは常にわたしたちが求めているものや期待しているものではありませんが,わたしたちが主を信頼するときに,主はそこにおられ,正しくあられます。主はわたしたちに必要な瞬間に奇跡を起こしてくださいます。……
わたしたちは,愛する人を癒す奇跡や,不当な行為を覆す奇跡,冷酷な人や失望している人の心を穏やかにする奇跡を願うことが時々あります。わたしたちはこの世の目で物事を見て,主が介在して壊れているものを元に戻してくださるようにと願います。信仰によって奇跡が起こりますが,必ずしも,わたしたちの予定表どおりであったり,望む方法によってではありません。それは,わたしたちが忠実ではない,あるいは主の介在に値しないということなのでしょうか。いいえ。わたしたちは主から愛されています。主はわたしたちのために御自分の命をささげ,主の贖罪は,わたしたちが悔い改めて主に近づくときに,わたしたちを重荷と罪から解放し続けてくれます。
主は,『わが道は,あなたがたの道とは異なっている』〔イザヤ 55:8〕ということを思い起こさせ,またこう述べておられます。『すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。』〔マタイ 11:28〕—それは不安,失望,恐れ,不従順,愛する人についての心配,失った夢あるいは破れた夢からの休息です。混乱や悲しみの中の平安は奇跡です。主の次の御言葉を思い出してください。『わたしはこの件についてあなたの心に平安を告げなかったであろうか。神からの証よりも大いなる証があるであろうか。』〔教義と聖約 6:23〕奇跡は,大いなるエホバ,至高者の御子であるイエス・キリストが平安をもってこたえてくださっているということです。」
(ロナルド・A・ラズバンド「見よ,わたしは奇跡の神である」『リアホナ』2021年5月号,109,111)